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【タイタニック・シンドローム】(恋愛至上主義)

【タイタニック・シンドローム】byはやし浩司(恋愛至上主義)

++++++++++++++++++++

映画『タイタニック』を観て、涙をこぼした
人は多いはず。
中には、10回以上も足を運んだ人(女性)も
いるとか。
当時、ワイフが、そんな話をしてくれた。

恋愛さえすれば、それがすべて。
すべてが許される。
親も兄弟もない。
友人もいない。
恋愛がすべて……。
それを恋愛至上主義という。
称して『タイタニック・シンドローム』。

++++++++++++++++++++

●映画『タイタニック』

 恋愛にもいろいろある。
まさに一目惚れで恋愛……というのもあれば、数年をかけ、ある日気がついてみたら、愛しあ
っていた……というのもある。

 映画『タイタニック』の中のジャックとローズは、まさに一目惚れ。
その瞬間から、たがいに(命がけ)の恋愛を始める。

 それが恋愛のすばらしいところと考える人もいる。
しかし同時に、それが恋愛の恐ろしいところと考える人もいる。

●脳内ホルモン

 恋愛も、脳内ホルモンの作用によって起こる。
フェニルエチルアミンというホルモンである。
一目惚れというのは、そのホルモンが、ドバーッと脳内に充満した状態をいう。
(これについては、何度も書いてきた。後述※)

 で、ふつうひとつの脳内ホルモンが分泌されると、その逆作用のあるホルモンも同時に分泌
される。
たがいに中和する。
つまりこうして脳は、いつも自分の脳内を、クリア(何もない状態)に保とうとする。
これを『フィードバック』という。
しかしこのフェニルエチルアミンというホルモンには、それが働かない。
脳内に残ったまま、長い人で、3〜4年。
短い人で……?
脳内に滞留する。

 一目惚れの程度にもよる。
繰り返しの頻度にもよる。

 『「生物学的に見れば、人間の男女の愛は4年で終わるのが自然である」。
人類学者ヘレン・E・フィッシャーが唱えた説だが、世界62の国と地域で調査した結果、結婚後
4年で離婚する夫婦が多い』(「独女通信」)とか。
それも先に書いたフィードバックによって、説明できる。

●問答無用

 さて本論。

 「恋愛こそすべて」というものの考え方を、恋愛至上主義という。
最近の若い人は、日本人も、昔からそう考えていたと思うかもしれないが、たった半世紀前に
は、そうではなかった。

 恋愛から結婚へ進む段階においても、息子や娘は、まず親に相談。
ばあいによっては、親の許可を求めた。
家制度という、古い因習も色濃く残っていた。
(それを肯定するわけではないが……。)
恋愛イコール、結婚ではなかった。
たいはんの恋愛は、そのまま実らず、無数のブルースとなって夜の街に消えた。

 つまり恋愛するのは、当人たちの勝手としても、結婚ということになれば、そこには一定のプ
ロセスがあった。
が、今は、そのプロセスも消えた。

 ある日突然、息子や娘が相手を連れてきて、「結婚します!」と。
問答無用というか、問答無用であることが、当然と考えるようになった。

●薄汚い魂胆

 私はあの『タイタニック』という映画を観ていたとき、こう考えた。
ジャックとローズが、男と女だから、まだストーリーが成り立つ。
しかし男と男、あるいは女と女だったら、どうなのか、と。

 さらに言えば、ジャックにも親がいるだろう。
ローズにも母親がいた。
映画の流れからして、ローズの母親は、ずいぶんとひどい女性に描かれていた。
「金持ちの息子と結婚させ……」と。
またそういう設定にでもしないと、ストーリーが成り立たない。

 しかしその逆のケースも私は知っている。
娘の結婚を、親がかりで推し進めたケースである。
相手の男に向かっては、「うちの娘と門限を過ぎてもつきあいたかったら、まず籍を入れろ」と
迫る。
そして入籍をすませたとたん、親類縁者には、「良縁だ」「家族がふえた」と喜んでみせる。
なし崩し的に、結婚を既成事実化する。

