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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●長男の家庭内暴力

【兵庫県にお住まいの、KWさんより、はやし浩司へ】

 はじめまして、高校1年の長男の事で悩んでおり、メールしました。
私、夫、長男、中学の長女と小学生の二男の5人と夫の母と父がおります。
同居しています。
今は家の近所のアパートに私と妹と弟は寝泊まりし、食事作りや洗濯は家で行っています。
朝は、祖父母の家に娘たちを呼んで朝食を食べさせ登校させてます。

 家を離れる決断は、1年前の8月、長男が高校受験の年に決めました。
 長男から長女への執拗な攻撃がひどくなり、このままでは長女が人間らしい生活ができない
と思い決心しました。
長女への暴力は長年あり、最後には息もできない状態で自由を奪い小声でしか話せなくなりま
した。
長女が祖父母宅に居れば、目でどこか行けと指示したり、長男が妹達の勉強部屋にこっそり
来て、暴力や物を破壊したりと、長女は言葉を発することは少なくひそひそ声で話しておりまし
た。
また、長男が中学2年ごろには長女に家の裏側へ来るように二女に命令し難癖をつけ、しばし
ば暴力を奮っていたようです。

 長女への暴力は長男が小学校のころからあり、私がいない時にやっていました。顕著に家
庭内暴力と言えるきっかけは2点あります。

 長男が中2の時、私の親が事故にあい、私1人で親の面倒をみるようになり、子供のことを
振り向けず実家の事に精一杯でいた時、長男が部活でレギュラーから落とされたと後になって
分かりました。

そのまま中3を迎え、一番なりたくない先生が担任になり、1学期の担任との面談で本人と私の
前でずるいだのと全否定する言葉をなげつけられ、その日をきっかけに私への暴力は始まり
ました。
中学時代はその担任が主導して、弱い子に暴力をふるったり、いやみや、罰与えが日常茶飯
事の学年でした。
1度長男も中1の時その担任に、お腹を訳もなく殴られました。
絶対に家に帰って、いやな事や恥ずかしいことは言わない子です。

 長男は中学に入る時から高校入試の事を非常に意識しており、レベルも高いところを志望し
ておりました。内申が思うようにつけてもらえず悩んでいたと思います。

 高校受験の頃には長男の緊張は更に高まってきました。
結局受験は失敗し、行きたくなかった高校ですが、進学校であり優秀な生徒も多い高校に行く
ことになりました。

 入学後、頑張ろうとしましたが、ついていけず2度目の挫折を味わうことになりました。高1の
春先には急性胃腸炎で4日休み、今までの失敗で自信も持てないところへ、全体でも下の成
績になり本人もショックなのでしょうが、まだ、勉強は諦めていないようです。
何とかしたいけど分からず、もがいて、参考書や文房具を沢山買い、塾へも2ケ月位行きまし
た。塾の参考書がほしいかったのだと思います。

 今年のお正月には激しい暴力を私に振るわないと気が済まないようで、妹を近づけるにはす
ごく危険な状態でした。

私への暴力の原因は、冬休み前の面談で先生がなんとか赤点はあるが留年にならないレベ
ルと言われた事と、他の子は私立に行かせてもらってるっていう気持ちで親に感謝して頑張っ
ている子が多いという事を聞き、私が「よくこれでやってるね。」と言ってしまい、その言葉が暴
力へ引き金となった様に思います。
そのあとすぐ、塾も辞め何もかもやる気もなくなったようにも見えます。

 暴力の内容は、思いっきり側頭部や太ももや腕をたたいたり、けったりします。
髪の毛をわしづかみにして私を家から追い出します。

 お正月には、長男が弟と遊びたくて、凧揚げしたかったらしいです。
長男が弟を呼んでも妹は怖いから行かないし、電話をかけて出なかったりで長男の怒りが高
まってしまいました。
数日後、長男が弟と家で逢った時、弟を髪の毛を引っ張って"何で俺の言う事が聞けなかった
のか"と、蹴ったりもして私が帰宅し止めたこともありました。

急に激こうしたり、自分では加減しているところもあるのかもしれませんが、危険に見え、妹へ
の暴力が放っておけず私が間に入り、それがまた長男は憎い様です。

 昨日は長女と家の前で出くわし、お腹を思いっきり叩いて塾へ入るよう命令し、最後に背中を
足蹴りし長女は家の柵に胸を打ちつけました。
長女はそのままアパートへ帰り部屋で閉じこもっておりました。
長女は2度とあんな家に行かないし、家の前も通らないと言ってました。
何度かこういう事が、離れてから起きています。
 塾へ行かせたいのは、中学の塾の参考書が欲しいのが目的です。
自分も中学の時その塾に通っております。
ここ数日は長男は常に怒り状態で危険な顔つきをしております。
また、高校の友達は学校の中だけで一切付き合いがありません。

 長男の生育史は、小学校へあがるまでは、今と違う町におり3歳までは私とべったりの生活
でしたが、妹が生まれてからは保育園に入り急につき放された状態でした。

 私も3歳以降、余裕もなくスキンシップはほとんどなかったと思います。
 やんちゃで、聞かん気も強く友達には意地悪はできず、そのストレスは家に持ち帰るタイプの
子で、長男が妹に手を出すと私が間に入って、長男に仕返しをしてしまいました。主人も夜遅く
帰り、その分土日だけは長男に関わってくれました。

 長男の年長の終わりに風邪をこじらせてから、朝お腹が痛いを言うようになり、登園が難しく
なりだしました。
小学校入学を機に今の家を建てましたが、やはり 簡単に登校拒否の状態は治らず、小1の2
学期途中に全く行かなくなり、3学期を迎えた頃、急に登校しました。
お腹の痛い症状はときどきありましたが、小3の頃にはスポーツ少年団に入ったりと小学校時
代は輝いていました。

 幼児期には、ダメダメ言って完ぺき主義に育て、感情的に長男へ当たり、言葉の暴力と叩い
たりもして、抑圧して言う事を聞かせていました。
甘えたい時期に妹達が生まれ、甘える事が出来ず、長女との仲裁に私が入った事が憎しみな
っていると思います。

 私の状況としては、結婚当初から、姑舅と近くに住んでいる義姉との関係に悩み、いやな思
いはありその気持ちは主人には分かってもらえず、子供たちも気づいていました。
当時は主人に分かってもらえないのが悲しかったです。
息子が小3になり、私も家にいるのが見張られているようなので少しづつアルバイトを始め現
在はフルタイムでなく常勤の事務パートをしております。

 やはり、家族がバラバラで父親と2人は寂しく、父親は平日10時過ぎに帰宅するので、長男
1人でいる時間が夜は長く、孤食で冷めたご飯を食べたりの状態です。

暴力を受けた長女は、長男と正反対の性格ですが、かなりトラウマがあり、暴力の話はしたく
ない様で心の底に溜まっていると思います。
長男を憎んでいます。

 長男の憎しみと、恨みはどの様に解決していけるか分かりません、心を見せないし今の生活
で戻ると妹への攻撃が爆発すると思うし、離れていると私への甘えが未解決のままです。

 過去の確執はありますがおじいちゃん、おばあちゃんも心配しており、一緒に長男と話し合い
をしたいと思いますが良いのでしょうか?
このような状況になっている事が、あの時あんなだったと笑って言える日が来るようにしたいで
す。

 また、これからの夏休みをどう過ごせばよいのかなどの不安もあります。どうか、今できる事
はどういうことなのか、最優先することは何かアドバイスを頂ければと思います。 よろしくお願
いします。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●反動形成

 長男(以後、K君とする)の家庭内暴力の遠因は、すでにこのメールの中に書かれている。
溺愛と過干渉、そして突然の愛情変化。
幼児期にいじってはならない2つの感情がある。
嫉妬と攻撃(残虐)性。
その「嫉妬」をいじってしまった。

 嫉妬をいじると、相手が弟であれ、妹であれ、兄(姉)は、その相手を殺すところまでする。
いじめるとか、暴力を振るうとかいうレベルではない。
「殺す」ところまでする。
嫉妬というのは、そういう感情をいう。

 ある兄(6歳児)は、弟を家の隅に連れて行き、いつもその弟を逆さづりにして、頭から落とし
ていた。
別の兄は、弟に向かって、全力で自転車で体当たりしていた。
それを見ていた近所の人が、「ギャーッ!」と声を張り上げたほど、残酷なシーンだったという。

 が、こういうケースのばあい、上の子は、両親の前では、別人のようによい兄(姉)を演じたり
する。
心理学の世界では、「反動形成」という言葉を使って、それを説明する。
K君は、下の妹が生まれたことで、はげしい疎外感を味わった。
それが嫉妬に転化し、動物的な攻撃性となって、それが現れた。

●混乱期

 思春期前夜(10歳前後)から、子どもの心は不安定期に入る。
脳の中で、はげしい変化が起き始める。
それは自分であって、自分でない変化ということになる。
心が満たされないことによる、葛藤感。
未来への不安と心配。
わがままと自己中心性。
不平、不満。

 が、何よりも(自分の将来を定められない渇望感)。
それに(自分は嫌われているという焦燥感)。
こういったものが混然一体となって、この時期の子どもを襲う。
それは恐ろしいほどのケイオス(大混乱)と言ってよい。
火事と地震、それに台風。
それらが同時に起きたような状態ということになる。

 K君はやりようのない自分を、そのまま身近にいる妹や母親に、ぶつけている。
「そんなことをすれば、ますますみなの心は離れてしまう」。
それを知りつつ、その自分をどうすることもできない。
それほどまでに、K君の心の中で起きている変化は、大きい。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
母親も苦しいかもしれない。
しかしそれ以上に、K君自身も、苦しんでいる。
心の緊張感から、逃れることもできず、もがいている。
ただその処理方法が、わからない。

●心の別室

 心療医学の世界では、「うつ」ということになる。
突発的に発生する錯乱状態。
ささいなキーワードが引き金になることが多い。
ある女の子(6歳児)は、母親が「ピアノのレッスンをしましょうね」と声をかけただけで、錯乱状
態になり、母親に包丁を投げつけたりした。

 K君のばあい、外の世界では仮面(ペルソナ)をかぶる分だけ、その不平、不満を内的世界
に抑圧しやすい。
私は「心の別室」と呼んでいる。
この心の別室には、時効(時間がたてば忘れる)や、上書き(よい思い出がそのあとあっても、
上書きされることはない)がない。
ときと場合に触れて、「あのとき、お前は!」となる。
それこそ、50歳になっても、60歳になっても、出てくる。
ある老夫婦は、喧嘩になるたびに、40〜50年前の話を持ち出して喧嘩していた。
「心の別室」を軽く考えてはいけない。

 K君は、恐らくはげしい嫉妬心から、幼児期にその(心の別室)を作ってしまった。
で、これはあくまでも程度の問題だが、心の別室が、それほど大きなものでなければ、「それに
触れない」という形で接する。
心の別室は、だれにでもある。

 が、それが程度を越えれば、それは「教育」の問題ではなく、(もちろん心理学の問題でもな
いが)、「医療」の問題ということになる。
今では(こだわり)を取る薬にしても、たいへんよい薬がある。
精神安定剤にしても、よい薬がある。
私自身も、もともと情緒が不安定な人間なので、市販のハーブ系安定剤、漢方薬を、それぞれ
うまく利用している。
海産物の多い食生活に心がけるだけでも、突発的な錯乱状態の多くを防ぐことができる。
イギリスでは昔から、『カルシウムは紳士を作る』という。
K君は、日常的に、甘い食品を多食していないか?
ジュースやアイスなど。
そのあたりも、一度、反省してみたらよい。

●愛情飢餓

 が、最大の原因は、「愛情飢餓」と考える。
一義的には、母親に対する愛情飢餓ということになる。
が、年齢的に、たとえば母親の胸に触りたくても、それができない。
その葛藤が、母親に対する不平、不満となって転化していく。

 本来なら、性のはけ口として、ガールフレンドにそれを求めていくという方法もある。
しかしそれについても、自分の中に残るマザコン(マザーコンプレックス)が、じゃまをする。
KWさん自身も書いているように、「完ぺき主義=過干渉」と、その一方で祖父母を含めた溺愛
が、K君の周りを包んでいた。
人格の完成期(コア形成期)を、いわゆる「人形子」(イプセン)で、通り過ぎてしまった。
同年齢の女子を、異性として(=性のはけ口として)、接する技術も身につけなかった。

 が、言い換えると、ガールフレンドができると、家庭内暴力は急速に収まる。
愛情飢餓感が、薄められるためと考えられる。

●では、どうするか

 家庭内暴力については、たびたび書いてきた。
が、同じ青年期の「うつ」でも、家の中に引きこもってしまう子どもをマイナス型とするなら、暴力
を振るうプラス型は、予後がよい。
その時期さえ通り過ぎ、また子ども自身が家を離れ、自活するようになれば、ウソのように症
状が氷解する。
むしろ常識豊かな人間に成長することのほうが多い。
(一方、引きこもりは、10年単位の静養期間が必要となる。)

 ほかにも、攻撃型、依存型、服従型、同情型などがあるが、K君のばあいは、攻撃型というこ
とになる。

 またこの時期、暴力といっても、それは「スレスレの暴力」であること。
子ども自身が、どこが「スレスレ」であるかをよく知っている。
それ以上のこともしない。
それこそ家族がメチャメチャになってしまう。
先ほど「殺す」という言葉を使ったが、家庭内暴力のばあいは、その心配はない。
どこかで理性のブレーキを働かせる。
だからあまり深刻に心配しないように!

が、それ以下でもない。
それでは暴力を振るう意味がない。
だからそのスレスレのところでする。

 はげしい家庭内暴力であり、当事者のKWさんにしてみれば、地獄のような毎日。
しかしここでK君を抑え込んでしまえば、この問題にも二番底、三番底がある。
さらに症状は悪化する。
が、先にも書いたように、「道」が見えてくれば、K君は別人のように落ちついてくる。
今まで何10例と家庭内暴力を起こした子どもを観てきたが、例外なく、そうなる。

 (もっとはげしい家庭内暴力を、私は直接見聞きしてきた。
家中のガラスというガラスを板やプラスチックにしてしまった家、子どもの前ではいつも両手を
床にすえ、はって移動しなければならなかった親、など。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

それについて書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++

家庭内暴力を繰りかえす子どもは、
外の世界では、信じられないほど、
(いい子)であることが多い。

T君も、そんな子どもだった……。

++++++++++++++

 T君は私の教え子だった。
両親は共に中学校の教師をしていた。
私は七、八年ぶりにそのT君(中二)のうわさを耳にした。
たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。

いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通
るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。
私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。
砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な
笑みを浮かべていた。
しかし私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていること
や考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。
従順で、ものわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。
むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆ
がめやすい。
T君はまさに、そんなタイプの子どもだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。
家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状
が現われてくる。

しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れたりする。
少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。
このタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたと
きのことである。
いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業をしていると、T君は
いつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。
T君の担任が、よく連れ戻しにきた。

そこである日、私はT君の母親に電話をした。
「私の教室へよこしませんか」と。
それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方
針というものがあるから!」と。
しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るようになった。
家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。
以後私は、半年の間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。
母親はこう言った。
「あんたは、私たちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介
だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。
しかし現実にはそれは不可能に近い。
指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷いがある。
「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。
が、何と言っても、親自身にその自覚がない。
知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかない。
教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再びK君について

 今、K君は、幼児期、児童期に逃げなかった「殻」を懸命に脱ごうとしている。
母親の溺愛、過干渉からの脱皮、自己の確立、思春期の不安などなど。
自分を抑圧するものへの抵抗。
それは想像を絶する葛藤と言ってもよい。
が、これにも時期がある。

 けっして希望的観測を書いているのではない。
K君の家庭内暴力が終わるのも、そろそろ時間の問題ではないか。
「行き着くところまで行き着きつつある」と。
が、それにはきわめてひとつ重要な条件がある。
『愛情の糸を切らないこと』。

 運命とはそういうもの。
「こわい」「こわい」と思って逃げて回っていると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかっ
てくる。
しかし運命を受け入れてしまえば、悪魔は向こうから、シッポを巻いて逃げていく。
「暴れたければ、暴れろ」「殺したければ、殺せ」、しかし「私はどんなことがあっても、あなたを
愛していますからね」と。

 その気持ちがK君に伝わったとき、K君の心は平和を取り戻す。
KWさんも、落ち着く。

 具体的には、(1)まず食生活の改善(白砂糖は麻薬と心得ること。「はやし浩司 白砂糖は
麻薬」で検索してほしい)。
(2)心療内科のドクターに相談する。
(3)K君に疎外感を覚えさせないようにし、ここに書いたように、「愛情の糸」を、最後の最後ま
で、一本だけは残しておく。
(4)K君が自分の進路を見出せば、この問題は解決する。
(K君自身には、自分は悪いことをしているという意識はないので注意すること。
自分は正当なことを、しているだけという意識しかない。
説教しても、ほとんど効果がないのも、そのため。)
(5)あとは『暖かい無視』と『求めてきたときが与えどき』と心得る。
食事の世話にしても、K君が食べても食べなくても、きちんと用意する。
それが暖かい無視。
あなたに向かって暴力を振るったときも、怒った顔はせず、悲しそうな顔をして、K君の顔を見
つめる。
「殺したければ殺していいのよ」と。
そこまで覚悟を決めれば、こわいものは、ないはず。
またそこまで覚悟しなさい。
逃げないこと。
それが暖かい無視。

また何か助けを求めてきたら、間をおかず、すかさず提供する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

5年前に書いた原稿を添付します(2006年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

【家庭内暴力】

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++++

東京都に住んでいる、Eさんという
母親が、長男の家庭内暴力に
苦しんでいる。

父親と、二男とは、そのため別居。
疲れきったEさんは、「死んでしまいたい」
とまで思うようになったという。

+++++++++++++++

E様へ

拝復

 パソコン上で原稿を書くと、どこかに記録が残ってしまいます。それがいつか、思わぬところ
で、表に出てきてしまうことがあります。それでここでは、「E様」とします。お許しください。

 また、同じような問題をかかえている、ほかの多くの親たちの参考と励みになるよう、一部、E
様からいただいた相談内容を、引用させていただきますが、どうか、ご了解の上、お許しくださ
い。

 E様からのメールを、要約させていただきます。

++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

 2年前に相談したことがある、東京都のEです。

 現在、兄は、高校1年生、弟は、中学2年生です。以前は、父親と私、子ども2人で、生活して
いました。

 その兄、つまり長男のことです。

 中学3年になるころから、暴力がはげしくなり、「こんな俺にしたのは、お前だ」と、私を殴った
り、蹴ったりします。タバコを吸い始め、髪の毛も茶色に染め始めました。3年の中ごろから、
学校へも、ほとんど行かなくなりました。

 学校の先生から、「排除」という言葉が出てきたのも、そのころです。長男を、学校から排除
するというのです。それで長男の荒れは、ますますひどくなりました。

 そこで父親(私の夫)と、二男は、近くにアパートを借りて、別居。現在は、私と、長男だけが、
いっしょに暮らしています。食事は、私が作り、毎日、父親と二男に届けています。

 長男の暴力はひどいですが、一線だけは守ってくれているようです。今のところ、指の骨折程
度ですんでいます。

 一応、単位制の通信高校に通っていますが、ほとんど学校へは行っていません。昼夜が逆
転し、夜中に起きてきて、私に、「食事を作れ」「こうなったのは、お前のせいだ」「弟は、お前と
別れて、よくなっただろ」「お前は、この家から出て行け」と、蹴ったりします。

 私の精神はボロボロで、自殺願望も生まれてきました。

 『許して、忘れる』という先生から教えてもらった言葉を口ずさみながら、何とか、それに耐え
ていますが、本当にこれでいいのでしょうか。一言、アドバイスをしてください。
(東京都・Eより)

+++++++++++++++++++++++

Eさんの転載許可がいただけましたので、
Eさんからのメールを、ほぼそのまま、
ここに紹介します。

上記の内容とダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】


+++++++++++++++++++++++++++

転載許可がいただけましたので、Eさんからのメールを、
そのまま紹介させていただきます。(6・21)
Eさん、ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

2年ほど前、当時小学6年生だった。次男の不登校のことでご相談した事がある者です。
長男は、当時、中学2年生でした。

その長男が中3になり、中1とし、弟は同じ中学校に入学してきましたが、そのときもまだ、弟
の学校恐怖症がつづき、学校へは、行けない状況にありました。

そのことで長男は友達から、弟のことで、いろいろとつらいことがあったようです。

家でゴロゴロと寝ている弟をみて登校していく長男でしたが、6月の運動会が終わったあたりか
ら、変わってきました。

タバコを、学校帰りに、友達と吸ったり、不良なんだとわざと見せるような行動をとるようになり
ました。

深夜徘徊をしたり、学校から排除されるようなことを先生に言われたりし、しのともあって、友達
も、みんな長男から、引いてしまったようです。孤立してしまいました。

2学期からはほとんど学校へは行かず、受験も拒否。

髪は茶髪、金髪、弟へのプロレスごっこと称しての暴力もはじまり、それを止めないといって弟
は、容赦ない暴力を私へ向けてきました。

去年の12月に主人と次男は隣町のマンションへ、出て行きました。

次男は中学も変わり、中1の3月までは不登校でしたが、中2になり4月からはまだ1日も休む
ことなく楽しく登校できているようです。

長男は卒業式にも出席することなく、一応単位制の通信高校に入学はしましたが、ほとんど登
校していません。

昼夜が逆転し、夕方ぐらいに起きてきて、夜中にわたしを起こし、飯を作れとか、耳元で、わざ
と、うるさい音楽を流したりと、嫌がらせがつづいています。

『お前がこんなにしたんだ、お前が出て行けば俺はよくなる! ○○(次男)もお前から離れた
からよくなっただろう』と、蹴ったり殴ったりします。

それでも手加減はしてくれているようで、いままで病院へ行ったのは右手小指の骨折だけで
す。
私も学校へ行けだとか、昼夜が逆転していることを、なおしなさいとか、言わないようにしていま
す。

次男へは毎日夕食を運んでいます。

自分を高めなければ精神がボロボロになってしまって、自殺願望が強くなるばかりです。
許して、許して忘れるの先生のお言葉を毎日、念仏のように口ずさみ、耐えています。
やがて時間が解決してくださると・・・

先生、それでいいのでしょうか、何も言わず、待つことがいちばんなんですよね。
もし、それでよけでば、それでよしとお答えくだされば、とても強い力になります。

孤独に閉鎖された中で戦う私に、後押ししてくださいませんでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家庭
内暴力 親への暴力)


【追伸、Eより、はやし浩司へ】

長男のことについての相談のお返事、ありがとうございました。
ブログへの掲載はかまいません。

昨日も、長男が、弟は、おたくっぽくてかっこ悪いというので、そんなことないよ、かっこいいよと
いったことに腹を立て、殴ったり、ものをこわしたり、網戸を破ってそれにライターで火をつけよ
うとしました。

私はそれに驚き、集合住宅でもあるし、火を出したら大変だと、脅す大河をそれだけはいけな
いと叫びました。

私が嫌がる事はわざとやるので、ソファーも火をつけたり、(すぐ消える程度)していたので、私
がまず、家を出なければと急いで家を出ました。

そして一晩帰宅しませんでした。
長男へはメールで、「火をつけたり、暴力が続くとお互い傷つくし、自分も他人も取り返しのつ
かないことになったら大変だから、暴力が治まるまで帰りません。何がそんなに哀しいのか
な・・・みんな、大河を愛しているよ、それはいつまでも変わりません。」
と送りました。

警察の少年サポートセンターの方が暴力からは逃げてください、受けたそのときに家を出てく
ださい、毎日連絡は入れてください、と指導されました。

私も、どうしていいやら家を出て実家に帰ったものの、心配でなりません。
今は荷物を取りに帰宅しています。

次男へ食事も運べませんし、夫がコンビニの弁当を買ってきているようです。
2〜3日したら帰宅しようとは思いますが、どうなんでしょうか。

火をつけたり、そんなまねごとでも危険な事は、許すわけにはいきません。

私は内科でデパスとメイラックスという、不安を取り除くお薬を処方してもらい、寝る前に飲んで
います。

メイラックスと言う薬は次男も、G大病院思春期外来で処方され、飲んでいました。
長男に、飲ませてはどうでしょうか。

とても、病院に一緒に行ってくれる状態ではありません。
長男が苦しんでいるのはわかります。
だから、強がって仮面をかぶって外に出るのもわかります。
不良になりたがるのも、よくわかります。

私も、そんな格好を非難する言葉や、世間体が悪いだとか、罵るような事を言ってしまいまし
た。

反省しています。

それなのに、今からでも大丈夫でしょうか、母と子の関係を修復できるでしょうか。  

今回はご返答ありがとうございました。
私は「許して忘れて、諦める」を念頭に、がんばって母親をやっていきます。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Eさんへ】

 家庭内暴力の背景には、つぎのような素因があると考えてください。ざっと、急いで書きあげ
たので、不備があるかもしれません。

(1) 子ども自身の、うつ病。(心の病気)
(2) 子ども自身の人間関係調整機能の喪失。(基本的信頼関係の構築の失敗)
(3) 子ども自身の自己管理能力の欠落。(幼児性の持続。わがまま)
(4) 子ども自身の二重人格性。(自分とは別の自分による暴力行為)
(5) 子ども自身の欲求不満。(性的欲求不満も含まれる。)
(6) 子ども自身の生育上の問題。(乳幼児期に「いい子」で通ってしまった。)
(7) 下の弟との関係。(「兄」であることから受ける重圧感。欲求不満)

 が、何よりも大きな素因は、(8)自己嫌悪から発生する、自暴自棄的自虐性です。

 このタイプの子どもは、自分の中にある、(自己嫌悪感)を解消したくても、それができないジ
レンマに陥っていることが多いです。自己管理能力のしっかりしている子ども(人)は、それを、
うまく処理できるのですが、それができません。

 それで弱い母親に対して、「こんなオレにしたのは……!」という言葉が出てきます。つまり自
分で、自分を嫌っているわけです。(嫌う)というよりも、みなに嫌われているもどかしさ、本当の
自分を認めてもらえないつらさ、それを(暴力)にかえていると思ってください。

 だから本当に、母親であるあなたを嫌っているというわけではありません。形こそ、少しいび
つですが、暴力的な(甘え)と理解すれば、よいかもしれません。

 もちろんその(甘え)の中には、さまざまな要因がつまっています。

 ここにあげた(人間関係調整機能の喪失)も、そのひとつです。つまり人間関係がじょうずに
調整できない子どもは、依存的になったり、服従的になったり、同情的になったりしますが、他
者に対して攻撃的になったりします。

 お子さんは、最後の攻撃型タイプということになります。(攻撃型タイプも、他者に対して攻撃
的になるタイプと、自分に対して自虐的になるタイプがあります。)

 が、心理状態は、いつも、孤独で、心の中に空虚感を覚えていると理解してください。つまり
心の中は、さみしいのです。そのさみしさを、埋めるために、あなたに対して暴力を振るってい
るのです。

 ……と書くと、どうして?、と思われるかもしれませんね。

 実は、あなたはお子さんのことを思ったり、心配してはいますが、そのつど、同時に、お子さ
んを、突き放すような言動をしているからだと考えてください。これは無意識のうちに、そうして
いるのがふつうです。

 子どもの心というのは、そういう意味では、たいへん敏感です。あなたのささいな言動から、
それをさぐり当ててしまいます。

 そこであなたのお子さんは、ギリギリのところまでしながら、あなたの心を試そうとします。ギリ
ギリのところです。

 家庭内暴力を起こす子どもは、いつもその限界の内側で暴れます。あなたが言う(自制)とい
う言葉は、それを言います。「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その一歩手前で、暴
力を止めます。

 これはお子さんの中に、もう一人の別のお子さんがいて、それを制御しているためと考えれ
ば、わかっていただけると思います。つまりそのつど、もう一人のお子さんが、「もう、やめてお
け」「そのへんで、ストップしろ」と命令をくだしているわけです。

 それで「指の骨折程度」ですんでいるわけです。

 つまりあなたのお子さんがしていることは、典型的な、「家庭内暴力」ということになります。で
すから、今は、つらいかもしれませんが、(お気持ちは察しますが)、問題としては、とくに変わ
った問題ではないということです。

 少なくとも、まったく同じような状況で、引きこもりを起こす子どもよりは、立ちなおるのがずっ
と楽ですし、立ちなおったあと、むしろ、かえって常識豊かな人間になります。

 私はそういう子どもの例を、何十例も見てきました。ですから、決して希望を捨てず、あきらめ
ず、短気を起こさず、前に向かって進んでください。必ず、一過性のもので終わります。そして
みな、なにごともなく、終わっていきます。

 『許して、忘れる』……これは何も、まちがっていません。今こそ、あなたの愛というよりも、深
い人間性が、子どもによって確かめられているのです。わかりますか? 

 親が子どもを育てるのではありません。親は、子育てで苦しみながら、子どもによって育てら
れるのです。

 そこでつぎのことに注意してみてください。

(1)突き放すようなことは言わない。 

 一方でお子さんのことを心配しながら、他方で、お子さんを突き放すようなことを言ったり、し
たりしていませんか? たとえば、「ごめん、ごめん」と口で言いながら、少し、お子さんの機嫌
がよくなると、「もう、あなたなんかイヤ」とか言う、など。

 これは究極の状態ということになりますが、「私はもう殺されてもいい。それでも、私はあなた
を見捨てませんからね」という状態になったとき、あなたのお子さんは、はじめて、あなたに安
心感を覚えるようになります。

 あなたにその覚悟はできていますか。が、あなたには、その覚悟は、まだできていない。「殺
されるのはいやだ」「世間体が悪い」「子育ては、もうこりごり」と。

 あなたのお子さんは、そのスキをついて、家の中で暴れます。満たされない愛への欲求不満
を、あなたにぶつけてきます。ですから、あなたはつぎの言葉だけを、子どもの前では、繰りか
えします。

 「ごめんなさい。お母さんが、悪かった」「どんなことがあっても、私はあなたを愛しつづけま
す」と。何があっても、最後の最後まで、その言葉を繰りかえします。これはまさに、壮絶な根く
らべです。

(2)子どもも苦しんでいる。

 あなたには想像できないかもしれませんが、あなたのお子さんも、そういうあなたを見なが
ら、苦しんでいます。あなたが苦しんでいる以上に、お子さんも苦しんでいるということです。(今
のあなたには、想像できないかもしれませんが……。)

 あなたは、お子さんにとって、最後の(心の拠り所)です。砦(とりで)です。その拠り所を、自
分で破壊しながら、お子さん自身は、自分でそれをよしとはしていないのです。愛する人(=あ
なた)をキズつけながら、それをしている、自分が苦しいのです。

 自己嫌悪から自暴自棄になるのは、そのためと考えてください。

 しかも自分に関することが、すべてうまくいかない。中学校の友人たちには嫌われる。高校へ
も進めなかった。何をしてよいのかわからない。何をしたいのかもわからない。家族もバラバラ
になってしまった。(現実の自分)と、(自分が頭の中に描く自分)が、一致せず、混乱している。

 それは思春期のお子さんにしてみれば、たいへんな苦しみということになります。

 今のお子さんの心理状態は、そういう状態であると考えてください。つまりあなたが、それをま
ず、理解します。その上で、「あなたも苦しんでいるのね」と、子どもを暖かく包んであげます。

(3)心の病気と考えてください。

 できれば、一度、心療内科を訪れてみてください。今ではすぐれた薬も開発されていて、お子
さんの(突発的なキレ)(異常なこだわり)(うつ症状)などにも、すぐれた効果があります。

 心の病気といっても、脳の機能的な障害ですから、おおげさに考えないこと。決してお子さん
が、このまま人格障害者になるとか、そういうことではありません。いわば、一過性の、はげし
い熱病のようなものです。

 しかも、確実になおる見込みのある熱病です。今までの私の経験からしても、今が山で、18
歳ごろまでには、ウソのように落ち着いてきます。先にも書きましたが、引きこもりを起こすタイ
プよりは、ずっと回復も早く、予後(その後の経過)もいいです。

(家庭内暴力を起こすタイプを、「プラス型」というなら、引きこもりを起こすタイプは、「マイナス
型」ということになります。まったく正反対の症状ですが、原因も、対処の仕方も、同じです。)

 ですから、薬で落ち着かせる部分については、薬に頼ります。あなた自身が、カプセルの中
に入ってしまわないで、他人に任すところは、任せます。

 私はドクターではありませんが、心療内科のドクターも、「うつ病」に準じて、治療を開始する
はずです。

 ただこのときも、注意しなければならないことは、たとえ心療内科へ連れていくとしても、(突き
放すような言動)は、タブーだということです。施設へ入れるとか、入院させるとか、そういう話
は子どもの前では、ぜったいに、してはいけません。

 少し前、子どもの立場で、自分の心の状態を語ってくれた青年がいました。(私のBLOGなど
に書いておきましたが、ご覧になってくださいましたか? マガジンでも取りあげたことがありま
す。)

 このBLOGの中で、「じじさん」というのは、その青年を批判した男性のことをいいます。内容
はわからいませんが、多分、その男性は、その青年を、「引きこもりは、怠け病だ」とでも言っ
たのではないかと思います。それでその青年が、反発しました。

+++++++++++++++++

【宮沢KさんのBLOGより転載、転載許可済み】

● 引きこもりは、病気だ!

