【古代文明の謎】
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【新事実、10回目】
ギザのピラミッドは、
テオティワカンの方角を
きわめて正確に示していた
Great Pyramids in Giza show the very precise direction to Teotihuacan.
Here is its evidence and I hereby prove it.
Hiroshi Hayashi
Hamamatsu-city
Japan
Aug 25th 2012
●謎のギザのピラミッド
新事実です。
ギザのピラミッドは、正確に、テオティワカン(メキシコ)の方角を示していました。
ここに証拠をあげ、それを証明します。
ギザのピラミッドも、メキシコのテオティワカンも、同一(指導者)によって建設されたものです。
その謎に迫ります。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●V3までのダイジェスト版(ガイド版)です。
まず、このビデオをご覧ください。
内容をより深く理解していただけます。
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司
(エジプトのピラミッド、以下、「ギザ」とのみ記録)
(ナスカ平原の地上絵)
(イースター島)
(イースター島2)
(イースター島→ナスカの地上絵→ギザのピラミッドは、一直線上に並んでいる)
(写真2)
(写真3)
(写真4、以上グーグル・アースより)
(さらに、メルカトール地図の上では、つぎの4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわか
る。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))
●午前5時
今朝は、午前5時起き。
トイレに起きたら、ちょうどヒグラシが鳴き始めた。
あたりは、まだ薄暗い。
トイレから出たあと、カバンから、3種類のカメラを取り出した。
SONYのビデオカメラ。
PANAの一眼レフカメラ。
それにインターバル撮影ができる、レコロ。
ワイフのじゃまにならないよう、抜き足、差し足で、外に出る。
まずビデオカメラで、風景+ヒグラシの声を撮影。
そのまま15分ほど、ベンチに座って、時を過ごす。
……山の生活を知らない人には、信じられないような話かもしれないが、事実は事実。
この山荘では、真夏でも、クーラーは、無用。
昨日(28日)は、浜松市内でも、35度Cを超えた。
日中は、それなりに暑いが、日が山の端に沈んだとたん、乾いた冷気が谷底からサーッと吹い
てくる。
その風を扇風機で、体に当てる。
で、今もそうだ。
数メートル離れたところに扇風機が置いてある。
「弱」になっているが、それでも寒いほど。
その冷気を感じていると、再び睡魔が襲ってくる。
……眠い。
ぼんやりと、あれこれ考える。
というか、思考の焦点が定まらない。
……たった今は、こう思った。
家(市内)に戻ったら、動画を編集し、このページにその動画を挿入しよう、と。
どうか、お楽しみに!
●『ピラミッド』(5000年の嘘)
昨夜、『ピラミッド(5000年の嘘)』というDVDを借りてきた。
数学的事実に基づいた、ドキュメンタリー映画。
「数学的」というのは、あのピラミッドは、まさに数学のかたまり。
それを数学的に証明している。
おもしろいというより、驚く。
驚きの連続。
人によっては、世界観が変わるかも……という映画。
で、その映画の中に、西安が出てきたのには、驚いた。
中国の西安である。
その西安には、無数のピラミッドがあるという。
中国政府が許可していないので、調査はできないということらしいが、その西安には、もうひと
つ、大きな謎の文明がある。……あった。
仰韶(ヤンシャオ)文明という文明である。
黄河に沿って発達したので、黄河文明とも呼ばれている。
このヤンシャオには、……というか、この話を書き始めたら、キリがない。
「謎の文明」とだけ、ここに書いておく。
シュメール文明との共通点(たとえば彩色土器)も、多い。
が、何と言っても私が興味をもったのは、「黄帝内経」という書物。
●黄帝内経
中国では、そして世界では、黄帝内経を医学書と考えている人が多い。
しかしただの医学書ではない。
天文学に関する書物である。
それを後の学者たちが、勝手に医学書に書き改めてしまった。
黄帝内経が、本当に「黄帝」の時代から伝わっている書物であるとするなら、西安もまた、特
筆すべき都市ということになる。
DVDを見終わったあと、ワイフとこう約束した。
「来年には、西安へ行ってみよう」と。
(ヤンシャオ文明は、現在の西安の当方部で誕生した。「黄河文明」と言われている)
その黄帝内経について書いた原稿を探してみる。
10年ほど前、埼玉県所沢市に、全国から東洋医学の研究者らが集まった
その場で、基調講演をさせてもらった(国立身体障害者リハビリセンターにて)。
間に30分の休憩をもらったが、4時間以上もの長講演だった。
その一部を紹介する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●神々の言葉
私はどういうわけか、黄帝内経(こうていだいけい)という書物に興味をもっている。
漢方(東洋医学)のバイブルと言われている本である。
東洋医学のすべてがこの本にあるとは言わないが、しかしこの本がその原点にあることはまち
がいない。
その黄帝内経を読むと、最初に気づくのは、バイブルとは言いながら、聖書の記述方法と逆
であること。
黄帝内経は、黄帝という聖王と、岐伯(ぎはく)という学者の問答形式で書かれているが、黄帝
はもっぱら聞き役に回っているということ。
そしてその疑問や質問、さらには矛盾につぎつぎと答えているのは、岐伯のほうであるというこ
と。
一方聖書(新約聖書)のほうは、弟子たちが、「主、イエスキリストは、このように言った」とい
う形式で書かれている。
つまり弟子たちが聞き役であり、キリストから聞いた話をその中に書いている。
そこでなぜ、黄帝内経では、このような記述方法を使ったかということ。
もし絶対的な権威ということになるなら、「黄帝はこう言った」と書いたほうがよい。
(そういう部分もあるが……。)
岐伯の言葉ではなく、黄帝の言葉として、だ。
しかしこれには二つの理由がある。
●もともと、医学書ではなかった
黄帝内経という書物は、医学書として分類されている。
前一世紀の図書目録である、漢書「藝文志」に医書として分類されていることによる。
ここで医書として分類されたことが、正しいかったかどうかということについては、疑問がある。
さらに「医書」という言葉を使っているが、現代流に、だからといって「科学、化学、医学」という
ふうに厳密に分類されていたかどうかということについては、疑問がある。
が、それはさておき、仮に医書であるとしても、それは今で言う、科学の一分野でしかない。
科学である以上、絶対的な権威を、それにもたせるのは、きわめて危険なことでもある。
その科学に矛盾が生じたときのことを考えればよい。
矛盾があれば、黄帝という聖王の無謬性(一点のまちがいもない)にキズがつくことになる。
ここが宗教という哲学と大きく違う点である。
つまり黄帝内経の中では、岐伯の言葉として語らせることによって、「含み」をもたせた。
もうひとつの理由は、仮に医書なら医書でもよいが、体系化できなかったという事情がある。
黄帝内経は、いわば、健康医学についての、断片的な随筆集という感じがする。
しかし断片的な随筆を書くのと、その分野で体系的な書物を書くのは、まったく別のことであ
る。
たとえばこの私は、こうして子育てについての随筆をたくさん書いているが、いまだに「教育論」
なるものは、書いていない。
これから先も、多分、書けないだろうと思う。
もう少しわかりやすい例で言えば、日々の随筆は書くことはできても、人生論を書くことはでき
ない。
できないというより、たいへん困難なことである。
つまり黄帝内経は医学書(科学書でもよいが)といいながら、体系化できるほどまでに完成され
ていない。
これは実は聖書についても同じことが言えるが……。
●黄帝内経(こうていだいけい)の謎
私が黄帝内経(こうていだいけい)という書物に、最初に興味をもったのは、その中につぎの
ような記述があることを知ったときのことだ。
黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。
岐伯は、「岐伯曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている。
これを訳すと、「地は人の下にあります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、
あるいは「地は人の下にあり、虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。
しかしもう少し、漢文に厳密に翻訳すると、こうなる。
「地は、人の下にあって、太虚の中にある」と。
「地が、人の下にある」というには、常識だが、(またなぜこうした常識をあえて付け加えたかと
いうのも、おもしろいが)、「太虚の中にある」というのは、当時の常識と考えてよいのか。
漢書「藝文志」という図書目録が編纂されたのは、前1世紀ということになると、少なくとも、そ
れ以前の常識、あるいはこの部分が仮に唐代の王冰(おうひょう)の増さんによるものだとして も、西暦752年の常識ではなかったはずである。
ここでいう「太虚」というのは、「虚」の状態よりも何もない状態をいう。
小曾戸氏も薮内氏も、「太虚」の訳をあいまいにしているが、太虚というのは、空気という「気」
もない状態と考えるのが正しい。
「空気」というのは、読んで字のごとく、「カラの気」という意味。
気のひとつである。
その気がない状態を、虚。
さらに何もない状態を太虚という。
今風に言えば、まさに真空の状態ということになる。
●当時の常識
もしここで王冰の増さんによるとするなら、なぜ王冰が、当時の常識的な天文学の知識に沿
って、この部分を書かなかったかという疑問も残る。
当時の中国は、漢の時代に始まった、蓋天(がいてん)説、こん天説、さらには宣夜説が、激論
を戦わせていた時代である。
恐らく事実は逆で、あまりにも当時の常識とはかけ離れていたため、王冰は、この部分の増さ
んには苦心したのではなかろうか。
(あくまでも王冰の増さん説にのっとるならの話だが……。)
その証拠に、その部分の前後には、木に竹をつぐような記述が随所に見られる。
つまりわざと医学書らしく無理をして改ざんしたと思われるようなところがある。
さらに百歩譲って、もしこの部分が、大気の流れをいうものであるとするなら、こんなことをこん
なところに書く必要はない。
この文につづくつぎのところでは、気象の変化について述べているのである。
王冰としても、散逸した黄帝内経を改ざんしながらも、改ざんしきれなかった。
またそう読むことによってのみ、この部分を理解できる。
話はそれたが、私はこの一文を読んだとき、電撃に打たれるような衝撃を受けた。
当時の私は、「黄帝」を、司馬遷の「史記」の第一頁目をかざる、黄帝(「五帝本紀第一」)の黄
帝ととらえた。
その黄帝との問答であるとするなら、その時代は、推定でも、紀元前3500年。
今から5500年前ということになる。
(だからといって、黄帝内経がそのころの書物というのは、正しくないが……。)
少なくとも、この一文が、私が漢方にのめりこむきっかけになったことには、まちがいない。
●黄帝内経(こうていだいけい)は改ざんされたか
黄帝内経(こうていだいけい)は、時代によって、そして写本化されるたびに、改ざんされた。
それぞれの研究家や医家たちが、自分たちにつごうがよいように、古い文句を削り、新しい文
句を付け加えた。
これは動かしがたい事実である。
たとえば「五運行大論篇」においても、天地の動静を岐伯(ぎはく)が説明したあと、薮内氏の
訳した本のほうでは、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたも との位置にもどる」とあるが、王冰が編さんとしたとされる黄帝内経を訳した、小曾戸氏のほう では、「歳運は五年で交替するのに六気は六年で交替するのですから、運と気のめぐり方には 一年のずれを生じます……」とある。
薮内氏のほうは、中国本土にも残っていない黄帝内経(京都の仁和寺所蔵)を翻訳したものと
思われる。
つまり、より原書に近いとみてよい。
一方、王冰の黄帝内経は、無理に医書に位置づけようとした痕跡が随所に見られる。
この部分もそうだが、さらにこれはとても残念なことだが、翻訳した小曾戸氏の翻訳にも、その
傾向が見られる。
たとえば小曾戸氏は、随所に、「気」という言葉を補って翻訳している。たとえば……
「上者右行」を、「司天の気は右にめぐり」と訳すなど。(原文には「気」などという言葉はどこ
にもない!)