 結婚には、常に薄汚い魂胆がつきまとう。

●名場面

 もしローズの母親が、すばらしい女性だったら、どうするのか。
娘思いで、やさしく、理解もある。
そういう女性だったら、どうするのか。

 日本風に言えば、ジャックもローズも、「親捨て」。
親を捨てた!
そこに親がいることも忘れ、欲望に溺れるまま、恋愛ごっこをする。
だいたい、2日や3日、つきあったくらいで、本物の「愛」など生まれるはずがない。
それを悲劇の主人公よろしく、凍てつく氷の海で、こう言う。

ジャック「生きて、たくさん子どもを産んでくれ……」
ローズ「ジャック……ジャック……」(記憶)と。

 『タイタニック』の中でも、最高の名場面だが、同時にそれは脳内ホルモンの恐ろしさを示す。

●民法上の欠陥?

 民法上にも、問題がある。
最近、こんな話を聞いた。

 私の町内に、A氏(55歳男性)がいる。
長い間、ある製作会社に勤め、そのときはリストラで、子会社で警備の仕事をしていた。
妻は、パートの仕事に出ていた。

 が、息子氏は、大学を卒業すると同時に結婚。
1度、退学、再入学をしているから、あしかけ6年間、大学に通ったことになる。
言い忘れたが、1人息子。

 その息子が大学へ通う間、A氏と妻は、必死で働いた。
妻がパートに出るようになったのも、息子の学費のためだった。
が、ここからが悲劇。

 ある日、息子氏が東京から帰ってきた。
「披露宴をしたいから、お金を貸してほしい」と。
そこでA氏が、「少しくらいなら、何とか……」と答えると、息子氏がキレた。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ」と。

 それまでも「生活費が足りない」とこぼすたびに、A氏は、貯金をおろし、息子氏に送ってい
た。
息子氏は、「給料があがった、返す」と、そのつど約束した。

 が、その息子氏が、あろうことか、交通事故で、そのまま死んでしまった。
結婚して、わずか半年後のできごとだった。

 A氏はこう言った。
「お金がほしいわけではありませんが、しかし親のところへは一円も補償がありません」と。

●人生の花

 話がそれたが、恋愛は人生の花。
人間がなぜ生きているかといえば、種族保存のため。
その目的はすべての動物に共通している。
恋愛のすばらしさは、私も経験している。
否定しない。

 が、同時にそれは「人間が本能的にもつ欲望」と深く結びついている。
しかもその「欲望」は、私であって、私ではない。
わかりやすく言えば、私たちはいつも欲望の奴隷となり、欲望に操られているだけ。
それを忘れるから、理性のコントロールがきかなくなる。

 つまり一目惚れから、一足飛びに結婚……という人は、それだけ理性のコントロールが弱い
人と考えてよい。
弱いから、同時に、離婚率も高くなる。
(離婚することが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)

 厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数
が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている。
72万人に対して、25万人。

離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!
 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深
い(同、統計)。

 平たく言えば、恋愛至上主義のつぎにやってくるのが、「35%」という数字ということになる。

(注:結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。)

●社会制度

 欧米では、「家族」そのものが、崩壊している。
(「家庭崩壊」ではない。「家族崩壊」。)

 家族崩壊が、社会制度の中で常態化している。
だから社会制度も、それに応じて、うまく対応し、機能している。
が、この日本ではそうでない。

 社会制度が追いつかないまま、意識だけが欧米化してしまった。
その結果、老人組だけが、取り残されてしまった。
今に見る介護制度の欠陥、年金制度の不備を例にあげるまでもない。

 地方の過疎化には、目を覆うものがある。
無縁仏の増加と、寺の無住職化。
今後約60%の人が、無縁死、孤独死を強いられる。
発見までの平均日数は、約6日。
中には、死後30日を経て発見される人もいる。
これは老人組の話ではない。
40歳以上の人たちが、そうなる。

●『タイタニック・シンドローム』

 今、この日本では、恋愛至上主義が、大手を振って闊歩している。
あたかもそれが絶対的「善」であるかのように、考えられている。
もちろん映画『タイタニック』が、日本人の心を変えたわけではない。
そのずっと昔には、映画『ロメオとジュリエット』があった。
この映画も悲劇で終わったが、親の気持ちや立場が、どこにも描かれていなかった。