お気楽にやっていきたいのに、今日もシビアになっちまう。

「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。

不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。

「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、
癌の治療に手を出したようなものでしょう。
引きこもりの一部は精神科の病気、
それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」

この人が正しい。タイコバン!

それに対して管理人のじじさんが

「引きこもりが病気!?
そのように病気病気言うから病気に甘えて
薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから
それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」

じじさん、あんたねえ、
KMさんも「引きこもりの一部は」って、言ってるでしょ。
引きこもりには怠けもんも多いけど
正しい? 病気の人も多いの。

世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど、
メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか
前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか、
あとはPTSDとか親の共依存とか
かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。

やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。
無知だよなあ、世間のやつらは。

++++++++++++++++++

●引きこもり者更生支援施設依存症の親

IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が
施設に引き渡したらしいね。

精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない 
今の医学ではそんなもの。

本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。
原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない 

引きこもりに正面から向き合うこともなく、
病理的な勉強も怠り、
甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに
とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。 

あんたらこそ、やる気だしてみろよ
薬打って中毒になってみろよ 
病気で足を切断されて足の大切さがわかり、
元通りにならない事をはじめて認める。

どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って、
あるだろう。

自分が正常でございと思ってるすべての連中、
あんたらは
感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。
宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ!

この施設がどういう人たちがやってて、
どういうことが行われたかはわからない。
事故だったのかなんだったのかはわからない。
引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど
わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから
(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)

 親が、子どもの暴力に耐えかねて
預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。

親がこの施設に依存した。
親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。
その結果、子どもは死んだ。
これだけだ。

臭いものにはフタか?
わが子は臭いものか?
誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?

(暴力で苦しんでる家庭では、
いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。
ハロペリドールなどの精神安定剤の処方で、おおかた静まる。
それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。
相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。

ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから
気に入る医者に出会うまで何人も回ること。

わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて
やっと回復できた。

どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。
答えは「精神科は楽に儲かるから」。
(点数がいろいろ有利なのは事実)

+++++++++++++++++++++

★今日は最後に怠け者へ一言★

じじさんの言ってた、
たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。
怠け者の末路は悲惨だよ。

生活保護って制度もいつまであるかわかんない。
バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、
家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って
光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。

やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。
こういう同病者をまじかにみれるもの。

自分の明日が見れるし
いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。

ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。

これから医学はもっともっと進むよ。
病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから
病気のフリもできない。
怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ。


【宮沢Kさんへ】

 たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれば、IM
スクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。

++++++++++++++++++++

【再び、Eさんへ……】 

 ここで宮沢Kさんが、書いていることは、何かの参考になると思います。宮沢KさんのBLOG
は、今のあなたのお子さんの立場で、自分の過去の経験を語っています。あとでそのBLOG
のアドレスを添付しておきますので、一度、あなたも、のぞいてみられたらよいかと思います。

 ともかくも、『許して、忘れる』ですよ。

 あなたがこれを乗り切ったとき、あなたはすばらしいものを手にするはずです。つまり(真の
愛)がどういうものであるかを、知るはずです。今は、その試練のとき。あなたのお子さんは、
あなたにそれを教えるために、今、そこにいます。

 決して短気を起こさず、決してあきらめず!

 そうそうあなたの自殺願望ですが、これは育児にかぎらず、介護に疲れた人も、みな覚える
ものです。あなた自身も、一度、心療内科で、精神安定剤を処方してもらうとよいかもしれませ
ん。

 私も、姉に教えられて以来、女性用の精神安定剤をのんでいますが、よくききます。

 なお、あなたからのメールを、こちらで一度手なおしして、私のマガジンに掲載したいのです
が、その許可をいただけませんか。あなたであることは、ぜったいわからないように、書き改め
ます。

 よろしくお願いします。

【宮沢Kの風・BLOG】

 ここに書いた宮沢KさんのBLOGです。子どもの立場がよくわかり、Eさんの参考になると思
います。

http://kenjinokaze.livedoor.biz/archives/50669992.html

 どうか、めげないで、がんばってください。必ず解決する問題ですから。約束します。

(つづきは、Eマガのほうで。7月26日号、掲載予定)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの家庭内暴力で苦しんでいるEさんへ、

 基本的には、心の病気と考えますが、この(病気)にいたるまでに、さまざまな原因や理由
が、そこにからんでいると考えてください。

 糸が複雑にからむようにからんでいるため、それを解きほぐすのは、容易なことではありませ
ん。それこそ、乳幼児期からの糸がからんでいることもあります。

 ついでながら、乳幼児期から、(いい子)で通ってきた子どもほど、思春期を迎えるころから、
この家庭内暴力も含めて、さまざまな問題行動を起こすことがわかっています。

(そういう点でも、子どものころから、(何を考えているかわからない子ども)ほど、心配な子ども
ということになりますね。)

 で、その家庭内暴力を起こす子どもの行動には、一定のパターンがあります。

(1)限界状況の把握

 家庭内暴力を繰りかえす子どもの最大の特徴は、自ら、無意識のうちにも、限界状況を設定
するということです。つまり子どもは、「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その限界ギリ
ギリのことまではします。が、しかしそれ以上のことはしません。

 (自分に対する怒り)を、(家族)にぶつけているだけだからです。つまり本当に相手(あなたと
いう親や兄弟)を憎んでいるから、暴力行為を繰りかえしているのでないということです。(自分
でも、自分をどうしたらいいかわからない)という思いを、(怒り)に変えているだけなのです。

 そういう点では、わがままな子、あるいは、俗な言い方をすれば、「甘ったれた子」ということ
になります。それだけ、人格の核形成(コア・アイデンティティ)の遅れた子どもということになり
ます。

(2)自虐的な愛の確認

 家庭内暴力を起こす子どもは、完ぺきな愛を、家族、なかんずく母親に求めようとします。完
ぺきな愛です。「どんなことをしても、自分は許されるのだ」「愛で包んでもらえるのだ」という
愛、です。

 その点、マザーコンタイプの子どもの心理に似ています。で、その完ぺきな愛を確認するた
めに、暴力行為を繰りかえします。

 が、暴力行為を加えられるほうは、たまったものではありません。当然のことながら、(子ども
を愛したい)という気持ちと、(子どもから離れたい)という気持ちの間で、はげしく葛藤します。

 その葛藤の間げきをついて、子どもは暴れます。たとえば親が、「病院へ一度、行ってみよう
か?」「そんなに私(=母親)が嫌いなら、私は、この家から出て行こうか?」「ひとりでアパート
に住んでみる?」などという言葉を口にすると、突然暴れ出す子どもが多いのは、そのためで
す。

 子どもは、その一言に、大きな不安を覚えることになります。

(3)二面性

 家庭内暴力を起こす子どもについて、多くの親たちが、「どうして?」と悩んでしまうのが、二
面性の問題です。

 はげしく暴れながらも、それが収まったようなときには、別人のようにやさしくなったり、親をい
たわったりします。

 実はそうした二面性は、暴力行為を繰りかえしている最中でも、それがあります。ある男性
は、こう言いました。彼は高校時代から青年期にかけて、その家庭内暴力を繰りかえしまし
た。

 「親を殴りつけている間も、もう1人の、別のぼくが自分の中にいて、『やめろ』『止めろ』と叫
んでいた」と。

 そこで私が、「では、どうしてそのとき、暴力をやめなかったのだ?」と聞くと、その男性は、こ
う言いました。

 「やめようと思っても、もう1人の自分が、どんどんと勝手に怒ってしまった」「途中でやめる
と、かえって、自分がへんな人間に見られるようで、できなかった」「自分でも、どうしようもなか
った」と。

 で、その男性のばあい、家庭内暴力をやめるきっかけになった事件があったそうです。

 ある夜のこと。その男性は、いつものように自分の母親を殴ったり、蹴ったりしました。で、そ
のあとのこと。その男性が、いつものように家を出ようとしたところ、(本当は出るつもりではな
く、庭先にあるガレージの二階に行こうとしたのですが)、母親がその男性を追いかけてきて、
「出て行かないで」「どこへも行かないで」と、泣きながら懇願したそうです。

 それを見て、その男性は、自分にそんなことまでされて、なおかつ、「出て行かないで」と泣き
叫んだ母親に、自分が求めていたものが、それだったと気がついたというのです。以後、その
男性は、それまでの男性とは別人のように、穏やかになっていったそうです(母親談)。

(4)緊張状態

 子どもが暴れるメカニズムは、つぎのようです。

 基本的に、子どもの心は、極度の緊張状態にあると考えます。この緊張状態が、日常的に
悶々とつづいています。

 この緊張状態の中に、不安(将来への不安、現実への不安、孤独への不安など)、心配(将
来への心配)などが入りきんでくると、それを解消しようと、心の緊張状態が、一気に倍加しま
す。

 それが突発的な暴力行為へと発展します。

 ですから、このタイプの子どもについては、(1)緊張状態の緩和を心がける、(2)不安や心
配ごとを持ちこまないということになりますが、ふと言った言葉が、キーワードになり、それが子
どもを激怒させるということも、少なくありません。

 これはある年長児の女の子の例ですが、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声をかけた
だけで、激変し、あるときは、母親に向かって、包丁まで投げつけたといいます。

 そこで対処のし方ということになります。

 今ではすぐれた薬もあり、またこうした心の病気に対する理解も深まってきましたから、決し
て、ひとりでは、悩まないこと。本人は、なかなか行きたがらないかもしれませんが、よく説得し
て、一度、心療内科の医院を訪問してみることが、第一です。

 つぎに子どもが暴れだしたら、説教したり、自分の意見を述べたりするのは、タブーと心得ま
す。かえって火に油を注ぐようなことになりかねません。ですから、「ごめんなさい」とだけ言い、
それを、どんなことがあっても、繰りかえします。子どもが意見を求めてきたようなときでも、「ご
めんなさい」とだけ言って、それですまします。

 「子どもが暴力行為を始めたら、家から出て、逃げろ」と教える指導員もいるようですが、私
は、反対です。

 そのときはそれですむかもしれませんが、つぎのとき、それが理由で、また暴力が始まること
が多いからです。「この前の夜は、ぼくを捨てて、家を出て行ったではないかア!」「どうして、オ
レを捨てたア!」とです。
 
 Eさんの息子さんが、ソファにライターで火をつける行為も、「火をつけて家を燃やしたい」から
ではなく、「オレをひとりにしておくと、オレはたいへんなことをするぞ」「だからオレをひとりにす
るな」ということを、あなたに伝えたいからです。またそう解釈すると、あなたのお子さんの心理
が、より理解できるのではないでしょうか。

 この問題の根底には、根深い、相互の不信関係(基本的不信関係)がからんでいます。そし
てそれは、どこかにも書きましたが、子どもが、乳幼児期に始まります。

 本来なら、子どもは、親に向かって、言いたいことを言い、したいことをしながら、そのつど自
分を発散しながら成長するのが、好ましいのですが、それができなかった。それが回りまわっ
て、子どもの心を、ゆがめてしまった。それが今、はげしい暴力行為となって、家庭の中で起き
ている。現状を解説すれば、そういうことになります。

 で、家庭内暴力を経験した子ども(おとな)は、みな、こう言います。

 「あんなことをしたのに、親は、自分を見捨てなかった」「それが自分を立ちなおらせるきっか
けになった」と。

 反対に、そうでないケースも、少なくありません。親のほうが、根をあげてしまい、子どもを施
設へ送ったりするようなケースです。それぞれの親には、それぞれの、やむにやまれない事情
もあるのでしょう。が、それをするのは、最後の最後。またそれをしたからといって、この問題
は、解決しません。

 さらに二番底、三番底へと、子どもは、落ちていきます。

 しかし心の病気と考えれば、気も楽になるはずです。しかも、この病気だけは、必ず、なおり
ます。そういう病気です。ですから、どうか、短気だけは起こさないでください。ただ家庭内暴力
にかぎらず、どんな(心の病気)もそうですが、1年単位の時間はかかります。それは覚悟して
おいてください。

 許して、忘れる。

 その度量の深さによって、あなたのお子さんへの愛情の深さが決まります。子どもを投げ出
したとき、あなたは、親として、はげしい敗北感を味わいます。ですから、決して、投げ出さない
こと。

 谷が深ければ深いほど、そのあと、あなたと息子さんは、すばらしい親子関係を築くことがで
きます。それを信じて、前に進んでください。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【アルバムの効用】

 子育てをしていて、苦しいことや悲しいことがあったら、アルバムをのぞくとよいですよ。ある
いは、アルバムを、家の中心に置いてみてください。

 アルバムには、私たちが想像する以上の力があります。理由は簡単です。そこには、楽しか
ったとき、うれしかったときが、凝縮されているからです。

 ぜひ、Eさんも、一度、ためしてみてください。それだけで、心が軽くなるはずです。お子さんへ
の、愛情も、それで取りもどせるはずです。ひょっとしたら、お子さん自身も、です。

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原稿を一作、添付します。
(中日新聞掲載済み)

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● 子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置け!)

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

● 成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成
長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。

ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃ
んだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なの
だ。

一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男
児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まず
いない。

哺乳ビンを見せながら、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい
「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、
子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、
「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長
児にならないとわからない。

が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理
解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思
議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい
た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。

つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、
写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。
が、それだけではない。

冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や
母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それは子ども
にとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私はあのとき感じ
たショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときのことだ。「これ
がぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあっ
た。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。

それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師
のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っ
ているのを知った。

ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そしてそのあと、
つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は
気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよ
い。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィー
ク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期に
わたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォ
フらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということに
なる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは
記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわ
かりやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を
利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣
かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつ
けたりしていた。どの先生も手を焼いていた。

が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私は
すかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私
はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルはワルのままだった
が、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いな
がら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい
子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼
稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と
思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人
間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つま
りあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな
人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となる
と、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手
に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつ
きあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくする
ためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてか
らだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚
えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセ
にする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思
っているなら、なおさらそうする。

最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思議なもの
だ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いていくからだ。が、そ
れだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相手が子どものときはなお
さらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや
服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつ
う下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこ
で調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。

母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんの
ものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そ
こでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースが
あるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうな
ら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 前向
きな働きかけ 強化の原理 子どもを伸ばす 伸びやかな子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日
も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期
末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと
思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には
穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室
に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動
かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわか
る。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」
と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったと
き)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転して
いるのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)というこ
と。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろう
か。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷
静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあ
なたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しな
いためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 受験
の再現)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

もう1作、添付します。
「家族」の重みについて書いた原稿です。
あくまでも参考のために。
(2009年3月に書いた原稿より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

ある母親からの相談(A letter from a mother)



A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-
divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to 
go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced 
soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn't care to 
be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.



+++++++++++++++



広島県のEさんから、こんな

相談が届いています。



掲載許可をいただけましたので、

みなさんと、いっしょに、

Kさんの問題を考えてみたいと

思います。



どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。



+++++++++++++++



(家族関係)



Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。

夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。



Eさんには、2人の息子がいる。

長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。

そのため、夫は、次男を連れて、家出。



次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。



まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを
責めている。



+++++++++++++++



【Eさんより、はやし浩司へ】



次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。 

現在、次男は、中学3年生です。



次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。



住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で1
0分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。 



はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。
中学校の友だちには、そう言ってます。



学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになっ
たからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎
えにいくことになりました。 



現在、私は父親と絶縁しております。 

その実家には、母親しか住んでいません。 



去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。 

父も、母も、現在、80歳を過ぎています。

調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 



父の職業は、大工でした。



父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行
をしたそうです。 



現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。 



母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 

父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。 



当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころ
では、なかったようです。



ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドン
という時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。 



建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、
それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。 



やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。



父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人で
す。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。 



母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それ
を思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。



そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後は
のんびり暮らせるはずだったのです。 



が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲
気が一変してしまいました。



父は、私の夫を尊敬していました。 

夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。



無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 

父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の
修繕をやったりしていました。 



主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。



父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなっ
たのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を
責めたりします。



私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度
も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連
れ出そうとしたりしました。



私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。 



姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうこ
とにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。



そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していき
ました。 



父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。 



そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てに
は、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分け
て、離婚したらいい」と、勧めました。 



私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父は
アパートを借り、実家を出て行きました。

居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。 



でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 

そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。 



長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきまし
た。



実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようで
すが、今は、ひとりで、気ままにやっています。 



そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。 



結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑から
も疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。 

今まで通院していた病院に行くためです。 



保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 

そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己
否定で、身動きができなくなってしまいます。 



こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われ
るかもしれません。



私は離婚するつもりでいます。

子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。



それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 

今はもう、くたくたなんです。 



自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯で
す。



いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今
の私は、ボロボロになってしまいます。



息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。

夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。



そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れ
ていくであろう自分を待つ状態です。 



それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。 

その責任は、感じます。



過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 

やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 

だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいので
す。 



父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、
「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。



そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 

でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできませ
ん。 

だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 



父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。

認知症も進んでいるしね。 

病気のせいだと思っておくよ。 

今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 

私たちは、困った親子になったもんだね。 



なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当
に読んでください。



この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 



で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりか
じっています。



しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。

さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。



今までの悪仲間とは縁を切ったようです。

今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。

精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。



何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。

次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。



夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。

長くて申し訳ありません。

よろしく御願いします。

(広島県、Eさんより)



+++++++++++++++++



【はやし浩司より、Eさんへ】



 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族
であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧
感、束縛感ではありません。



 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷
り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。



 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂
うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いて
います。



 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、
今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読め
なくなりました。



 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。



 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、
今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることで
す。



 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫との
からみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちば
ん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしま
っている!



 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両
親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、
見放すこともできない。



 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょ
うか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」
「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。



 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しか
しそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。



 が、ここが正念場。



 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。



 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかっ
てくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。



 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てや
る」と考える。



 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。
あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。



 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許し
て、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこ
の先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。



 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのか
ということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいま
す。



 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻
惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができな
い。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思
います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できな
い。



 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦
しんでいるのが、長男なのです。



 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を
見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。



 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでし
ょうか。



 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえ
ている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子
どもたちが、もがき、苦しむのです。



 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この
言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかも
しれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。



 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しい
ものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与え
ていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。



 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていき
ます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペース
で、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいこ
とをすればよいのです。



 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題で
す。



 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動か
し、見て、聞いて、ものを話しているということ。



 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、
聞いて、ものを話しているということ。



 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問
題です。



 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なこ
とは、その(価値)を実感することです。



 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろと
いうほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂の
ように思えてきます。



 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。



 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなた
たちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。



 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。



 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自
然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでア
ホな、両親や夫のことは忘れなさい。



 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってし
まいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを
知ります。



 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表
からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの
子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。



 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それ
を信じて、恐れず、前に進んでください。



 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。



 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてくださ
い。楽しいですよ。



 では、今日は、これで失礼します。



 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。
多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題を
かかえていますから……ね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●KWさんへ

 まだまだお伝えしたいことがありますが、今日はここで失礼します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家庭内暴力)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司





(2)
Main HPへ戻る 子育てあいうえお F
【行きすぎた欲望主義】

●家族崩壊

+++++++++++++++++

昨夜(6月1日)、6月用の講演会の
レジュメを書いた。
未完成だが、これをたたき台にし、
今週からの講演で話したい。

++++++++++++++++++

【価値観の転換と、意識・常識の改革】

●「どうすればうちの子は……」

もう20年以上も前のこと。
1人の父親が私の家にやってきた。
そしてこう言った。

「私はあなたの本を何冊も読む暇はない。
どうすればうちの子どもをいい子にすることができるのだ。
一言で言ってくれ」と。

 そのとき私はとっさの思いつきだったが、こう答えた。
「子どもは使うことです。
使えば使うほど、いい子になりますよ」と。

 それから20年以上。
この言葉は何度も私の頭の中で反芻された。
そしてその結論は、今でも同じ。
「子どもは使えば使うほど、いい子になる」と。

(今回は4つのテーマの中から、時間の関係上、X番目のテーマについてのみ、
話す。
この問題を、常識論、意識論をからめて話す。)

2011年6月2日記

●常識

アインシュタインは、こう言った。
「その人がもっている常識などというものは、18歳のときまでにもった偏見のかたまりである」
と。

 こう言うと、「いや、ちがう。私のもっている常識は正しい」と反論する人も多い。
しかしそう断言するのは、少し待ってほしい。
私は40年前、こんな経験をした。

●オリエンタル・スタディズ

メルボルン大学の南の端に、オリエンタル・スタディズという学部があった。
「東洋学部」と訳すのが正しい。
その学部には、日本語学科というのもあった。
私はときどきその学部で、日本語を教えていた。
そんなある日、1人の学生が、私にこう聞いた。
「どうして浅野内匠頭の家来は、吉良上野介を殺害したのか」と。

 いろいろ説明してみたが、だれも納得しなかった。
「悪いのは、浅野内匠頭ではないか」
「死罪(切腹)というのは、重すぎるが、しかし当時の法律でそうなっていたのなら、しかたのな
いこと」
「もし重罪に意見があるというのなら、どうして裁判で闘わなかったのか」と。
さらに「大石内蔵助らが職を失ったのは、浅野内匠頭の責任。どうして浅野内匠頭に責任を追
及しないのか」と。

 西洋では古来、主従関係といっても、契約が基盤になっている。
家来たちは職を失えば、つぎの主君を求めて、いわゆる職探しに歩く。

 さらに困ったのは、水戸黄門。
ある学生がこう聞いた。
「もし水戸黄門が悪いことをしたらどうなるか」と。
そこで私が「水戸黄門は悪いことをしない」と答えると、教室中が騒然となってしまった。
「それはおかしい!」と。

●「釣りバカ日誌」

常識というのは、それぞれの時代を経て、熟成される。
が、こんなこともある。

 釣りバカ日誌という映画がある。
ハマちゃんとスーさんが、あちこちへ釣りに行くという映画である。
あの映画にしても、おかしな点はいくつかある。

その第一。
ハマちゃんにせよ、スーさんにせよ、妻や子どもたちを連れていくことは、まず、ない。
そこで釣りバカ日誌の大ファンという中学生がいたので、聞いてみた。
「ハマちゃんやスーさんは、奥さんを釣りに連れていったことがあるか」と。
するとその中学生は、ウ〜ンと一呼吸考えたあと、こう言った。
「ないなア〜」と。
「へんな女の人がついてくることはあるけどね」とも。

 日本では何でもない映画だが、欧米では、そういうことはありえない。
もし休日を夫たちだけで過ごしたら、それだけで離婚事由になる。
あるいは男どうしで旅館に泊まれば、同性愛者とまちがえられる。

 欧米では、夫の会社のパーティであるにせよ、夫婦同伴が原則である(注※1)。

●出世主義から家族主義

日本が劇的に変化し始めたのは、1999年のことである。
その年のはじめ、「仕事より家族のほうが大切」と答えた人が、40%を超えた(文部省調査)。
その年の終わりには、45%になった(中日新聞調査)。
それが2007年には、75%(読売新聞・11月)。
これは中日新聞社が調査した。
こうした変化を、当時、「サイレント革命」という言葉を使って説明する人がいた。
そう、まさに「革命」。
今では、どんな調査結果をみても、80〜90%の人が、そう考えている。

 が、私たちの時代には、そうでなかった。
仕事か家族かと聞かれれば、みな、迷わず、「仕事」と答えた。
だからこんなことがあった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考2)

99年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、40%の日本人が、
「家族」をあげた。

同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが45%になった。たった1年足らずの間
に、5ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本人にとっては革命とも言えるべき大変化
である。

(参考2)2007年11月11日、読売新聞

 一方、いま大切なものは何か(複数回答)では、「家族」90%がトップだった。いざというとき、
家族は頼りになるかでは、94%が「頼りになる」と回答したという。

仕事と家庭のどちらを優先的に考えるかでは、「家庭」75%が、「仕事」19%を大きく上回っ
た。

同じ質問をした81年の調査と比べ、「家庭」は、13ポイント増加した。

 理想とする家族構成では、「祖父母や孫が同居する大家族」が60%で、最も多く、「親と子供
だけの家族」は、27%だったという。
(以上、読売新聞から抜粋。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 私が三井物産という会社にいたときのこと。
当時はまだ、「単身赴任」という言葉はなかった。
2年以内の海外出張を「短期出張」と呼んだ。
短期主張は、単身赴任が原則だった。
だから同僚を大阪の伊丹空港へ見送りにいくと、こんな光景がよく見られた。
「あなたア、がんばってきてねエ!」
「お前もがんばれよ!」と。

 今とちがい、日本は、まだ貧しかった。
休暇ごとに日本へ帰ってくるなどということは、できなかった。
が、2年で帰ってこられるという保証はなかった。
当時は、「短期出張のハシゴ」というのもあった。
赴任先の外地から、また別の外地へ短期出張で飛ばされる。
だからどこの商社でもそうだったが、一度外国へ出ると、4年は戻れなかった。

 その一例として、つまり日本のもつ後進性を表す一例として、1999年に入って、単身赴任に
よる被害について、損害賠償事件に対して、こんな判決があった。
ある男性が、「東京から名古屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校にな
るなど、さまざまな苦痛を受けた」として、会社を訴えた。
それに対して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決を言いわたした。
いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。
もう何をか言わんや、である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

 一方、日本にはこんな話がある。
以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われた」と訴えた男性がいた。
東京に本社を置くT臓器のK氏(53歳)だ。
いわく「東京から名古屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、
さまざまな苦痛を受けた」と。単身赴任は、6年間も続いた。

 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。
子どもでも、「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。
仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめられた部分も多い。
今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫は、いくらでもいる。
その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。
「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。
私が「ない」と答えると、周囲にいた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」
と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決
を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、であ
る。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ
た。
「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてルービ
ン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

 日本の常識は決して、世界の標準ではない。
たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカでは学校の先生が、親に子どもの落第をすす
めると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親はそのほうが子どものためになると判断する。

が、日本ではそうではない。
軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。
こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービン報道官になり、日本の単身赴任になった。
言いかえると、日本が世界の標準にたどりつくまでには、まだまだ道は遠い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ある中国人夫婦

 話を先に進める前に、ここで意識について、簡単な実験をしてみたい。
常識の実験と言い換えてもよい。
まず、こんな話。
それを聞いて、みなさんは、どう考えるか、それを静かに心の中をさぐってみてほしい。
みなさんは、みなさんの常識で、まず判断してみてほしい。

 こんな話。
 
 ある商店街に、1組の中国人夫婦が移り住んできた。
中華料理店を始めた。
当初はそれなりに繁盛していたが、そのうち商店街全体が不況の嵐の中に飲み込まれた。
一軒二軒と、シャッターをおろし始めた。
そのときのこと。

 となりの美容院が、ときどき店を閉めるようになった。
それに対して、中国人夫婦が激怒した。
となりの美容院へすごい剣幕で、怒鳴り込んでいった。
「店、開けるあるね!」と。
それだけではない。
道をはさんで、菓子屋があった。
昔からの菓子屋で、その菓子屋だけは客足が落ちなかった。
そこで中国人夫婦は、今度は菓子屋へ行き、こう言ったという。
「客を回してほしい」と。

 美容院を経営している女性は、この中国人夫婦に憤慨した。
菓子屋を経営している夫婦も、憤慨した。
「何という、常識知らず!」と。

●常識

 この話を聞いた私も、最初は、そう思った。
「どう考えても、この中国人夫婦のとった行動は、常識にはずれている」と。
が、もしこんな話を知ったら、たぶん、あなたは別の考え方をするようになるだろう。
こんな話だ。

●周囲との調和

 この4月にオーストラリアへ行ったときのこと。
ボーダータウンという、南オーストラリア州とビクトリア州の、ちょうど州境にある町へ立ち寄っ
た。
友人がそこに住んでいる。

 で、少し郊外へ行くと、みな、日本では想像もつかない広い土地に、広い家を建てて住んでい
る。
土地だけでも、5、6エーカー。
日本風に言えば、数千坪から1万坪。
家も広い。
T氏の家は、居間だけでも40畳以上。
それにどれも20畳以上もある部屋が、5〜8つとつづいている。
そこで私が心配になって、こう聞いた。

「税金はどうなっているのか?」と。

 さぞかし税金が高いだろうと思ってそう聞いた。
が、答えは意外なものだった。
「家の広さで、税金は決まらない」と。

 オーストラリアでは、ランド・バリュアー(Land Valuer)という人が税金を査定する。
「この家なら、いくらで売れるか」ということを基準にして、決める。
しかも家を買う側は、売買価格の1.4%の税金を払うだけ(ビクトリア州)。
売るほうには、税金はかからない。

 あとは毎年、決められた税金を払うが、その中心は、ゴミ収集のための税金。
またその程度。

 そこでその地域の住人たちは、家を含めた環境の価値を高めようとする。
価値が高くなれば、売るときに有利。
たとえばとなりの家の芝生が、だらしない状態になっていると、隣人たちがすぐ文句を言いに行
く。
実は私の二男も現在、アメリカに住んでいる。
その二男もこう言っていた。
「芝生を伸ばし放題にしておくと、すぐ文句を言われる」と。
だから二男は、毎週のように芝を刈っている。

 が、この日本では、そうではない。
となりがどんな家を建てようが、それはとなりの人の勝手。
イタリヤ風であろうが、和風であろうが、あるいはビルであろうが、その人の勝手。
土地の価値にしても、駅に近ければ近いほど、原則として高い。

 中国では、土地は、原則として、国のもの。
家にしても、建ててから70年は住めるという条件がつく。
が、思考回路は、欧米人のそれに近い。
町の商店街にしても、商店街全体がたがいにもり立てあいながら発展していくもの。
そういう考え方をする。

 そこで先の中国人夫婦のような考え方をするようになる。
「シャッターをおろせば、その影響は自分の家にも及ぶ。だから許せない」と。
また客にしても、たがいに回しあう。
それが中国では常識になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●中国の土地税制について

++++++++++++++++++++

D君は、オーストラリアでも中国研究の第一人者でもある。
中国の土地税制についても教えてくれた。

++++++++++++++++++++

Dear mate,
友へ、

In China, people do not pay tax for their house but the system is different. 
中国では、自分の所有する家には税金を払わない。システムが異なる。
Firstly, they can only buy a house not the land underneath. 
第一に、彼らは家を買うのであり、その下の土地は買わない。
The land belongs to the government. 
土地は政府に属する。
Secondly, they can only buy a house for 70 years. 
第二に、彼らは70年間、家を買う。(最長限度は70年。)
So in China, a big company or corrupt official can easily push people of the land which they 
are living on.
それで、中国では、大きな会社や役人は、そこに住んでいる人々を容易に追い出すことができ
る。
When a company wants to build a factory in a village, there is a negotiation over price but 
the local government is in charge of everything and they can favour the powerful side. 
会社が村に工場を建てるとき、価格の交渉をするが、地方政府はすべてに責任をもち、力の
あるほうに味方することができる。
So many farmers sell as soon as they receive a good offer and move into a town. 
それで多くの納付は、よい条件がつけば、すぐ家を売り、町へ移動する。
Eventually there will be a shortage of good farming land.
結果的に、農地が不足することになるだろう。
One day the system in China will crash down like a shaky old house.
いつか中国のこのシステムは、がたがたの古い家のように崩壊するだろう。
D
Dより

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●常識の変化

 どちらが正しいとか、正しくないとか、そういうことではない。
しかしここまで話を聞くと、多くの方は、こう思うにちがいない。
「最初は、中国人夫婦の言い分は、常識はずれと思った。
が、そうでもないのではないか」と。

 私も知れば知るほど、むしろ中国人夫婦の言い分のほうが、正しいように思えてきた。
日本人は、「自分がどんな家を建てようが、自分の勝手」と考える。
となり近所の家との調和を考えて、家を立てる人はまずいない。
店を閉めるときもそうだ。

 また「地域」という考え方も、希薄。
商店街の店々が、客を回しあうという話は、最近ではめったに聞かなくなった。
……というか、全国的に、町の通りに並ぶ商店街は、つぎつぎと姿を消しつつある。

●意識

 長い前置きになったが、意識というのは、絶対的なものではないということ。
当然、常識にも絶対的なものは、ない。
私の経験をもとに、話を進めてみたい。

●親のめんどうをみる

 4年おきに、内閣府(旧総理府)は、青年の意識調査をしている。
それによれば「将来、親のめんどうをみる」と考えている若者は、どんどんと減っている。
その多くは、「経済的な余裕があれば、みる」と答えている。

 将来、どんなことがあっても、親のめんどうをみる……28%(日本人・内閣府、平成21年調
査)。

 この数字がいかに衝撃的なものであるかは、他の国々の若者たちのそれと比較してみると
わかる。
私たちが内心では、「さぞかし低いだろうな」と思っているアメリカ人にしても、64%。
アジア各国の若者についてみると、軒並み、80%前後。

 が、この数字はどう考えてもおかしい。
日本は1970年代から高度成長の大波に乗り、世界の歴史の中でもまれにみるほどの大発
展を遂げた。
当然、その時代に生まれた子どもたち、つまりこの会場にいるお父さん、お母さんたちは、たい
へん恵まれた環境の中で、生まれ育った。

 つまり親にもっとも感謝してよい世代の人たちということになる。
そういう人たちが、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
が、現実問題として、経済的に余裕のある人は少ない。
とくに若い世代の人たちは、そうだ。
みな、目一杯の生活をしている。
車にせよ、家財にせよ、あって当たり前の時代に生きている。
私たちの時代と比較するのもヤボなことはよく知っている。
しかし私たちの新婚時代は、たとえばボットン便所から始まっている。
が、やがて小さなアパートに移った。
6畳と4畳だけの、小さなアパートだった。
そこで私ははじめて、水洗トイレの家に住んだ。
うれしかった。
何度も水を流し、においのしないトイレに感動した。

 そういう積み重ねがあった。
が、何よりも大きな違いは、親に対する考え方である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?