こうした改ざんは、意味不明で、難解な文章を何とか理解しようしたために改ざんされたとも
とれる。
が、もうひとつは当時の常識に当てはめようとしたためになされたとも考えられる。
中国には、地球説はおろか、地動説すらなかったという常識に従ったとも考えられる。
そういう時代に、地球説を唱え、地動説を唱えたらどうなるか。
ヨーロッパでそれをしたため、弾圧された人すらいた。
コペルニクスが、その人である(1543年「天球の回転について」)。
宇宙創造に関する記述は、それ自体が宗教と密接に結びついている。
さらに中国では、中国式権威主義がはびこり、その権威からはずれた学説は、容赦なく排斥さ
れた。
そういう時代的背景を忘れてはいけない。
●地動説
が、それでも地動説の片りんが残った!
私たちが黄帝内経を科学書として着目しなければならない点は、まさにこの一点にある。
そして今、私が黄帝内経の中の地動説を唱えるについて、多くの人は、「解釈の曲解だ」「なる
ほどそういうふうに考えれば考えられないこともない」というように反論する。
しかしこの視点はおかしい。
もしこの部分が、あからさまに地球説をいい、地動説をいっていたとしたら、まっ先に削除され
たであろうということ。
それにゆえにあいまいに改ざんされたともとれるし、あいまいであるがゆえに、今に残ったとい
うふうに考えられる。
今、あいまいだからといって、さらにその内容を負(マイナス)の方向に引くことは許されない。
私たちが今すべきことは、そのあいまいな部分を、よりプラスの方向に引きつけて、その向こ
うにある事実を見ることなのである。
「そういうふうにも解釈できる」という言いかたではなく、「改ざんしてもしきれなかった」という言
いかたにすべきでなのである。
●365日余で、もとに戻るものは何か
黄帝内経(こうていだいけい)には、黄帝が、天地の動静はどうかと聞いたことに対して、「上
の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とあ る。
ここで考えることは、「何が、戻るか」である。
今、高校生に、「天地の動きの中で、三六五日余でもどるものは、何か」と聞けば、彼らは迷
わずこう答える。
「地球」と。
そう、地球の公転である。
地球は、太陽のまわりを、365日余で一周し、またもとの位置に戻ってくる。
こんなことは常識。
しかし黄帝内経読むときは、あえてこの常識は否定される。
第一、私たちは黄帝内経は、医学書であって、科学の本ではないという前提で読む。
第二、私たちは黄帝内経の時代に、そんな常識はなかったという前提で読む。
しかしもう一度、この部分を、すなおに読んでほしい。
こうある。
「黄帝は問う。天地の動静はどうかと」。
この部分をすなおに読めば、黄帝は地球の動きについて聞いたものだということがわかる。
季節の移り変わりを聞いたものではない。
いわんや大気の変化を聞いたものではない。
そういうふうに思わせるように改ざんされただけ、と考えるほうが正しい。
その理由はいくつかある。
もし季節の変化や大気の変化を述べるためになら、この文章を地球説、地動説のあとに書く
必要はない。
関連性がまったくなくなってしまう。
つぎにもし季節の変化大気の変化を述べているとしても、そんなことは当時の常識で、改め
て書くまでもないことである。
仮に季節の移り変わりを書いたものであるとするなら、それこそまさに木に竹をつぐような文章
になってしまう!
●回転する
ただ翻訳自体もわかりにくくなっている。
これを訳した薮内氏自身も、「中国には地球説はおろか、地動説すらなかった」(「中国の科
学」)と述べている。
薮内氏自身も、そういう前提で訳している。
だからあえて、わかりにくく訳した。
とくに私の頭を悩ましたのは、「左右から」という部分である。
何が、左右から、なのか。あるいは薮内氏は、「……から」と訳したが、本当にそれは正しいの
か。
「左右に」もしくは、「左右に(回って)」と訳したらいけないのか。
もし「左右に(回って)」と訳すと、意味がすっきりする。
「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右に回って三六五日余でまたもとの位置にもど
る」と。
地球の公転するさまを、南の位置(上の司天)からみると、時計回りに回っている。
つまり右転している。
北の位置(下の在泉)からみると、時計とは反対回りに回っている。
つまり左転している。
こうして右転、左転しながら、回る、と。
黄帝内経のこの部分は、まさにそれをいったものである。
注※…コペルニクス
(ラテンNicolaus Ccpernicus ニコラウスー)本名はコペルニク。ポーランドの天文学者で、ロ
ーマカトリック教会の聖職者。ギリシア思想の影響を受け、肉眼による天体観測に基づいて地 動説を提唱。著書「天球の回転について」は、教会との摩擦を避けて死の直前に刊行された。 (1473〜1543)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●西安
若いときは、そこにある謎を食いさすようにして、人は生きていく。
未来という時間が、永遠にあるように感ずる。
が、私の年齢になると、その先に感ずるのは、いつも袋小路。
だからこう思う。
「結論を出したい」と。
もう少しわかりやすい言葉で言えば、「決着」でもよい。
「決着をつけておきたい」と。
黄帝内経もそのひとつ。
その謎を解く鍵が、西安にある。
ヤンシャオ(仰韶)文明にある。
当時の中国といえば、新石器時代の後期。
火を使うことを知らない部族もいたという。
そのため疫病が絶えなかったという。
そういう時代に、突如として、ヤンシャオ文明が誕生した。
恐るべき知識と技術をもった文明である。
黄帝内経なる書物が、本当にその時代に書かれたものかどうかは別として、(というのも、文
字の発明は、ずっとそのあとということになっているので)、西安には、底知れぬ謎が隠されて いるのは事実。
(実際には、ヤンシャオ文明が生まれたのは、西安の東方部。
現在、西安には、ヤンシャオ文明を知る博物館などがあるという。
最近になって、西安の遺跡から、文字らしきものも発掘されている。)
が、黄帝の時代に、黄帝内経が書かれたのではないと断言することもできない。
当時は、知識は、口頭伝承といって、特別に選ばれた人(多くは子ども)が、言葉を暗記し、そ
れでもって、後世へ伝えていくという方法がとられた。
エジプトのピラミッドと、その西安がつながっている!
……というようなことを、DVD『ピラミッド』は、教えてくれた。
●謎の一直線
DVD『ピラミッド』は、話せば長くなるので、その一部だけを紹介する。
この話を疑う人は、地球儀をもってきて、自分で確かめてみたらよい。
驚くべき事実である。
(1)(ギザのピラミッド)−(ナズカの地上絵)−(イースター島)は、一直線でつながっている。
しかもその直線は、赤道に対して、正確に30度の角度を保っている。
(2)(メキシコのテオティワカン※)−(ギザのピラミッド)−(西安)は、一直線でつながってい
る。
テオティワカンの遺跡(地図)
テオティワカンの遺跡(写真)
これらの文明の跡には、共通した石造物が多いことがよく知られている。
そればかりかその直線下には、数多くの古代文明が並んでいる。
たとえば天空都市と呼ばれるマチュ・ピチュ(クスコ近郊)がある。
ギザとイースター島を結ぶ直線は、このマチュ・ピチュとクスコの間を縦断している。
またマチュピチュは、その直線から17キロしか離れていない(グーグル・アース上で測定)。
(マチュ・ピチュの遺跡・天空都市)
(下部、右中央部から、左下に斜めに走る黄色い線が、ギザとイースター島を結ぶ線。
ラインより、17キロ北方に、マチュ・ピチュの天空都市があることがわかる)
なおDVD『ピラミッド』は、もうひとつ重要な事実を見落としている。
それを付け足しておく。
ここで、(2)(メキシコのテオティワカン※)−(ギザのピラミッド)−(西安)は、一直線でつなが
っていると書いた。
これはDVDの説明を書きとめたものである。
しかしその一直線上に、もうひとつきわめて重要な文明が、存在する。
「シュメール文明(シュメル文明)※」である。
(これは私の発見!)
シュメール文明は、旧約聖書の母体となった文明と考えるとわかりやすい。
(シュメール文明は、現在のペルシャ湾北部で誕生した)
(メキシコのテオティワカン※)−(ギザのピラミッド)−(シュメール文明)−(西安)と並ぶのは、
はたして偶然なのか?