 『タイタニック』に至っては、さらにそうで、ローズの母親などは、むしろ悪人として描かれてい
た。
が、どうしてローズが善人で、ローズの母親が悪人なのか。
もしあなたがそう思っているとするなら、あなた自身も、恋愛至上主義者ということになる。

 簡単に言えば、恋愛など、そこらの犬や猫でもしている。
メカニズム的には、人間の脳内における反応と、それほどちがわない。
(あるいは同じ。)
そういうものに溺れて、「恋だ」「愛だ」と騒ぐほうが、おかしい。

 人を愛するには、熟成期間が必要。
幾多の山を越え、谷を越え、やがてたどりつく。
それが「愛」であり、「恋愛」ということになる。

 恋愛至上主義に、私はここで警鐘を鳴らしたい。

【参考※】

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。
すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。
恋をすると、人は、そうなる。
 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。
恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。
(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)
しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。
この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。
脳内に残ったままの状態になる。
こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。
が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。
あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。
適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。
(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。
もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。
一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。
それが結婚生活へとつながっていく。
 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。
たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。
繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。
あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。
はじめての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の恋
のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。
しか
も、はげしければはげしいほど、よい。
二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。
あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
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●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。
が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。
「性的エネルギー」。
「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかりやす
い原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

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最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。
そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

+++++++++++++++++++++++

●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。

「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。

そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。
恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。
おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。
私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。

一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。
あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。
そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。

(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)
つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。
実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。

そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。

(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)

そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。
では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。
が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。

ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。

(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)


(2)
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●子どもの心は、
  いつどのようにして形成されるか?

●「子どもは人の父」(ワーズワース)
  子どもの心はいかに形成されていくか

"The Child is Father of the Man"
How the minds of children are formed.

(抄訳)

子どもを知ることによって、私たち自身を知ることができる。あのワーズワースは、『子どもは人の父』といった。私たち自身にも子ども時代があり、その時代に私という人間が作られていった。子どもの心の形成過程を、乳幼児期から思春期まで、段階的に追いかけてみた。自分発見の手がかりになればうれしい。

By knowing children, we can know ourselves better.
William Wordsworth once wrote, "The Child is Father of the Man".
Once we were all children and our minds were formed during this age of childhood.
In this article I have written about the process of how the minds of children are formed in stages from the age of infancy to adolescence.
I hope this article will be of some help to you in getting to know yourselves better.


【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳〜2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていくのではない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における信頼関係をいう。

 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどくなると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えているか、わからない子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。良好な人間関係を結べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。

 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界になじめない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を使って説明した。

 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。これをA犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということになる。

 もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しばらくは、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。

 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。そのため番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけても、叱られるのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。

 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよく守った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。

 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後まで深い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。仮面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい子ぶったりする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。

 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切にする。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、生涯に渡ってその子どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、そのとき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。

 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏感期」と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとっても、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答500人・2000年)。

 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあるが、「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。

 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているという。(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であったという。

 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間のような高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみていてこそ、今度はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あるいは親から受けた子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。

 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見せるだけでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。

 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば昔から『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。

 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達している。(25万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、子どもの心にはほとんど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか誤解のないように!

 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかたないとしても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見て、そのとき親が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。

 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごとを、(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人も嫌い」と。

 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニミズム」と名づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、この時期の子どもの心理を説明する。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられたと考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう心理は、乳幼児の人工論によって、説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎えることがある。

●原始反射

 なお乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ちゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしまうことが知られている。その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツのモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にくわえようとする現象をいう。自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そうとする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象をいう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると言われている。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。もうひとつは、いわゆるネオテニー進化論の問題である。要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こうした現象となって、現れるのではないかということ。本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形にもなるという。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れるとも考えられる。

【幼児期前期・自律期】(2〜4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュマロテスト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつぎのような実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくるからね、おじさんが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つあげる。でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわり今すぐ食べてもいいけどね」と。

 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子どもと、そうでない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。

 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに優秀で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切に対処できる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験をつぎのように結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、あらゆる努力の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得ながら目標に向って長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされている。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループの間で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグループに200点以上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。

 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよいことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがったことを言うと、「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生はこう言った」と言って、親をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正義感へとつながっていく。

 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまくいく。花瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そうでなければそうでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなくなる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その緊張感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもたせるようにする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもってこい」は、ない。