自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか


『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●収入の半分は、実家へ

 私たちの時代に、だれかがこう聞いたとする。
「君は将来、親のめんどうをみるか」と。
もしそんなことを聞かれたら、私は迷わず、こう答えたであろう。
「バカなことを聞くな!」と。

 「当然のこと」という意味で、そう答えたであろう。

 事実、私は浜松市に住むようになってから、収入の約半分を、実家に送った。
結婚前からそうしていた。
現在のワイフと結婚するときも、それが条件だった。
だからワイフも、何も文句を言わないで、収入の半分を実家へ送った。
それだけではない。
私の母は、ときどき私のアパートへ来ては、現金をもって帰っていった。
私の土地を勝手に売ってしまったこともある。
それについて私が泣いて抗議すると、母は、平然とこう言ってのけた。
「親が先祖を守るために、息子の金を使って、何が悪い!」と。

 母を責めているのではない。
母は母で、その当時の常識に従って生きていた。
今の私が自分の常識に従って生きているように。
今のあなたがたが、自分の常識に従って生きているように。

●出世主義から家族主義へ

戦時中から戦後へ。
日本は敗戦により、大きく変わった。
が、そう見えるのは、表面的な部分だけ。
つまり包装紙が変わっただけ。

「お国のため」が、「会社のため」になった。
「兵士」は、「企業戦士」になった。
それまでの「神国日本」は、「金権日本」になった。

 こうして戦後生まれの世代、つまり団塊の世代と言われる私たちの世代は、会社人間とし
て、社会へと巣立っていった。
だから当時の学校では、卒業式などには、決まってこう言われた。
「社会で役立つ人間になってください」と。
耳にタコができるほど、私たちはそれを聞かされた。

 が、これではいけない。
個人が組織の犠牲になってはいけない。
個人が家族の犠牲になってはいけない。

 たとえば私などは、「親孝行」という言葉も、それこそ耳にタコができるほど、聞かされて育っ
た。
それを如実に表す言葉が、「産んでやった」「育ててやった」という、あの言葉である。
あの言葉ほど、恩着せがましく、同時に、真綿で首をしめるような言葉はない。
だからこそ、それが私の常識となり、給料を手にするようになってからも、収入の半分を実家
へ送るということにつながっていった。

●反動

だから私は3人の息子たちを育てながらも、そういう言葉は、絶対に口にしないと誓った。
事実、言ったことはない。
反対に、こう言った。
「お前たちの人生は、お前たちのもの。お前たちはお前たちの人生を、自分の好きなように生
きろ」と。

が、変革は、若者たちのほうから始まった。
その象徴的な人物が、尾崎豊である。

●尾崎豊の『卒業』

「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った……」という、あの歌である。
私ははじめてあの歌を聴いたとき、ふつうでない衝撃を受けた。
「ああいう歌を歌うから、学校の窓ガラスが割られるのだ」と。

 が、それはまさに若者たちの、世代闘争の始まりだった。
少し時代が逆行するが、私たちの時代は、60年安保、70年安保を経験した。
それは権力との闘いだった。
何かわからない。
わからないが、自分たちの体をがんじがらめにしているものと闘った。
よくイデオロギー(政治的信条)が問題になったが、イデオロギーをもっているのは、学生の中
でもほんの一部。
大部分の学生たちは、言うなれば、祭り騒ぎのひとつとして、闘争に参加した。
「祭り騒ぎ」というのは、少し言い過ぎかもしれない。
しかし今、振り返ってみると、そういう印象をもつ。

 で、私たちの時代を、反権力闘争の時代とするなら、尾崎豊らが提起した闘争は、反世代闘
争ということになる。
旧態の価値観を打ち破り、自分たちの時代を確立しようとした。
わかりやすく言えば、自分たちの世代を、それまでの世代と、切り離そうとした。

 が、これはその世代の人たちにとっては、不幸なことでもあった。

●世代闘争

 知恵や知識は、世代から世代へと、受け継がれていく、
が、それを自ら断ち切ってしまう。
切るだけならまだしも、古い世代の知恵や知識を、意味のないもの、価値のないものとして、排
斥してしまう。
事実、排斥した。
古い世代の言葉に耳を傾けなくなった。
つまり断ち切った世代は、すべてを、ゼロから始めなければならない。

●行き過ぎた価値観

 こうして尾崎豊の世代は、より過激になっていった。
というより、尾崎豊は、その時代の若者たちの心を代弁した。
共感を得たというのは、そういう意味。
CBSソニーに問い合わせたところ、あの『卒業』は、シングル盤も含めて、200万枚以上も売
れたという。

 誤解がないように申し添えておくが、私自身は、尾崎豊が大好きである。
『卒業』も大好きである。

 で、若者たちは、世代闘争を繰り返し、自分たちの時代を確立した。
その結果が、今のみなさんの世代ということになる。
新しい価値観を構築した。

●2つの問題

 が、今、ここで大きな問題が起きてきた。
私はその問題を、つぎの2つに集約する。

ひとつは、(1)行き過ぎた家族主義。
もうひとつは、(2)欲望至上主義。

 行き過ぎた家族主義については、先に少し触れた。
日本が行動性長期にさしかかるころ、「核家族」という言葉が生まれた。
それがしばらくすると、「カプセル家族」という言葉に置き換わった。

 核家族というのは、夫婦と子どもたちだけで構成される家族をいう。
カプセル家族というのは、硬いカラの中に閉じこもってしまい、独自の価値観を極端化してしま
う家族をいう。
高学歴の父母に、多く見られた。
「私たちの育て方が正しい」と言いながら、その返す刀で、相手の価値観を否定する。
教師すらも、「下」に置くことによって、自分流の育児観をごり押しする。
具体的には、その派生として、「教育ママ」という言葉が生まれた。
「モンスターママ」という言葉も生まれた。

 が、問題はこれだけでは収まらなかった。
行き過ぎた家族主義の結果として、その「家族」から、「祖父母」の姿が消えた。
今、若い世代の人たちが使う「家族」という言葉の中には、「祖父母」、つまり自分たちの両親
の姿はない。
祖父母は、つまり自分の親たちは、家族ではない。

 このことを短絡的に、独居老人、孤独死、無縁死と結びつけるのは危険なことである。
ある社会学者の推計によれば、今後約60%の老人が、孤独死するという。
しかも発見までの平均日数は、6日。

 こういう話をすると、ここにいるみなさんは、「私はだいじょうぶ」と思うかもしれない。
「私と子どもの関係は絶対。親子の絆も太い」と。
しかしそれはどうか。
ここにあげた60%という数字は、私たちの世代の数字ではなく、現在の40代、50代の人たち
の数字である。

ともあれ家族、とくに祖父母とその息子、娘の間の絆が、もろく壊れやすくなっているのは、事
実。
それが先にも書いた、「経済的に余裕があれば……」という言葉につながっていく。
この言葉を裏から読むと、「経済的に余裕がなければ、親のめんどうはみない」。
さらには「親の恩も遺産しだい」という考え方につながっていく。

 ついでながら、世代闘争をした結果、老人は社会の隅に追いやられてしまった。
本来なら政治がそうした社会的欠陥を補完しなければならない。
が、その政治が追いついていない。
その結果が、現在の老人福祉政策ということになる。

 昔は、息子や娘が親の老後のめんどうをみた。
今は、みない。
そのかわり……という部分が未完成のまま、労時福祉政策だけがアタフタとしている。
たとえば私の近所にある特別養護老人ホームにしても、症状にもよるが、2年待ち、3年待ちと
いうのは、ザラ。
順番にしても、100番待ちという状況がつづいている(浜松市中区長寿保険課調べ)。

●欲望
 
 もうひとつは、欲望至上主義。
その代表的なものが、恋愛至上主義。

 韓流ブームに代表されるように、今の日本は、恋愛市場主義一色。
たがいに愛しあっていれば、何でも許される、と。
昔で言う駆け落ちなど、いまどき珍しくも何ともない。
結婚するについても、ほとんどが事後承諾。
親の許可を求めたり、親の意見を聞く子どもは、皆無。
まずいない。
皆無ということは、実は、この会場に来ているあなたがた自身が、いちばんよく知っているは
ず。

 ある男性は、実家へ規制するたびに、別の女性を連れてきた。
そしてそのたびに親にこう言ったという。
「パパ、(彼女の)名前をまちがえないでよ」と。

 そして別のある日のこと。
また突然、別の女性を連れてきて、「結婚することにしたから、よろしく」と。

 ……と書いても、今の若い人たちには、理解できないだろう。
「どこが悪いのだ」と。
それが冒頭で話した、「常識」ということになる。
「意識」そのものが、ちがう。

 私たちの時代には、それがよかったとは思っていないが、しかし親の承諾なしには結婚はで
きなかった。
仮に恋人ができたとしても、そこには「実家」という大きな関門があった。
私自身にしても、実家の父や母のことを考えるあまり、一度、ある女性との結婚を断念してい
る。
親が反対したわけではないが、自ら、そうした。
それが私たちの時代には、常識だった。

●フェニルエチルアミン

最近の脳科学では、感情は、脳ホルモンによるものというのが、定説になりつつある。
恋愛とて例外ではない。
恋愛も、脳ホルモンによるもの。
それがフェニルエチルアミンである。

 その時期になると、男や女は、熱烈な恋愛をする。
身を焦がすような、甘い陶酔感。
当の本人たちは、自分の意思で恋愛しているように思っているかもしれない。
しかし実は、脳ホルモンの奴隷になっているだけ。
それが悪いというのではない。
人間には、動物として、種族を後世に残すという重大な任務がある。
またそれがあるから、無数のドラマが生まれる。
そのドラマに価値がある。

 たとえば10年ほど前、『タイタニック』という映画が、大ヒットした。
あの映画の中に、もしジャックとローズがいなかったら、あの映画はただの船の沈没映画にな
っていただろう。

 しかし何ごとも行き過ぎはよくない。
恋愛はすばらしい。
人生の花。
しかしそれに溺れてしまってはいけない。
恋愛至上主義に走るということは、欲望の奴隷になることを意味する。
酒に溺れたり、タバコに溺れるのと同じ。
最近の脳科学によれば、視床下部から発せられたシグナルに応じて、ドーパミンが分泌され
る。
それが生きる原動力にもなっている。
フロイトが説いた「性的エネルギー」にもつながる。
しかしそれが行き過ぎると、先にも書いたように中毒性をもつ。
麻薬性をもつ。

 わかりやすく言えば、自分を見失う。
自分が自分であって、自分でなくなる。
恋は盲目とはいうが、盲目程度ではすまなくなる。
だから、こわい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

●欲望の根源

かつて、私もそうだった。あなたもそうだった。が、今、子どもの心の中では、猛烈な「性的エネ
ルギー」(フロイト)が、わき起こっている。「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発信源
ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受けて、ドーパミ
ンという脳間伝達物質が放出される。

 このドーパミンが、脳の中の線条体(報酬と行動要求に関する中枢部)というところを刺激す
ると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(もちろんおとなも)を支配する。ふつうの反応ではな
い。最終的には、そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前野(理性の中枢部)とい
うことになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するのはむずかしい」(N・D・ボルコ
フ)という。

 線条体が刺激を受けると、「あなたは、目的達成に向けた行動を起こせというメッセージを受
けとる」(同誌)。
 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。
食欲、性欲、生存欲、物欲、支配欲に始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。
わかりやすく言えば、脳の中で、どのような受容体が形成されるかによって決まる。

たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されること
がわかっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●これから……

まず念頭に置くべきことは、私たちがもっている常識というのは、絶対的なものではないという
こと。
その常識を疑う。
私やあなたがもっている常識を疑う。
いろいろな弊害が生まれてくれば、なおさら、である。

 その常識の基本となっている意識。
その意識を変えることは可能である。
その一例として、冒頭で、中国人夫婦の話をした。
つまりこの話の中に、問題を解くヒントが隠されている。

 方法は、(1)常識のおかしさに気づくこと。
つぎにそれに気づいたら、(2)意識を変える。
そのために自分の心を風通しのよいものにする。
視野を広くして、他人に考えに進んで耳を傾ける。
そういうことをわかってもらいため、冒頭で、忠臣蔵の話をした。
水戸黄門や釣りバカ日誌の話をした。

 同じように、私たちが今もっている家族観、育児観をながめなおしてみてほしい。
意識が変われば、ものの見方が180度変わるということもよくある。
同時に常識も、変わる。

 今日の講演では、つぎの2つの焦点をしぼって、みなさんに伝えたい。

(1)家族主義から新家族主義へ

 これから子どもたちに「家族」の話をするときは、そこに「祖父母」、つまりあなたがたの両親
の姿を加える。
これはあなた自身のためでもある。
それがわからなければ、今の自分の年齢に、子どもが社会人になるまでの年数を足してみれ
ばよい。
「子育てがやっと終わった」と思った瞬間、そこに待っているのは、あなた自身の「老後」であ
る。
今度は、あなた自身が、その「祖父母」ということになる。

が、今、みなさんは、自分の姿と「下」、つまり子どもの姿しか見ていない。
しかしそれではいけない。
「家族」というときは、そこには当然、「祖父母」も含まれなければならない。
これが第一。

(2)欲望至上主義の是正

 欲望の追求には、ブレーキをかけなけばならない。
そのひとつとして、「恋愛」を例にあげた。
恋愛はけっして、すべてに優先されるべきものではない。
たとえそれが身を焦がすほどつらいものであっても、だ。
あなたであってあなたでない部分が、あなたを操っているだけ。

 ニコチン中毒や、アルコール中毒と、メカニズム的には同じ。
脳の中の線条体というところに受容体ができ、そこで条件反射運動を起こしているだけ。
欲望の奴隷になってよいことは、何もない。

 で、恋愛をひとつの例としてあげた。
もちろん恋愛を、欲望と考えてよいかどうかという点については、異論、反論もあるだろう。
しかしフロイト学説に従うなら、「性的エネルギー」は、すべての欲望の原点になっている。
そういう意味で、ここで恋愛をひとつの例として、考えてみた。
つまり「恋愛」という仮面にだまされてはいけない。
それが正当化されるのを許してはいけない。

●では、どうすればよいのか

子育てには、多くの誤解がある。
たとえば「すなおな子ども」という言葉がある。
「すなおな子ども」というと、ほとんどの人は、親や先生に従順で、親や先生の言うことを、ハイ
ハイと聞く子どもと考えている。
が、これは誤解。

 心理学の世界で「すなおな子ども」というときは、情意、つまり「心」の状態と、顔の表情が一
致している子どもをいう。
うれしいときには、うれしそうな顔をする。
悲しいときには、悲しそうな顔をする。
そういう表現が、自然な形でできる子どもを、すなおな子どもとい。

 つぎにやさしさ。

●やさしさ

「やさしい子ども」というと、たとえば柔和でおだやかな子どもを想像する人は多い。
が、そういう子どもを、「やさしい子ども」とは言わない。
たとえばブランコに乗ってたとする。
そのとき別の誰かがやってきて、ブランコを横取りしたとする。
そういうとき、「いいよ……」と言って、ブランコを明け渡してしまう。
そういう子どもを、やさしい子どもとは言わない。
またそういう子どもほど、また別のところでさまざまな問題を引き起こすことがわかっている。

 では、どういう子どもをやさしい子どもというか。

 子どもにとって「やさしさ」というのは、より相手の立場になって考えられる子どもをいう。
たとえばショッピングセンターで、ものを買うときも、いつもだれかのことを考えて買う。
「これはお父さんの好物だね」とか、「これを買ってあげると、お兄ちゃんが喜ぶね」と。
もう少し専門的に言えば、より自己中心的でない子どもを、「やさしい子ども」という。
またそれができる子どもを、(子どもに限らないが)、人格の完成度の高い子どもという。
人格指数、つまり人格の完成度を知る、ひとつのバロメーターにもなっている。

 が、今日の話に関係しているのが、忍耐力ということになる。
その忍耐力も、よく誤解される。

●忍耐力

よく「うちの子はサッカーだと一日中しています。
忍耐力はあるはずです。
そういう力を、勉強に向けさせたいが、どうしたらいいか」と相談してくる親がいる。
しかしそういう力は、忍耐力とは言わない。
好きなことをしているだけ。

 子どもにとって、またおとなにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。
ためしに今日、家に帰ったら、子どもにこう言ってみるとよい。
「台所の生ゴミ、きれいにして」と。
「風呂場にたまった毛玉を掃除して」でもよい。

 そのときあなたの子どもが、何もためらわずそれができたとしたら、あなたの子どもは忍耐力
のある子どもということになる。

●では、どうするか

 それが冒頭にあげた話、ということになる。

 子どもは使う。
使って使って、使いまくる。
長い前置きと、回り道をしたが、これが結局は、この講演の結論ということになる。

『子どもは使う』。

 ついでに言うなら、古来、この日本では、子どもをかわいがるということは、子どもに楽をさせ
ることというふうに考える。
「楽」イコール、「楽しませること」と考える人も多い。
それに拍車がかかったのが、高度成長期に入ってから。
それこそ子どもが生まれると、蝶よ花よと手をかけた。
時間をかけた。
お金もかけた。

 その結果、私たちの時代で、「ドラ息子」「ドラ娘」と呼ばれる子どもたちがふえた。
ふえたというより、そういう子どもが主流になった。
すでに20年前には、そうでない子どもは、さがさなければならないほど、少なくなった。
今では、高校生にしても、親に感謝しながら通っている子どもはいない。
大学生でもいない。
お金をもらうときだけは、「ありがとう」と言う。
しかしそこまで。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と豪語する子どももいる。
それもそのはず。

 現在の子どもたちは、そしてここにいるお父さん、お母さんは、子どものときから「勉強しろ」
「勉強しろ」と言われて育っている。
ある女子高校生は、親が「大学進学をあきらめてくれ」と言われたとき、それに猛烈に反発し
た。
「子どもを大学へやるのは、親の役目。借金でも何でもして、私を大学へやって!」と。

 今は、そういう時代である。
子どもが社会人になりとき、その支度金まで、親が出す。
結婚式の費用も、親が出す。
さらに子どもが生まれると、その生活費まで、援助する。

 私たち団塊の世代は、こういう現状を見ながら、こうこぼす。

「私たちは両取られの世代」と。
親に取られ、子どもたちに取られ……と。
なぜ、こうなってしまったか。
それが言うまでもなく、常識であり、意識であるということになる。
それがどのようなものであれ、一度はその常識を疑ってみる。
そして「おかしい」と感じたら、今度は意識を変えてみる。
そのヒントとして、今日は常識論、意識論にからめて、子どもをどう育てたらよいかを話してみ
た。

 これからの子育てのひとつの指針になればうれしい。
なぜならこの問題だけは、あなたがたみなさんの近未来の老後に直結する問題である。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(注※1)

●男は仕事、女は家庭?(2008年、調査)

++++++++++++++++++++

このほど読売新聞社(2008年8月27日)が公表した
意識調査によると、

女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる……55%
そうは思わない                 ……39%、
だったという。

この数字を、1978年(30年前)と比較してみると、
「女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる」と答えた人は、26%
だった。

つまりこの30年間で、26%から、55%にふえたことになる。
(以上、読売新聞社、年間連続調査「日本人」より)

+++++++++++++++++++++++

こうした変化は、私も、ここ10年ほど、肌で感じていた。
旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観が、今、急速に崩壊しつつある。

そのことを裏づけるかのように、今回も、こんな調査結果が出ている。

+++++++++++++

結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい……30%

そうは思わない……68%

この数字を、1978年と比べてみると、

「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」については、
賛成……71%
反対……22%だった(同調査)。

つまり30年前には、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成する人が、71%だったのに
対して、今回は、30%にまで激減したということ。

日本人の意識は、とくにこの10年、大きく変化しつつある。
まさに「サイレント革命」と呼ぶにふさわしい。

ただし「結婚」については、肯定的に考える人がふえている。
読売新聞は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++

ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の33%を
大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。「結婚した方がよい」は、5年前
の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。

++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++

(参考)

●ああ、父親たるものは……!

++++++++++++++++++

平成10年度の『青少年白書』によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)
●ああ、父親たるものは……!
++++++++++++++++++
平成10年度の『青少年白書』によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(3)人格の完成

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intell
igence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。 

(1) 自己管理能力 
(2) 良好な対人関係 
(3) 他者との良好な共感性

とくに需要なのが(3)の共感性(より愛他的、非自己中心性)

(1)他人への同調性、調和性、同情性、共感性があるか。
(2)自己統制力があり、自分をしっかりとコントロールできるか。
(3)楽観的な人生観をもち、他人と良好な人間関係を築くことができるか。
(4)現実検証能力があり、自分の立場を客観的に認知できるか。
(5)柔軟な思考力があり、与えられた環境にすなおに順応することができるか。
(6)苦労に耐える力があり、目標に向かって、努力することができるか。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

●ああ、父親たるものは……!

++++++++++++++++++

平成10年度の『青少年白書』によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。



(2011年6月2日、作成)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 常識論 意識論 常識改革 意識改革 はやし浩司 父親のようになりたくない 
はやし浩司 父親を尊敬していない 総理府調査 青少年白書)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司


失われた存在感、父と母(「家族崩壊」の問題)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


韓国の作家、申京淑氏の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっているという
(韓国・東亞日報)。

申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。

『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろうか」と
いう質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。見慣れない
ものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感することが、より重
要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。

ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではなく、「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。
この浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、
戻ってこない。
「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)。

浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。

が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。

『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時も『ごめ
んね』という言葉を聞かされて育った。私たちが当たり前のように耳にしながら育ったこの言葉
は、いざ両親に対してはかけたことがない。言葉の順番が変わるべきだという気がした』(同)
と。

つまり「家族崩壊」の背景には、この「一方向性」がある。
親から子への一方向性。
親はいつも子のことだけを考える。
が、子は、親のことは何も考えない。
だから「一方向性」。
またそれが原因と考えてよい。
それが原因で、家族は崩壊する。

申氏は、「親はつねに子どもたちに対して、『ごめんね』と声をかける。
しかし子どもの側から、そうした言葉が発せられたことはない。

今朝は、この問題について考えてみたい。
2011/06/12

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●保護と依存性

 日本では、親のことを、「保護者」という。
韓国でもそうだと理解している。
しかし保護と依存の関係は、申氏が指摘するように、つねに一方向的なもの。
保護する側は、いつも保護する。
依存する側は、いつも依存する。
そして一度、この保護・依存の関係ができあがると、それを変えるのは容易なことではない。
それを基盤として、人間関係が構築されてしまう。

 が、悲劇はそのあとにつづく。
当初は感謝していた依存側も、それがしばらくつづくと、「当然」になり、さらにつづくと、今度は
依存側が、保護する側に向かって、それを請求するようになる。
親子関係とて、例外ではない。

 ある息子氏は、結婚式の費用を親に請求した。
が、そのとき親は定年退職をしたあと。
貯金はあったが、老後資金としては、じゅうぶんではなかった。
それもあって「なら、半分くらいなら……」と答えた。
が、この言葉が、息子氏を激怒させた。
「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。

 以後、息子氏は、親との縁を切った。
「2、30年後に、許してやる!」と
親が言ったのではない。
息子氏が、「許してやる」と言った。

 その親は、私にこう言った。
「息子が学生のときは、生活費のほか、毎月のようにお金を貸しました。
『就職したら返す』と言っていました。
で、東京の大手運輸会社に就職しましたが、当初の2年間は、『給料が少ない』と言っては、毎
月のように、お金を借りに来ました。
『車を買うから、お金を貸してほしい』と言ってきたこともあります。
100万円でした。
『特殊車両の運転免許を取るため、30万円貸してほしい』と言ったこともあります。
そのつど『給料があがったら、返す』と言っていました。
が、縁を切った(?)ことをよいことに、以後、ナシのつぶてです。
もう3年になります」と。

 この話は事実である。
というのも、こうしたエッセーで(話し)を書くときは、その本人とわからないように書く。
いくつかの話しをまとめたり、あるいはフィクションを混ぜて書く。
が、あまりにも非常識な話しなので、あえて事実を書いた。
つまりこれが「家族崩壊」である。

 家族崩壊の根底には、保護・依存の関係がある。
それがいびつな形で増幅したとき、ここに書いたようなできごとが起こる。

●家族崩壊

 申氏には悪いが、申氏は、ひとつ事実誤認をしている。
申氏には、欧米の家族が、「家族崩壊」に見えるかもしれない。
しかし欧米では、伝統的にそうであり、それが社会の中で、「常識」として定着している。
だからたとえばアメリカ映画などをみても、そこにあるのは、両親と子どもだけ。
祖父母がからんでくることは、まず、ない。

 そのため社会のシステムそのものが、それを包む形で完成している。
たとえばオーストラリアでは、どんな小さな町にも、「オールドマン・ビレッジ(Old Men's Village)」
というのがある。
老人たちは、そこに集まって生活をする。
たいてい町の中心部にある。
幼稚園や小学校の近くにある。
 
 そのビレッジで自活できなくなったら、その横の、日本で言う「特養」へ移動する。
わかりやすく言えば、「家族崩壊」を前提として、社会のしくみが、完成している。
フランスでも、事情は同じである。

 が、この日本では、そうでない。
若い人たちの意識だけが、先行する形で欧米化してしまった。
社会のシステムが置き去りになってしまった。
そのため多くの老人や、老人予備軍の退職者たちが、言うなれば「ハシゴをはずされてしまっ
た」。

 前にも書いたが、こうした悲劇は、地方の町や村で顕著に現われている。
北信(長野県北部)から来た男性(75歳くらい、元高校教師)はこう言った。
「過疎化なんて言葉は、一昔前のもの。私にも息子と娘がいますが、娘とは、もう20年以上、
会っていません」と。

●2つの解決策

 家族崩壊に対して、2つの解決策がある。
ひとつは、予防。
もうひとつは、事後対策。

 予防というのは、「親の存在感」の復権ということになる。
たとえば私たちが子どものころは、魚でも、いちばんおいしい部分は、祖父母。
つぎに父親。
私たち子どもは、そのつぎの部分を口にした。
テレビ番組でも、祖父母が、「これを見たい」と言えば、私たちは何も言えなかった。
(それでもチャンネルを取りあって、結構、喧嘩をしたが……。)

 が、今は逆。
魚でも、いちばんおいしい部分は、子ども。
つぎに父親であり、母親。
祖父母と同居している家庭は、ほとんど、ない。
また同居していても、祖父母が口にするのは、(残り物)。

 つまり「復権」というときは、根本的な部分から、一度、ひっくり返すことを意味する。
が、今となっては、それも手遅れ。
親自身が、すでに、「親の存在感」を喪失している。

 で、事後対策。
今が、そのとき。
できること、やるべきことは、山のようにある。
そのヒントが、バートランド・ラッセルの言葉。
イギリスのノーベル文学賞受賞者。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。

いわく、

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっし
て程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。
 
●3つのポイント

 順に考えてみよう。

(1)子どもたちに尊敬される

(2)子どもたちを尊敬する

(3)必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない

 が、現実は、きびしい。

★父親のようになりたくない
 
 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬してい
ない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、
「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、51・5%。
また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。


★親のめんどうをみない

第8回世界青年意識調査(2009)によれば、「将来、親のめんどうをみるか?」という質問に
対して、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた若者は、

  イギリス  66.0%、
  アメリカ  63.5%、
  フランス  50.8%、
  韓国    35.2%、
  日本    28.3%、であった。

 もう何もコメントする必要はない。
ここにあげた数字をじっと見つめているだけでよい。
それだけで、「家族崩壊」というのが、どういうものか、わかるはず。
同時に、今、私たちが親としてしていることの(愚かさ)に気づくはず。

●あなた自身のこと

 こう書くと、若い父親や母親は、こう言う。
「私たちの世代は、だいじょうぶ」
「私は子どもたちの心をしっかりとつかんでいる」
「私たち親子は、強い絆で結ばれているから、問題はない」と。

 が、そう思っている親たちほど、あぶない。
またここに書いたことは、50代、60代の私たちのことではない。
30代、40代の、若い親について書いたことである。
つまりあなた自身のことである。
それに気がついていないのは、あなた自身ということになる。
 
 では、どうするか?
結論は、すでに出ている。

『必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない』(バートランド・ラッセル)。

 子どもに尊敬されようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)
子どもを尊敬しようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)

 へたに子どもに媚(こび)を売るから、話しがおかしくなる。
親は親で、親としてではなく、1人の人間として、好き勝手なことをすればよい。
自分の道を生きればよい。
子育ては重要事だが、けっしてすべてではない。
また(すべて)にしてはいけない。
それが『けっして程度を越えない』ことに、つながる。

 先日も、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)上で、こんな相談を受けた。
「子どもが勉強しない。どうしたらいいか」と。
それに答えて私はこう書いた。

 「子どもの勉強の心配をする暇があったら、自分の老後の心配をしなさい」と。

 へたに「勉強しろ」「勉強しろ」と言うから、親はその責任を負わされる。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と豪語する学生すらいる。
そういう子どもが社会へ出れば、どうなるか。
たぶん、こう言うようになる。

 「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 本末転倒 家族崩壊 はやし浩司 家族崩壊 家庭崩壊 保護と依存 はやし浩
司 ラッセル 父親のようになりたくない 親のめんどうをみる)2011/07/26再収録推敲


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


(3)
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【ネオテニー進化論】

●日本人は、未熟な民族?