(注※)……テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元
前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、太陽のピラミッ
ド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり、各施設が配置 されている。(以上、ウィキペディア百科事典より)
(注※)……シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク・クウ
ェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。
シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシ
ュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。
(以上、ウィキペディア百科事典より)(はやし浩司 2012−07−29記)
●検証
が、鵜呑みは何ごとにつけ、よくない。
そこで私なりに検証してみた。
結果、驚くべきことがわかった。
【1】(ギザのピラミッド)−(ナズカの地上絵)−(イースター島)
これについては、今では、グーグル・アースを使えば、瞬時に確認できる。
私は(1)まずエジプトの三大ピラミッドのひとつである、ギザのピラミッドの頂点に、画びょう(ポ
イントマーク)をつけた。
(2)つぎにイースター島の中央(イースター島は、三角形になっているので、その中央部)に、
画びょう(ポイントマーク)をつけた。
(3)(1)の画びょうと、(2)の画びょう間の、距離を測定する要領で、線を引いた。
で、結果を見て、即、ギョッとした。
(ギザとイースター島を結ぶ直線の直下に、ナスカの地上絵がある)
グーグルアースでは、観光地として、「ナスカ(Nazca)の地上絵」の位置を、そのまま紹介し
ている。
その「ナスカの地上絵」の部分(ペルー、ナスカ郊外)には、あらかじめポイントマークがついて
いる。
そのポイントマークの上を、まさにズバリ、通過した!
100メートルとか、200メートルの誤差もない。
10メートルの誤差もない。
まったくそのまま、数メートル単位の幅で、通過した!
(ギザのピラミッド)−(ナズカの地上絵)−(イースター島)が、地球儀上では、一直線でつな
がっている。
これはだれも疑うことができない事実である。
(これを疑う人は、グーグル・アース上で、自分で確認してみるとよい。)
【2】(メキシコのテオティワカン)−(ギザのピラミッド)−(シュメール文明)−(西安)
何度か、確認してみたが、地球儀上(グーグル・アース上)では、一直線には、つながらなか
った。
(グーグル・アースの上では、ギザ→シュメール→西安は、一直線上に並ばなかった)
そこで一般によく使われている、メルカトール図法による地図の上で、メキシコのテオティワカ
ン、ギザのピラミッド、シュメール文明、西安の4か所を正確に特定してみた。
が、結果は、ご覧の通り。
この4か所は、ほとんど狂いがなく、一直線に並んでいることがわかった。
(メルカトール図法風の世界)
(メルカトール地図の上では、4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))
●なぜ西安が西安なのか?
私が最初に疑問をもったのは、なぜ西安が西安なのかという疑問。
ヤンシャオ(仰韶)文明は、西安の郊外で発掘されている。
半坡(はんぱ)遺跡というのが、それである。
エジプトのギザについても、同じ疑問をもった。
言い伝えによると、そこで使われた石材は、800キロも遠く離れた採石場から運ばれたとい
う。
常識で考えれば、ピラミッドを建てるにしても、これほど非ロジカルな話はない。
採石場の近くで建てれば、その分だけ、人力の無駄を省くことができた。
が、なぜか、ピラミッドの建造者は、ギザにこだわった。
なぜか?
さらに言えば、ナスカの地上絵についても、言える。
地上からは見ることさえできない絵を、なぜ描いたか。
が、こうしてそれぞれが一直線に並んでいるのを知ると、その理由が浮かびあがってくる。
●さらなる事実
以上は、『ピラミッド』を見た、私の感想ということになる。
が、ここで終わったのでは、ただの受け売り。
そこで私なりに、さらに調べてみた。
で、「驚くべきことに」というほどの言葉はつけられないが、奇妙なことに気づいた。
これがわかったのも、グーグル・アースという最新のサービスがあったからである。
10年前だったら、これだけ調べるだけでも1日仕事。
図書館で悪戦苦闘しただろう。
が、今では、グーグル・アースを使えば、それが瞬時にわかる。
以下、その距離に注目してほしい。
(1)ギザ→イースター島 ・・・1万6168キロメートル
(2)ギザ→ナスカ(地上絵) ・・・1万2365キロメートル
(3)ギザ→ウル(シュメール)・・・ 1615キロメートル
(4)ギザ→西安 ・・・ 7183キロメートル
(5)ギザ→テオティワカン ・・・1万2342キロメートル
(2)のナスカまでの距離と、(5)のテオティワカンまでの距離は、ほぼ同じ。
また(3)のギザ→ウルの距離を10倍すると、ギザ→イースター島までの距離になる。
ただ西安までの距離だけが、どういうわけか、ほかの距離と関連性がないように思われる。
が、以上が、私の発見によるものである。
わかりやすく言えば、少なくとも、ギザを中心にして、ナスカとテオティワカンは、同心円上にあ
る。
こうした事実を、「偶然」と片づけるには、無理がある。
・・・というのが、『ピラミッド』に主題にもなっている。
『ピラミッド』の中で、ナレーターはこう述べている。
「ピラミッドを建設したのは、歴代のエジプトの王と考えること自体、無理がある。
歴代のエジプトの王たちは、すでにあったピラミッドを自分の墓として、利用しただけ」(記憶に
よる)と。
つまりそれが副題にもなっている。
「5000年の嘘」と。
私も、現在のエジプトから推察するまでもなく、あれほどまでの大工事を、エジプト人(アラブ
人)がしたとは、どうしても考えられない。
(エジプトでは、そういう話はタブー。
エジプトの人たちは、そういう話をすると、激怒するが・・・。)
こうした古代文明は、宇宙から地球を見て、それが一直線であるとわかる人たちによって、
作られた。
どうもそう考える方が、自然のようである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 ピラミッドの謎 謎のピラミッド 一直線に並ぶ古代文明 ナスカ はやし浩司 イ ースター島 西安 仰韶 ヤンシャオ 半坡遺跡 はやし浩司 ウル シュメール文化 はやし 浩司 黄帝内経(こうていだいけい)の謎)
【Mystery of Grand Cross in Nazca
地球の文明は、宇宙からの人たちによって、開
かれた】
(その証拠と考察)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
これらの事実は、私、はやし浩司が、自分で調べて知り得たことです。
無断転載、無断流用は、固くお断りします。
まずつぎのビデオからご覧ください(ガイダンス用)。
はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ナスカのGrand Cross(古代文明の謎、PART2)
【ナスカ平原に残る地上絵。その中でもひときわ目立つ十字架。この十字架の延長線上に、北
は、メキシコのテオティワカン(太陽のピラミッド)があり、南は、カンボジアのアンコールワットに 残るピラミッドがある。つまり(テオティワカン)ー(ナスカの十字架)ー(アンコールワット)は、真 直線でつながる。この原稿では、それを証明する。
なおこの原稿中、(エジプトのギザのピラミッド)ー(ナスカの地上絵)−(イースター島)が一直
線に並ぶというのは、既存の事実であり、私が発見したものではない。】
●ナスカの地上絵(世界遺産)
インターネットで、「ナスカ 地上絵」で検索する。
55万件ほど、該当項目をヒットすることができる(2012年7月現在)。
その冒頭にある、「ウィキペディア百科事典」をクリックすると、最初に、つぎの写真を手に入れ
ることができる。
「世界遺産、ナスカとフマナ平原の地上絵』というのが、それ。
(ウィキペディア百科事典より、世界遺産、ナスカとフマナ平原の地上絵)
かなり上空から撮影しているため、この写真では、直線しか認識することができない。
が、その中でも、ひと際目立った直線が2本、ある。
それが、中央部やや右上に見られる「十字架」である。
(ここで、私は2本のクロスした直線を、「ナスカの十字架(Grand Cross in Bazca)」と呼ぶ。
この呼び方は、独特のもので、私のほかにそのように呼んでいる人を知らない。)
なおこの直線は、幅200メートル前後もあり、現地で見ても、それが線であると気づくことは
ないという。
●ナスカの十字架
ほかにも無数の線を見ることができるが、この2本の線は、ここにも書いたように、際立って
いる。
つまりかなり上空からでも、このナスカの十字架を見ることができる。
そこでこの十字架の縦の線を、(A線、斜め左上から右下への線、長さ10キロ)とする。
横の線を(B線、斜め右上から左下への線、長さ9・2キロ)とする。
このナスカの十字架は、グーグル・アースを使っても、見ることができる。
グーグル・アースのほうでも、同じように、A線は、ほぼ北から南へ、B線は、ほぼ西から東に
向かって走っているのがわかる(上を北極にしたばあい)。
(写真1)
●A線
ナスカの十字架のA線に沿って、1本の線を描いてみる。
方法は簡単で、A線の長さを測定する要領で、A線の下から、上に向かって1本の線を描き込
めばよい。
(写真2)
この直線を、正確に描き入れると、即座に、「機首方位、324・74」という数字が示される。
「機首方位」というのは、この直線が向かっている方向を示す。
そこでこの「324・74」を維持しながら、この直線をそのまま延長してみる。
(写真3)
(写真4)
●テオティワカン遺跡(メキシコ)
その方向には、メキシコのテオティワカン遺跡があることがわかる。
(詳しくは、後述)
(テオティワカン遺跡。左奥方向に、ピラミッドが見える。)
(写真5)
直線が、やや左寄りにズレているのは、最初に線を引いたときの誤差と考えられる。
そこで今度は逆に、逆に、(ナスカの十字架のクロス部)と(テオティワカンのピラミッドの頂点)
を、線で結んでみる。
(写真6)
(写真7)
こうすると、機首方位……325・25度
地図上の距離……4602・22キロメートルという数字を手に入れることができる。
この「325・25」という数字は、ナスカの十字架を出発したときに得た「機首方位、324・74」
と、その差は、0・51度と、ほぼ一致する。
つまりこの直線は、一般に言われているように、「滑走路」を示すものではなく、「標識」とし
て、別のピラミッドの位置を示すものであることがわかる。
A線は、きわめて正確に、メキシコに残る、テオティワカン遺跡のピラミッドの位置を示してい
る。
●B線
では、同じように今度は、B線の先をたどってみる。
B線の西方向には、イースター島がある。
はたしてB線の先には、イースター島があるのか。
もう一度、それをここで確認してみる。
B線の右から左へ、直線をあててみる。
機首方位は、「248・77度」と示される。
つぎに今度は、(ナスカの十字架のクロス部)と、(イースター島の中心部)を、直線で結んでみ
る。
すると機首方位……243・09度
地図上の距離……3795・72キロメートルという数字を手に入れることができる。
(写真8)
248度と243度。
その差は、5度。
これは誤差の範囲を超える。
かなりずれている。
ということは、ナスカの十字架の横線(B線)は、イースター島の方向を示しているのではない
ということがわかる。
●アンコールワット
では、今度は、反対に、B線を、右方向(東方向)にたどってみる。
B線の左から右に直線をあててみると、「機首方位……68・63」という数字を手に入れること
ができる。
が、この方向は、エジプトのピラミッドの方向ではない。
そこで今度は、「機首方位……68・63」という方向を保ちながら、直線を延長してみる。
(写真10)
実際には、「68・63」という数字を維持するのは、容易なことではない。
ほんのわずか手元が動いただけで、大きく数字が変化する。
慎重に、B線を東に向かって延長してみる。
(写真11)
ところが、である。
このB線はインド半島を横断し、インドシナ半島へ入るころから、急にクルクルと上下に動き始
める。
距離が、2万キロメートルに近づいたためである。
ご存知のように、地球の円周は、4万キロメートルと定められている。
地球は球体だから、2万キロメートルの場所には、機首方位は無数に存在する。
そこでその一歩手前で直線を止め、目測でその先に何があるかを知る。
(写真12)
写真では、直線方向とはややずれているが、右下にカンボジアの、アンコールワット遺跡が
あることがわかる。
アンコールワットにも、ピラミッドがある。
そのピラミッドの中心部に、B線の端を置いてみる。
地図上の距離……1万9838・38キロメートル
地上の距離 ……1万9839・15キロメートルという数字を手に入れることができる。
ほぼ、2万キロ!