 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、子どもへの愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすればするほど、親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなことを繰り返せば、子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくなる。

 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやるより、いっしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【幼児期後期・自立期】(4〜5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。

 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。

 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。

 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐くようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜んでその言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。

 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、損した)は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満たす方法を覚えると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校生になると1万円、さらに大学生になると10万円になる。

 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようにになる。買い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲しいからそれを買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。

 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっくりと説明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られじょうず」になるだけ。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れようとする。もちろん説教としての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえってその自立心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過干渉が、こわい。

 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしまう。

 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にやりこめられてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが粗放児ということになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、簡単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさい」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種があり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。

 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子だから、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだめ」など。

 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児になる。いつも満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、それに抗議することもできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言う。『温室育ち、外ですぐ風邪をひく』と。

 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、親は子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用する。

 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親は、私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしいです。一日中、看病できると思うと、うれしいです」と。

 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、飼い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効果があがらない。心についても、そうである。

 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先に書いた、あと片づけのしつけも、そのひとつ。

 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核(コア)」になる。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳〜)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になってしまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、栃木工場に向かった。

 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。また被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮された。

 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がないわけではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。アメリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超えた。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダでは、学校の設立さえ、自由である。

 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、こう書いた。「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳〜)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。この時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。

 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実自己)。この両者が一致した状態を、「同一性」という。

 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、自我の同一性を確立していく。

 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」になる。心理的にも、たいへん不安定となる。誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれにされるより、そのほうがよいと考えてしまう。

 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正されたりということは、ほとんどない。

●同一性の3本柱
 私が「私」であるためには、3つの柱が必要である。

(1)(したいこと)を、現実に(している)という実感、つまりは自我の同一性。
(2)「いつも、私は、私でいられる」という連続性、つまり一貫性。
(3)他者との関係で、いつも良好な人間関係をもつことができるという社会性。

 「したいことをする」という姿勢の中から、夢や希望、それに目標が生まれる。自分の描いた自己概念と、現実の自分が一致している。それが「私」でいるための第一条件
ということになる。

 つぎに、どんなばあいも、私は、自分でいられる。動じない。それが「私」ということになる。

 また「私」は、いつも、社会というカガミの中で、映し出される。そもそも社会性をもたない「私」は、私ではないということになる。

 が、この自我の同一性は、成長過程において、さまざまな危険に立たされる。順にそれらを考えてみる。

●同一性の危機(1)

 万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめを、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの自我の同一性は、危機に立たされる。

●夢・希望・目的(2)

 夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感があるとき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。

 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

●子どもの忍耐力(3)

 同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。あるいは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。

●同一性の崩壊(4)

 同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をしたいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それは「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべきもの。当然、子どもは、目的を見失う。

●顔のない自分(5)

 同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大きく分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースでは、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。

●校内暴力(6)
 暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子どもの心理的のメカニズムは、こうして説明される。

●子どもの自殺(7)

 おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあいは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットすることで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(しょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。

●自虐的攻撃性(8)

 攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでいるのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかりやすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。

●自我の同一性(9)

 (子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分がしていること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちついていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。

●心の抵抗力(10)

 「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子どもは、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘いがあると、スーッとその世界に入ってしまう。

●夢や希望を育てる(11)

 たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみましょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。

●子どもを伸ばす三種の神器(12)

 子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

●役割混乱(13)

 子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。

●思考プロセス(回路)(14)

 しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんばっていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロセスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんばり始める。

●進学校と受験勉強(15)

 たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのものが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考えやすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。

●これからはプロの時代(16)

 これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでたプロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだけは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸ばす。

●大学生の問題(17)

 現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んでいる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、誘惑にも弱くなる。

●自我の同一性と役割形成(18)

 子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在していること)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまらない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子どもが、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3方向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、いまだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎない。かつてイギリスの詩人、ワーズワース(1770〜1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、もう一度、心にしっかりと刻みたい。

注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902−1994)は、発達心理学者、精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したことで知られる。ここではエリクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信頼関係の構築)(2)幼児期前期(自律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一性の確立)
注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、合計2400点満点で評価される。
注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラート・ローレンツの研究で世界に知られるようになった。
注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)




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松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
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