そんなことを考えさせられるのが、
ネオテニー(幼児成熟)進化論である。

+++++++++++++++++++

●幼児性の持続(ネオトニー進化論)

 人間は、ほかの動物たちとくらべても、幼児期から少年少女期までの期間が、著しく長い。鳥
の中には、孵化すると同時に歩き始め、エサを自分で食べ始めるのもいる。

 つまり人間は、未熟なまま、生まれる。そしてその分、親(とくに母親)の手厚い保護を受けな
ければならない。

 ……という話は、常識だが、同じ人間でも、種族によって、その「期間」が違うのではないか。

 私自身も、幼稚ぽいところがあったが、35年前に、オーストラリアの大学へ留学したとき、向
こうの学生たちが、みな、私よりはるかにおとなに見えたのには、驚いた。
本当に、驚いた。
「これが同じ大学生か!」と。

 で、以来、ときどき、私は、この問題を考える。
こうした「違い」は、なぜ生まれるのか、と。

 それについては、いろいろな説がある。
欧米と日本とでは、子育てのし方そのものが違うという説。日本では、元来、親にベタベタ甘え
る子どもイコール、かわいい子と位置づける。
が、欧米には、そういう考え方は、ない。
ないものはないのであって、どうしようもない。

 つまり、欧米では、子どもは、生まれながらにして、1人の人格者として、扱われる。育てられ
る。

 ……というふうに、私は考えてきた。しかしそれだけでも、ないのではないか。

 昨夜も、バラエティ番組なるものを、かいま見た。20〜25歳前後の若い女性が、10〜15
人ほど、そこに並んでいた。私は、その若い女性たちの顔を見て、あ然とした。

 幼稚顔というよりは、まさに幼児そのもの。
Sというよく知られた、司会者(お笑いタレント)に誘われてあれこれ意見を述べていたが、「こ
れが20歳を過ぎた女性の意見なのだろうか」とさえ、思った。

 一説によると、私たち日本人は、欧米人と比べても、幼児性を残したまま、おとなになる遺伝
子をもっているという。
生まれてからおとなになるまでの期間が長いとも解釈できるし、反対に、精神的におとなになり
きれないまま、体だけはおとなになるとも解釈できる。

 前者の説をとるなら、日本人は、それだけ教育期間を長くしなければならないということにな
る。
後者の説をとるなら、日本人は、民俗学的(生態学的)に、未熟な人間ということになる。
さらに恐ろしい意見もある。

 日本人の子どもの前頭連合野の発育が、以前よりも、未熟になりつつあるというのだ(沢口
俊之著「したたかな脳」日本文芸社)。そのため、

「以前は、小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないという
のが、現状です。

 これは状況を判断する力や、自己をコントロールする力が衰退しているということ、すなわ
ち、自分の行動を積極的に制御する脳の機能が未熟になっていることを示しています」(同、P
131)と。

 「小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないというのが、現
状です」という澤口氏の意見には、「?」を一つ、つけたいが、しかし、年々、子どもたちが幼稚
化しているのは、私も感ずるところである。

 とくに男児の幼稚化が著しい。たいはんが、どこかナヨナヨしていて、ハキがない。

 で、こうして、子どもたちは、幼児性(幼稚性)を残したまま、おとなになる。
あるいはおとなになりきれないまま、おとなになる。

 一般論として、子どもというのは、その年齢になると、その子どもの年齢にふさわしい、「人
格」が育ってくる。「核」というか、(つかみどころ)ができてくる。
その年齢に比して、「子どもっぽく見える」というのは、日本では、あまり問題視されないが、国
際的に見れば、決して、好ましいことではない。

 そこで全体として、たとえば高校生や大学生をみると、日本の高校生や大学生は欧米の子ど
もたちと比較すると、かなり子どもっぽいのがわかる。
澤口氏の説によれば、つまりその分、大脳前頭連合野の発達が、未熟(?)ということになる。

 こうした違いが生まれるのは、教育によるものなのか。それとも遺伝子によるものなのか。

 「したたたかな脳」の著者の澤口氏は、「ネオテニー」という言葉を使って、日本人の幼児性を
説明する。

 「ネオテニーとは、(幼児成熟)、つまり幼い時期の特徴をもったままで成熟し、繁殖すること
をいいます。

 その有名な例は、アホロートル(ウーパールーパー)です。
アホロートルは、サンショウウオの一種で、サンショウウオは、両生類です。

 ですから幼生期に水中でエラで呼吸し、成長すると、変態して、肺で呼吸するようになり、陸
上で生活します。

 ところがアホロ−トルは、変態しません。つまりエラをもったまま、つまりは幼生期のまま、水
中で生活します。繁殖も幼生期のままの姿でします。いってみれば、カエルがオタマジャクシの
ままで、卵を産んでしまうようなものです。

 これをヒトにあてはめて考えた進化論が、「ネオテニー進化論」です。(中略)

 ネオテニー化が進むということは、進化の過程で、ヒトがネオテニー的な特徴をより多く、身
につけてきたという意味です。

 ネオテニー的な特徴とは、単純な言い方をすれば、外見的に、子どもぽいとか、未熟だとか
いうことです。
このような身体的な特徴から見ると、ヒトの大人は、幼児の姿をとどめたまま成熟したチンパン
ジーのようにも見えます。

 そしてアジア人(モンゴロイド)が、年齢よりも若く見えるのは、より多く、ネオテニー的な特徴
を備えているということです。
とくに日本人は、幼くみえるようです」(同書、P133〜)と。

(わかりやすく言えば、欧米人は、たとえていうなら、サンショウウオ。アジア人は、幼児成熟な
ままで発育が止まっている、ウーパールーパーということになる。)

 ナルホドと思ったり、そうだったのかと思ったり……。
日本人は、極東の島国で生活し、他民族のように、「血」の交流をほとんどしてこなかった。
その結果、モンゴロイドとしての特徴が、そのままより色濃く残ってしまったのかもしれない。
骨相学的に見ても、日本人の骨相(顔)が、悲しいかな、世界で一番、貧弱だと言われる理由
も、そこにある。

 それはさておき、澤口氏の意見に従うなら、私たち日本人は、日本人のあり方そのものを、
基本的な部分から、考えなおさなければならない。
短い足や、貧弱な骨相はともかくも、人格的な完成度という意味では、考えなおさなければなら
ない。

 そしてそれが教育でカバーできるものであれば、「教育」そのものも考えなおさなければなら
ない。澤口氏の言葉を借りるなら、「状況を判断する力や、自己をコントロールする力」を、どう
やって養うかということにもなる。

 昨日、静岡市での講演に出かけるとき、駅構内で購入した本だったが、おもしろかった。
久々に、頭の中で、火花がバチバチと飛ぶのを感じた。興味のある方は、どうぞ!

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(4)
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【越前・大野、ひとり旅】

【浜松から福井県・大野市へ】(気楽なひとり旅)

(プロローグ)

 私は子どものころ、いつも母にこう聞いていたという。
「あの山の向こうはどうなっている?」と。
そのたびに、母は、こう言った。
「この山をいくつも越えていくとなあ、大野というところへ行くそうや」と。

 今でも、その「大野」という言葉が、脳の中で、母の声で残っている。
それでひとり旅。
福井県・越前大野市をめざして!

●ひとり旅

++++++++++++++++++++++

休みに、どうしてもしてみたいことがあった。
ひとり旅。
たまたま昨日、ワイフと喧嘩した。
たいした喧嘩ではなかったが、それを口実に、今夜、
家を飛び出した。

明日は、福井県の大野市に向かう。
その大野市から、岐阜県に入る。
(本当は、その逆コースをたどってみたかったのだが……。)
岐阜県に入ったら、関市板取村から岐阜市へ戻る。

若いころは、こういうひとり旅をよくした。
たいていはヒッチハイクだった。
もちろんこの年齢では、ヒッチハイクはできない。
車も止まってくれないだろう。

行程は決まっていない。
パソコンがあるから、それで調べながら行く。
とりあえず、明日は、大野市へ。

(浜松)→(大野市)→(板取村)→(岐阜市)→(浜松)!

++++++++++++++++++++++

●浜松に一泊

 今夜は、……というわけで、浜松市内のビジネスホテルに一泊。
酒が飲めない私が、コンビニでチューハイを買ってきた。
菓子に、ジュース、それにパン1個。
家を飛び出したとき気がついたが、Tシャツが汚れていた。
それは今夜風呂場で洗うつもり。
あるいは明日、駅前の店で1枚、買うつもり。

……たった今、地図で調べてみた。
大野市から岐阜県側までの距離。
歩いていける距離と思っていた。
しかし九頭竜湖に沿って歩いただけでも、20〜30キロもある!
地図で見ると平坦だが、「〜〜岳」「〜〜岳」という文字が目に付く。
相当に険しい道らしい。

 あきらめた!
と、同時に、大野市の観光案内を読む。
ひとつの文化圏を形成した文化都市。
訪れてみる価値あり。
そう判断した。

●子どものころ

 大野市へ行きたいことについては、理由がある。
その話。

 ……私は子どものころ、よく母の在所で休みを過ごした。
そのとき、「大野」という名前がよく出てきた。
「この道をどんどんと上っていくと、福井県の大野へ出る」と。

 それが私には、信じられなかった。
母の在所は、低いが無数の山々に囲まれていた。
そして道の向こうには、壁のように高い山々が、おおいかぶさっていた。
山の向こうに、町があるなどとは、とても信じられなかった。
が、やがて地図を見るようになり、たしかにその道が、福井県の大野市へつながっているのを
知った。
それで「いつか……」と思うようになった。
「いつか、あの山を越えて、大野市へ行ってみよう」と。

●スカイプ

 たった今、オーストラリアの友人と、スカイプで話をした。
30分ほど、あれこれ話した。
気温は、8度とか。
向こうは今が真冬。
南オーストラリア州のどこかでは、雪が降っているとも言った。

 友人は、1〜2分ごとに、コンコンと咳を繰り返していた。
少し熱があるという。
「まだ休みが5日もある」と話すと、「じゃあ、オーストラリアへ来い」と。
前々回は、別の友人の娘の結婚式に出るため、3日間で往復した。
5日もあれば、向こうで2泊できる。
ふと、行きたくなった。
……というか、若いときなら、そうした。
それが私のやり方だった。
火がついたら、そのまま行動。
今もその「火」が、心のどこかに残っている。

●友だち

 中学生のとき、コーラス部で、こんな歌を歌った。
「♪友だちはいいな」と。

「♪友だちはいいな。明るい日向(ひなた)。かぐわしい花のそばに……」と。
NHKコンクールの課題曲だった。
が、そのときは、そんな歌を歌いながらも、「そうかなあ?」と思っていた。
が、今は、ちがう。
友だちのありがたさが、じんと胸にしみてくる。
話しているだけで、勇気がわいてくる。
こうしてホテルでひとりでいると、それがよくわかる。
で、今は、こう思う。
「明日は、大野へ行こう」と。
迷いは消えた。

 明日の夜、10時に、またスカイプをすることになっている。
そのときは、別の旅館で、そのスカイプをしたい。
「今、泊まっている旅館はね……」とか。
そんなことを話をしたい。
「ワイフに会いたかったから、家に戻った」とは、言いたくない。

●夫婦

 メールで、こんな相談(?)があった。
「夫と結婚して、8年になる。
しかしこの2年間、会話らしい会話をしたことがない。
レストランへ行っても、たがいに上の空。
会話といっても、共通の話題そのものがない。
結婚当初は、よく話をしたが、今にして思うと、どんなことを話していたか、それすら思い出せな
い」と。

 こういう問題は、私は苦手。
私たち夫婦だって、問題をかかえている。
どうしようもないでいる。
そんな私が、相談に乗ること自体、おかしい。

断りの返事を書いたあと、そのまま削除した。
しかしそういう夫婦もいる。
親子もいる。
私の知人などは、30年間も、父親と話をしたことがないという人がいる。
同居していても、そうなるときには、そうなる。

 が、夫婦のばあいは、どうか?
会話が途絶えたら、その2人は、夫婦と言えるのか。
もっとも夫婦には「形」はない。
標準もない。
それぞれがそれぞれに、ひとつの空間を共有すれば、それでよい。
あとは成り行き。
自然体。
無理をしてはいけない。
努力は必要だが、気負ってはいけない。
それでも、見た目にはうまくやっている夫婦となると、ゴマンといる。

●電気の無駄遣い

 今、シャツを風呂場で洗った。
洗ったあと、エアコンの排出口の前につりさげた。
明日の朝までに乾くだろうか?
少し不安になった。

 で、たった今、窓を少し開け、窓の内側にかけなおした。
生暖かい風が、サーッと吹いてきた。
今夜も熱帯夜になりそう。
しかし……。
一方で冷房をかけ、一方で、外気を中に取り入れる。
まさに電気の無駄使い。

●頭痛

 喧嘩の原因は、私の頭痛。
いろいろあって、その前日、私は軽い熱中症になった。
幸い、症状は軽くてすんだが、そのあと、頭痛だけが残った。
かなりはげしい頭痛である。
偏頭痛の頭痛とは違う。
風邪の頭痛ともちがう。
頭のこめかみの奥が、割れるように、小刻みに痛む。

 加えて、熱中症特有のイライラ感。
まさにマニュアル通りの頭痛。
で、そのイライラをワイフにぶつけてしまった。
「お前の料理は、まずい!」とか。
そんなことを口にしてしまった。

 そういう点では、私は自己管理能力が低い。
ワイフは即座にそれに反応する。
私が「頭が痛い」と言っても、「自業自得でしょ」と片づけてしまう。
「あなたが暑いのに、道路を歩くから、悪いのよ」と。
で、その日は、一日中、床の上で臥せっていた。
もちろんゼロ看病。

 夕方になって起き上がった。
ワイフに首のマッサージを頼んだ。
が、あっさりと断られてしまった。
「いやよ!」と。
それで私は、家を出た。
口論をしたくなかった。
だから家を出た。

●8月15日から8月16日

 時刻は23:57。
パソコンの右下の時計では、そうなっている。
目がしょぼしょぼしてきた。
眠い。
だから今日の日記はここまで。
 
 ……今、時刻を見ると、0:01になっていた。
お茶に水を入れて、口につけただけで、4分も過ぎた!

+++++++++8月16日+++++++++

●単独行動

 私は「単独」で生きてきた。
組織というものが、私の体になじまない。
が、自由に生きてきたわけではない。
いつも無数のクサリに縛られて、生きてきた。

 義務感、責任感、拘束感……。
それに加えて、私はクソまじめ。
自分でもおかしいと思うほど、クソまじめ。
ときにそれが重圧感となって、私を襲う。
だから私の人生は、(息苦しさ)と(爆発)。
この繰り返し。

 もう少し、ズル賢くなってもいいのでは……。
よくそう思うが、気がついてみると、やはりクソまじめ。
いつも心のどこかで、家族のことを心配している。

 だから集団行動が苦手。
学生のころも、運動会や旅行が、苦手だった。
楽しいというより、自由が制約されると、とたんに息苦しく感じた。
だから旅行も、たいていひとりでした。
目的地も決めないで、ぶらぶらと……。
それが私のやり方だった。

●子どもたち
 
 よく学校帰りの子どもたちを見かけるときがある。
中学校の校門から、ゾロゾロと歩いて出てくる。
そのとき、いろいろなグループがあることがわかる。

 2〜3人とか、3〜4人とか、グループを作っている子どもたちが多い。
が、ときどき、1人で歩いて帰る子どもを見かける。
さみしそうとか、そういうふうには、見えない。
何かの本を読んでいたり、下を見つめたまま歩いていたりする。

 私にも小学生、中学生、高校生のときがあった。
毎日学校へ通っていたわけだから、通学の記憶も残っていてよいはず。
しかしそれがよく思い出せない。

「私はどうだったかなあ……?」と。

 登校のときはひとりだったと思うが、帰りは、いつも仲間といっしょだった。
小学生のときは、7〜8人で、集団で帰った。
が、高校生になると、いつもひとりだった。
大学生のときも、ひとりだった。
どこかのたまり場に集まることはあった。
が、そこからは、ひとりで帰った。

●観光旅行

 ということもあって、観光旅行が苦手。
バス旅行などというものは、私にとっては、拷問のようなもの。
ガイドが観光案内を始めるたびに、私は耳をふさぐ。
「右に見えますのが、〜〜。左に見えてくるのが〜〜」と。
ああした情報には、価値はない。
意味もない。
まったく、ない。
聞いても、すぐ忘れる。

 今は、ナビの時代。
情報過多の時代。
そうでなくても、情報は毎日、洪水のように押し寄せてくる。
「旅行のときぐらい、静かにのんびりしたい……」と、私は思う。
思うから、観光旅行が、苦手。

●8月16日

 今朝は6時半に起きた。
Tシャツは乾いていなかった。
しかたないので、部屋の中につるし、それをドライヤーで10分ほど暖めた。
だいぶ、乾いた。

 これから風呂に入り、福井市へ向かう。
福井市から大野市へ向かう電車があるという。
その電車に乗る。
まだ眠いが、電車の中で眠っていけばよい。

 ……そうそう、ラッシュアワーは避けたい。
現在、時刻は7時23分。
8時ごろの電車に乗れば、名古屋あたりを、10時ごろ通過。
たぶん、だいじょうぶだろう。

 が、時刻表は調べない。
あとは、そのときの様子を見て、決める。

●朝食
 
 このビジネスホテルでは、朝食は無料ということになっている。
巧みな商法である。
「無料」ということなら、だれしもたいした料理を期待しない。
簡単なサービスに簡単な食材。
それに「セルフサービス」と書いてあっても、文句を言わない。

 実際には、1泊シングルで、6000円。
「時節柄、割高になっています」と、フロントの男は言った。
その朝食でのこと。

 ビア樽のように太った男が、斜め前の席に座った。
背も高い。
「元関取」と言っても、だれも疑わないだろう。
その男が、ごはんを山盛りにして、2杯、3杯と食べていた。
食べているというより、食物を、胃袋の中に押し込んでいるといったふう。
が、そこで止まったわけではない。
席に座ったまま、まだものほしそうに、料理のほうを見ていた。
「もう1杯、食べるぞ」と思っていたら、案の定、また食器をもったまま席を立った。

 それを見ながら、こう思った。
「ダイエットは、習慣の問題」と。
食生活という習慣を変えないかぎり、ダイエットは成功しない。

●列車
 
 JR浜松駅へ着くと、ちょうど岐阜行きが出るところだった。
私はとりあえず、名古屋までにチケットを買った。
自動販売機では、名古屋までしか売っていなかった。

 幸い、席はあいていた。
そのひとつに座った。
節電対策のせいか、冷房特有の冷気は感じなかった。

●家族崩壊

 軽い睡魔が襲ってきた。
昨夜寝る前に、熟睡剤を少し割ってのんだ。
それが今ごろになって効いてきた。

 心地よい眠気。
キーボードを叩く指も、心なしか、けだるい。

 ……昨夜、オーストラリアのB君と話したことを思い浮かべていた。
B君と母親は、車で5分ほどの距離のところに住みながら、別々の家を構えて住んでいる。
「日本では、同居する」と言うと、B君は、こう言った。
「J(=母親)は、もうすぐ、オールドマン・ビレッジに入ることになっているよ」と。

 日本風に言えば、85歳とは言え、まだピンピンしている。
そんな女性でも、「もうすぐ」と、B君は言う。

 そういう状態を、韓国人のある作家は、「家族崩壊」(「家庭崩壊」ではない)と見抜いた。
つまり欧米では、「家族崩壊」が、何世紀にも渡って、社会の中に定着している。
もっとも大家族主義の韓国から見れば、の話だが……。

●列車の中

 眠るのもよし。
このままパソコン相手に、遊ぶのもよし。
今日のお供は、TOSHIBAのMX。
バッテリーのもちが、抜群によい。
うまく使えば、9時間はもつ。
(たった今、チェックしてみたら、93%、7時間50分と表示された。)
福井市はもちろん、大野市までもつはず。

 ……前の席に座った女性は、イヤフォンで音楽を聴きながら、読書している。
その横の女性は、赤いハンカチを手で握ったまま、少し離れたところの人たちをながめてい
る。
いつもの風景。
見慣れた風景。
つぎの列車に乗れば、そのまま忘れる風景。
私も、ぼんやりと、そうした風景をながめる。

●豊橋

 豊橋からは、大垣行きの、新快速に乗り換えた。
停車駅が少ない。
「大垣で、おりてみようか」という思いも、少しあった。
岐阜県に住んでいながら、私は大垣駅で、下車したことがない。
静かでよい町とは聞いている。
が、こんな朝早く着いても、しかたない。
それに体力は、できるだけ残しておいたほうがよい。
軽い頭痛は、まだ残っている。
やはりこのまま福井県の大野市に直行!

 今、そう決めた。

●選択

 人はいつも、そのつど、選択を繰り返しながら、生きている。
英語では「選択」というが、日本語で言えば、「迷い」。
迷いながら、生きている。

 できれば迷いのない人生を送りたい。
しかし時として、その迷いに苦しむことがある。
そのときどきの気分にも左右される。
そのときは「それでよい」と思っても、あとになってから、「しまった」と思う。
そんなことも多い。

 だから人は、最大公約数的な部分で、判断をくだそうとする。
無難で、安全な道。
人を傷つけず、人間関係を破壊しない。
そのレベルで、自分を納得させる。
が、そうした生き方にも、限界がある。
無数のクサリとなって、体にからみついてくる。

●御用学者

 数日前、NHKのテレビ解説委員の言葉に耳を傾けた。
EUの経済危機と、USAのドル暴落について話していた。
以前の私なら、何の批評も加えず、そうした解説委員の言葉を聞いていただろう。
しかし今は、ちがう。

 彼らは、ウソは言わない。
しかし本当のことも言わない。
原発事故以来、こうした解説委員の言葉を、私は信用しなくなった。
案の定、(けっしてそれを望むわけではないが)、解説委員は、こう言っていた。
「G7の経済閣僚が、電話会議を繰り返し、危機に陥らないよう努力しています」
「今は、小康状態を保っています」などなど。

 が、あのリーマンショックのときを思い出してみてほしい。
すでにネット上では、危機的な情報が行き交っていた。
が、公の報道機関は、「心配ない」「影響は限定的」と繰り返していた。
結果、リーマンショックは、(ショック)となって、ドカーンとやってきた。
一番、損をしたのは、一般投資家たちであった。

 今の今も、そうだ。
たとえばドイツ国債ですら、この4〜6月期、1兆8000億円以上も、売り越しがつづいている。
「国が売られている」。
ブラジルやオーストラリアでさえ、売り越しに転じている(2011年8月)。
こういう事実をさておいて、「心配ない」は、ない。

 こうした大本営発表には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
彼らもまた、テレビカメラに向かって話す前、ディレクターにこう注意されているはず。
「国民にいらぬ不安を与えるような発言は避けてください」と。

 かくして解説委員たは、御用学者と成り下がり、事実を国民の目からそらす。

●国際経済

 国際経済について言えば、もう結論は出ている。
つまり、もうどうしようもない。
ギリシア危機についても、手の施しようがない。
お手上げ。
目下の心配は、それがスペインやポルトガルに波及するか、しないかということ。
その先には、フランスがある。

 中国も同じ。
民主化の嵐は、この先強くなることはあっても、弱くなることはない。
その混乱が、世界経済にも影響を与える。

 日本やアメリカについては、もう何度も書いた。
生き残る道はただひとつ。
極端な円安に誘導し、人工的にハイパーインフレを引き起こす。
そういう形で、借金をチャラにする。
官僚たちの頭の中では、その構想は、すでにできあがっているにちがいない。

●日本vsアメリカ
 
 どんなに転んでも、アメリカはアメリカ。
そのアメリカに、日本が勝てるわけがない。
アメリカには、強力な軍隊、資源、食糧の3つがそろっている。
それがアメリカという国を、3本の柱となって、支えている。

 一方、この日本には、その3つがない。
どれも貧弱。
が、それよりも心配するのは、現在の韓国がそうであるように、この日本も、アメリカの経済的
植民地になるのではないかということ。
経済規模そのものが、ちがう。
アメリカにしてみれば、日本の企業の買収など、なんでもない。
たとえばアルコール(酒造)産業にしても、全国規模の酒造会社と、地方の地酒会社くらいの差
はある。
力の差は、100:9程度と言われている。
日本の企業を買い取る程度のことなら、朝飯前。


 アメリカはそのうち、日本の銀行の買収に乗り出してくるはず。
そのときこそ、要注意。

●名古屋へ

 かたい話ばかりつづいた。
列車は、愛知県の刈谷(かりや)を出た。
名古屋駅まで、あと30分ほど。
そこから岐阜まで、30分。
この列車は、大垣まで行く。
そこで列車を乗り換え、米原から福井へと向かう。

●大垣

 大垣で、今度は米原行きに乗り換える。
窓の外には、白くかすんだ田園風景がつづく。
もうすぐ伊吹山が見えてくるはず。
生涯に、2度、登ったことがある。
3度目は、もうないだろう。

 ……伊吹山が見えてきた。
白い夏雲。
その向こうに水色の空。
丸いなだらかな形をした山。
今は車で、頂上近くまで登ることができる。
その山を見ながら、ふとワイフのことを思い出す。
頂上で、岩に座って、氷を食べた。

 が、今日はワイフの話は避けたい。
目下、夫婦喧嘩中。
というか、私は家族にも嫌われている。
同居している長男にしても、たいていのばい、話しかけても、返事すらしない。
だからときどき、私はこう思う。
「私さえいなければ、私の家族はみな、平和で安泰なのだがなあ」と。

 先日観た『ツリー・オブ・ライフ』の中にも、こんなシーンがあった。
映画の中の長男が、「あんな父、早く死ねばいい」と言った。
で、それを思い出し、数日前、私は長男にこう聞いてみた。

「なあ、お前もなあ、ぼくのこと、早く死んでしまえばいいと思っているのか?」と。

が、長男は何も答えなかった。
無言イコール、「YES」ということになる。
このばあいは、そういうことになる。

 少なからずショックを受けたが、私は冗談ぽく、それを受け流した。
が、私のワイフにしても、そうだ。
ときどき、本音を漏らす。
その本音が、こわい。
そのつどズバリ、ズバリと私の心を突き刺す。

 先日も、こう言いかけた。
「あなたがみんなに嫌われているのはねエ……」と。
すかさず私はワイフの口を制した。

●用なし

 父親というのは、そういうもの。
「家族を支えなければ」という気負いは、母親のそれとは、比較にならないほど、強い。
この40年間にしても、病気で仕事を休んだのは、数日しかない。
しかも丸1日休んだわけではない。
どうしても耐えられなくなり、午後の半分の仕事だけを休むとか、そういう休み方だった。

 あとは薬をのんで、自分をごまかした。
先週も、熱中症で吐き気と頭痛がした。
それでもレッスンを休まなかった。

 ……というような話を、ワイフや息子たちにしても、意味がない。
即座に、「私だってねエ」とやり返される。
息子たちにしても、「そんな恩着せがましいこと、聞きたくない」と言う。

 が、あるとき、男は用なしになる。
ジジイというレッテルを張られる。
とたん、家族の目は、冷たくなる。
粗大ゴミ?
厄介者?
じゃま者?

 私の家だけではない。
どこの家族でも似たようなことが起きている。
このあたりでも、「親の介護が2年つづくと、兄弟姉妹は、バラバラになる」という。
集団検診に行ったとき、そこにいた看護師の女性が、そう話してくれた。
さみしい話だが、それが最近の家族像ということになる。

●機嫌を取る

 私は結婚してから、いつも、ワイフや子どもたちの機嫌ばかりとってきたような気がする。
が、ときどき、それに疲れる。
だから爆発する。
その繰り返し。

 今も、そうだ。
自分のしたいことより、ワイフの喜ぶことを優先させる。
長男の機嫌をとる。
同時に自分を犠牲にする。

 が、一言、不平、不満をもらしたら、最後。
ワイフの態度は一変する。
(コワイゾ〜!)
批判など、とてもできない。
そのまま殻にこもる。
がんこになる。

 ふだんはやさしく親切。
しかしこういうときになると、「どこへでも行きたいところへ行ったら」という態度になる。
「抑圧」というのは、そういう意味では、恐ろしい。
ワイフにかぎらず、その人が、まったくの別人格になる。
それこそ20年前、30年前の話を持ち出して、口論になる。

 だから……人は、常に自分を発散させて生きるのがよい。
不平や不満を、心の別室に押し込んではいけない。
それを繰り返していると、やがて心がゆがむ。

●離婚

 だから私たち夫婦も、よく離婚を考えた。
喧嘩のたびに、「離婚してやる」「離婚しましょう」となる。
が、2日も、それがつづくことはない。
3日目にはまた、もとの生活に戻る。
この繰り返し。

 だからこんな(繰り返し)は、もうやめようと思った。
何度も思った。
しかしそのつど、どちらが本当の私たちなのか、わからなくなる。
喧嘩をしているときは、喧嘩をしているときの私たちのほうが、本当の私たちと思う。
ふだんは、ふだんのときの私たちが、本当の私たちと思う。

 が、最近の私は、喧嘩はしたくない。
だからたいてい、そのまま外へ飛び出す。
ドライブ中に喧嘩しそうな雰囲気になったら、車の外へ。
家の中であれば、そのまま外出、あるいは家出。
が、それがかえって、ワイフを怒らせる。
今の状況がそうだ。
大声を張り上げて、言い争うということはしない。……もうしたくない。

●米原

 米原に着いた。
11:59分発の特急しらさぎを待つ。
まだ30分ほど、ある。

 食欲はゼロ。
昨日は、やけ食いも兼ねて、4回も食事をした。
今朝もバイキング。
いまだに腹の中が、ガポガポしている。

 ホームには、そば屋がある。
クーラーのきいた待合室もある。
が、私は心地よい暑さを感じながら、こうしてベンチに座って、キーボードを叩く。

 ……目の前に、どこ行きかは知らないが、「新快速」と書いた電車が入ってきた。
「弱冷車」という文字も見える。
「うまい言い方だな」と、感心する。
役人というのは、新語を考えるときは、天才的な頭脳を発揮する。
「自衛隊」という言葉にしても、そうだ。
中身は軍隊なのだが、「自衛隊」というと、ぐんと響きがやさしくなる。
世界をだませる。

 「節電冷房」ではなく、「弱冷車」。
たとえそうであっても、そんなこと、わざわざ断らなくてもよいのに。
どこか恩着せがましい?
偽善者ぽい?

●「消えました」

 そう言えば、先月、オーストラリアの友人が、それまでのガールフレンドと別れた。
それについて、その友人は、こう書いてきた。
「She disappeared from my life.」と。

 直訳すると、「彼女は、ぼくの人生から消えた」と。
日本人なら、「別れた」という言葉を使う。
それを「ぼくの人生から消えた」と。

 そのときも、「うまい言い方だなあ」と思った。
「消えた」と書けば、責任問題は生じない。
未練がましくない。
悲壮感もない。
それを聞いた相手(=私)にも、心配をかけないですむ。

 だからもし私がワイフと離婚したら、こう言おうと考えている。
「A子(ワイフ)は、ぼくの人生から消えました」と。
 
●しらさぎ

 ここまで普通列車(快速)でやってきた。
が、ここからは特急。
15分ほど前に、ホームに列車が入ってきた。
自由席だが、最前列の席に座る。
パソコン台があり、その横には、電源もある。

 さっそく電源をつなぎ、充電開始。

 学生時代は、4年間、通った路線である。
当時の私には、特急に乗ることなど、考えも及ばなかった。
いつも鈍行。
大学1年生のときは、岐阜から金沢まで、たしか900円と少しだった。
学割を使うと、急行や特急には乗れなかった。
そんなことを、ふと、思い出す。

●密度の問題

 先に、「この2年間、会話らしい会話のない夫婦」について、少し触れた。
2年間!
私もワイフもおしゃべりのほう。
だからそういう話を聞くと、「よくもまあ、がまんできるもの」と感心してしまう。
私なら1週間で、気が変になってしまうだろう。
恐らく仕事のすれちがいもあったりし、顔を合わせる時間も、少なかったのだろう。
夫婦といっても、密度の問題もある。

 一方、私の近所には、奥さんで、スイスで着物の着付けを教えている女性がいる。
洗練されたセンスと垢抜けたマナー。
その奥さんのばあい、一度スイスへ行くと、半年ほど、家を空ける。
が、それでも、夫婦がいっしょにいるときは、実に楽しそう。
そういう夫婦もいる。
長時間いっしょにいるから、密度が濃いということには、ならない。

 要するに、夫婦に定型はないということ。
私は私。
あなたはあなた。
大切なことは、認め合うこと。
干渉しないこと。
10年とか20年とか、長い年月をかけて、それぞれが自分たちの夫婦の像を作る。

 だから自分たちが、ほかの夫婦とちがうからといって、それを問題にしてはいけない。
その必要もない。
が、それにしても2年、とは!
「私なら別れる……」と考えるが、今、別れるにも、お金がかかる。
子どもの問題もある。
もちろん世間体もある。
それを考えると、「やっぱり、我慢します」となる。

●遅れ

 接続新幹線の遅れがあって、発車が15分ほど、遅れるという。
「こういうこともあるのだなあ」と思いながら、静かに待つ。
6号車は自由席だが、私を含めて乗客は7人ほど。

 プラットホームで駅員が何やらしゃべっていることを除けば、のどかな風景。
心休まる風景。
カーテンを開き、窓の外を見る。
駅の向こうを、車が走っているのが見える。
国道1号線だと思う。(まちがっていたら、ごめん!)