念のため、どのあたりで2万キロになるか、B線の右端をそのあたりで動かしてみる。
結果、タイとカンボジアの国境付近、ややタイ側に入ったところで、2万0022キロメートルとい
う数字が出てきた。
地球の円周は、赤道部分で、より長くなっていることが知られている。
これは地球の自転により、遠心力が働くためである。
ともかくも、以上のことから、(ナスカの十字架)と、(カンボジアのアンコールワットにあるピラ
ミッド)は、相互に「極関係」にあることがわかる。
ちなみにナスカの十字架は、西経75度10分、南緯14度42分、
アンコールワットのピラミッドの頂点は、東経103度51分、北緯13度25分。
これらの数字からも、「極関係」、つまり、地球の中心部を通る正反対の位置にあることがわか
る。
B線の右方向(東)は、正確に、カンボジアのアンコールワット遺跡にある、ピラミッドをとらえ
ている。
以上のことから、ナスカの十字架は、北方向には、メキシコのテオティワカンのピラミッド、東
方向には、カンボジアのアンコールワットのピラミッドを指しているのがわかる。
●さらなる謎
が、これで驚いてはいけない。
ここでナスカの十字架と、カンボジアのアンコールワットは、極関係にあると書いた。
が、厳密には、ややズレている。
その距離は、ピタリ、2万0000キロメートルではない。
しかしつぎの事実を知ったら、あなたも驚くだろう。
「これはもう偶然の一致とは言えない!」と。
●ナスカの十字架の南
A線(縦線)は、北方へ延長すると、メキシコのテオティワカンにつながる。
B線(横線)は、東方へ延長すると、カンボジアのアンコールワットにつながる。
しかし、である。
A線(縦線)をそのまままっすぐ下(つまり南方)へ延長すると、今度は、南極を近くを通過し、
そのままやはりカンボジアのアンコールワットにつながる。
(ナスカの十字架から、機種角144・20度で、南に直線を引いてみるとよい。)
(ナスカの十字架から機種角145・00度の位置には、アンコールワットのピラミッドがある。)
つまりA線(縦線)の北方には、テオティワカン、南方には、アンコールワットがあることになる。
(テオティワカン)ー(ナスカ)ー(アンコールワット)は、一本の直線でつながる。
ナスカの十字架(Grannd Cross in Nazca)は、テオティワカンとアンコールワットのピラミ
ッドの位置を示す、標識ということになる。
ちなみに、テオティワカンの太陽のピラミッドから、ナスカの十字架までの起首角……144・2
±0・1度
。
ナスカの十字架からカンボジアのアンコールワットまでに機首方位……144・2±0・1度。
ぴったし一致する。
●テオティワカンvsアンコールワット
ナスカの十字架が、同時に、テオティワカンのピラミッド、アンコールワットのピラミッドをとらえ
ている。
とするなら、これら2つのピラミッドには、共通点はあるのか。
それともないのか。
(そもそも、文明が相互にまったく隔離された世界のあちこちで、ピラミッドが発見されているこ
と自体、不思議なことである。)
(1)テオティワカンの「太陽のピラミッド」(ウィキペディア百科事典)
(2)テオティワカンの「月のピラミッド」(ウィキペディア百科事典)
(3)アンコールワットのピラミッド(観光案内)
共通点は、ともに巨大であるということ。
ピラミッドに登る人間の大きさから、それがわかる。
あとは主観的な判断ということになる。
●仮説
そこで前回取りあげた(事実)を、もう一度、ここで確認してみる。
イースター島と、エジプトのギザのピラミッドを直線でつなぐ。
その直線は、ズバリ、ナスカの地上絵、とくにナスカの十字架の上を通る。
これは動かしがたい事実である。
(これを疑う人は、グーグル・アースを使って自分で確認してみるとよい。
その正確さに、私は驚いた。)
となると、イースター島の役割は何か。
仮説として考えられるのは、第一の中継地であったのではないかということ(仮説1)。
その中継地から、ナスカの地上図をめざし、そこから各地のピラミッドへ飛行した(仮説2)。
となると、イースター島に立つモアイ(像)は、その標識ということになる(仮説3)。
これらの仮説を証明するためには、(1)正確なモアイの位置と、(2)モアイが示している方向
を知らなければならない。
●イースター島
謎を解くため、イースター島にある、モアイについての情報を集めなければならない。
が、残念なことに、たいへん残念なことに、モアイのほとんどは発見当時、みな、倒れていたと
いう。
それではいけないということで、日本の建設会社が重機をもちこみ、立てなおしたという。
なおその重機は今でも、現地に残っていて、現地の人たちに感謝されているという。
感謝されている?
日本の建設会社は、とんでもないバカなことをしたと考えてよい。
ナスカの地上絵を、整地し、消し去った。
それと同じような行為としたと考えてよい。
仮説(1)(2)(3)が、永遠に証明されることはない。
なお定説に従えば、モアイのふもとから多くの人骨が発見されていることから、モアイは墓で
あったということになっている。
が、逆にも考えられる。
現地の人たちは、その後、墓として利用するようになった、と。
なおモアイにしても、あれほどまでの巨石を、どうやって切り出し、加工し、運搬し、その場所
に立てたかについては、「まったくの謎」ということになっている。
たいへん残念なことである。
が、ゆいいつ、そのモアイ像から、かつて、それを利用した人たちの容姿を想像することができ
る。
(つづきはまたの機会に書いてみたい)
(補記1)
メキシコのテオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)と、アンコールワットのピラミッドを比較
する。
左が、テオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)
右がアンコールワットのピラミッドである。
メキシコとカンボジア……遠く離れた場所で、これほどまでに類似したピラミッドが建設された
のは、本当に偶然と言えるのだろうか。
自分の目で判断してほしい。
(補記2)
●(メキシコのテオティワカン)−(ギザのピラミッド)−(シュメール文明)−(西安)
何度か、確認してみたが、地球儀上(グーグル・アース上)では、一直線には、つながらなか
った。
(グーグル・アースの上では、ギザ→シュメール→西安は、一直線上に並ばない。)
そこで一般によく使われている、メルカトール図法による地図の上で、メキシコのテオティワカ
ン、ギザのピラミッド、シュメール文明、西安の4か所を正確に特定してみた。
が、結果は、ご覧の通り。
この4か所は、ほとんど狂いがなく、一直線に並んでいることがわかった。
(メルカトール図法風の世界)
(メルカトール地図の上では、4つの古代遺跡が一直線に並んでいるのがわかる。
左から、テオティワカン(黄)、ギザ(緑)、シュメール(青)、西安(ヤンシャオ)(赤))
●なぜ西安が西安なのか?
私が最初に疑問をもったのは、なぜ西安が西安なのかという疑問。
ヤンシャオ(仰韶)文明は、西安の郊外で発掘されている。
半坡(はんぱ)遺跡というのが、それである。
エジプトのギザについても、同じ疑問をもった。
言い伝えによると、そこで使われた石材は、800キロも遠く離れた採石場から運ばれたとい
う。
常識で考えれば、ピラミッドを建てるにしても、これほど非ロジカルな話はない。
採石場の近くで建てれば、その分だけ、人力の無駄を省くことができた。
が、なぜか、ピラミッドの建造者は、ギザにこだわった。
なぜか?