 遅れていた新幹線が着いたのか、どやどやと乗客が乗り込んできた。
と、同時に発車ベルが鳴った。
列車は、北陸線へ入った。

●絵描き
 
 絵描きと、もの書き。
よく似ている。
絵描きかは、そのときの風景(=心)を、絵にする。
もの書きは、そのときの心を、文にする。

 ひとつ大きくちがうところと言えば、絵を描いているときは、心の中は無になる。
ストレス解消になる。
文を書いているときは、頭の中は緊張感でいっぱいになる。
だから文を書いていても、ストレス解消にはならない。

 では、なぜ、書くか?

 あくまでもこれは私のばあいだが、書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてくる。
放っておくと、それが充満し、息苦しくなる。
だから文を書いて、それを吐き出す。
その爽快感がたまらない。
今の今も、そうだ。
窓の外の景色を見ていても、つぎからつぎへと書きたいことが湧いてくる。
ぼんやりと眺めていても、そうなる。

 それはちょうどカメラマンが、何かの被写体を見つけたときの気持ちに似ているのでは?
それを楽しむ前に、シャッターを先に切る。
もしそうでないと、あとで後悔することになる。
「あのとき、写真を撮っておけばよかった」と。

 もの書きの心理もそれに似ている。
そのときでないと、思いつかないことは多い。
あとになると、忘れてしまう。
「しまった!」と思うことも多い。
だから、書く。

 ……と書くと、「そんなことをしていたら、旅を楽しめなくなるのでは?」と思う人もいるかもしれ
ない。
しかし旅の楽しみ方は、人、それぞれ。
私のばあいは、あとで自分の書いた文を読みなおすことで、何度も旅を楽しむことができる。

 しがない、無名のもの書きだが、そう思う。

●北陸線

 学生時代の北陸線から見える景色は、ひなびた田舎の農村だった。
「♪秋の、日暮れしころの、北陸の長浜の町は……イノシシが逆さまにぶらさがっている」と。
合唱団で歌った歌に、そんなのがあった。

 が、その景色も一変した。
家々も近代的になり、平行して高速道路が走っている。
遠くの丘の上には、高層ビルも見える。
近代的な工場もふえた。
深い緑の木々はそのままだが、「これが北陸線?」と思うほど、あたりの様子は変わった。

●敦賀(つるが)

 しかし頭の中がからっぽになることも、ないわけではない。
緊張感が途切れ、疲れを覚えたようなとき。

 ……たった今、列車は、敦賀(つるが)に着いた。
敦賀原発のある、敦賀。
ここにも老朽化した原発が、いくつかあるという。
津波の心配もある。

 もしこの敦賀原発で、福島第一原発程度の事故が起きたら、その影響は岐阜市を越え、名
古屋市にも及ぶ。
直線距離にして、岐阜市まで、70キロしか離れていない。
ウソだと思う人は、グーグルアースを使って、自分で調べてみたらよい。
つまり岐阜市も、「避難勧奨区域」。

 が、岐阜市の人たちは、どこ吹く風。
敦賀というと、遠い、遠い、山の彼方(かなた)の、その向こうと考えている。

●長いトンネル

 列車は、長いトンネルに入った。
福井までは、あと30分ほど。
そこから越前大野へ向かう。

 子どものころ、「あの山の向こうはどうなっている」と聞いた、その「大野」。
その昔には、越前大野から塩をはじめ、数々の海産物が、岐阜県側に入ってきた。
私の母の先祖は、岐阜城からの落ち武者だった。
その街道沿いで、山賊をしていたという説もある。

 もっとも母は、こう言っていた。
「通行料をもらっていただけや」と。

 大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに、一度は、その大野(大野市)を見たかった。
自分の目で、それを確かめたかった。
それで今日、その日がやってきた。

●9000円

 ……先のところまで書いたところで、船酔いに似ためまいを覚えた。
昨夜は、午前0時ごろ、床に就いた。
目を覚ましたのは、6時ごろ。
睡眠不足がたたった。

 で、パソコンを閉じ、福井市へ着くまで、静かに目を閉じた。

 ……今は、福井市から越前大野に向かう電車の中にいる。
1両編成のワンマンカー。
地元の人たちと思われる乗客で、ほぼ満員。
形は電車だが、エンジン音は、バスのそれ。
ときどきギアが入れ替わるのがわかる。

 福井市は、遠く三方を高い山に囲まれている。
10分も走ると、広々とした田園風景が広がる。
前方には、さらに高い山が見える。
それを見て、「これはだめだな」と。
明日は、大野市から、九頭竜ダム湖まで出て、それから岐阜県の白川村まで歩くつもりだっ
た。
距離にして20キロ。
けっして歩けない距離ではない。
平坦地なら、歩ける。
しかし「この山では……!」と。
 
 先に、駅の観光案内所を訪れてみた。
タクシーでなら、行ってくれるとのこと。
料金は、9000円、とか。
目下、思案中。

●電車

 空が曇ってきた。
雨模様。
ときどき、窓の外を見る。
まぶしいばかりの田の緑が、目に入る。
ところどころに井掘り(水道)が見える。
水が豊富なところらしい。

 目の前の山々が、ぐんと近づいてきた。
どうなるのか?
トンネルに入るのか?
それとも山間を縫って走るのか?
が、電車は山のふもとで、大きく左に曲がった。
どうやら川沿いに走るよう。

 湿った空気が、エアコンの風にまざって流れてくる。
気持ちよい。
やはり電車は、川沿いを走っているようだ。
川幅は、それほど広くない。
10〜15メートルほど。

●夢

 その昔、福井からの行商人は、この道を通って、岐阜県側に入った。
そのときもこんな山々が連なっていたはず。
旅人も、同じ景色を見ていたはず。
そんな思いで、遠くの景色をながめる。

 それを簡単な地図にしてみると、こうなる。


  (福井市)+++(大野市)====〒===岐阜・郡上白鳥+++++名古屋
                         |
                         |
                        関市板取村
 
 ……今、思い出した。
おとなになってからも、こんな夢をよく見た。

 私はどこか、長良川の上流にいる。
そこからバスでくだっていくと、やがてバスは、岐阜県の板取村(現在の関市)に入る。
バスは、どんどんと下流に向かってくだっていく。
途中にいくつか、見慣れた村がある。
そのひとつが、母の在所のあったKB村。

 今、私はその夢の中にいる。
この先が、長良川の源流になる。
まっすぐ行けば、郡上白鳥に出るという。
関市板取村は、途中を右に曲がったところ。
地図の上ではそうなるはずだが、しかし地図には、その道が載っていない。
地図にも載らない、けもの道かもしれない。

 そう考えていたら、ほんのりと温もりのある懐かしさが、胸の中に充満してきた。
ふるさとの源流?
あのサケも、最後はふるさとの源流に戻り、そこで産卵し、命を果てるという。
そのサケの気持ちが、少しだが、理解できる。

●86キロ!

 たった今、道路標識が見えた。
「郡上(ぐじょう・岐阜県)まで、86キロ」と。
10〜20キロなら歩けるが、86キロは無理。
9000円でタクシーに乗るくらいなら、中古の自転車でもよいからそれを買って、郡上まで行き
たい。脚力には、自信がある。
しかし坂道では、どうしようもない。
あるいはひょっとしたら、下り坂ばかりかもしれない。
もしそうなら、一考の価値あり。

 旅館へ着いたら、宿主と相談してみよう。
言い忘れたが、今夜は「俵屋」という旅館に泊まる。
先ほど、駅の案内所でその宿を推薦してくれた。

 もしよい旅館だったら、実名はこのまま。
そうでなければ、「TW屋」とする。
1人1泊、10000円。
「TW屋」とし上で、悪口をいっぱい、書く。

どうかな?

●越前薬師

 電車は坂を登り始めた。
エンジン音が、苦しそうな回転音をたて始めた。
横を走る道路を見ても、明らかに勾配がきつくなっているよう。
それが目視でも、よくわかる。

 今、小さな駅に停まった。
「越前薬師」とある。

 そう言えば、昔、母がこう話してくれた。
「よく、薬屋も通った」と。

 母の家の前を通る街道を、よく薬屋も通った、と。
ひょっとしたら、その薬屋というのも、このあたりから、来たのかもしれない。
勝手な想像だが、そうした想像力を働かせてみるのも、これまた楽しい。
いや、本当に楽しい。

●観光

 今回の旅には、カメラはなし。
あえてもってこなかった。
そのかわり、こうして文を書き残すことにした。

 が、率直に言って、これほどまでに旅心を楽しませてくれるところとは知らなかった。
電車の中には、トイレがあり、そのトイレのドアは、そのまま観光案内になっている。
駅ごとに、(本当に小さな駅だが)、さまざまな観光地が紹介されている。

 かたくりの花……ひまわりの畑……花桃の並木……芝桜……桜と越前大野城……。
そしてその先には、九頭竜湖がある!

 再び、三たび、電車は平地を走ったり、山間を走ったり……。
土地の様子をみるかぎり、開けた農村地帯。
母の在所よりは、はるかに豊かな田園風景が広がっている。

●越前大野・俵屋旅館

 その昔は、機織業で栄えた町という。
今は、その栄華は見る影もない。
さびれた田舎町。
しかしその威厳は、いたるところに残っている。
大野城という、場違いなほど(失礼!)、立派な城もある。
すばらしく郷愁を覚える町。
それが越前大野市。

 その一角に、大きな門構えの、俵屋旅館がある。
見た瞬間、大正時代か、昭和のはじめにタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。

で、部屋に案内され、さらに驚いた。
庭先に面した部屋。
浜松にも本陣宿がいくつか残っているが、規模といい、豪勢さといい、それをはるかにしのぐ。
まさに本陣宿風の宿。

 部屋の中央には、ふとんが敷いてあった。
私もいろいろな旅館に泊まってきたが、ふとんが敷いてある旅館ははじめて。
「先に旅の疲れを癒してください」という気配りか?
ありがたい。
実のところ、睡眠不足でフラフラ。

 星は3つ星の★★★。
心静かに、日本のよさを楽しみたいという方は、ぜひ、一度、訪れてみたらよい。
空いていれば、離れの一軒屋に同じ料金で泊めてもらえるとのこと。
女将はこう言った。
「同じ1泊10000円でいいですよ」と。

 家の香り、雰囲気、作り……すべてが、私の実家そのもの。
一言で今の心境を表現すれば、こう。
「来て、よかった!」。

(ただし田舎志向の旅人向け。
部屋にトイレはない。
内湯もなし。)

●内緒

 今、私がここにいることは、ワイフは知らない。
だれも知らない。
だいたい、私自身でさえ、ここに来るとは思っていなかった。
が、だれかに居場所を知らせたいという気持ちも、ない。
ワイフもそれを望んでいないだろう。
 
 そう言えば、私がここで今、死んだら、どうなるか?
カバンの中には、いくつかの小物があるにはあるが、私の住所と名前を記したものは何もな
い。
身元不詳のまま、警察の安置所に入れられるかもしれない。
そう言えば、先ほど仲居さんがお茶を運んでくれたが、宿帳をもってこなかった。
どうしてだろう?
電話で申し込んだときも、私の苗字しか聞かなかった。

 が、私はそういう(いいかげんさ)が、好き。
人と人のつながりが、信頼関係で結ばれている。
私は約束どおり、この宿にやってきた。
宿主は、ふとんを敷いて、私を待っていてくれた。

 なお今夜は、近くの大通りで、盆踊りがあるという。
ラッキー!
楽しみ!
本格的な盆踊りを見るのは、30年ぶり。
私の町内でも盆踊りはあるが、曲目が「♪東京音頭」であったりする。
つまり風情、ゼロ。

●鯖街道

 その昔、この大野を起点として、岐阜県側にものを運んだという。
その街道には、「鯖街道」という名前がついているという。
先ほど、仲居さんが、そう話してくれた。

 「岐阜に向かって旅立つ前、きっとこんな旅館に泊まって、英気を養ったのだろう」と、そんな
ことまで考える。
「こんなところなら、2泊してもいい」と、今、そんなことを考え始めた。
明日の朝、それを決めよう。

 悲しいことに、たいへん悲しいことに、今、私がここで死んでも、悲しがってくれる人はいな
い。
私が見えなくなっても、心配してくれる人もいない。
ワイフはどうか?

 ああいう性格の女性だから、……というか、もともと私とはいやいや結婚した人だから、私が
いなくなって、今ごろは、清々しているにちがいない。
息子たちにしても、そうだ。
去年の正月(2010)、心臓発作で倒れたときも、そのあとそれを心配してくれた息子はいな
い。

60を過ぎると、親父も死んで当然、……とまあ、そんなふうに割り切ってしまうものか。
思い出してみれば、私自身もそうだった。
50歳と聞いただけで、老人に思った。
60歳と聞けば、なさら。
病気で倒れたという話を聞いても、たいてい「ああ、そう」で終わってしまった。
さみしい人生だが、人生というのは、そういうもの。
期待しすぎてはいけない。
期待が大きければ大きいほど、あとで落胆する。

 で、この先、60%の人たちは、孤独死、無縁死を迎えるという。
死後、発見されるまでの平均日数は、6日。
60%ということは、ほぼ全員ということ。
そう思うと、不思議と気が楽になる。
大切なのは、それまで悔いなく生きること。

 で、先日、友人のN先生に、こう頼んだ。
息子さんが、臨済宗の寺の住職をしている。
「死んだあと、先生のところの慰霊塔(無縁仏用の石碑)に入れてもらえますか」と。
N先生は、すかさず、「うちでよければ、どうぞ」と言ってくれた。
うれしかった。

●死に方

 私が考える死に方。
よく考える。
みなに迷惑をかけそうになったら、こうする。

 まずオーストラリアへ行く。
どこかの田舎町のホテルに泊まる。
そこから荒野(アウトバック)を目指して歩く。
どこまでも、どこまでも、力尽きるまで歩く。
力尽きて、気を失ったら、そこでそのまま倒れて、死ぬ。

 が、今、こんなことを考える。
オーストラリアの荒野でなくても、目の前に見える、山脈でもよいのではないか、と。
この大野市からでもよい。
ここから東に向かって歩く。
地図はもたない。
山の中を歩く。
力尽きるまで、歩く。
力尽きて、そこで倒れて死ぬ。
だれにも見つからない、雑木林に囲まれた谷地がよい。

 ……しかし残念ながら、今の私には、その勇気がない。
それにもったいない話だが、私は健康。
まだだれにも、迷惑をかけていない。
仕事も現役。
ほどほどに順調。
楽しい。
死ななければならない、理由がない。

 今は、その健康と、私を支えてくれる人たちに感謝しながら、日々を過ごす。
懸命にがんばって、過ごす。

●ひぐらし

 先ほど、一匹だけだが、ひぐらしが鳴いた。
驚いた。
こんな町中で、ひぐらしが鳴く。
さすが大野と、変に感心する。
しかしもう時刻は7時。
夕食はどうなっているのか。
まさか素泊まり?
そんなはずはない。
夕食を食べたら、盆踊りを見に行く。
そこで35歳くらいの女性と知り合いになり、今夜はラブラブ……。

 もっとももう、今は、その元気もない。
今の今ですら、眠い。

●大野・盆踊り

 今日は16日(火曜日)。
「ふつう盆踊りというと、15日までなのだがなあ」と思いつつ、したくをする。
下駄を履いて出かける。

大野市は、想像以上に、大きな町だった。
大通りには、提灯が一列に、きれいに並んでいた。
また夜店も、道の両側に、100〜200軒も並んでいた。

 遠くに、ライトアップした大野城を見上げながら、みな、整然と盆踊りをしていた。
もちろん知らない人ばかり。
大都会の真ん中にいるような孤独感を覚え、祭り会場を一周すると、そのまま旅館へ。
もう一度、風呂に入って、今夜は、このままおとなしく寝る。

 熱中症の後遺症が、まだ残っている。
軽いめまいと頭痛。
気分は、晴れない。

 今夜10時に、オーストラリアの友人とスカイプをすることになっている。
それまで起きていられるかどうか……?
かなり眠い。
もう少しがんばってみよう。

●私の欠陥

 私は欠陥だらけ。
ワイフの目を通してみると、それがよくわかる。

(1)短気
(2)気分屋
(3)情緒が不安定
(4)うつ
(5)気難しい
(6)こだわりやすい
(7)人間関係で、傷つきやすい
(8)落ち込みやすい
(9)ワンマンで、権威主義者

 まさにいいとこ、なし。
いいところもあるとは思うが、ワイフの目を通すと、それがすべて消えてしまう。
ただこういうことは言える。

 ワイフの父親は、すばらしい人だった。
私も認める。
だからワイフは、いつも自分の父親を基準にして、私を見る。
言うなれば、ファザコン。
マザコンの反対だから、ファザコン。
しかしワイフの父親のような男性は、そうはいない。
というか、ワイフの父親を基準にしたら、世の男性はすべて、私も含めて、バカかアホに見え
る。
が、これは困る。

 ……とまあ、グチはこれくらいにしよう。
何だかんだと言いながら、40年間、いっしょに暮らしてきた。
その40年間という(重み)は、だれにも消せない。
私にも消せないし、ワイフにも消せない。
それに残りの人生は短い。
ともに健康なのは、あと10年もない。

 新しい人生など、もう望めない。
あとは落穂を拾うように、人生の残り火をひとつひとつ大切にしながら生きていく。

私の性格は、変わらない。
ワイフの性格も、変わらない。
世の中には、いろいろな夫婦がいる。
私たちも、そのひとつ。

 ……というか、淡々と生きていく。
やるべきことをやり、人生の始末をつけるべきところはつけながら。

●8月17日

 昨夜は10時ごろまでがんばって起きていた。
オーストラリアの友人とスカイプをする約束になっていた。
が、何度やっても、つながらなかった。

 朝、起きてメールを読むと、「テレビを観ながら、眠ってしまった。Sorry!」とあった。
友人も、睡眠障害をかかえている。
睡眠時無呼吸症候群というので、毎夜、マスクを口にあて、眠っている。

 私もそうだ。
早朝に目が覚めてしまう。
そのため昼食前後に、眠くなる。
昼寝をする。
その調整が狂うと、とたんに調子が悪くなる。
脳みその調子が悪くなる。
ぼんやりとし、何も考えられなくなる。
あるいは集中力がつづかなくなる。

●時刻は、5時

 今、時刻は午前5時。
今日の予定は、九頭竜湖まで行き、そこからタクシーで、郡上白鳥へ向かう。
郡上白鳥からは、電車で、美濃大田まで。
そこで電車に乗り換え、名古屋へ。

 郡上白鳥まで行けば、そこは私の故郷。
自由に行動できる。

 ……たった今さがしてみたが、肝心の時刻表と、タクシー会社の電話番号を書いたメモをなく
してしまった。
昨夜の祭りのとき、もって出たのが、最後。
どこかで落としてしまった?

大野駅の駅前にタクシー会社があったから、そこで再度、交渉してみる。
それにしても、ドジな話だ。

●頭痛

 熱中症の頭痛が、まだ残っている。
脳がダメージを受けたのかもしれない。
熱中症で死ぬ人だっている。
けっして軽く考えてはいけない。
今日も暑くなるといから、注意しよう。

●失われた10年

 ニュース・サイトをいくつか読む。
円高がつづいている。
1ドル、76・923円。
あとちょっとで、77円。

 「円高で、助かります」などと、ノー天気なことを言っている人は多い。
盆休みを利用し、海外旅行に出かけた人たちだ。
成田空港で、テレビのレポーターに向かって、そう言っていた。

 バカめ!

 こんなメチャメチャな円高が続けば、日本の産業は、大打撃を受ける。
倒産もふえる。
その分だけ、工場の海外移転が進む。
半年を待たずして、日本はさらなる大不況の嵐に呑み込まれる。
「今回の円高で、失われた10年が、再びやってくる」と書いているサイトもあった。
つまり、そうなる。

 今や日本中が不景気で、青い息吐息。
そのことは、大野市のような町に来てみるとよくわかる。
商店街では、どの店も、門構えだけは、大きく立派。
しかしシャッターを閉じる寸前。
並べてある商品を見れば、それがわかる。
賞味期限を過ぎたような、古い商品ばかり。

 もし今、日本が再び「失われた10年」を迎えたら、3度目の「失われた10年」になる。
結果、日本は確実に二流国に転落。
アジアの各国と肩を並べることになる。

 そこでIMFは、日本にも、「歳出削減」を求めている。
つまり小さな政府で、効率よく政策運営をせよ、と。
当然のことである。

 収入が減ったら、それに見合った政府に作り変える。
借金に借金を重ね、ぜいたくをつづける国が、どこにある?

 ……(怒り)が戻ってきた。
よかった。
この(怒り)が、文を書く原動力となる。
(怒り)がなければ、文など、書けない。

●怒り

 横にある朝日新聞(8月17日)を読むと、こうある。
「廃止補助金、98%、天下り先へ」「姿変え継続」(防衛省)と。
 天下りを減らそう、そのために補助金を減らそう、と。
しかしフタを開けてみたら、結局は改善されたのは(?)、たったの2%。
朝日新聞は「姿変え」という言葉を使っている。
「見たか、日本の官僚制度!」と書きたいが、書くだけ、空しい。

 こうした手法は、官僚たちの常套手段。
面従腹背などという生易しいものではない。
狡猾。
狡猾、そのもの。

 だれかが声をあげなければならない。
しかしだれも声をあげない。
声をあげないから、行動もしない。
だから旧態依然のまま、悪弊はつづく。

 同じく日本経済新聞には、こうある(8月17日)。
「日本人の特質は、我慢強さにある」(「新しい日本へ」福井俊彦)と。

 我慢強い?
朝日新聞と日本経済新聞を並べて読むと、どうもそうではないのではないか。
日本人は、自分でものを考え、自分で行動できない。
それが「98%、天下り先へ」となり、他方で「我慢強さ」となる。

 ……が、今日は、ここまで。
(怒り)がつづかない。

●越前大野の駅で

 電車が来るまで、15分ほど、ある。
先ほど、駅へ来るまで、1時間ほど、町の中を歩いてみた。
静かな町だった。
不思議なことに、知人が3人、できた。

 1人は道を案内してくれた若い男性。
しばらく歩いていると、また別の男性。
こちらの男性は、私と同年輩。
いっしょに町中を歩いてくれた。
が、そこへ先ほどの若い男性。
「これ、私の息子です」と。

 偶然だった。
親子で、別々に、私を案内してくれた。

 もう1人は、昨日、越前大野へ来る途中のこと。
1人の女性と知りあった。
話を聞くと、いろいろ教えてくれた。
その女性と、今朝、またまた駅で会った。

 昨日別れるとき、「お元気そうでいいですね」と声をかけると、こう言った。
「いいえ、盆休みというのに、病院通いですよ」と。

 で、今朝会ったとき、「今日もですか?」と声をかけてしまった。
するとその女性は、笑いながら、「今日はちがいます」と。

 のどかな町の、どこまでも親切な人たち。
私は越前大野がすっかり好きになった。

●越美北線

 この路線を、「越美北線」という。
ならば、「越美南線」は、ということになる。
実は、美濃白鳥から美濃大田までの路線を、昔は「越美南線」と呼んだ。
今は、第三セクター方式で、「岐阜長良川鉄道」と呼ぶ。

 が、もし越美北線と越美南線がつながっていたとしたら……。
岐阜県と福井県が、そのままつながっていたことになる。
が、その計画は実現しなかった。
恐らく、途中の山々が険しすぎたためではないか。
これからその山々をタクシーで抜ける。
どういう状態か、自分で確かめる。

●家出

 私は目下、家出状態。
おとなげないとは、自分でもよくわかっている。
しかしその一方で、家出をする少年少女(=子どもたち)の心理が、よく理解できる。

 で、私は今日か、明日、自宅に戻る。
帰りづらいが、戻るしかない。
が、戻ったとき、ワイフがそのまま迎えてくれれば、それでよし。
しかし不愉快な顔をされたり、小言を言われたら、どうか?
私は再び、そのまま家出してしまうかもしれない。

 これは家出をする少年少女の心理に共通している。
親にしてみれば、「心配をかけて!」となる。
しかし家出をする側には、それなりの「理由」がある。
言いたくても言えない、理由がある。
だれも好き好んで家出をするわけではない。
自分の居場所がない。
家にいても、不快感ばかり、募る。
それを解消しようと、家出をする。

 家に戻るにも、それなりの(壁)と闘わなければならない。
そんなとき、つまり家に帰ったとたん、父親や母親からガミガミ言われたら、その子どもはどう
なるか。
かえって追いつめられるだけ。
だから次回は、さらに本気になって、家出をする。

 さて、ワイフはどのように反応するか。
ワイフの反応しだいでは、再び、家出ということにもなりかねない。
で、一言、追加。

 家出する側、つまり私は、こう思う。
「ワイフは何も心配など、していない。今ごろは、私がいなくて清々しているだろうな」と。
この私の心理も、家出をする少年少女の心理を理解するのに、役に立つのでは?

●亀裂

 しかしこんなことも言える。
「家出」には、たいへん危険な側面もある。
つまり対処の仕方をまちがえると、夫婦のばあい、離婚ということになりかねない。
今回、私は家出をしたが、いつもと微妙に心理状態が異なっているのを知った。

 たとえば昨夜も、大野市の夜祭を見た。
いつもの私なら、「ワイフにも見せてやりたかった」と思う。
が、昨夜は、そういう心理にはならなかった。
町のパンフレットにしても、駅の構内のゴミ箱に捨ててきた。
家に帰っても、越前大野市の話はしないだろう。
ワイフもああいう勝気な性格だから、聞かないだろう。
つまり夫婦の間に、小さいが、亀裂が入る。

 その亀裂が修復されるものであれば、それはそれでよし。
が、そうでなければ、そうでない。

●九頭竜川へ

 大野市から、さらに東に向かう。
九頭竜川行きの電車に乗る。
40分ほどで着くという。
左右には、豊かな田園風景が広がる。
ここは米どころ。
越前米の中心地。

 こんな内陸に、これほどまでに広い田園地帯があるとは!
豊かな清流。
公害とは無縁の澄んだ空気。
蔵を並べた農家が、点在して見える。
「次回は、越前米を食べてみよう」と。
今、そんな気分になった。

●油坂

 九頭竜ダムから美濃白鳥(しらとり)までは、タクシー。
今回の旅の目的は、ここにある。
そこには、私が子どものころから、一度は見たかった景色が広がっているはず。
じっくりと、見てみたい。
楽しみ。

 途中「油坂」という坂(?)も通るらしい。
実は子どものころ、その「油坂」という言葉も、よく耳にした。
ここへ来て、そしてその文字を見て、それを思い出した。

「この道を上っていくと、油坂を通って、大野へ行く」と。

 断片的な記憶が、ジグソーパズルのように、つながっていく。

●九頭竜ダム

 九頭竜ダムが近づいてきた。
左右の山々が迫ってきた。
ときどき深い谷の上を、電車が走る。
では、電車の中では、ここまで。

 これからはじっくりと景色を楽しみたい。

●白鳥(しろとり)

 大野市の人たちは、「白鳥」を、「しらとり」と読んでいた。
私の故郷(岐阜県美濃市)でも、「しらとり」と読んでいる人がいた。
で、タクシーの運転手にそれを確かめると、「しろとり」が正しいとのこと。
「白鳥駅の近くには、看板がたくさんあって、みな、しろとりになっていますよ」と。

 私も白鳥駅に着いて、それを確かめてみた。
やはり「しろとり」が正しかった。
地元を離れて、45年になる。
地名の読み方すら、記憶の中から消えていく。

●名古屋から

 楽しい旅だったとは、言いがたい。
何かにつけ、気分が重かった。
食欲は、この3日間、ほとんどなかった。
が、いろいろな出会いがあった。
私はそういう点では、社交的(?)。
ちょっとしたチャンスをとらえ、相手の会話の中に入っていく。

 今日は、このままおとなしく家に帰ることにする。
ワイフのことだから、今ごろは、自分のほうで家を出ているかもしれない。
昔からそうだが、家で静かに待っているタイプではない。
それも覚悟しておこう。

 しかし今回の旅で、こんなことを発見した。
家出するといっても、その家出先が私にはない。
親戚を訪れれば、迎えてくれるより先に、相手は驚いてしまうだろう。
あとは、その話は、一晩をおかず、親戚中に伝わってしまう。
また友人といっても、私を泊めてくれるような友人は、この日本にはいない。
その前に、安心して我が夫婦のもめごとを話せるような友が、この日本にはいない。

 だからといって、これからそういう友人をもつのは、不可能。
友情を育てるにも、その熟成期間すら、ない。
つまり「はやし浩司」といっても、この程度の人間。
自分でも情けなくなる。

●オーストラリア

 オーストラリア……友人と、おとといスカイプで話した。
いろいろな人の名前が出てくるたびに、なつかしさがこみあげてきた。
この4月に会った人は、みな元気という。

 電車の中でこの文を書いていることもある。
しかしこの日本では、窓の外を流れる景色のように、時間が過ぎていく。
立ち止まることさえ、許されない。
オーストラリアでは、ゆっくりと穏やかな風に包まれて、時間が過ぎていく。
横を見たり、うしろを見たり……。
そんなことが自由にできる。

 今の仕事ができなくなったら、しばらくオーストラリアに住んでみよう。
そのあとのことは考えない。
先に、こう書いた。
どこまでも歩き、力尽きたら、倒れて、そのまま死ぬ、と。

 しかし何も、オーストラリアの荒野(アウトバック)でなくてもよい。
福井県の山の中でなくてもよい。
人生という舞台でも、それはできる。
生きて、生きて、生き抜く。
やがて力尽き、倒れるまで、生きて、生きて、生き抜く。
そのあとのことは、知らない。
考えても、どうにもならない。

●浜松へ

 列車は、刈谷を過ぎ、豊橋に向かっている。
そこで浜松行きに乗り換える。
窓の外には、田園風景が広がっている。
稲穂の中には、やや黄みを帯びたものもある。
しかし今朝見た、大野町の稲穂とは、明らかにちがう。
あえて書くなら、稲穂の向こうに見える、本気度がちがう。
大野町で見た稲穂は、一本、一本が、筋をそろえて、まっすぐ立っている。
そんな感じがした。

 人間も、同じ。
本気で生きている人と、そうでない人は、明らかにちがう。
本気で生きている人は、生き生きと輝いている。
そうでない人は、そうでない。
年齢は関係ない。

●居眠り

 電車の中で居眠りをしてしまった。
ひとつ手前の高塚で降りるつもりだったが、そのまま浜松へ。

 一度事務所によって、留守番電話を確認。
そのままタクシーで家へ。

 ワイフと長男は外出中だった。
私はドカッと居間に座った。
そこへワイフと長男が帰ってきた。

 不機嫌な顔をしていたらか、私も黙っていた。

 ……ということで、気楽なひとり旅は、おしまい。
次回は、(岐阜)→(板取側の上流)→(大野市)をめざしてみたい。

 そうそうタクシーの運転手が教えてくれたが、大野市から板取村へ抜ける道は、別にあると
か。
途中は車も走れない山道とか。
今回の、九頭竜川沿いの道とは、別ルート。
残念!
何しろ、地図さえない道の話だから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 越前大野 福井県大野市 九頭
竜川ダム)



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【城の崎にてbyはやし浩司】

●城之崎にて(by はやし浩司)地元のバス会社、EバスのBツアー旅行記

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/75/img731a27d2zik9zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="城之崎にて(2011−8−19)">

++++++++++++++++++++

明日は、城之崎に向かう。
「城崎」とも書く。
「城の崎」とも書く。
長いバス旅行。
東名から名神を通り、中国(播但道)を経て、
生野、竹田城へ。
明日の夜は、丸山川温泉に一泊。

城之崎へは、明後日、到着。
楽しみ。+ワクワク。
志賀直哉の「城之崎にて」の城之崎。
高校2年生のころ、私は志賀直哉に夢中になった。
志賀直哉の本を、片っ端から、読んだ。

その城之崎。
何しろ半世紀近くも前のことで、内容は
よく覚えていない。
志賀直哉がどこかの旅館の一室で書いた
エッセーだった。

「……が静寂だった」「……が静寂だった」という、
表現が印象に残っている。
一度は、訪れてみたかった場所。
春に、そこへ行ったオーストラリアの友人がいた。
その友人も、こう言っていた。
「よかった」と。
明後日、その夢がかなう。

「お前は志賀直哉の本を読んだことがあるか」と
聞くと、「ウ〜ン、読んだことがある……」と、
どこか、いいかげんな返事。

+++++++++++++++++++++

●城之崎(『城の崎にて』志賀直哉

ウィキペディア百科事典には、「城の崎にて」のあらすじが載っていた。
それをそのまま紹介させてもらう。

『東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は
一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げら
れ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく
見た小川の石の上にイモリがいた。

驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋し
さを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと
死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」
を省みる』(ウィキペディア百科事典より)と。

●志賀直哉

ついでに、志賀直哉について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある

『「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月に白樺派の同
人誌『白樺』に発表。
心境小説の代表的な作品とされる。志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し作品を
発表しており、実父との対立から広島県尾道に住み、夏目漱石の奨めにより後に『暗夜行路』
の原型となる「時任謙作」を執筆していた。
1913年(大正2年)4月には上京していたが、同年8月に里見クと芝浦へ涼みに行き、素人相撲
を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後からはね飛ばされ重傷を負う。

東京病院に暫く入院して助かったが、療養のため城崎温泉(「三木屋」という旅館(現存)に宿
泊)を訪れる。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には結婚する。
1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」などの作品を発表
し、同年10月には実父との和解が成立している。

事故に際した自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され。簡素で無駄の
ない文体と適切な描写で無類の名文とされている』(ウィキペディア百科事典より)と。

 こうした予備知識をもって旅に出るのは、楽しい。
旅の奥行きが、倍加する。

●8月18日

 志賀直哉と言えば、『暗夜行路』。
読んだはずだが、内容が思い出せない。
もう一度、ウィキペディア百科事典の助けを借りる。
こうある。

『主人公時任謙作(ときとうけんさく)は、放蕩の毎日を送る小説家。あるとき尾道に旅に出た
彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。そんな折、実は謙作が祖父と母の不義の
子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直子が従兄と過ちを
犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。大自然の中で精神が清められて
すべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ』と。

 ナルホド!
思い出した!
そういう話だった。

●8月19日

今回は、ワイフと2人の2人旅。
地元のバス会社が運営する、Bツアーを利用することにした。
ワンランク上の「ゆとりの〜〜」とかいう、コース。
もちろん料金も約2倍の、上級のコース。
座席数が、20%ほど、少ない。

 天気は曇り。
浜名湖を渡るとき、鉛色の低い雲が、重苦しそうに空を覆っていた。
空に広がった雨雲。
新聞の天気予報によれば、関西方面は、雨。
よかった!
このところの猛暑。
猛暑はこりごり。

●520ドル安

昨日(8月19日)、ニューヨークの株式市場が、520ドルも暴落した。
製造業の指標が悪かったこと。
失業保険の申請件数がふえたこと。

 こういうときは、「株」に手を出してはいけない。
プロというより、ロボットが、1000分の1単位で、コンピューター取り引きを繰り返す。
ロボット取り引きともいう。
素人の私たちが入り込むスキはない。
……というか、カモにされるのは、私たち。
統計的にも、95%の個人投資家は、損をすることがわかっている。
こういうふうに、乱高下するときは、さらに危険。

●Bツアーが変わった?

バスが走り出すと、ガイドがこう言った。
遠まわしな言い方だったが、「おしゃべりは静かに」と。
当然のことだが、Bツアーも進化した。
そういう印象をもった。

 この40年間。
当初は、喫煙は自由。
カラオケは定番。
バスに乗ると、まず自己紹介。
それが徐々に少なくなって、つぎに始まったのが、ビデオ上映。
で、最後の残ったのが、「おしゃべり」。
ガッハハハ、ゲラゲラ、ギャーギャー。
そのおしゃべりに、注意が入るようになった。
しかし長い時間だった。

●夫婦喧嘩

 豊橋を過ぎるころ、激しい雨が窓を叩き始めた。
数分間、窓の外が、真っ白になった。
雨を嫌う人も多いが、私は好き。
心が落ち着く。
脳みその働きも、よくなる。

 ……つい数日前、『福井県越前大野への旅』について書いた。
ワイフと喧嘩をし、家出をした。
家出をし、越前大野まで行ってきた。
が、今日は、ワイフといっしょ。
仲直りしたというわけではない。
平常に、戻った。
離婚話は、どこかへ吹き飛んでしまった。

 私たち夫婦は、いつもこのパターンを繰り返している。

●サイクル

 夫婦論というのがある。
はやし浩司流に解釈すると、こうなる。

(安定期)→(不安定期)→(緊張期)→(葛藤期=爆発期)→(冷却期)→(修復期)→(安定期)
→……。

 で、今は、冷却期から修復期。
嵐が去り、(少し大げさかな?)、今は、こうしていっしょに、城之崎に来ている。
毎度のことだから、だれも私たちの離婚話を本気にしない。
義兄ですら、「あらあら、ごくろうさま」などと言ったりする。
で、そういうとき、私は、こう訴える。
「今度は、本気です。あんなヤツとは、来週中に離婚します」と。

 が、結果は、このザマ。
長くつづいて、2〜3日。
3日もすると、また元に戻る。
多少のタイムラグはあるが、まずワイフのほうが平常に戻り、つづいて私のほうが謝る。
それでおしまい。

(林夫婦は、どうなるんだろう?、と期待していた人をがっかりさせて、ごめん……。)

●城之崎

城之崎には、午後3時ごろ、着いた。
一見してわかる。
活気がある。
行きかう温泉客。
老若男女、さまざま。
客層が広い。
小さな店まで、本気!
その本気が、がんがんと伝わってくる。

 で、私たちが泊まった旅館は、『銀花』。
郊外の海沿いにあるが、この城之崎でも、超一級旅館だそうだ。

 各部屋の中に温泉がある。
室内のベランダも広い。

いろいろな旅館に泊まったが、ここも文句なしの5つ★の、★★★★★。
「上には上があるものだ」と、感嘆のため息。

●9時からは、花火大会

夜、9時から花火大会があるという。
ちょうど川向こうのホテルの横から打ち上げられるという。
今、その9時を待っているとき。
時刻は、8:57。
あと3分。

 ビデオカメラは、スタンバイ。

●花火は終わった

私たちの泊まっている部屋は、101号室。
部屋の名前は、「直哉」。
志賀直哉の「直哉」。
ワイフは、それを見て、「あなたが特別に頼んだの?」と。
が、私は頼んでない。
偶然。
しかし、どういうわけか、うれしかった。

 旅には、何かの目的があるとよい。
それについては、先に書いた。
が、これは生きる「目的」にも共通する。
たいしたものでなくてもよい。
些細なものでよい。
私たちは、それにしがみついて、生きる。

●事件

ところで今日、ここへ来る途中、バスの中でこんな事件があった。
私が叩くパソコンの音がうるさい、と。
ガイドさんのほうに、苦情が寄せられた。
が、こんな経験は、はじめて。

 もってきたパソコンは、TOSHIBAのMX。
部屋の中で叩いていても、無音と言うわけではないが、静か。
ほとんど音はしない。
またそのときは、パソコンたちあげ、メールを読んでいただけ。
今どき、飛行機の中でも、電車の中でも、パソコンは必需品。
それが「うるさい!」と。
私はすなおに謝罪し、パソコンをカバンの中にしまった。

 苦情を言った人は、70歳前後の老夫婦。
通路をはさんだ反対側の席の人たちだった。
多分、パソコンと携帯端末(携帯電話)の区別もつかない人たちではなかったか。
あるいはパソコンに対して、強度の嫌悪感をもっている(?)。
そういう人は多い。

自分が扱えないから、それを扱う人を、徹底的に毛嫌いする。
パソコンで仕事をしている人を、徹底的に軽蔑してみせる。
そういう人は、あなたの周りにも、1人や2人はいるはず。
60歳以上の人に多い。

 「あんなもの使っている人間に、ロクなのはいない!」と。
簡単にそう決めつけてしまう。
今日バスの中で会った老夫婦も、そんな人たちだったかもしれない。

 サービスエリアで買ってきた、「きんつば」を2個、分け与え、「すみませんでした」
と謝ると、一瞬戸惑ったが、つぎの瞬間には、やさしい笑顔を見せた。

●8月20日

 平凡な朝。
静かな朝。
目覚ましは、朝、6時にセットした。
昨夜は10時ごろ床に入ったので、睡眠時間は8時間。

 窓の外は、内浦湾になっていて、漁船が数隻、右から左へ通り過ぎていった。
「どちらが海なのだろう?」と。
城之崎が左方面にあるから、左方面が海?
よくわからないが、波は静か。
山の間を流れる雲も低く、厚い。

●Bツアー

 Bツアーを利用するのは、1年半ぶり?
それまでは、毎月のように利用していた。
が、最後に、おしゃべりオバちゃんたちと口論をし、すっかり嫌気がさした。

 で、今回も、こう思った。
便利で料金も安いが、やはり私たちには向かない、と。
ワイフがそう判断した。

 バス会社のサービスはよい。
ガイドもよい。
コースも旅館も、よい。
しかし客層がよくない。
昨夜も、会席料理を食べながら、ガハハ・ゲラゲラと、傍若無人に騒いでいるオバちゃんたち
がいた。
その声が、部屋の端から端まで聞こえてきた。
廊下を歩いているときも、同じ。
部屋の中まで、その大声が聞こえてきた。
残りの20数人は静かでも、こういうオバちゃんが2〜3人でもいると、旅行も台無し。
 
 「もうやめようね」と私。
「そうね」とワイフ。
 
●城之崎にて

 志賀直哉の『城の崎にて』。
はやし浩司の『城之崎にて』。
今はもう文人の時代ではない。
娯楽も多様化し、無数にある。
志賀直哉の昔には、すべての娯楽が文学に集中した。
文人にとっては、古き良き時代ということになる。

 うらやましいとは思わない。
私が志賀直哉の時代に生きていたとしても、私はただのもの書き。
文に書いたところで、目に留めてくれる人もいなかったことだろう。

●帰宅

 8月20日、午後8時すぎに、浜松へ戻ってきた。
今回も、運の悪いことに、(本当に運の悪いことに)、真うしろの席に、2組の夫婦。
女どうし、2人のおばちゃんたちが陣取った。
ともに70歳くらい。
私たち夫婦は、後ろから2列目の席。

 2度、注意したが、帰ってきたのはイヤミ。
「ア〜ラ、うるさいって注意されたから、いちばんうしろの席にいきますよオ〜」と。
わざとみなに聞こえるような大声で、席を離れていった。
が、それで静かになったわけではない。
耳が不自由なのか、その中の1人が、一方的に大声でしゃべりまくる。
が、相手の声は聞こえないらしい。
相手が何かを言うたびに、「えっ、何?」を繰り返していた。

 ほかのほとんどの客は静かだった。
みな、それぞれの旅を楽しんでいた。
が、今回も、運が悪かった。

 Bツアーへ:

「ゆとりの〜〜」では、6人以上の団体客は申し込みを断っているとか。
たいへんすばらしいことだが、できれば、3人以上にしてはどうか?
そうすれば、ああいう客を排除することができる。

 もっとも、ワイフの意見通り、Bツアーは、しばらくはコリゴリ。
そういう客がいても、ガイドは何も注意しない。
知らぬ顔。
最前列に座っているから、後部座席のことはわからない。

 が、あえて言うなら、つぎの進化を期待して、私はこう要望する。

(1)ポイントガイド……必要なことだけをガイドするというのは、よかった
(2)BGM……うるさいビデオをなくなったのは、よかった
(3)団体客の制限……よかったが、おしゃべりが目的のおばちゃんには、きびしくしてほしい。
(4)時間の取り方……ゆったりとしていて、よかった。

●総括

 学生時代からの念願がかなった。
志賀直哉ゆかりの「城の崎」を自分の目で見ることができた。
ワイフも満足そうだった。

 あのオバちゃんたちが静かだったら、星は4つの、★★★★。
あのオバちゃんたちのおかげで、バスそのものが、拷問室に。
バスを降りたとき、ほっとしたのは、無事着いたからではない。
オバちゃんたちと別れることができたから。

(そうそう、オバちゃんたちのおしゃべりを不愉快に思っているのは、私たちだけではなかっ
た。
一度、私が注意したとき、前の席の人が振り向いて、こう言った。
「ありがとうございます」と。

(しかし、どうしてこの日本では、ああいうオバちゃんたちの話し声だけは、野放しになっている
のか?
携帯電話にはうるさい。
しかしオバちゃんたちは、野放し。
おかしい。
日本だけではない。
ああいう日本人が、世界中へ出かけていき、日本人の恥をさらしている!)

 なお運転手とガイドは、たいへん質が高かった。
「ゆとりの〜〜」ということで、選りすぐられた人たちなのだろう。
ともに理知的で、気持ちのよい人たちだった。
それだけに、今回の旅行は、残念!
「バスの中で読書……」と考えていたが、その余裕は、最後までできなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 城の崎にて 城之崎 城崎 志
賀直哉 暗夜行路)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「ぼくは生活保護受けるから、かまへん」(堺屋太一・「週刊現代」2011年9・3)

++++++++++++++++++++++++++

雑誌「週刊現代」に、こんな興味ある記事が載っていた。
堺屋太一氏が、対談形式の記事の中で述べている。

『……いまや大阪市では、18人に1人が生活保護を
受けていて、大阪府の教育水準は、全国47都道府県の
中でも、45番目。
なにしろ、中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない
子どもが1割もいるんですね。
そういう子どもに先生が、「しっかり勉強しないと、
おとなになって困るぞ」と言うと、「ぼくは生活保護
受けるからかまへん」と答えるというんです」(P62)と。

堺屋太一氏は、これをさして「倫理的崩壊」という言葉を
使っている。

+++++++++++++++++++++++++

●遊びほける中国人留学生(ヤフー・NEWS)

 一方、こんな記事も目にとまった(2011年8月20日)。
題して「ある在米中国人留学生、送金に苦労の親を尻目に、浪費し遊び回る」。
毎日新聞が、米華字紙より翻訳したものらしい。

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

2011年7月22日、米華字紙・僑報によると、米国へ留学している若い中国人学生の中には、勉
強にまったく身を入れず、親からもらった生活費で毎日遊びほうけているケースもある。 

ロサンゼルスに住むある華人女性の家には、上海から留学のため渡米してきた甥っ子が住ん
でいるが、一学期が過ぎても成績は低迷したまま。毎月親が銀行に振り込んでくれている4000
元(約5万円)の生活費は外食やブランド品、iPhoneなどショッピングですべて遊びに使い果た
し、さらにクレジットカードも限度額まで使ってしまっているという。 

両親は商売をしているが順調ではなく、大変な思いをして子どもの学費や生活費を工面してい
るにもかかわらず、「僕がLAに来たくて来たと思っているの? LAなんて田舎くさくて大したこと
ないじゃないか。上海の方がずっと良い」「両親がむりやり留学させたんだから、お金がかかる
のも苦労するのも両親が自分で選んだことでしょう」と、とりつくしまもない状態だという。(翻訳・
編集/岡田)

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

●日本の現状

 中学1年生で、かけ算の九九ができないという話は、すでに20年近くも前の話である(東京
都)。

 ここで誤解していけないのは、かけ算の九九といっても、レベルがある。
「ニイチガ2、ニニンガ4……」と暗記するレベル。……レベル1
これなら幼稚園児にもできる。

 つづいてランダムに、「シサン?」と聞かれて、即座に、「12」と答えるレベル。……レベル2
もちろんその意味(4+4+4=4x3)がわかっていての話である。
20年前でさえ、レベル1はできるが、レベル2ができない。
そんな中学1年生で、20%近くもいた(東京都)。

 堺屋太一氏の話によれば、「中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない子どもが1割も
いるんですね」ということらしい。
こうした子どもたちが、大学生になっていく。

●2008年7月の原稿より

++++++++++++++++

2008年7月に、つぎのような
原稿を書いた。

この中で、『今では分数の足し算、
引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は59%」
(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)」
(※2)だそうだ』というところに注目してほしい。

++++++++++++++++

●公務員志望

 この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。
なぜそうなのかというところにメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。
ああ、私だって、この年齢になってはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった!
 死ぬまで就職先と、年金が保証されている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはい
やというほど、思い知らされている。
だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。
教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボロボロ。
何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。
その教育改革にしても、ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。
学校は自由選択制の単位制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自
治体にカリキュラム、指導方針など任せればよい(アメリカ)。
設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。
いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。
オーストラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしてい
る。
しかし検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定しては
いけないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。
たとえばアメリカでは、大学入学後の学部、学科の変更は自由。まったく自由。
大学の転籍すら自由。
まったく自由。
学科はもちろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。
なのになぜ日本の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるの
か? 
あるいは自分たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。
もうすでに日本の教育はにっちもさっちもいかないところにきている。
このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教育レベルは、アジアでも最低になる。
あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校の話ではない。
大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。
していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教
育学部系の学生である。
このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
いわんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習授業とは!

 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう
言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。
もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊す
る。
確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、
「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。
九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。
日本の教育改革は、三〇年は遅れた。
しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。
そのころ世界はどこまで進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはな
い」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。
世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か
国中、一五〇位(九九年)。
アジアで日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。
北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。
オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。
しかし日本には数えるほどしかいない。
あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がい
る。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘・2008年当時)。

●「うちの子にかぎって……」は、幻想

 ほとんどの親は、こう考える。
「うちの子にかぎって……」と。
しかしこれは幻想。
まったくの幻想。

 子どもというのは、言うなれば、吸湿性の強い吸い取り紙。
社会という「色水」の中に落とされれば、そのままその「色」を吸収していく。
社会の色が「茶色」なのに、自分の子どもだけを「水色」にしようとしても、無駄。
子どもというのは、子どものどうしの影響力のほうを、はるかに強く受ける。
加えてほとんどの中高校生は、「親のようになりたくない」と答えている(内閣府調査)。
今では、『親の恩も遺産次第』。
ほとんどの若者たちは、そう考えている。

 が、不思議なことに、こう書くと、若者たちは、猛烈に反発する。
「私は、ちがう!」と。
つまり、ここに意識のズレが、起こる。

●親への仕送り

 60代、70代の人たちにとって、親への仕送りは、当然だった。
昨日も旅行先で知り合ったKGさん(女性、69歳)は、こう言った。
「私の初任給は3000円でした。うち、1000円を、毎月実家へ送りました」と。

 私もそうしていた。
結婚前から、収入の約50%を実家へ送っていた。
またそれが当時の常識だった。

 が、今は、ちがう。
「就職したら返す」「給料があがったら返す」と言いながら、結婚したとたん、「生活費が足りな
い!」と。
そういう若者が、猛烈に反発する。
実家へ帰省しても、みやげのひとつすらもってこない。
基本的な部分で、意識そのものがズレている。

●大学生とは名ばかり

 私立の女子大学を卒業した女性(27歳)がいた。
英文科を卒業したという。
で、試しにこう聞いてみた。
「SVOOの構文を、SVOの構文になおすには、どうしたらいいの?」と。
それに答えて、その女性は、こう答えた。
「何、それ?」と。

 少し勉強家の中学生なら知っていることでも、大学の英文科を出た社会人が知らない。
もっとも今では、大学の英文科といっても、名ばかり。
高校生が使うより簡単なテキストを使い、あとは遊びほけている。

●日本の現状

 いったい、政治家にせよ、一般社会にせよ、それに親たちにせよ、こういう現実を、どこまで
知っているのか?
教育は、もうボロボロ!
倫理観そのものが、崩壊している!

 で、堺屋太一氏の話は例外であると信じたいが、ひとつ気になることがある。
『18人に1人が生活保護を受けている』という部分。

 18世帯に1世帯という意味なのか。
それとも18人に1人という意味なのか。
もし「18人に1人」ということになると、夫婦+子ども合わせての4人家族とするなら、「4世帯で
1世帯」という計算になってしまう。

 本当だろうか?

 そこで調べてみると、「生活保護率」は、大阪府のばあい、25・7(1/1000)(2007年度)
ということがわかった(総務省統計局)。
これを100分率荷換算すると、2・57%ということになる。
注に「 都道府県別の生活保護率(ここでは世帯の比率でなく、保護人員の人口千人当たりの
比率)を図示した」とあるから、世帯率ではなく、1000人当たりの比率ということになる。

 2・57%といえば、100人につき、約3人。
逆に言えば、「33人に1人」となる。
が、現在、さらに不況の嵐ははげしくなっている。
やはり堺屋太一氏が指摘するように、「18人に1人」というのは、そのまま「18人に1人」という
ことになるのか。

 もしそれぞれに家族がいるなら、「18世帯に1世帯」となる。
(もちろん家族がいない人も多いが……。)
どうであるにせよ、今、この日本は、ここまで貧しくなっている!

●落ちるところまで落ちる

 折しも、日本は大不況下。
大恐慌はすでに始まった。
この先、この日本は、お先真っ暗。
やがて日本人が、外国へ出稼ぎに行かねばならなくなる。
10年どころか、5年を待たずして、そうなる。
推測ではない。
数字の上で、そうならざるをえない運命にある。

 そうなったとき、今の若者たちは、どうするのだろう。
それでも親のスネをかじりつづけるつもりなのだろうか。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。
あるいは「こんな日本にしたのは、テメエだろう!」と言うかもしれない。

 先に書いたKGさんもこう言った。
横に夫がいて、その夫もこう言った。
「日本も落ちるところまで、一度、落ちるしかないでしょうね」と。

 実のところ、私自身も、そう考え始めている。
落ちるところまで落ち、自分で気がつくしかない、と。
とても悲観的な見方だが、それが今の教育の現状ということになる。


(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する
学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを
見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子ども
が、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。

反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいな
い。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていな
い。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というの
は、もはや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学力
 日本の子どもの学力 子供の学力 英語力 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教
育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer 
Japanese essayist 教育の自由化 ゆとり教育 ゆとり教育の弊害 逆行する日本の教育 自
信をなくす日本の若者たち 生活保護 はやし浩司 生活保護世帯 はやし浩司 分数の計算
 かけ算の九九 掛け算の九九 学力低下 日本の現状)2011/08/21記



(6)
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【石川県羽咋市・コスモアイル】

【金沢から、羽咋(はくい)へ】

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/53/imgd01ceda0zik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="2011−8−22石川県羽咋市.jpg">

++++++++++++++++++++

休暇も残り、2日。
昨日になって、ワイフが、突然、UFOを見たいと言った。
UFO?

能登半島に羽咋市(はくいし)という町がある。
そこに「UFO会館」(正式名称は「宇宙科学博物館」)がある。
「羽咋へ行こうか?」と声をかけると、「うん」と。
そこで今日は、名古屋発、金沢行きのバスに乗り込んだ。

午前8時30分発。
昔は「名金線」と言った。
学生時代、よく利用させてもらった。
途中、いくつかの観光地を、そのまま通る。……通った。
料金も安かった。
当時は、名古屋から金沢まで、8〜9時間もかかった。
今は、4時間!
往復2人分で、料金は今も、1万1000円。
(片道、1名、2750円!)
JRの約半額。

++++++++++++++++++++

●UFO

 UFO会館といっても、あまり期待していない。
期待していないが、期待している?
一応、羽咋市はUFOの出没地ということになっているらしい。
昔からそういう伝説が残っている。
アダムスキー型UFOを思わせる鐘も、そのひとつ。
鐘は鐘だが、つまり音の出る鐘だが、アダムスキー型UFOにそっくり。

楽しみ……が、やはり過剰期待は禁物。
この種の博物館は、いつもたいてい期待はずれ。
わかっているが、要するに、道中を楽しめばよい。
あとは、食事。

 ホテルは確保したが、夕食はなし。
どこかで何かを食べよう。
できれば蟹料理。
少しぜいたくかな?

●一貫性

 UFOは超常現象ではない。
心霊現象とは一線を画す。
「科学」である。
またそういうレベルで論じられるべき。

 ……これについてはもう、何度も書いてきた。
その理由の第一。
論理的な一貫性がある。
デタラメなインチキ報告は別として、UFO問題を掘り下げて検討していくと、そこに一貫性が見
えてくる。
つまり論理性に矛盾がない。

 ワイフと私は、一度、巨大なUFOを目撃している。
そういう経験も下地になっている。

●ジジ臭い

 「死ぬまでに……」という言い方は、それ自体、ジジ臭い。
よくわかっている。
しかしこのところ、何かにつけ、そう考えることが、多くなった。
羽咋のUFO会館も、そのひとつ。
ならば、日本を飛び出したら……という意見もある。
たとえばアメリカのロズウェル。
1947年、アメリカのロズウェルに、UFOが墜落している。
そのロズウェル。

が、私は大の飛行機嫌い。
29歳のとき飛行機事故に遭遇してから、そうなってしまった。
それまでは、毎週のように飛行機に乗っていたが……。

 特別な理由でもないかぎり、飛行機には乗らない。
その点、UFOは、やや力不足。
ロズウェルへ行ったからといって、UFOを必ず見られるというわけではない。
アメリカ政府が、痕跡の「コ」の字も残らないほど、証拠類をすでに始末してしまったという。

 ともかくも、私たちは、あの夜見たものが何であるか、それを死ぬまでに知りたい。
そのためにも羽咋へ行くことにした。
 
●アクセス数

 昨日、夕方近く、BLOGをUPした。
で、今朝、アクセス数を見たら、いつも倍以上もあった。
夕方にUPしたことを考えるなら、いつもの4倍以上ということになる。
件数でいえば、合計で、5000〜6000件!
驚いた。
昨日、『ボロボロの日本の教育』というテーマで原稿を書いた。
まさにボロボロ。
日本の教育は、落ちるところまで落ちた。
それについて書いた。
つまりそれだけ多くの人たちが、日本の教育に、危機感をもっている人が多いことを示す。

 たしかに「?」。
それだけではない。
本末が転倒している。
平等なら、まだ納得できる。
が、今は、祖父母や親が、孫や子どもに向かって、「ごめん」「ごめん」と謝る時代。
祖父母や親が、「ごめん」「ごめん」と謝りながら、孫や子どもを育てている。

 そう、昔は親が、子どもを勘当した。
親にも、まだ力があった。
それが逆転した。
今は、息子や娘のほうが、親に向かって縁を切る。
「2、30年たったら、お前を許してやる!」と。
(この先、2、30年も生きている親はいない!)

●経済

 もう少ししたら、ネットで経済ニュースを拾うことができる。
今週(8月22日・月曜日)は、どうなるか。
世界不況は、深刻度を増している。
この日本についても、異常な円高がつづいている。

 先週末の流れを引き継ぐとすれば、今週も、大波乱。
よい材料は、何もない。
このつづきは、もう少しあとに書く。

●JR東海バス

 ワイフは目を閉じ、眠り始めた。
景色と言っても、見えるのは高速道路の壁だけ。
快適にはなったが、何か、もの足りない。

 バスのシートカバーには、「JR東海バス」と書いてある。
最後尾には、トイレもある。
座席の幅も広い。
左右に10列。
定員は、40名。
乗っている客は、私たち夫婦も含めて、19人。
「空いている席は、ご自由にお使いください」と、
発車する前、運転手がそう言った。

●夏休み

 この夏休みには、3度、旅行したことになる。

(1)越前大野、
(2)城之崎温泉、
(3)そして今回の石川県・羽咋。

 オーストラリアとか上海も考えたが、飛行機嫌いを乗り越えるだけのパワーを感じなかった。
来年3月には、友人の娘が結婚することになっているので、オーストラリアへ行くことになってい
る。
小さいときから、私を慕ってくれた。
ずば抜けて美しい女性で、それに理知的。
現在は、メルボルン市内のペンギンブックスで、編集長をしている。
世界中を飛び回っている。

 今のところ、飛行機に乗る予定は、それだけ。

●ルート

 目の前に高い山が迫ってきた。
犬山から多治見のほうへ抜けるらしい。
この時期、森の木々は濃さをぐんとます。
緑というよりは黒に近い。
濃緑色。
そこに雲間から漏れる日差しが、美しいまだら模様を作る。

 雲が、さらに一段、低くなってきた。
流れる雲だけを見ていると、まるで飛行機の窓から外を見ているよう。
それをながめながら、しばし、時のたつのを忘れる。

 ……いや、ちがう。
ルートがちがう。
私は、昔の名金線のように、本州を縦に縦断して金沢へ向かうものとばかり思っていた。
が、実際には、名古屋→米原→敦賀→福井→金沢と、列車路線と同じルートをたどっている。

 知らなかった!

●経済2

 先ほどネットで、いくつかのニュースをたどってみた。
そのひとつ、北海道でも地震があったとか。
つぎは浜松と思っていたが、北海道。

 それと金(ゴールド)とプラチナが、さらに高騰中。
プラチナがグラム5000円、金が4891円。
株価は様子見。
行き場を失った大量の資金が、右往左往している。
私には、そう見える。

●自由

 バスは福井県に入った……らしい。
快適。
地元バス会社の主宰するB・ツアーより、はるかに快適。
おしゃべりなオバちゃんたちもいない。
うるさいガイドもいない。
席は、ガラガラ。

 ワイフは先ほどまで、何かの本を読んでいた。
私は1時間ほど、眠った。
旅にも、いろいろな仕方がある。
が、こういう方法が、私たち夫婦には、いちばん合っている。

 わざとシーズンをはずし、バスか電車で移動する。
宿は、ネットで選ぶ。
目的地は、1つでじゅうぶん。
それでも料金は、B・ツアーの半額程度。
 
 が、本当のところ、料金が問題ではない。
自分で旅をしているという、その満足感が楽しい。
まさに学生気分!