さらに言えば、ナスカの地上絵についても、言える。
地上からは見ることさえできない絵を、なぜ描いたか。
が、こうしてそれぞれが一直線に並んでいるのを知ると、その理由が浮かびあがってくる。
●さらなる事実
以上は、『ピラミッド』を見た、私の感想ということになる。
が、ここで終わったのでは、ただの受け売り。
そこで私なりに、さらに調べてみた。
で、「驚くべきことに」というほどの言葉はつけられないが、奇妙なことに気づいた。
これがわかったのも、グーグル・アースという最新のサービスがあったからである。
10年前だったら、これだけ調べるだけでも1日仕事。
図書館で悪戦苦闘しただろう。
が、今では、グーグル・アースを使えば、それが瞬時にわかる。
以下、その距離に注目してほしい。
(1)ギザ→イースター島 ・・・1万6168キロメートル
(2)ギザ→ナスカ(地上絵) ・・・1万2365キロメートル
(3)ギザ→ウル(シュメール)・・・ 1615キロメートル
(4)ギザ→西安 ・・・ 7183キロメートル
(5)ギザ→テオティワカン ・・・1万2342キロメートル
(そのほかの距離)
(2)のナスカまでの距離と、(5)のテオティワカンまでの距離は、ほぼ同じ。
また(3)のギザ→ウルの距離を10倍すると、ギザ→イースター島までの距離になる。
ただ西安までの距離だけが、どういうわけか、ほかの距離と関連性がないように思われる。
が、以上が、私の発見によるものである。
わかりやすく言えば、少なくとも、ギザを中心にして、ナスカとテオティワカンは、同心円上にあ
る。
こうした事実を、「偶然」と片づけるには、無理がある。
つまりこうした古代文明は、宇宙から地球を見て、それが一直線であるとわかる人たちによっ
て、作られた。
どうもそう考える方が、自然のようである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 ピラミッドの謎 謎のピラミッド 一直線に並ぶ古代文明 ナスカ はやし浩司 イ ースター島 西安 仰韶 ヤンシャオ 半坡遺跡 はやし浩司 ウル シュメール文化 はやし 浩司 黄帝内経(こうていだいけい)の謎 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はや し浩司 謎の古代史 メキシコ テオティワカンの遺跡 カンボジアのアンコールワットのピラミ ッド)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【謎のイースター島】
●V3までのダイジェスト版(ガイド版)です。
まず、このビデオをご覧ください。
内容をより深く理解していただけます。
●形状の秘密
この図は、UFO」ではない。
グーグルアースの写真を、そのまま転載したもの。
が、このタイプのUFOは、世界各地で目撃されている。
(UFOに見えるイースター島)
で、これが、イースター島。
ほぼ左右対称の形をしている。
そこでそれを確かめるため、つぎの作業をしてみた。
まずつぎの地図(ウィキペディア百科事典)をコピーする。
(イースター島の地図、印刷の関係で、左へ90度回転してある。)
左下(写真では、真下の赤部分)の円形の火山を、A火山とする。
右下の円形の火山を、B火山とする。
これらA火山の左端、B火山の右端を、そろえて、そこで2つに折ってみる。
それをわかりやすくするため、図の中の両端の先端部に、赤いシールを張っておいた。
すると不思議なことに、イースター島は、きれいに2つに分けらることがわかった。
しかも折り目の先端部(青いシール)は、同時にイースター島の最先端部の位置と、一致する。
2辺の斜辺の長さを測るまでもなく、イースター島は、「正確な二等辺三角形」になっている!
(はやし浩司説)
(2つに折り、折り目にラインを入れてみた)
そこで寸法を正確に測定してみる。
その測定した結果が、つぎの図である。
実際の距離は、グーグルアースを使えば、センチ単位まで正確に測定することができる。
が、ここでは簡単に、プリントアウトした図の上で、測定してみる。
(測定結果を入れた、イースター島)
●直角二等辺三角形
が、これに驚いていてはいけない。
イースター島は、左右に対称な島である。
A火山(火山と言っても、この10万年近くは活動していない)と、B火山の端をよく見てほしい。
ちょうど、子どものへそのように、小さく飛び出た部分がある。
今回は、この(飛び出た部分)を測定の基準とした。
その(へそ部)と頂点にあたる(北端部)をつないでみた。
そしてできた形は、直角二等辺三角形。
(地図上では、92〜3度になっている。)
(これを直角二等辺三角形と言わずして、何という?)
今まで、こうした視点で、イースター島を見た学者がひとりもいないというのも、驚くべきことと
言ってよい。
言うまでもなく、この(事実)を発見したのは、私、はやし浩司である。
(オホン!)
●実測値
グールルアースの機能を使い、長さを実測してみた。
北端→西端……15927メートル(1)
西端→東端……23565メートル(2)
東端→北端……16574メートル(3)
(1)と(3)の値は同じはずだが、ここでは、北端部を三角形の頂点とした。
そのため、値が少しずれている。
これで計算してみると……
(手元に、タンジェントを計算する計算機がないので……。)
(1)15927の2乗=253669329
(2)23565の2乗=555309225
(3)16574の2乗=274697476
ここで(1)+(2)=(3)になれば、三平方の定理により、頂点は直角ということになる。
(もちろん有効数字の問題もあるので、こまかい数字には意味はないが……。)
(1)+(2)=528366805
正確に直角ではないが、やはり「ほぼ直角」という数値が出てきた。
「イースター島は、直角二等辺三角形の島である」と、断言してよい数値である。
●ダメ押し
ここまで書いても、まだ懐疑的な人がいるかもしれない。
「はやしの言っていることは、こじつけに過ぎない!」と。
が、つぎの事実を知ったら、あなたも、驚愕せずには、おれないだろう。
百聞は一見に如かずともいう。
2枚の写真を見比べてみてほしい。
(イースター島の地図)
(エジプトのピラミッド)
(イースター島とピラミッドの比較)
そこでラフな計算だが、イースター島の(高さ)を(底辺の長さ)で割ってみる。
(1)0・4685という数字が出てきた(注:もともとの数字が、不正確)。
(13・4÷28・6=0・4685)
エジプトのピラミッドのうち、最大のものであるクフ王のピラミッドは、『ピラミッド建築の頂点と
され、最大規模を誇る。現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺:230.37m』(ウィキペディ ア百科事典)と。
このクフ王のピラミッドの(もとの高さ)を(底辺の長さ)で割ってみる。
(2)0・6363という数字が出てきた(146・59÷230・37にて計算)。
「0・47」と「0・63」。
最初に測ったイースター島の寸法が、この図でもわかるように、大ざっぱなものである。
それを考慮に入れても、値がちがいすぎる。
しかし見た感じ、イースター島の形とピラミッドの形は似ている。
なぜか。
理由は簡単。
ピラミッドは、真正面からではなく、斜め方向から見ている。
そのため坂がなだらかに見える。
私たちはピラミッドというと、真正面から見た三角形のピラミッドを想像する。
が、真正面ではなく、45度、ななめの方向から見たら、どうなるか。
ピラミッドの縦線が一本入るため、そのほうが、縦線が垂直であることから、ピラミッドの大きさ
を正確に見ることができる。
(ピラミッドを斜め45度の角度から見ると、どうなるか? それを示したのがこの図。この図で
もわかるように、イースター島と、ピラミッドは、形の上において、区別がつかないほど、よく似 ている。)
この角度で遠方から見ると、底辺の長さは、325・79(146・56x1/4142=325・79)メ
ートルとなる。
この数字で、高さ146・56メートルを割ると、
146・56÷325・79=0・44990……という数字が出てくる。
「0・47」(イースター島)と、「0・45」(ピラミッド)!
(念には念を入れ、イースター島の実測値で計算してみる。
グーグルアースを使い、高さ(11198メートル)を、底辺(23551メートル)で割ってみる。
その値は、11198÷23551=0・4754=0・48。)
つまりイースター島の形は、エジプトのピラミッドを45度、斜め方向から見た形と、同じという
ことになる!(はやし浩司説)
●イースター島は人工島?
こうしたイースター島ができた理由として、2つのことが考えられる。
(1)きわめて偶然に、このような形の島ができた。
(2)もとはある程度三角形の島だったが、整地(削ったり)したりして、現在の形になった。
(当然、その後、波によって浸食され、形は多少、変わった。)
あなたはどちらを信ずるか?
多くの人は、こう言うだろう。
「バカな! 偶然に決まっている!」と。
もしあなたが、懐疑派なら、もう少し先まで読んでみてほしい。
●モアイの謎
ナスカ(大十字架の交点)からイースター島(トロバカ山の山頂)まで、一本の直線を引いてみ
た。
この直線は、その先で、エジプトの3大ピラミッド(以下、ギザと表示)につながっている。
つまりイースター島とナスカ、それにギザは、一本の真直線でつながっている。
それはさておき、イースター島の中にその直線を走らせてみた。
ところが、である。
その直線とぴったりと重なるモアイ像があることがわかった。
しかもトロバカ山の山頂から見て、まさにナスカの方向に、である。
Catete Anakona(カテテ・アナコナ)湾の波打ち際にある、「Nau Nau(ナウナウ)」というモア
イ像が、それである。
(なおこの直線は、ナスカの大十字架と、イースター島のトロバカ山(507メートル)の頂上を結
んだ直線である。
日本人の私たちには、「トロ・バカ」とは、きわめて辛らつな名前に聞こえる。
これは余談だが、それだけに一度聞いたら、この名前は忘れない。)
(黄色の線は、イースター島のトロバカ山の山頂と、ナスカの大十字架を結んだ線)
(白い部分は、砂浜。黄色の線の下に、点々とモアイが見えるのがわかる。これがナウナウ・モ
アイである。)
(グーグル・アース上で、ナウナウ・モアイをさがしてみた。)
(モアイ、「ナウ・ナウ」の写真。従来、モアイの顔が、方向を示していると考えられていたが、顔
の方向ではなく、「並び方」である。並び方が、方向を示している。またそう考えると、モアイ像 の謎が解ける。はやし浩司説)
●重大な発見
かねてから、モアイ像は、「どこかの方向を示している」と考えられている。
しかしその謎を解いた人はいない。
それもそのはず、モアイ像そのものが「方向」を示しているのではなく、その並び方が、方向
を示している。(はやし浩司説)
このことは、空港の誘導灯を思い出してみれば、容易に理解できるはず。
まただからこそ、モアイ像は、何体も、並んで立っているということになる。
(はやし浩司説)
この一例だけで、そういう仮説を立てることは危険なことである。
それはわかっているが、解けない謎なら、思い切って発想を変えてみる。
ときには、そういう冒険も必要である。
ただとても残念なことに、前にも書いたように、日本のどこかの建設会社が、倒れていたモア
イ像を、重機を使い、立てなおしてしまった。
日本の、だぞ!
お馬鹿というか、お節介というか!
専門の考古学者が、その場で立ち会ったのか?
どうしてナスカ平原を、ユンボで整地するような愚かなことをしてしまったのか?