●片山津

 またまた眠くなってきた。
バスのエンジン音が、静かに床の下から響いてくる。
時折座席が、小刻みにゴトゴトと揺れる。
うしろのほうで咳をする人以外、客の気配すらない。

 ……バスは、もうすぐ「尼御前」に到着するという。
たった今、そんなアナウンスが流れた。
「尼御前(あまごぜん)」。
何とも風流な地名ではないか。

 ……ということで、目下、思考力はゼロ。
そこに何か書きたいことがあるはずなのに、それが脳みその中に湧いてこない
あえて言うなら、今度買う、新型パソコン。
10月の誕生日には、手に入れたい。
CPUは、3・40GHz以上。
3・60GHzというのも、ある。

 ……ワイフが「あっ、海だ!」と言った。
見ると左手に海が広がっていた。
日本海。
その横に、「片山津」という書いた標識が見えた。

●F15

 左手から、見慣れないジェット戦闘機が舞い上がってきた。
F15、トムキャットである。
浜松上空を飛び交う、あの練習機とは迫力がちがう。
ゴーというすさまじい轟音が、バスの中まで聞こえてきた。

 ここは日本の防衛、最前線。
その少しあと、バスは、「北陸小牧」というところで、停まった。
客は、だれも乗らなかった。

●出かける勇気

 外に出る。
人に会う。
旅先で、それまで知らなかった世界を見る。

 脳みその活性化、つまりボケ防止のためには、たいへん重要である。
家でゴロゴロしていたいという気持ちもないわけではない。
が、それではいけない。
そこで「出かける勇気」。
少し前、旅先で出会った人が、そんな言葉を教えてくれた。

 それに似ているが、最近、私は、よくこんなことを考える。

 たとえば朝、ふとんの中で目を覚ます。
起き上がるには、まだ少し早い。
が、それでも起き上がる。
「そのまま横になっているのも、30分。
しかしウォーキングマシンの上で、歩くのも、30分」と。

 そのとき心のどこかで、ふと、「起き上がる勇気」という言葉を考える。
勇気を出して、起き上がる。
ほかにもいろいろある。

 書店へ行く。
そのときも、その本を買うかどうかで、迷う。
が、こう言って自分に言い聞かせる。
「買う勇気」と。

●叩きつぶす

 つまり人間は、基本的には、怠け者。
恐らく人間は猿の時代だったころから、そうではなかったか。
木の上で、餌を食べるだけの人生。
あとは終日、ひたすら昼寝。
だから人間になった今も、楽をすることしか、考えない。
「極楽」の「楽」が、それを表している。

 だから「出かける勇気」というのは、そういう怠け心と闘う勇気ということになる。
とくに私のような、どこか対人恐怖症ぽく、かつ回避性障害ぽい人間にとっては、そうだ。
思い切って旅に出る。
そういう怠け心を叩きつぶす。

むずかしい話はさておき、そのつど、怠け心と闘う。
それが勇気。

●片町(金沢)

 あっという間の4時間だった。
「次は片町」と表示された。
金沢市イチの繁華街。
学生時代は、よく遊んだ。
が、風景は一変した。
学生時代の面影は、どこにもない。
近代的なビルにしゃれた店。

 が、感動がないわけではない。
ほんの少しだが、心が躍るのを感じた。
この町には4年間の思い出がしみこんでいる。
バスは、もうすぐ、犀川を渡るはず。
それを身をやや硬くして待つ。

 ハロー、金沢。
犀川だけは、学生時代のままだった。

●金沢

 金沢は、その昔は、学生の町だった。
どこへ行っても、学生がいた。
目だった。
私もその金沢の金沢大学の学生だった。
あの金沢城址にあった学舎で、4年間を過ごした。
が、今は、金沢大学もそこを追い出され、角間というところに移転した。
どこにでもある新制大学のひとつになってしまった。
当然のことながら、レベルも落ちた(失礼!)。

 私たちは、それを天下の愚策という。

 当時、たまたまNHKの大河ドラマで、前田利家がテーマになった。
それだけではないが、金沢城址を、金沢市は観光地にしようとした。
そのために金沢大学を、金沢城址から追い出した。
が、これは世界の常識ではない。

 世界の大都市は、市の中心部に最高学府を置く。
「知」の府を置く。
私が学んだ、メルボルン大学を例にあげるまでもない。
それがその市の誇りでもあり、シンボルにもなっている。
その学府が、町全体の知的文化を引き上げる。

札束も印刷物なら、書本も印刷物。
金沢市は、札束を選び、書本を捨てた。
その結果が、今。

 金沢市は、観光都市として、「知」を捨て、俗化した。

……私が浜松市に移り住んだとき、私はその文化性のなさに驚いた。
浜松市は、工業都市。
20年ほど前から、「音楽の町」として売り出しているが、もともとは「楽器の町」。
「音楽」と「楽器」とでは、「文学」と「印刷機」ほどのちがいがある。

 その浜松に住んで、40年。
今度は金沢に来てみると、その浜松とそれほど違わないのに、驚く。
逆の立場で驚く。
あれほど強く感じた「差」は、もうない。
浜松が文化都市になったとは思えない。
つまりその分だけ、金沢は、俗化した。

 で、肝心の観光収入は、ふえたのか?
答えは、「NO!」。
同窓生の中には、金沢市役所に勤めたのもいる。
石川県庁に入ったのもいる。
みな、今になってこう言っている。

 「まったくの失敗だった」と。

●サンダーバード13号(金沢、13:03発)

 金沢からはサンダーバード13号(特急)で、羽咋まで。
「サンダーバード」という名前がよい。
なつかしい。
が、どう考えても、北陸を走る列車らしくない。
「犀星13号」とか「犀川13号」とか。
そういう名前のほうが風情があって、よい。
どうでもよいことだが……。

 羽咋までは、40分。
学生時代には、法律相談所の所員として、毎月のように通った。
「所員」というと大げさに聞こえるかもしれないが、要するにインターンのようなもの。
大学の教授といっしょに通った。
行けば何かを思い出すだろうが、写真が何枚か、残っているだけ。
会場となったのは、どこかの神社の事務所。
その2階。
残っている写真は、その神社の前で撮ったもの。

 羽咋出身の友人もいたはず。
SH君という名前ではなかったか。

●学生時代

 金沢での学生時代は、そのあとのメルボルン大学での学生時代の陰に隠れて、記憶の中で
はかすんでしまっている。
メルボルン大学での学生生活が、それほどまでに強烈だったということか。
が、こうも考える。

 もしあのまま、まじめに(?)、金沢大学を卒業し、商社マンになっていたら、私はどうなってい
ただろうか、と。
2年ほど前、同窓会に出たとき、「伊藤忠商事を定年まで勤めまして……」と言った友人がい
た。
いっしょに入社試験に行ったことのある仲間だった。
その仲間を見ながら、私はこう思った。
「私も、ああなっていただろうな」と。

一社懸命の企業戦士。
バリバリ働いて、定年退職。
が、いくら想像力を働かせても、それ以上のことが頭に浮かんでこない。

●私は、ただのバカだった

 「今」が、つねに「結果」であるとするなら、では、金沢での4年間は、何だったのかということ
になる。
それはちょうどボケた老人を見るときの自分に似ている。
そんな人にも、それぞれ、自分の過去があったはず。
が、ボケると、そういう過去が、どこかへ吹き飛んでしまう。
積み重ねてきたはずの、人生の年輪が消えてしまう。

 今の私にしても、そうだ。
学生時代の私は、たしかにバカだった。
しかも、ただのバカ。
が、今の私が、そのバカから抜け出たかというと、それはない。
むしろさらにバカになったのかもしれない。
ボケ老人、一歩手前。

 となると、「金沢での4年間は、何だったのか」ということになる。
就職のための、一里塚?
そう考えることはさみしいことだが、私にかぎらず、当時の学生はみな、そう考えていた。
私たちはいつも、何かに追い立てられて生きていた。
あの4年間にしても、そうだ。
「大学へ入るのは、その先の就職のため」と。
そういう私が、「私」をつかんだのは、ほかならない、メルボルンでのことだった。

●「もう、いやだ!」

 私はあのメルボルンという町で、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
本物の、自由だ。
だからこそ、三井物産という会社を、迷うこともなく、やめることができた。
「もう、いやだ!」と。

 あの会社では、純利益が半年ごとに、成績表のように発表される。
それでその社員の「力」が評価される。
それを知ったとき、私は、「もう、いやだ!」と。

 が、もしあのままメルボルンを知らないで、日本の会社に入っていたとしたら……。
その仲間には悪いが、心底、ゾーッとする。
私はその意識もないまま、一度しかない人生を、棒に振っていた。

●宝達(ほうだつ) 

 列車は、すれちがい列車を待つため、宝達(ほうだつ)という駅に停まった。
5分の停車という。
さびれた田舎町(失礼!)。
少し心配になってきた。
「羽咋市はだいじょうぶだろうか?」と。
この40年間で、それなりに発展していることを願うばかり……。

 レストランもないような田舎町だったら、どうしよう?
先ほどワイフに、「和倉温泉にすればよかった」と言った。
和倉温泉へは、何度か泊まったことがある。
やはり法律相談所の所員として、その町へ行ったときのことだった。
ほかに、能登、珠洲(すず)、富来(とぎ)などなど。
能登半島で、行かなかったところはない。
夏休みになるたびに、巡回相談というので、各地に一泊ずつしながら、能登を一周した。

 ……が、言うなれば、六法全書がすべての、血も涙もない、冷酷な相談員。
事務的に相談を受け、事務的に相談に答えていた。
今から思うと、そんな感じがする。

●書生さん

 しかし能登はよい。
ほかの地方にはない、独特の風情がある。
その昔は、人も通わない、陸のへき地。
孤島。
金沢から富山方面へ行く人はいたかもしれない。
しかし能登まで回る人はいなかった。

 だから私のようなしがない学生でも、、能登を旅すると、土地の人たちは、学生のことを、畏
敬の念をこめて、「書生さん」と呼んでくれた。
そんなぬくもりが、この能登には残っている。

●コスモアイル羽咋(UFO会館)

 羽咋へ着くと、すぐ、「コスモアイル羽咋」(UFO会館)へ。
「コスモアイル?」。
「Cosmo Isle(宇宙の島)」のこと?
ネーミングが悪い。
これでは記憶に残らない。
観光客も集められない。
やはりズバリ、「UFO会館」のほうが、よいのでは?

 が、中は、かなり見ごたえがあった。
宇宙船の展示物も立派。
すばらしい。
本気度を随所に感じた。
が、肝心のUFO影が、薄い?

また3階では、プラネタリウム風の簡単な映画を見せてくれたが、こちらはガッカリ。
つまらないギリシャ神話と、ハップル望遠鏡の紹介だけ。
が、全体としては、もしあなたがUFOファンなら、一度は訪れてみる価値はある。
(日本には、ここ以外に、それらしい場所ないこともあるが……。
あの矢追純一氏が、名誉館長にもなっている。)

 で、今日の宿泊ホテルは、「渚ガーデンホテル」。
昨夜急に予約を入れた。
それもあって、食事の用意はできないとのこと。

 で、駅前のタクシー運転手に聞くと、「ぼうぼう」という店を勧めてくれた。
「ぼうぼう」というのは、「魚」のこと。
「このあたりでは、魚一般のことを、ぼうぼうと言います」と、店の女将が教えてくれた。

 その「ぼうぼう」で、夕食。
サシミの盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、それと「のど黒」という魚の焼き物。
鯛の頭の入った味噌汁、ごはん、生ビール……。
しめて4300円。
安い!
プラス、おいしかった。
「さすが本場!」と、ワイフも大満足。

 ありがとう、「ぼうぼう様」。

●矢追純一氏

 矢追純一氏のような有名人にもなると、「私もつきあったことがある」と、名乗り出る人は、多
い。
私もその1人かもしれない。
もちろん矢追氏のほうは、私のことなど忘れてしまっているだろう。
しかしこう書けば、思い出してもらえるかもしれない。

 浜松で、針麻酔をしていたG先生のところで何度か会った。
東京のホテル・ニューオオタニでも、何度か会った。
UFOを目撃したと電話で伝えたとき、写真を20〜30枚送ってくれた。
オーストラリア製の紙巻タバコを送ると、お返しにと、日本テレビのロゴの入ったガスライターを
送ってくれた、などなど。

 ほかに覚えているのは、ある事件に巻き込まれ、矢追氏がニューヨークへ逃げていったとき
のこと。
電話で、「ものすごい人を見つけた」と、ニューヨークから連絡をくれた。
その「ものすごい人」というのが、あのユリ・ゲラーだった。
当時はUFOディレクターというよりは、超能力ディレクターだった(「11PM」)。

 一度会いたいと思っているが、私のことなど、忘れてしまっているだろう。
当時は、私も矢追氏も、若かった!
あの長いトレンチコートが、どういうわけか強く印象に残っている。
あの矢追氏が、この世界で、これほどまでの人になるとは、私は夢にも思っていなかった。

●三日月型

 ところで「UFO」と言われる乗り物(?)のもつ多様性には驚く。
まさに、何でもござれ。
形も、さまざま。
人間の乗り物と言えば、自動車。
飛行機。
最大公約数的に、その「形」をまとめることができる。
が、UFOについていえば、それができない。

 館内でもらったパンフによれば、「UFOの基本的な形は、大きく分けると12種類に分けられ
るそうです」とある。
ワイフと私が目撃したのは、その中でも、「三日月型」ということになる。
つまりブーメラン型。
飛行パターンも紹介されているが、同じパンフによれば、18種類もあるとか。
要するに飛び方もメチャメチャということ。

 では、その正体は、何か?
やはり同じパンフによれば、

(1)軍事兵器説
(2)自然現象説(プラズマ説)
(3)エイリアン・クラフト説(宇宙人の乗り物説)
(4)未知の生物説の、4つがあるという。

 興味は尽きない。

●渚ガーデンホテル(羽咋市)

 千里浜(ちりはま)をドライブしたあと、ホテルに入った。
朝食のみで、9600円(2人分)。
どこかレトロ調の、静かで落ち着いたホテル。

 ワイフは、しばらく何やらしていたが、今は、ベッドの上で眠っている。
まだ外は薄明るい。
たそがれ時。

 あとで近くの温泉に行くことになっているが、多分、行かないだろう。
私は本を読んだり、パソコンを叩いたりしているほうが楽しい。
こうして自分の「時」を過ごす。

●事故

 話がバラバラになり、まとまらない。
テーマというか、焦点が定まらない。
ときどきメールをのぞいたり、ネットであちこちのサイトを読んだりしている。
が、どれもどれ。
それについて書きたいときには、ビリビリと電気ショックのようなものを感ずる。
が、今は、それがない。

穏やか。
平和。
満腹状態。

軽い睡魔を感ずるが、同時に軽い頭痛もある。
今日は、昼寝をしていない。
そのせい?
で、ここ千里浜(ちりはま)には、こんな思い出がある。

 下宿の先輩とドライブをしていて、事故に遭った。
車ごと横転した。
記憶の中では、3転ほどしたと思う。
空中で自分の体がクルクルと回っているのを覚えている。

 そのことを先ほどタクシーの運転手に話すと、こう説明してくれた。
「波が、ときどき段差を作ってね。その段差にタイヤが取られると、横転することもあるよ」と。
私が大学2年生のときのこと。
先輩は、3年生だった。
先輩は、それで背骨を折った。
私は不思議なことに、まったくの無傷だった。

●旅行

 今回の夏休みでは、1日おきに、3つの旅行をした。
3泊4日の旅行を、3つに分けたということになる。
それぞれの旅行には、それぞれの性格がある。

 福井県の越前大野へ行ったときには、「私は一人ぼっち」ということを、強く思い知らされた。
兵庫県の城之崎へ行ったときには、昔の自分に会えたような懐かしさを覚えた。
また今回、この羽咋へ来たときには、「来た」というよりは、「古巣へ戻ってきた」という感覚にと
らわれた。

タクシーに乗っているとき、たまたま「富来行き」というバスとすれちがった。
私が何気なく、「ここから富来(とぎ)へも行けるのですか?」と聞くと、タクシーの運転手は、驚
いてこう言った。
「富来(とぎ)という読み方を知っていたお客さんは、はじめてです」と。

 能登半島という半島は、私にとっては、そういう半島である。

●仕事

 明後日から、仕事が始まる。
「がんばろう」という気持ちと、「だいじょうぶかな」という気持ち。
この2つの気持ちが、複雑に交錯する。

体力的には何とかなる。
しかしこの大不況。
そのうちジワジワと、その影響も出てくるはず。
今年度(2012年の3月まで)は、何とかなるだろう。
しかしその先が読めない。

 で、ワイフは、ああいうのんきな性格だから、いつもこう言っている。
「つぶれたら、オーストラリアへでも行きましょうよ」と。

 どこか私の教室がつぶれるのを、楽しみにしている様子(?)。
こう言うときもある。
「今まで、一度もつまずくこともなく、ここまでやってきたのだから、感謝しなくちゃあ」と。
つまり「もうじゅうぶん仕事をしてきた。いつやめてもいい」と。
あるいは「あなたも定年退職したら?」と。

 が、今の私には、仕事が生きがいになっている。
その生きがいを、自ら捨てるわけにはいかない。
私としては、死ぬ直前まで、仕事をしていたい。
できればピンコロという死に方をしたい。
オーストラリアへも行きたいが、「行って何をする?」と考えたとたん、意欲が、スーッと萎えてい
く。

 ともかくも、こうして私の夏休みは、終わる。
が、まだあきらめたわけではない。
「明日の夜も、どこかの温泉へ行こうか」と声をかけると、ワイフは、「明日も〜?」と。
気の進まない返事が、返ってきた。

 ……こうして旅行ができるのも、今のうち。
よくて、ここ数年。
今は、あきるほど、あちこちを旅行しておきたい。

●8月23日

 朝、6時、起床。
昨夜はほかにすることもなく、午後10時に就寝。
8時間、眠ったことになる。
一度、トイレに起きたが、それだけ。

 ……ということで、今朝は、気分、爽快。
脳みその働きも、まあまあ。
こうしてパソコンのキーボードを叩く指も、軽やか。
よかった!
やっと調子が戻ってきた。

●小雨

 羽咋の朝は、小雨で始まった。
食事は8時から。
10時ごろの電車に乗り、金沢へ。
金沢からバスで名古屋へ。
ほぼノンストップ。
所要時間は、4時間。
新幹線と特急を乗り継ぐよりは、時間はかかる。
しかし料金は、半額。
急ぐ旅でなければ、高速バスのほうが、楽。

 「ホテルから羽咋駅までは、タクシーだな」と、今、ふと、そんなことを考えた。

●窓の外

 ホテルといっても、ビジネスホテル?
高級なビジネスホテルといった感じ。
(フロントで聞いたら、ゴルフクラブのクラブハウスだったとのこと。)
畑の中に、ポツンと建っている。
目の下には荒れた土地。
その向こうには、畑がつづいている。
一軒だけ家があるが、ごくふつうの民家。

 右の方角に千里浜があるはずだが、ここからは見えない。
昨日は遠くに低い山々が見えたが、今朝は、白い雲に覆われ、それも見えない。
窓をいっぱいに開けた。
夏というのに、涼しい風が、サーッと吹き込んできた。
午後からは、また猛暑に逆戻りするという。
書き忘れたが、昨日は、全国的に、10月下旬の季節だったという。
それを聞いて、「10月って、こうなんだ」と。

 そこで私とワイフの結論。

(1)シーズンオフを選ぶ
(2)客の少ない旅館(ホテル)を選ぶ
(3)ほどほどの距離のところにある名所を選ぶ

 秋になれば、旅行シーズン。
楽しみが待っている。

●羽咋から金沢へ

 ホテルから駅までは歩いた。
途中、郵便局で金沢の友人にハガキを出す。
涼しい小雨。
ワイフが傘をさした。
私も傘をさした。
ちょうど40分ほどで、JR羽咋駅に。

 9時26分発の金沢行き。
鈍行列車。
席はすいていた。

 パソコンを開くと、まずメールを読む。
つづいてニュース。
このところまず気になるのが、浜松。
「浜松はだいじょうぶか?」と。
地震が近い。
それが気になる。

●失われた20年

 こういう地方へ来てみると、「失われた20年」の意味が、よくわかる。
この40年を2つに分ける。
最初の20年、この日本は、怒涛のごとく変化した。
しかしつぎの20年、この日本は、そこで時間を止めたまま。

 この鈍行列車にしても、あちこちがサビだらけ。
窓ガラスは汚れたまま、白く曇っている。
が、何よりも動きを止めたのが、「人」。

 今も、通路をはさんだ反対側の席に、2人の女性が何やら大声で話しこんでいる。
片足は座席にあげたまま。
一方はスカートを、大きくめくりあげている。

1人は、50歳前。
もう1人は、60歳前後。
まさに「女」を忘れたオバちゃんたち。
品格も風格もない。
日本人というよりは、土着原住民。
能登の土着原住民。

 どうして女性は、ああなるのか?
ああいう人たちにも、若くて美しいときがあったはず。
しかし長い年月をかけて、ああなる。
どうして?

 ……日本がかつて懸命に追い求めた「繁栄」とは何だったのか。
あるいは物欲の追求にすぎなかったのか。
その結果、つまりそれが終わったとき、残ったのは、物欲だけ。
この20年で、その物欲だけが、皮をはがれて表に出てきた。
こういうオバちゃんたちの横姿を見ていると、そんな感じがする。

●石川県

 電車はのどかな田園地帯を走る。
ひとつちがうのは、墓が目立つこと。
一駅ごとに、墓地があり、線路沿いに墓が見え隠れする。
あとは雑然とした街並みと、雑草。
道路沿いも、線路沿いも、雑草だらけ。
ちょっとした空き地でも、夏草が生い茂り、荒れ放題になっている。
数年前、石川県庁に勤める友人が、こう言った。
「石川県は、貧しいがや」と。

 その貧しさが、ここ10年で、いっそうひどくなった?
そんな印象をもった。
(まちがっていたら、ごめん!) 

●総括

 ……ということで、昨日は、ここ石川県羽咋市までやってきた。
ことUFOについて言えば、新しい発見は、なかった。
古代史とUFOの関係、古代文明とUFOの関係、さらには、彼らはいつから、何の目的をもっ
て、この地球へやってきたのか……。
たとえばシュメール文明、仰韶(ヤンシャオ)文明との関係など。
そういうところまで、踏み込んで展示すると、奥行きも倍加するのでは?

 宇宙船(UFOではない)の展示物が8〜9割。
UFOに関していえば、2、3の展示物と、あとはパネル写真だけ。
このあたりが、私たちがもっている常識の割合と考えてよい。
UFOオンリーとなると、カルト化(=狂信化)する危険性がある。
やはりUFOについては、ほどほどのところで、ほどほどのロマンを楽しむのがよい。
深入りは禁物。

その点、矢追純一氏は、頭がよい。
団体や組織とは、一線を引いている。

 今回の旅行を総括すると、そういうことになる。

●もうすぐ豊橋

 名古屋からは、名鉄電車に乗り換えた。
特急、豊橋行き。
疲れを感じない、楽しい旅だった。
書いた原稿は、23ページ(40字x36行)。
まあまあの成果。

 パナソニック社製のレッツ・ノートがほしい!
TOSHIBAのMXでは、やや力不足。
バッテリーチェックを見ると、「21%で、1時間39分」と表示された。
つまりバッテリーの残量は、21%。
残り、1時間39分。
実際には、あと30分もすると、警告表示が現れる。

 ……私の脳みそについて言うなら、「20%、7年」かな?
あと7、8年もしたら、使い物にならなくなる?
そんな感じがする。

(はやし浩司 羽咋 宇宙科学博物館 コスモアイル 矢追純一 UFO 能登への旅 はやし
浩司 石川県 羽咋市 渚ガーデンホテル 羽咋市 割烹 ぼうぼう はやし浩司 ぼうぼう 
羽咋 魚料理 ぼうぼう)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●8月23日(水曜日)

+++++++++++++++++++++++++

明日(24日)の朝、山荘のガス検針があるという。
検針には立ち会わなければならない。
そこで午後8時過ぎ、山荘へ出かけようとしていた矢先、
T氏(40歳、友人)から電話。
「久しぶりだから、会いたい」と。

そこでそのままT氏を、山荘へ案内した。
T氏の車が、私たちの車のあとをついてきた。
ゆっくり走った。
途中でガソリンを給油した。
コンビニで、食べ物を調達した。
で、山荘へ着いたのが、9時半ごろ。

+++++++++++++++++++++++++

●8月24日朝

 ということで、昨夜は、午前1時ごろまで、T氏と話した。
好奇心の旺盛な人で、私が話すことに、熱心に耳を傾けてくれた。
そのときのこと。
今まで経験したことのない、「綿密な慎重さ」を私は感じた。
平たく言えば、「いいかげんなことは言えない」とい慎重さ。
気楽には、話せなかった。

 相手は40歳の男性である。
人生の折り返し点に立っている。
この先、T氏は、自分で自分の真・善・美を追求していく。
言うなれば、人生のドアウェイ(入り口)に立った。
そんな人に、一言たりとも、まちがったことを伝えたくない。
私が言っていることが、ひょっとしたらこれからのT氏の方向性を決める。
ずっとあとになって、「あの林(=私)の言ったことは、すべて本当だった」と思ってくれればよ
い。
またそう思ってくれるときが、やってくるはず。

 私は言葉を慎重に選びながら、科学的に証明されたことだけをていねいに、話した。
「綿密な慎重さ」というのは、それをいう。
つまりまず頭の中で、話すべきことを選び、その中から、「正しい」と断言できることだけを話し
た。
ずっとそれだけを考えながら、話した。

●人生の岐路

 ただし他人の意見の受け売りでは、意味がない。
「林が言っていたことは、すでに別の人が言っていた」では、許されない。
私は私が発見したこと。
私が自分で知り得たこと。
世界でも、私しか知らないことだけを話した。
「あの本に書いてあった」「テレビで言っていた」などという話をするのは、私のプライドが許さな
い。

 T氏がこの先、どのような人生を歩むかは、知らない。
しかし大きな岐路に立たされているのは、事実。
もし私の言ったことに触発され、真・善・美の追求を始めれば、それはそれでよし。
そうでなければ、そうでない。
日常の俗世間に埋もれ、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)になっていく。
40歳という年齢は、そういう年齢である。

私は私で、T氏が、真・善・美の追求を始めてくれることを、心底願った。
私はT氏を、小さな子どものときからよく知っている。

●言論の自由

 話題は多岐に渡った。
UFOの話から、東洋医学、心理学、宗教論など。
宗教論について話しているとき、T氏は、こう言った。
「よく殺されませんでしたね」と。
つまり「相手の宗教団体に、よく殺されないですみましたね」と。

 きわめて危険な状況に置かれたのは事実。
その団体から派遣された6人の男たちは、私の身辺を3か月に渡って、調査していった。
そのことを、日本共産党の宗門部から連絡を受けた。
「今、あなたの周辺で、X宗教団体の連中が動き回っていますから、注意してください」と。

 6人のうち、2人については、すぐわかった。
東京(1人は川口市、もう1人は大和市)からやってきていた。
私の味方と称して、いろいろな情報を提供してくれた。

 同じころ、別の知人から、写真の提供も受けた。
その中に、川口市から来ている男の顔もあった。

で、その電話のあと、ある夜、その中の1人を問い詰めた。
たまたまその男は、京都市内で、京都大学のある教授の周辺を調査していた。
その教授は、その宗教団体の「長」が、国際的な賞を受け取るのを、先頭に立って反対してい
た。
その教授は、その賞の国内推薦委員の1人だった。

 電話は1時間半もつづいた。
繰り返し押し問答がつづいた。
が、1時間半ほどたったところで、相手が根負けをした。
「実は、そうです」「あなたには負けました」と。
そしてこうも言った。

 「あなたの周辺を調べましたが、女性問題も、金線問題も出てきませんでした」と。
そのとき、3人の別働隊がいることを話してくれた。
そしてその夜を境に、私の調査から手を引くと約束してくれた。

 「日本に言論の自由があるというのは、ウソですよ」と。
私はそんな話をT氏にした。

●30代、40代

 夜1時ごろ、T氏は帰っていった。
生活は楽ではないらしい。
T氏は、こう言った。
「現在の30代、40代が、悲惨です」と。
「今、恵まれた生活を楽しんでいるのは、公務員と年金族だけですよ」とも。

 30代、40代は、給料はそのままで勤務時間が長くなっている。
あるいは給料が減額されている。
が、それでもクビがつながっているほうは、まだよいほう。
リストラ、解雇の嵐が、吹き荒れている。
「ぼくに、10人ほどの仲間がいます。
高校時代からの仲間です。
その中で、公務員になったのは別として、残り8人は今、全員、リストラされたりし、派遣社員を
しています」と。

 30代、40代の人については、私はほとんど知らなかった。
それほどまでにひどい状況になっているとは、夢にも思っていなかった。

●仕事開始

 たった今、ガス検針の男が帰っていった。
「問題はありません」「ありがとうございました」と。
額に汗をかいていた。
年齢は60歳くらいだった。
あの男性も、退職し、委託で仕事をしているのかもしれない。

 森の中では、ツクツクボウシが鳴いている。
この山の中では、午前10時というのに、肌寒さを覚える。
1日いたいが、そういうわけにはいかない。
午後から、仕事開始!
仕事があるというだけでも、感謝、感謝、感謝!

 今は、そういう時代。
ただこの1週間で、体重がまたまた1・5キロもふえてしまった。
今日から、またダイエット。
プラス、運動。

 ……今、ワイフが横で私の首をマッサージしてくれている。
昨夜、遅くまで話し込んだのが、よくなかった。
首の付け根が、重い。
幸い、頭痛はないが……。

私「この1週間、楽しかったね」
ワ「そうね」と。

 あわただしい夏休みだった。
3連続の旅行は、私の人生においても、はじめての経験。

ワ「今度、仰韶(ヤンシャオ)へ行こうか?」
私「うん、行こう」と。

 ヤンシャオには、宇宙人最大の謎が隠されている。
謎を解く鍵が隠されている。

私「よく調べてからね。どこにどういう博物館があるか……」
ワ「メソポタミアは……?」
私「イラクは無理だね。破壊されつくされている」と。

 メソポタミア文明について調べるなら、むしろ大英博物館のほうがよい。
しかしすでに無数の研究者たちが、調べつくしている。
私たちのような素人が、ノコノコと出かけていって、何か新しいことを発見できるような状況では
ない。
しかしヤンシャオはちがう。
ヤンシャオには、何かが隠されている。
うまくいけば、東洋医学(科学)の原点をさぐることができるかもしれない。

 そう、つぎの目標は、ヤンシャオ!

●新しいモニター

 家へ帰る途中、パソコンショップで、27インチの新しいモニターを購入した。
韓国のS社製。
2万1000円+消費税。

 横にMITUBISHI製やIO製もあった。
価格は、5000〜6000円も高かった。
それにデザイン面で、ぐんと見劣りがした。
本気度が感じられなかった。
いかにも事務機器といった、感じ。
が、これでは売れない。

 韓国製を購入しながら、こう思った。
「日本も、もうだめだな」と。
私が韓国製を買うようになったら、おしまい。

 8月24日(水曜日)朝記。



(7)
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【木曽・駒ヶ岳に登る】

【木曽・駒ケ岳へ】(9月14日、水曜日、2011)

+++++++++++++++++++++

浜松発8:10分の豊橋行きに乗り込んだ。
行き先は、木曽・駒ケ岳。
豊橋で、飯田線に乗り換える。

「準備万端!」とワイフ。
「紫外線防止クリームはもったか?」
「もった!」
「長袖のシャツはもったか?」
「もった!」と。

ついでに「コンドームは?」と聞くと、「もった!」と。

!!!

私「あのなア、冗談、冗談。必要ないよ」
ワ「気圧が低いところでは、役に立つかもよ」
私「そんな理屈、聞いたことがない」
ワ「それに、浣腸も!」
私「浣腸? 冗談だろ?」
ワ「本当よ。このところあなた便Pがちでしょ」
私「気をきかせすぎだよ、それは……」と。 

こうして木曽・駒ケ岳への旅は始まった。
豊橋からは、特急・伊那路1号。
飯田まで行き、そこからローカル線に乗り換え、駒ヶ根まで。
駒ヶ根から駒ケ岳までは、バスとロープウェイで。
今夜は、ホテル千畳敷で一泊。

天気は、この両日、晴れのち曇り。
ワイフは天気を心配していた。
「だいじょうぶだよ。雲の上に出るんだから」と。

++++++++++++++++++++++++

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/45/img10deda3czikazj.
jpeg" width="640" height="480" alt="木曽駒ヶ岳.jpg">

●旅行

 「旅行」というより、「旅」。
その場任せの、気まままなブラリ旅。

旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる。
どこか人間のスケールが小さい……。
そんな感じがする。

 が、旅に出るには、それなりの勇気が必要。
勇気だ。
たとえて言うなら、喧嘩の相手に、わざわざ会いに行くようなもの。
臆病な気持ちでは、旅はできない。
つまり人間というのは、基本的には怠け者。
新しいことを知るよりは、古い知識にしがみついたほうが楽。
新しい場所へ行くよりは、行きなれた場所へ行くのが楽。
小さく生きた方が、安全、無難。

●脳みその栄養剤

 旅に出るというのは、固まりかけた脳みそをブレンダー(ミキサー)にかけるようなも
の。
……というのは、大げさかもしれない。
しかし歳を取ると、旅に出るのがめんどうになる。
疲れるし、それにお金もかかる。
「休みは家でぼんやりと過ごしたい」と思う。

 が、それではいけない。
脳みそにカビが生える。
腐る。
だから、あえて飛び出す。
その「あえて」という部分で、勇気が必要。

 ……知人の中には、家の中に引きこもったまま、人との接触すら絶っている人がいる。
「引きこもり」というと、若い人の病気のように考えている人も多い。
しかし60代、70代になってから、引きこもる人も多い。
病名は、多くは「うつ病」ということになっている。

 引きこもるから、うつになるのか。
うつになるから、引きこもるのか。
そういう人たちこそ、外の空気を吸ったほうがよい。
言うなれば、旅は、脳みその栄養剤。
そういう意味で、冒頭で「旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる」と
書いた。

●公的教育支出費

 列車の中で、新聞を読む。
そのひとつ。

それによれば、日本の公的教育支出費は、またまた最下位になったとか(OECD)。
「日本は05年、07年も最下位になり、低迷がつづいている」と。
日本は、3・3%!
たったの3・3%!
OECD加盟国31か国中、最下位。
つまりその分だけ、親の負担が大きいということ。

 一方、日本の教育支出に占める私費負担の割合は、33・6%。
チリ(41.4%)、韓国(40・4%)につづいて、下から3番目。
とくに幼稚園の56・5%が、ダントツに高い。
しかもその分だけ、教育の質が高いかといえば、それはない。
生徒の数でみても、小学生の学級規模は、28・0人。
中学生で、33・0人(OECD平均は、21・4人)。
韓国に次いで、下から2番目。

つまりその分だけ、日本の教育の質は、「悪い」ということになる。

●奨学金制度

 が、この数字だけを見て、「日本もそれほど欧米とは変わらない」と思ってはいけない。
たとえばアメリカでもオーストラリアでも、奨学金制度が発達している。
大学へ進学する学生たちは、どこの大学へ入るかということよりも、どこから奨学金を手
に入れるかということに、血眼(ちまなこ)になっている。

 奨学金を提供する民間会社にしても、「どうせ税金で取られるなら……」と、奨学金をど
んどんと提供している。
もちろん会社側にも、メリットがある。
優秀な学生に、ツバをつけておくことができる。

 奨学金を得られない学生は、借金で……ということになるが、親のスネをかじって大学
へ通っている学生など、さがさなければならないほど、少ない。
現実には、ほとんどいない。

●親、貧乏盛り

 そんなわけで、昔は『子ども育ち盛り、親、貧乏盛り』と言った。
今は、『子ども大学生、親貧乏盛り』という。
が、問題はつづく。
老後の問題である。

 今、ほとんどの母親たちは、子どもが大学へ通うころになると、パートに出る。
それこそ爪に灯をともすようにして、子どもの学費(実際には遊興費)を捻出する。
が、子どもといえば、親の苦労など、どこ吹く風。

 50代で貯金ゼロの家庭は、30%もあるという。
家計は苦しい。
が、それでも親は、学費(実際には遊興費)を送りつづける。
「やがて子どもがめんどうをみてくれる……」という淡い期待を抱きつつ……。
しかしそれは幻想。

 最近の若い人たち、さらにその上の世代の人たちに、「親のめんどうをみる」という意識
はない。
ないことは、内閣府の調査結果を見ればわかる。
つまりこの段階で、親は、貯金を使い果たす。

●変わった家族観

 私たちが子どものころは、「家族」というと、そこには必ず祖父母がいた。
「先祖」という言葉も、色濃く残っていた。
が、今は、それがない。
「家族」というときには、自分たち夫婦と、その子どもたちだけをさす。
夫婦と子どもだけ。
悪しき欧米化と断言してよい。

 つまり欧米では、「家族崩壊」が常態化している。
日本および東洋の家族観と比較してみると、それがよくわかる。
欧米人のばあい、2世代家族というのがふつう。
3世代家族というのは、まず、ない。
つまり「家族」には、祖父母は含まれない。

 日本人の意識は、戦後、急速に欧米化した。
恋愛第一主義という、欧米流の価値観も、それに含まれる。
私が若いころは、結婚するにしても、まず親に相談し、親の許可を得てから……というの
が、ふつうだった。
が、今はちがう。
いきなり婚約者を連れてきて、「結婚します」と。

 最近の若い人たちは、恋愛をすると、何かすばらしいことをしでかしたかのように思う
らしい。
思うというより、錯覚。
(特別は特別だが、親も含めて他人には関係ない!
恋愛など、そこらのイヌやネコだって、しているぞ!)
「恋愛至上主義」というのは、それをいう。

●家族崩壊

それが今に見る結果ということになる。
が、欧米はまだよい。
それが常態化した状態で、社会のシステムが完備している。
老人は、若い人たちの助けがなくても、老後を送り、自分の終末ケアを受けることができ
る。

 が、この日本では、社会のシステムが追いつかないまま、意識だけが変わってしまった。
わかりやすく言えば、老人たちだけが、野に放り出されてしまった。

●人材

 グチぽいエッセーになってしまった。
しかし本来なら、日本は公的支出をふやすか、欧米並みの奨学金制度を拡充すべきである。
「奨学金に回してくれるなら、その分、税金を控除します」と。
そうするだけでも、会社は喜んで奨学金を提供するようになるだろう。
(もちろん、その分だけ税収が減るから、政府は猛反対するだろうが……。)

 しかしこの日本がなぜ日本かといえば、「人材」があるからである。
また人材以外に、財産はない。
土地は狭く、資源もない。
軍隊も貧弱。
ならば人材ということになるが……。
こんな状態で、どうして人材が育つというのか。
これからの日本は、どうやって世界と渡りあっていくというのか?

●豊橋

 伊那路1号は、定刻どおり発車。
10:08分。
飯田行き。
1号車は指定車両になっているが、客は私たちを含めて、4人だけ。
ラッキー!

 ワイフは豊橋駅で買った弁当を食べている。
私はパソコンを叩いている。
途中、「湯谷温泉駅」に停車するという。
湯谷温泉には、今年に入ってからだけで、もう10回近く通っている。

 泉山閣、湯の風HAZUなど。
ほかにもいくつかあるが、どこもカビ臭く、泊まるには、かなりの寛容力が必要。
それに料金は、ほかの温泉地と比べ、料金も割高。
が、気位だけは高い。
1300年の歴史があるとか。
それはわかるが、昔のままでは、客はつかめない。

ある旅館でのこと。
「一泊、朝食のみ」の予約をし、夕食を外から持ち込んだ。
それが女将を怒らせた。
叱られた。

 こういうことがあると、もうこりごり。
以後1か月以上になるが、以後、湯谷温泉には、足を踏み入れていない。

●駒ケ岳

 駒ケ岳には、一度、登っている。
息子の1人と旅をしたとき、登った。
登ったといっても、ロープウェイで終点まで行っただけ。
そのときの印象が今でも、強く残っている。

 で、そのとき、そこにホテルがあることを知った。
それが「ホテル千畳敷」。
「泊まろうか」ということになったが、満室だった。
そのときの恨みを、今日、晴らす。
あのとき感じた、不完全燃焼感を、今日、晴らす。

 何でも日本で最高峰にあるホテルとか。
もちろん料金も、最高?
冥土の土産には、もってこい。

●湯谷温泉

 淡い水色の空に、ポカリポカリと白い雲。
景色は薄く、かすんでいる。
緑の稲田が美しい。

 旅行のしかたにも、いろいろある。
しかしそれにも、学習が必要。
つまりレッスン料。
宣伝や広告につられていくと、たいてい失敗する。
温泉旅館にしても、何度か足を運ぶ。
現地を見て、はじめてどの旅館がよいかがわかる。
近くのみやげ物屋で評判を聞くのが、いちばんよい。

 もうすぐ列車は、その湯谷温泉駅で停まる。
私はもともと、山育ち。
山に囲まれた渓流が好き。
だから湯谷温泉……ということになる。
……ということで、湯谷温泉には、足しげく通った。

湯谷温泉を思い出しながら、そんなことを思い出した。

●長篠(ながしの)

 このあたりは、織田信長と徳川家康の連合軍、その連合軍と武田勝頼の激戦地であった
という。
あちこちに史跡が残っている。
息子たちが小さいころには、数度、通った。
史跡めぐり。
歴史の勉強という名目だった。
が、同時にこのあたりは、柿の産地。
よく柿を、箱一杯買って帰った。

 たった今、「本長篠(ほんながしの)」に着いた。
長篠の合戦は、このあたりでは、よく知られている。
騎馬戦を仕かける武田側。
それを迎え撃つ、織田側の鉄砲隊。

……というような構図ではなかったか。
実にいいかげんな記憶で、申し訳ない。
私はもともとこの種の歴史には、あまり興味がない。

●信長の時代

 現在のGDPに換算することはできない。
しかし戦国時代の日本は、恐ろしく貧しかった。
(明治のはじめですら、当時の日本のGDPは、インドネシアと同じだったという話を、
何かの本で読んだことがある。)

今に残る城だけを見て、「江戸時代も結構、豊かだった」と思うのは、まちがい。
数字で表すことは正しくないかもしれないが、一部の武士をのぞいて、たいはんの日本人
は、極貧の生活を強いられていた。

 つまり富と権力は、ほんの一握りの人間に集中していた。
それが戦国時代であり、江戸時代ということになる。
貨幣が一般社会に流通しはじめたのも、また大八車という「車」が発明されたのも、江戸
時代中期であった。
(このあたりのことは、私自身が詳しく調べた。)

 そういうことがわかればわかるほど、「何が織田信長だ!」となる。
今でも織田信長を信奉する人は多いが、エジプトのムバラクや、リビヤのカダフィと、ど
こがどうちがうというのか。
つまり城は、まさに暴政と暗黒政治の象徴。
あの城のために、どれほど多くの人たちが犠牲になったことか!
(列車が揺れ、船酔いに似た症状が出てきたので、しばらく景色を楽しむことにする。)

●飯田
  
 少し前、飯田を出た。
飯田からはローカル線。
5分おきに停車しているといった感じ。
水曜日の午後ということで、高校生たちがたくさん乗っている。
ホームにも、高校生の姿が目立つ。

 時刻は午後1時16分。
日差しは強く、外に出ると真夏の陽気。

 飯田の駅で、15分ほど待ち時間があったので、売店で「ニューズウィーク」誌を買っ
た。
見出しを読んだだけで、「さすが!」と感心する。
言葉の使い方が、うまい。
世界でも超一級のライターたちが書いている。

●「知的ブラックホール」(ニューズウィーク誌)

 見出ししか読んでいないが、「知的ブラックホール」という言葉が目に留まった。
私流に解釈すると、こうなる。

つまり知識人が、知識を過信するあまり、とんでもないことを信ずるようになることをい
う?
その結果として、これまたとんでもない袋小路、つまりブラックホールに入ってしまう。
が、それですめばまだよいほう。
そういう知識人が、一般庶民を、まちがった方向に誘導してしまう。

 以前にも書いたが、たとえば『行列のできる法律相談所』(テレビ番組)がある。
あの番組に流れる法哲学は、本来の法哲学ではない。
あの番組では、何でも、「まず法ありき」という姿勢で、法を説く。
しかし「法」というのは、何か問題が起きたとき、その問題を解決するための手段として
使われるもの。
それまでは、裏方として、うしろにひっこんでいる。
とくに民法では、そうである。
何か問題が起きたとしても、当人どうしが、それでよいなら、それでよい。
法の出る幕はない。
それをいきなり、「無断で写真を撮った! 肖像権侵害!」と騒ぐ。
小学生でも、そう言う。
「どこでそんなことを知ったの?」と聞くと、「行列の……」と答える。
 
 だから私はあるとき子どもたちに、こう言った。
「写真を撮ったことで、何か不都合なことが起きたら、肖像権侵害で訴えればいい。
でも、先生がみんなの写真を撮ることは、ごく日常的な行為で、法律違反ではないよ」と。

 これも知的ブラックホールということになる。
一部の知識人が、まちがった法哲学を説き、人々にまちがった法意識をもたせてしまう。
司法試験の合格だけをめざして勉強したような人ほど、このブラックホールに陥りやすい。

ニューズウィーク誌はどのように書いているか知らない。
あとでゆっくりと読んでみたい。

●駒ヶ根まで

 ワイフは前の座席で、ニューズウィーク誌を読んでいる。
私は先ほどまで船酔いに似ためまいを感じていた。
飯田線の特急列車は、不必要なまでに、クッションがよい。
そのためカーブを曲がるたびに、フワーッ、フワーッと揺れる。

 半面ローカル線は、(つまりこの列車は)、ガタンゴトンと、線路と車輪の鉄の衝撃がそ
のまま座席の下から伝わってくる。
パソコンを使うには、ローカル線のほうが、よい。
時間はかかるが、パソコンが手元にあれば、時間は気にならない。

 ……それにしても、よく停車する列車だ。

●キング牧師・暗殺前・最後の24時間(ニューズウィーク誌)

 ワイフは、今、「キング牧師・暗殺前・最後の24時間」という記事を読んでいる。
今度、映画化されたという。

 私はそれを読んで、「がま先生」こと、蠣崎要(かきざきかなめ)氏を思い出した。
浜松市で開業医をしていた、産婦人科医である。
タレントドクターとして、よく知られていた。

が、この30年間で、「がま先生」のことを書くのは、これがはじめて。
「がま先生」という名前を書くのもはじめて。
そのがま先生にも、最後の24時間があった。
詳しくは書けない。

私はがま先生の秘書を、7年間勤めた。
その間に、がま先生の本を、10冊近く書いた。

2人の息子氏と、1人のお嬢さんの家庭教師もした。
よくいっしょに外国へも行った。
あちこちの学会にも顔を出した。

 私が東洋医学の勉強をするようになったのも、がま先生の秘書をしていたからである。
そのがま先生は、その年の春の彼岸(3月)に焼死した。
直後の夕刊では、風呂場の煙突の加熱が原因によるとあった。
享年49歳。

息子氏の1人が2階の窓から逃げるとき、その煙突に足をかけた。
そのとき「煙突が異常に熱かった」と。
そこから煙突の加熱説が生まれた。
火事、つまり事故、と。

 が、私はそれを信じなかった。
がま先生の家の構造は、がま先生と同じくらい、私はよく知っていた。
で、その数日後から、私は消防署に足を運び、原因を調べ
た。
担当署員は、こう言った。
「私のほうからは、何も言えません。あなたの質問に対して、YES、NOだけで答えま
す」と。

が、それについて、ここで書くことはできない。
その「事件」で、がま先生夫妻、お嬢さんのHチャン、それに助産婦長をしていた、K先
生の4人がなくなっている。
K先生は、私の長男を取り上げてくれた人である。
3人の子どもは、私の教え子である。
とくにHチャンは、毎週私が自分の教室へ連れてきて、教えた。
みんなからは、「おあちゃん」と呼ばれ、かわいがられていた。

●謎の24時間

 その朝、がま先生は、オペ(手術)を1つこなしている。
それが終わると、市内のGホテルで催されたネクタイ展示会に顔を出している。
そのあと、一度帰宅。
どこで昼食をとったかは、不明。
(がま先生は、居間から診察室へ行く途中、食堂で簡単に昼食をすますということが多か
った。)

 で、午後から、またオペを2つこなし、今度は奥さんと同伴で、映画館へ。
市内のC劇場で映画を見ている。
その映画のあと、一度、自宅へ戻り、食事をすますと、そのまままたGホテルへ。
そこでだれかと会い、夜11時過ぎまで、過ごす。
が、ここからさらに謎が深まる。

そのあと秘書のI氏(運転手)を呼びつけ、I氏に運転させ、K町にあるRSというス
ナックに寄っている。
RSというのは、同僚医師のK氏の妻が経営するスナックである。
そこでしばらくの時間を過ごし、自宅に帰ったのが午前0時半ごろ。

●謎の焼死事件

 がま先生は、遅い風呂に入る。
それが午前1時ごろ。
その時刻、奥さんは、二階の寝室にいた(?)。
風呂釜の空焚き説も、そこから生まれた。
空焚き状態になり、火事になった、と。

 その朝早く、午前3時半ごろ(この時刻は記憶による)、火事が発生。
がま先生以下、4人がなくなるという、あの惨事につながった。

 が、私は、その火事がどのようにして起きたか、知っている。
消防署員の肉声の録音テープも、どこかにあるはず。
が、それについては、ここには書けない。
すでに記憶の中に、封印していある。
死ぬまで、だれにも話さないだろう。

 が、なぜ?
なぜあれほどまでに幸福そうに見えた家族に、あのような惨事が襲ったか?
なぜ、がま先生は、夜半まで、Gホテルで過ごしたか。
その相手は、だれだったのか。
なぜ、がま先生は、タクシーを使わず、深夜遅く、わざわざ秘書のI氏を呼びつけ、車を
運転させたか。
なぜ、がま先生は、途中、RSというスナックにわざわざ寄ったか。
スナックを出たとき、時刻は午前0時を回っていた。

私はその謎を解くヒントは、がま先生と奥さんが見た、あの映画の中にあると考えている。
当日、C劇場で上映されていた映画は、F監督製作の「xxxx」。
その映画があの悲劇の引き金を引いた。

 「がま先生・最後の24時間」。
まさに謎に包まれた24時間だった。

が、まさにあの映画どおりの筋書きで、がま先生は、この世を去った。
『キング牧師・暗殺前・最後の24時間』というタイトルを読んで、そんなことを思い出
した。

●貸し切り 

駒ヶ根からロープウェイ乗り場のある、ひらび平まではバス。
が、ここでも客は、私たち2人だけ。
さらに、ひらび平から千畳敷までのロープウェイでも、客は私たち2人だけ。
いろいろなところへ行ったが、こんなことははじめて。
けっしてシーズンオフということではない。
頂上へ着くと、どこかのテレビ局が、旅の番組を収録していた。
見たことのあるテレビタレントが、3〜4人、いた。

 私たちはそれが終わるまで、近くのベンチで座って待った。
待って、今度は、私たちの記念撮影をした。
そばにいた男性に、シャッターを切ってもらった。
快く、引き受けてくれた。

 あとでワイフがこう言った。
「あの人ね、お笑いタレントのXXよ」と。
私がシャッターを切ってくれと頼んだ人は、テレビの世界ではかなり有名なタレントだっ
たという。
私は、そういう世界を、ほとんど知らない。
そういう番組は見ない。
XXさん、ありがとう。

●眠い

 今、夕食を終えて、部屋に戻ったところ。
つい先ほどまで、今夜は徹夜で……と考えていたが、今は、眠い。
無性に眠い。
時刻は午後7時10分。
徹夜で旅行記を書きたかった。
が、体のほうが言うことを聞かない。

 夕食前、1時間ほど、千畳敷を歩いてみた。
大きな岩が敷き詰められた歩道を、ゆっくりと歩く。
ときどき写真を撮る。
眼前に迫る駒ケ岳が、ちょうど日没どきで、まるでドラキュラか何かが住む悪魔城のよう
に見えた。
荒々しい岩肌。
遠近感のない空間。
ワイフは、「こんな景色を見るのは、はじめて」と、何度も言った。

●日韓経済戦争

 ホテルでネットがつながったのには、驚いた。
さっそく、あちこちのニュースサイトをのぞく。
気になったのは、韓国の株価。
暴落に、暴落を重ねている。

 ウォン高にすれば、輸出に影響が出る。
ウォン安にすれば、食料品やガソリン代が値上がりする。
すでに限界に近いほどまで、とくに食料品の価格が上昇している。
国内経済はメチャメチャ。
が、韓国政府が選んだ道は、ウォン安。
国民生活を犠牲にしても、まず金を稼ぐ。
うまくいけば、一気に韓国は経済大国として、世界に躍り出ることができる。

 ……というわけには、いかなかった。
韓国政府の思惑通りには、いかなかった。
最大のターゲットにしていたEUの経済が、こけた。
その前に、アメリカがこけた。
当初、つまり今回の大恐慌が始まったとき、韓国のイ大統領は、こう言っていた。
「わが国に与える経済的影響は、軽微」(8月はじめ)と。

 が、本当にこけたのは、韓国の国内経済だった。
それもそのはず。
韓国の銀行は、その大半が、アメリカの銀行の支配下にある。
サムスンにしても、ヒュンダイにしても、中身はアメリカの会社と考えたほうがよい。

 ニューズウィーク誌は、表紙を「韓流バブル」という文字で飾っている。
エンタメの世界で、韓流バブルがはじけ始めているという。
日本で起こりつつある、反韓流の動きをさす。
が、同時に韓国では、経済バブルもはじけつつある。
株価の暴落が、ほかの国とくらべても、大きすぎる。
が、日本よ、日本人よ、これだけはしっかりと覚えておこう。

 韓国が頭をさげて助けを求めてくるまで、日本は、ぜったいに韓国を助けてはいけない。
いけないことは、竹島問題を見ただけでもわかるはず。
さらに言えば、前回、韓国がデフォルトしたとき、日本は100億ドルを貸した。
そのうちの50億ドルが、まだ未払いのままになっている。

●希望

 数日前、地元の新聞社から、連載の依頼があった。
うれしかった。
ときどき単発モノの依頼はあるが、連載モノは、重みがちがう。
その連載にあわせ、体力を調整し、脳みそを鍛える。

 人は希望によって、生きる。
希望が、道を照らす。
言い換えると、道のない人生を歩むことぐらい、つらいことはない。

 これには、老人も若者もない。
1人の人間として、これほどつらいことはない。

 恐らく私にとっては、人生、最後を飾る連載になるはず。
命がけで書いてみたい。

●23:13

 先ほど目を覚ましてしまった。
部屋のエアコン調整に失敗した。
まずワイフが起き上がり、「暑い」と。

 私は窓を開けた。
眼前に、駒ケ岳が見えた。
暗闇を背にし、こちらに向かってのしかかるように、うっすらとその姿を現していた。
白い石灰石(多分)が、雪のように白く光っている。
その雄大な景色に、しばし見とれる。
それを見て、ワイフが、「美しいわね」と言ったまま、口を閉じた。

 こういう旅行では、よくこういうことがある。
睡眠調整がむずかしい。
というより、枕やふとんが変わっただけで、眠れない。
目が覚める。
今回は、暑苦しくて、目が覚めた。

 部屋は8畳。
エアコンはあるが、空調設備はないようだ。
時刻は、今、午後11時13分。

●猛暑 

 寝る前に見たニュースによれば、昨日は全国的に猛暑だったとか。
ところによっては、35度を超えたとか。
熱中症で倒れた人も多い。

 しかし9月半ばで、35度?
おととしも、たしか9月の終わりまで、30度を超える日々がつづいた。
地球の火星化(温暖化ではなく、火星化)は、確実に進んでいる。
この駒ケ岳でも、以前の今ごろは、気温も0度近くになり、氷も張ったという。
が、昨日も、そして今日も、朝夕の気温は11度前後。

 「地球が火星化したら、高い山地に引っ越そう」と考えていたが、その夢も、もろく崩
れた。
むしろ、寒冷地のほうが、地球火星化の影響を大きく受ける。

●頭痛

 ワイフが起き上がった。
「頭が痛い」と言った。
「枕を高くして」と言った。

 湿布薬を、首と額に塗ってやった。
ついでに精神安定剤を1錠。
睡眠薬がわりに、私たちはのんでいる。

「どういうふうに痛い?」と聞くと、「二日酔いみたい」と。

 ワイフも酒に弱くなった。
食前に生ビールを一杯飲んだ。
私も一口のんだが、それで顔が真っ赤になってしまった。

 一見、健康で私より元気に振舞っているが、ワイフも確実に老いつつある。
寝顔はすっかり、バーさん顔。
そんなワイフがいとおしい。
「いつまでこんなことができるのだろう」と考えていたら、目頭がスーッと熱くなってき
た。

 やはり今日の旅行は、ワイフには、無理だったかもしれない。
片道、6時間半。
次回は、もっと近いところにしよう。

●長篠の戦い

 この原稿のはじめに、「長篠の戦い」について、書いた。
当時の私は教育パパで、あちこちの史跡へ息子たちをよく連れていった。
40坪の畑も作り、自然への親しみを教えようと、植物や作物の作り方も教えた。
もちろん美術館へも連れていった。
文学も、読んで聞かせた。
テープに吹き込んで、毎晩聞かせた。

 が、今にして思うと、それが何だったのか、よくわからない。
過去どころか、年長者に対する畏敬の念など、ゼロ。
歴史の「れ」の字も理解していない。
国際経済の話をしても、「何、それ?」となる。
美術への造詣もなければ、政治の話もしない。
することと言えば、ギターを片手に、ミュージシャンのまねごとばかり。

 ああ、またグチになってしまった。
ワイフは寝息をたてて眠り始めた。
よかった。

「晃子へ、お前のめんどうは、最期の最期まで、ぼくがみるよ」と。

●欧州・9月危機

 ニューズウィーク誌を読みたいが、この暗闇では、どうしようもない。
明かりは、となりの玄関から漏れてくる光だけ。
それに紙質がちがうのか、ページをめくるたびに、ガサガサと大きな音をたてる。

 かろうじて見出しが読める程度。
が、かえってこのほうが、想像力をかきたてておもしろい。
その記事のひとつに、「欧州・9月危機」というのがある。

 が、だれが考えても、ギリシアのデフォルト(国家破綻)は、すでに既成の事実。
救いようがない。
へたに助ければ、かえってモラル・ハザードが起きてしまう。

それにギリシアだけではない。
スペインやイタリアが、そのうしろで構えている。
ドイツ一国だけで、欧州危機が回避できるとは、だれも考えていない。
今、EUは、EUそのものの崩壊の瀬戸際に立たされている。

●公務員的発想

 そのギリシア。
国民のほとんどが公務員と言ってよいほど、公務員の数が多い。
正確な数字は公表されていないが、60%近くがそうであるという。
何も公務員が悪いというわけではない。
また1人ひとりの公務員に責任があるというわけでもない。

 しかし公務員と呼ばれる人たちは、与えられた範囲での仕事はする。
権限にしがみつく。
そのくせ、少しでも管轄が侵害されると、猛烈にそれに反発する。
失敗しても責任を取らない。
常に責任逃れの口実を考えている。
加えて管轄以外の仕事はしない。
「余計なことをすれば、責任を取らされる」と。

 だから臨機応変に、ものごとに対処できない。
あの3・11大震災のときも、こんなことがあった。
ある小学校でのこと。

●震災悲劇

 地震のあと、児童たちをどこへ避難させるかで、教師たちの判断が二転三転した。
「三角地」と呼ばれる、低地にある平地か、それとも校舎の裏にある山地か、と。
そして子どもを迎えにきた父母には、いちいち名前まで書かせていた。

 結局、三角地と呼ばれる平地に避難することになり、そのとたん、津波に巻き込まれた。
74人の児童のうち、70人が死亡したという。

そのとき、こんな意見も出たという。
「山地に逃げれば、余震で木が倒れ、かえって危険」と。
一瞬の判断ミスが、多くの子どもたちの命を奪ったことになる。
が、地震から津波まで、1時間近い時間があった。
1時間の間、運動場で点呼を取りながら、親たちが迎えに来るのを待った。

 ほかにもいろいろ事情があったのかもしれない。
しかし地震があれば、津波。
津波の心配があるなら、高地へ。
学校の裏に山があるなら、まずそこへ逃げる。
裏山へ逃げれば、全員が助かっていたはず。
運動場で点呼など取っているほうが、おかしい。

 こんなことを書くと、亡くなった子どもをもつ親たちは、いたたまれない気持ちになる
だろう。
その場にいた教師のほとんども亡くなっている。
教師に責任を求めても、死んだ子どもは帰ってこない。
しかし避難マニュアルがどうのこうのと言っているうちに、津波が来てしまった。

 その反対の例もある。
福島第一原発のY所長は、「上」からの命令を無視し、原子炉に海水を注入しつづけた。
結果的に、このY所長の判断が、大惨事から、日本を救った。
が、世間の目は冷たかった。
Y所長のした行為は、独断による越権行為だった、と。
BLOG上でも、その行為について、賛否両論が今でもつづいている。

 が、どうして?
もしあのときY所長が、マニュアル通りの操作をしていたら、管直人前首相が行っている
ように、「東京にだって、人、1人住めなくなっていただろう」。

●ギリシア問題

 今のギリシアも、それに似ている。
国家破綻を前にし、公務員たちはストにストを重ねている。
一時はカンフル剤を注射してもらい、財政健全化に向かうかと思われたが、結局は何も変
わらなかった。
「救いようがない」というのは、そういう意味。 

●介護制度

 介護制度にも、大きな問題がある。
現在の介護制度の中で、恩恵を受けられる人は、必要以上に恩恵を受けられる。
その一方で、恩恵を受けられない人は、常にカヤの外。
特別養護老人ホームへ入るにも、2年待ち、100番待ち……というのが常態化している
(浜松市)。

 一方、巧みに、介護制度を利用している人も多い。
X氏(80歳)もその1人。

 妻も80歳。
日常的に歩くことには、それほど支障はない。
が、どうやってその介護度を取ったかは知らないが、介護度4(5段階中)。
ふつう介護度4というと、寝たきりの状態をいう。

 が、妻は、同時に有料の老人ホームに入居している。
週に2回、自宅に帰ってきている。
その日に、訪問介護があるからである。
恐らく自宅では、寝たきりの様子をして見せているのだろう。
介護士は、掃除、洗濯、料理などをして帰る。

 興味深いのは、訪問介護士が来る日は、夫のほうも家の中に引きこもっているというこ
と。
ふだんは、畑や庭で、いそがしそうに歩き回っている。
さらに驚くことに、妻の送り迎え(有料老人ホームと自宅の間)は、ボランティアの人た
ちがしているということ。
たまにタクシーを使うこともあるが、このタクシー代も、市が負担している。

 そういう老人がいるのを知るにつけ、「うまくやっているなあ」と感心する前に、怒りの
ようなものを、覚えてしまう。
私の母のときは、そういうサービスは、一度も受けられなかった。
2年間で、一度も受けられなかった。

(そろそろ眠くなってきたので、ここで眠る。)

●天竜峡
 
 今日は、駒ケ岳に登った。
ワイフの尻を押しながらの登山となった。
朝、7時30分ごろ、ホテル千畳敷を出発。
戻ってきたのが、10時半ごろだった。
駒ケ岳の頂上までは登れなかったが、中岳の手前にある山小屋まで行くことができた。

 天気に恵まれた。
風も、そよ吹く程度。
快晴。
気温は、20度。
簡単言えば、夢のような世界。
もう少し詩的な表現を……と考えるが、それ以上の言葉が思いつかない。
やはり「夢のような……」が、いちばん合っている。
現実の世界とは、とても思えなかった。

 よかった。
満足。
今は、帰りの列車の中。
飯田で特急に乗り換えるつもりだったが、天竜峡まで。
そこで2時間ほど、過ごすつもり。
どこかの温泉宿で一服し、そこで特急をつかまえる。
それにまだ昼食をとっていない。
何かおいしいものがあれば、よいのだが……。

 こうして私の駒ケ岳への旅は終わる。
来月はあちこちで講演がある。
それを利用して、あちこちの温泉地を巡る。
楽しみ!

 そうそう明日から、『サンクタム』、さらに明後日から、『ロスアンジェルス決戦』が始ま
る。
忙しくなりそう!

●おまけ

 天竜峡では、「龍峡亭」という旅館で、風呂に入らせてもらった。
事情を説明すると、女将が出てきて、「今日は15日です。ご縁の日です。600円でいい
です」と。

 天竜川の川沿いにある、「絶景の宿」(宿の案内書)。
「まだ泊り客は来ていないので……」という理由で、私とワイフの2人だけで入らせても
らった。
プラス、リンゴジュースのサービスつき。

 そのあと駅前まで歩き、私たちはそばを食べた。
4時14分の特急を待った。

 2011年9月15日。
おしまい。

(付記)

駒ヶ岳登山の写真集は……
http://bwmusic.ninja-web.net/
で、ご覧いただけます。


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