イースター島の山の名前は、「トロ・バカ山」。
今となっては、仮に正確に立てられたとしても、学問的な信頼性は、ゼロということになる。
が、あきらめてはいけない。
ほかにも台座が残っているところがある。
●台座
そこでグーグルアースを使い、台座を探してみる。
わかりやすくするため、イースター島の北端にある付近の台座を探してみる。
台座なら、こうした上空からでも、探しやすい。
(イースター島の北端、やや東よりのあたり。)
(方向がわかりやすい台座。現在は、遺跡としてでしか、残っていないようだ。)
(その台座の示す方向を、右方向(東方向)に延長してみる。方向は、機首角を見ながら決め
るので、きわめて正確に知ることができる。)
(直線を延長し、やってきたのが、このあたり。)
(今度は、別の台座を探し、左方向(西方向)に延長してみることにする。方向がしっかりと把握
できる台座を選んだ。この台座も廃墟となっているよう。)
これらの方向の先に、何があるのか、今の時点ではよくわからない。
古代文明といっても、各地に散らばっている。
廃墟となり、さらに形すらも残っていないところもある。
あえて言えば、中国の長江方面を指しているのが、わかる。
●イースター島の謎
このようにイースター島の謎は、底なしに深い。
が、その「謎」も、視点を地上ではなく、空中に置いてみると、氷解する。
空中を自由に飛び回る人の視点で見ると、よくわかる。
イースター島は、遠く、宇宙の果てからやってきた人たちが、最初に降り立った島である?
つまり標識?
自分たちの乗り物の形に合わせて作った標識?
その標識には、さらにそれぞれの位置を示す標識を並べた?
それがモアイ像?
ならば現代の人間が使うようなナビゲート・システムを使わなかったかと、疑問に思う人もい
るかもしれない。
しかし彼らは、もっと手っ取り早い方法を選んだ。
ちょうど登山家が、自分たちの歩いた道に石を積むように、あちこちに石を積んだ?
どういう人たちで、どういう技術をもった人たちかは、わからない。
しかしこと、土木工事に関しては、きわめて高度な技術をもった人たちである?
そこらの衛星をくりぬいて、自分たちの住居とすることくらいなら、朝飯前?
そんな人たちである?
もちろんここに書いたことは、SF小説レベルの話。
しかし「謎だ」「謎だ」と、無理な説明をこじつけるのも、そろそろ限界に来ているのではないか。
でないというのなら、なぜ(イースター島)と(ナスカの地上絵)、さらに(エジプトの三大ピラミッ
ド)が、真一直線に並んでいるのか。
(その先では、アンコールワットにもつながっている、。)
さらにナスカの大十字架(地上からは、何も見えない、幅200メートルの線)が、北は、テオティ
ワカンの遺跡(メキシコ)を示し、南はアンコールワットの遺跡を示しているのか。
つまり(テオティワカンの遺跡)と(ナスカの大十字架)、さらには(アンコールワットの遺跡)は、
真一直線に並んでいるのか。
「偶然の一致」という言葉を使うのも、ふつうの学者なら、もうそろそろ疲れるはず。
どうだろう。
このあたりで一度、発想を変えてみたら?
……ということで、今回「イースター島の謎」について、書いてみた。
(はやし浩司 イースター島の謎 モアイの謎 UFOの形をしたイースター島 家庭教育 育児
教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 Easter Island Moai Mystery of Easter Island)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【古代文明を結ぶ、点と線】エアーズロックの謎
(Mystery of Ayers Rock in Australia)
Ayers Rock is precisely on the direct line between Nazca's Grand Cross and the opposite
point of the global earth of Nazca.
This is the fact found by Hiroshi Hayashi,Hamamatsu-city, Japan on Aug 2nd 2012 and
therefore all writing copy rights are reserved by Hiroshi Hayashi, Japan
【Mystery of Ayers Rock(Ululu) in Australia】V5
(古代文明の謎をつなぐ、点と線)by はやし浩司
V4ガイダンス・ビデオ
●ピラミッド
古代文明においては、(なにをもって「古代文明」というかについては、議論もあるが)、ピラミ
ッドが重要な意味をもつ。
現代風に言えば、駅。
「点」。
昨日も、「ピラミッドなど、どこにでもあるではないか」とコメントを寄せてくれた人がいた。
「点と点をつなぎ、その下にピラミッドがあったからといって、それがどうした?」と。
「偶然の一致にすぎない!」と。
そうかもしれない。
ピラミッドは、全世界に点在している。
しかしそうでないかもしれない。
現在にまで「ピラミッド」として残っているピラミッドは、そうは多くない。
が、(事実)というのは、恐ろしい。
掘り下げれば、掘り下げるほど、その下に、別の謎が見えてくる。
ひとつの例をあげる。
●ナスカとアンコールワット
ナスカ(ペルー)とアンコールワット(カンボジア)は、たがいに極関係にある。
(正確には、ややずれている。後述。)
北極と南極の関係と考えるとわかりやすい。
私も若いころ、アルゼンチンのブエノスアイレスに立ったとき、こう思った。
「ここは日本の裏側だ」と。
だからといって、日本からどの方向に進んでも、ブエノスアイレスへたどり着くというわけでは
ない。
しっかりと方向を定めないと、とんでもない方向に進んでしまう。
北極にたとえるなら、経線に沿って行かないと、直線的には、南極にたどりつくことはできな
い。
●亀ヶ岡遺跡
(亀ヶ岡遺跡に残る、遮光器土偶。かねてから宇宙服を着た宇宙人ではないかと言われてい
る。)
青森県つがる市に、亀ヶ岡遺跡がある。
遮光器土偶でよく知られた遺跡である。
以前から宇宙服を着た異星人であると言われている。
(もちろん考古学者や歴史学者は、それを認めていないが……。)
そこで私は、アンコールワットと青森県つがる市を、グーグルアース上で、つないでみた。
(現在、つがる市は、5市町村が合併し、結構広い範囲にちらばっている。
そこで「亀ヶ岡」に点を求め、アンコールワットと亀ヶ岡を線でつないでみた。)
つまり、ここで書いたように、「一歩、掘り下げてみた」。
(アンコールワットと青森県つるが市亀ヶ岡を結ぶ直線は、まっすぐナスカへ向かっている。)
機首方位(方位角)、42・31度という数字が出てくる。
その亀ヶ岡を起点に、機首角42・31度で、さらに先に進んでみる。
するとどうだろう。
直線は、カルフォルニア半島の先をかすめ、ズバリ、ナスカにつながった。
つまり(アンコールワット)―(亀ヶ岡)―(ナスカの地上絵)は、真一直線でつながっている。(は
やし浩司説)
(この事実を疑う人は、自分で確認してみるとよい。)
●事実
もちろん亀ヶ岡にある亀ヶ岡遺跡は、先に書いた「点」とは、とてもいいがたい。
異様な服装をした、遮光器土偶が発見された。
それだけの「遺跡」にすぎない。
目だったピラミッドがあるわけではない。
が、それでも、ほんの少し掘り下げてみただけで、私たちは別の謎がそこにあることを知ること
ができる。
事実というのは、そういうもの。
掘り下げれば掘り下げるほど、それを裏づけるかのように、別の謎につき当たる。
それに……。
亀ヶ岡遺跡は、ギザのピラミッドなどと比較しても、あまりにスケールが小さい。
世界でも、ほとんど知られていない。
「偶然の一致」と言われても、反論できない。
が、つぎの事実はちがう。
(ナスカ)→(オーストラリアのエアーズロック)→(アンコールワット)も、これまた、一本の直線
でつながっている。
古代より、アボリニジーの伝説によれば、「エアーズロックは、天から降ってきた」という。
真偽のほどは、ともかくも、しかしこの事実を、どう考えたらよいのか。
●(ナスカ)ー(エアーズロック)ー(アンコールワット)
Mystery of Ayers Rock
グーグルアース上で、(ナスカ)ー(エアーズロック)ー(アンコールワット)をつないでみる。
実際には、(ナスカ)と(アンコールワット)は、極関係、つまり地球の正反対の位置にあるの
で、直接的には、グーグルアース上では、つなぐことができない。
まず(ナスカ)−(エアーズロック)をつなぐ。
つぎに同じ機首方位を保ちながら、(エアーズロック)から、(アンコールワット)に向かう。
(エアーズロックとナスカをつなぐ。)
それを見てもわかるように、エアーズロックは、(ナスカ)と(アンコールワット)をつなぐ、ほぼ
直線上にあることがわかる。(はやし浩司説)
(ナスカ→エアーズロック→アンコールワットを結ぶ直線は、厳密な意味では、真直線ではな
い。エアーズロックで折れ曲がり、ややずれている。)
そこでさらに正確を期するため、つぎの作業をしてみる。
というのも、この事実は、オーストラリアの歴史をひっくり返すほどの重要性をもつからである。
(1)ナスカ(十字架の交点)と、地球上で正反対の位置を、計算で求めてみる。
ナスカ……西経 75度10分32・75秒
南緯 14度42分40・39秒
。
従って、ナスカと正反対にある地点は、
正反対の地点……東経 180度ー75度10分32・75秒=104度59分27・25秒
……北緯 14度42分40・39秒、となる。
(1分は60秒であることに注意。)
(ナスカの反極点、アンコールワットより、やや東にずれている。)
そこでその正反対の位置に、マークをつけてみる。
その地点(ナスカの反極点)から、(エアーズロック)を直線でつないでみる。
そうすると、(ナスカの反極点=アンコールワットの近郊)→(エアーズロック)→(ナスカ)は、真
一直線でつながっているのが、わかる。
(機首方位もまったく同じ!)
(赤い線……エアーズロック→アンコールワットを結ぶ直線、黄色い線……エアーズロック→ナ
スカの反極点を、結ぶ直線。)
(Ayers Rock is precisely on a direct line between Nazca(Grand Cross) and Nazca's opposite
side of the Global Earth! オーストラリアのエアーズロックは、ナスカの十字架と、ナスカの正反 対側にある地点、アンコールワットの近郊を結ぶ、真直線上にある。)
真・一直線だぞ!
わかるか!
真・一直線だぞ!(はやし浩司説)
もしこの事実を知ったら、オーストラリアならみな、驚くだろう。
エアーズロックは、まさに(そこにあってはいけない岩)だからである。
つまりエアーズロックは、そこが(ナスカ)と(ナスカの正反極点)を結ぶ直線上にあることを知
って、だれかが置いた!(はやし浩司説)
これは偶然の一致でも、何でもない。
ないことは、この直線をみればわかる。
オーストラリアで、エアーズロックといえば、何を意味する「岩」か。
オーストラリア人なら、だれでも知っている。
●点の整理
そこで「点」を整理してみる必要がある。
遺跡なら、どこでもよいというわけではない。
相互に重要な意味をもつ、点である。
その第一が、エジプトのピラミッドと考えてよい。
空港にたとえるなら、ハブ空港。
ここを起点にし、真一直線で、(ナスカ)−(イースター島)へとつながる。
その(ナスカ)のほぼ正反対の位置にあるのが、(アンコールワット)。
(ナスカ)と(アンコールワット)を直線でつなぎ、(ナスカ)から北へ向かうと、そこにあるのは、
(テオティワカン)。
つまり(テオティワカン)−(ナスカ)−(アンコールワット)は、これまた真一直線でつながる。
ほかに、エジプトのピラミッドは、(テオティワカン)−(シュメールのウル)−(西安)と、これま
た一直線につながっている。
(ただしグーグルアース上ではなく、メルカトール地図の上において。既知の事実。)
シュメールは、旧約聖書の母体となった文明。
「チグリス、ユーフラテス文明」の名でよく知られている。
西安は、黄河文明発祥の地である。
ほかにも重要な「点」はあるかもしれない。
しかしこうしたつながりから、私たちは、「重要な点」を特定することができる。
それらを並べてみる。
(1)エジプトのギザ
(2)ナスカの地上絵
(3)アンコールワット
(4)テオティワカン
(5)イースター島
これらの重要な点を、それぞれに結ぶと、その直線下に、今まで「謎」と呼ばれてきた遺跡や
オーパーツが顔を出す。
亀ヶ岡遺跡に残る、遮光器土偶もそのひとつ。
が、先にも書いたように、スケールが小さい。
しかしエアーズロックとなると、そうはいかない。
なお(ナスカの反極点、アンコールワットの近郊)−(エアーズロック)の距離は、5256キロメ
ートル。
(エアーズロック)−(ナスカの大十字架の交点)の距離は、1万4748キロメートル。
ほぼ、1:3の距離にあることがわかる。
●30度
もちろん数字のもつ意味も大きい。
たとえば(ギザのピラミッド)―(ナスカの地上絵)−(イースター島)は、真一直線でつながって
いる。(既知の事実。)
これをここで仮に「A線」とする。
(ギザのピラミッドとナスカ、さらにイースター島を結ぶ直線は、赤道と30度の角度を作るとい
う。既知事実。それを確認してみる。)
その真一直線は、赤道に対して30度の角度を保っているという(既知の事実)。
が、そのまま鵜呑みにすることはできない。
何しろ地球は、球体である。
メルカトール図法の地図の上で、30度といっても、そのまま信ずるわけにはいかない。
(メルカトール図法の地図は、方位については、かなり正確に表示されるが……。)
自分で確かめてみる。
●A線と赤道
グーグルアース上で、赤道を求める。
緯度が0度になる点をつなげばよい。
(といっても、厳密には、0・00度を求めるのは容易なことではない。
マウスを上下すると、わずかな動きで大きく変動する。)
この線と、A線が重なる点を求める。
その点から、ギザの機首方位を測ってみる。
結果、59・87度という数字が出てきた。
反対側にあるナスカに方向を定めると、239・73度という数字が出てきた。
(水平線が、赤道。斜め右上方から、左下方へ走る線が、ギザとナスカ→イースター島を結ぶ
真直線)
測定方法が、手動によるものであることを考えるなら、これは「ピタリ30度」と言ってよい数字
である。
が、懐疑主義者の人たちは、こう言うだろう。
「それも偶然の一致」と。
●円形の岬
ついでに、……これはあくまでも思いつきだが、ついでにA線と赤道が交わる点に何がある
か、調べてみた。
が、事実というのは、おもしろい。
けっして私たちを裏切らない。
(赤道とA直線の交点。)
調べてみると、円形の岬があることがわかった。
もしだれかに意図的に、(「意図的」と断言してよいが)、A線が赤道に対して30度の角度を保
っているとするなら、そのだれかは、赤道を知っていたことになる。
だとするなら、A線と赤道の交点に、何かの目印を置いたとしても、不思議ではない。
これも現代の航空機の飛行方法とよく似ている。
それがこの円形の岬なのか?
(ギザとナスカを結ぶ直線上にある、円形の岬。何か意味があるのだろうか?)
おそらくナスカからギザへ向かう飛行士たちは、この円形の岬をひとつの目印にしただろう。
眼下にその岬を見ながら、大西洋に出たにちがいない。
が、残念ながら、その岬の周辺をあちこち探してみたが、「これ!」というものは、何も見つから
なかった。
で、ここでひとつの新たなる仮定が生まれる。
古代文明を指導した人たちは、人間(もとから地球上にいた人間)の多く集まったところに、
文明を開いた、と。(はやし浩司説)
●未知の世界
こうして私はつぎつぎと未知の世界へと引きずりこまれていく。
おもしろい。
楽しい。
が、残念ながら、時間がない。
今日の仕事が待っている。
来週は、御殿場市で大きな講演会がある。
テーマは『謎の古代文明』。
……というのは、ウソ。
テーマは『幼児期に決まる、子どもの4つの方向性』。
何とも、まだるっこいテーマではないか!
(補足)
●もしエアーズロックが、真東を指す標識(岩)であったと仮定すると、浸食される前のエアー
ズ・ロックは、こんなふうではなかったか。
あくまでも、これは仮定。
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
(補足)
●もしエアーズロックが、真東を指す標識(岩)であったと仮定すると、浸食される前のエアー
ズ・ロックは、こんなふうではなかったか。
あくまでも、これは仮定。
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【テオティワカンの月のピラミッド】
●底なしにつづく謎。
しかしその謎も、点と点で結ばれている。
(テオティワカンの月のピラミッド→テオティワカンの長い参道から伸びる延長線は、イースター
島の西まで、やってくる。しかしドンピシャではない! やや西側にずれている。)
(3本の赤い線に注目。左から、(1)月のピラミッド→参道を通って南へ抜ける直線、(2)イー
スター島とテオティワカンの月のピラミッドを結ぶ直線、(3)太陽のピラミッドの側面の頂点を結 んだ直線を延長した直線。(3)の直線は、ドンピシャ、イースター島につながっている。)
●テオティワカンのピラミッド
テオティワカンのピラミッドも、アンコール・ワットのピラミッドも、真南を向いているわけではな
い。
東西南北を示す線からはわずかにずれている。
(機首方位、194・91度前後。)
テオティワカンの月のピラミッドの前面には、長い参道がある。
(1)その参道上に、正確に一本の直線を引き、それがどこに向かっているかを調べた。
結果、イースター島のやや西よりの海を示しているのが、わかった。
が、この「やや」の解釈をどうするか?
(2)そこで今度は、イースター島のテレバカ山山頂とテオティワカンの月のピラミッドの頂点を
直線で結んでみた。
テオティワカン参道の延長線は、その線から、やや西よりにずれているのが、わかった。
(3)あれほどのピラミッドを建設した人たちが、どうしてこんな単純なミスを犯したのか。
ここにも書いたように、テオティワカンのピラミッドから参道を抜けてつながる直線は、真南を示
していない。
イースター島からも、はずれている。
(4)そこで参道を無視する。
というのも、参道は、後の人たちが、たいした測量もせず、(またその能力もなかっただろう
が)、おおよその見当で建設した。
その可能性は残る。
(5)そこで今度は、太陽のピラミッドの側面に注目した。
月のピラミッドは、グーグルアース上では、日陰になった部分が多く、四角形の頂点がわかり
づらかった。
太陽のピラミッドは、太陽の陽光を浴び、角(頂点)が、とりやすかった。
そこで北側の頂点と南側の頂点を結んでみた。
結果!
太陽のピラミッドの西側の両頂点を結んだ直線は、真一直線に、イースター島につながっ
た。
「真一直線」というのは、「まったく狂いもなく」という意味である。
テオティワカンのピラミッドは、真一直線に、イースター島の方向を向いている。
これを疑う人は、自分で調べてみたらよい。
つまりテオティワカンのピラミッドは、真南を向いているのではなく、やや西より、つまりイース
ター島に向かって、向いている。
【アンコール・ワットのピラミッド】
では、アンコール・ワットのピラミッドはどうか。
同じくアンコール・ワットのピラミッドも、真南を向いていない。
ほかの遺跡が、西向きに建設されていることから、西向きと考えても、真西を向いていない。
アンコール・ワットのピラミッドの方位を正確に調べてみた。
結果はつぎの通り。
179・53度(73・18M)西側面
90・34度?(77・35M)北側面
89・96度?(76・37M)南側面
179・77度(73・23M)東側面
(注:グーグルアース上では、日陰になった部分もあり、正確には測定できない。)
(アンコール・ワットは、ドンピシャではないが、ほぼ真西に向かって建てられている。)
その証拠に、アンコール・ワットの西側には、恐らく衛星写真でしか判別できないような参道
が残っている。
その参道の上に赤線を引いてみた。
機首方位(角)、270・26度。
測定の誤差も加味するなら、これはドンピシャの西向きということになる。
この写真で注意してほしいのは、ピラミッドの南側には、参道らしきものは、ない。
東側には、多くの遺跡が建てられている。
が、こうした遺跡は、古代文明の謎を解くためには、害になることはあっても、参考にはならな
い。
つづく為政者たちが、古代からあった遺跡を、自分たちの権威づけのために利用するという
ケースは多い。
イースター島では、モアイは「墓」ということになっている。
モアイの下から多数の人骨が発見されたからである。
しかし逆に考えると、イースター島の住人たちは、それ以前からあったモアイを「墓」として利用
しただけなのかもしれない。
さらに言えば、エジプトの三大ピラミッドにしてもそうだ。
あの三大ピラミッドは、歴代の王たちが建造したことになっている。
しかし今も昔も、エジプトには、それだけの建築技術はない。
(まねごとをし、自分たちのピラミッドを作ろうとはしたが、崩れたり、壊れたりし、建設に失敗は
しているが……。)
あれほどまでの天文学があったのなら、どうして今に残っていないのか。
あれほどまでの建築学があったのなら、どうして今に残っていないのか。
古ぼけた車で、観光客を乗せ、案内することぐらいなら、だれにでもできるが……。
つまり歴代の王たちは、それ以前からあったピラミッドを、自分たちの「墓」として利用しただ
け。
……ということは断言できないにしても、謎は、原点から解く。
言うまでもなく、「原点」とは、「ナスカの地上絵、大十字架(Grand Cross)である。
あの十字架を北に進めば、テオティワカンのピラミッド。
南に進めば、アンコール・ワットのピラミッド。
真一直線でつながっている。
そして改めて検証するまでもなく、テオティワカンの月のピラミッドと、アンコール・ワットのピラ
ミッドは、一卵性双生児のように、よく似ている。
もう一度、確認してみよう。
●テオティワカンの月のピラミッドvsアンコール・ワットのピラミッド
テオティワカンの月のピラミッドvsアンコール・ワットのピラミッド。
形、段数が同じということは、別にし、私は、格段ごとの比率に着目してみる。
……というような重箱の隅をほじくりかえすようなことはやめる。
まさに百聞は一見に如かず。
あとは自分で調べてみてほしい。
ほかにも調べたいことが、山のようにある。
●結論
(1)ナスカの大十字架の北方向には、テオティワカンのピラミッドがある。
(2)テオティワカンの太陽のピラミッドの側面を延長すると、(つまり真南)には、イースター島
がある。
(3)イースター島のテラバカ山の山頂と、ナウ・ナウ・モアイを結ぶと、その先にナスカの大十
字架がある。
(イースター島と、ナスカを結んだ真直線先に、エジプトのギザのピラミッドがある※。)
(4)ナスカの大十字架の東と南には、アンコール・ワットのピラミッドがある。
(5)アンコール・ワットのピラミッドは、正確に西向きに建てられている。
補足だが、(6)アンコールワットの東北190キロの地点(ここはナスカの大十字架の正極点
=ナスカの真反対側)と、ナスカの大十字架の交点を結んだ真直線下に、オーストラリアのエ アーズ・ロック(ウルル)がある。
さらにマイナーな補足だが、(つまりあまり意味がないが)、アンコール・ワットと、ナスカの十字
架を結んだ途中に、亀ヶ岡遺跡(青森県)があり、そこでは遮光器土偶が発見されている。
日本人の私たちに無視できない事実である。
(以上、※部をのぞいて、私、はやし浩司が発見した。
これを疑う人は、自分で調べてみたらよい。
2012/08/03記。)
なおさらに補足的意見を付け加えるなら、これらの古代文明を宇宙的な視点で指揮した人
は、方位、方角には、異常なまでに細心の注意を払っている。
が、距離には、うとい。
言い換えると、距離をあまり気にしなくてもよいような乗り物に乗っていた?
たとえば、エジプトのギザから、ナスカの十字架までは、約1万2000キロ。
同じくエジプトのギザから、テオティワカンのピラミッドまでも、同じく約1万2000キロ。
ほぼ同距離だが、「偶然の一致」と言われると、反論は、できない。
以上、テオティワカンとアンコール・ワットの謎について、書いてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 テオティワカン アンコール・ワッ ト)2012/08/03
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
(追記)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【Olgas(オルガ山)の謎】
●オルガス山とエアーズ・ロック(オーストラリア)
エアーズ・ロックは、そこから28キロ前後離れた、オルガス山から運ばれた岩である。
……ということを、私は書いた。
オルガス山は、世界第一の岩の山。
エアーズ・ロックは、世界第二の岩の山。
この2つの山は、地下山脈を通して、つながっているという(公式見解)。
しかしこの2つの山は、見た感じ、まったく異質の山である。
百聞は一見に如かず。
自分の目で、確認しておいてほしい。
(エアーズ・ロック。美しい縞模様が、はっきりと見て取れる。)
(マウント・オルガス。山全体が、ただれたようになっている。)
●焼けただれた山
そこでグーグル・アースを使い、オルガス山のあちこちを、側面から調べてみた。
以下が、その写真である。
(まず、オルガス山全体。)
(まず、この山に注目。直径が400メートル前後。これをX山とする。)
(山肌が、溶けて流れているような印象を受ける。)
(つぎにこの山に注目。)
(この山肌も、溶けて流れているような印象を受ける。)
(探す必要もないほど、あちこちの山肌が溶けて流れている?)
(同じく。)
(同じく)
(同じく)
●噴火口のない溶岩
地質学者なら、みなこう言うだろう。
「溶岩の可能性がある」と。
しかし写真をよく見てほしい。
どの山にも、噴火口らしきものは、ない。
まったくない。
地質学の世界には、「浸食」という言葉もある。
しかし浸食によって、できたのでもない。
そこでX山の周囲をぐるりと回ってみた。
X山のある側面は、溶岩なら溶岩でもよいが、それがただれて下方部までつづいている。
しかし反対側では、その溶岩が途中で止まっている(上述、写真)。
まわりくどい言い方はやめよう。
このオルガス山は、一度以上、(多分、溶岩のできぐあいからして、1度かと思われるが)、き
わめて高熱な熱源にさらされたと考えられる。
しかし爆発ではない。
爆発なら、山自体が吹き飛んでしまうはず。
山が溶けて流れるほど、高熱に、しかもかなりの時間、さらされた。
常識ある人なら、みな、そう考える。
(あるいは、このあたりは、核兵器の実験場だったのか?
その可能性もないわけではないので、オーストラリアの友人に目下、確認中。(2012/08/04)
●エアーズ・ロック
仮に風化と浸食によってでいたものとしよう。
気が遠くなるほどの時間をかけて、できたものとしよう。
ならば聞きたい。
どうしてエアーズ・ロックの山肌は、はっきりとした縞模様を保っているのか、と。
「美しい」という形容詞をつけても、何も、おかしくない。
「美しい縞模様」である。
同じ時期に地上に浮き上がり、同じ山脈でつながっている2つの山が、どうして、こうまで異な
るのか。
一方は、ほぼ三角形をし、ほぼ東をさしている(エアーズロック)。
他方は、まるで工事現場のよう。
しかもどの山も、頂上から下へ、山肌が溶けて流れている。
が、どこにも溶岩口はない。
もちろん火山でもない。
かりに太古の昔に、火山があったとするなら、どうして溶岩のような岩だけが、かくも明確な形
で、現在に残っているのか?
言うまでもなく、これらの山肌は、1億年とか、10億年とかいう昔ではなく、1万年、あるいは
10万年という昔にこうなったと考えるのが自然である。
つまりだれかによって、そのだれかがもつ強力な熱源によって、山肌は溶けて流れ出した。
繰り返すが、しかし爆発によるものではない。
溶岩のように流れ出すには、それなりの時間が必要である。
目的はわからない。
●エアーズ・ロック
オルガス山をよく見ると、中央部に、ちょうど三角形の大きさの空白があることがわかる。
「まさか?」と思いながら、エアーズ・ロックを切り抜き、その場所に置いてみた。
が、これがピタリと一致した。
驚いた。
(そこへエアーズ・ロックを切り抜いておいてみた。もちろん同じ縮尺である。)
(周囲の模様と合わないので、エアーズロックを反転させてみた。エアーズロックが逆さま(Up
side down)になった状態である。
(位置を少し、調整してみた。)
(私は、エアーズロックは、ここから切り出されたものと思うが、しかし地層の筋と線が合わな
い。オルガス山は、横縞模様。エアーズ・ロックは、縦縞模様。したがってここでは、あくまでも 謎ということにしておく。)
●偶然の一致?
これも念のため……ということで、こんなことも調べてみた。
オルガス山の中には、奇妙な形をした山が5〜7本、つながっているところがある。
その中の1本に着目。
もっとも美しい直線的になっている。
この直線に1本の直線を入れ、その直線が、どこに向かっているかを調べてみた。
(1本の山に、直線を入れてみた。)
「たぶんそうだろうな」と思いつつ、その直線を西側に延ばしてみると、案の定というか、当た
り前のように、メキシコのテオティワカンの方向(ほぼドンピシャ)に向かった。
東側に延ばすと、おなじくテオティワカンの方向に(ややずれてかな?)向かった。
この山そのものが、幅があり、基点とするには、無理がある。
最初の直線の置き方で、大きく方向がずれる。
これを疑う人は、この写真を参考に、自分で直線を延ばしてみるとよい。
●エアーズロック
エアーズロックは、三角形をした山である。
いろいろな見方はあるだろうが、幾何学的には、三角形。
しかも矢印型。
で、つぎのような条件をつけ、もとはどんな形だったかを推察してみた。
(1)真東を指すように置かれた岩である。(写真中、右寄りにある黄色い線が、真東を指す。)
(2)二等辺三角形であった。(目印としては、常識的である。あくまでも人間の常識?)
(3)右側の斜辺が直線的であるから、この斜辺を1辺とする。
こうして順に作図してみると、つぎのようになった。
(右よりの黄色い線が、真東を指す。)
(以下、順に線を加えていく。)
(以上のようにしてできあがったのが、この二等辺三角形である。)
●地上の道しるべ?
古代文明の謎は、つづく。
で、今回は、オーストラリアのエアーズロック(Ululu)に焦点を当ててみた。
で、こうした謎を解いている過程で、ふとこう思う。
それがだれであるにせよ、地球を宇宙から見おろす人たちである。
そんな高度な知的能力をもっている人たちが、なぜ、こうした道しるべをあちこちに残すか、
と。
地上、つまり地球上のあちこちに、である。
理由は、そうした人たちの視点に立ってみると、よくわかる。
彼らは、ここにも書いたように、宇宙を自由に航行する人たちである。
宇宙人という名前は、彼らにこそ、ふさわしい。
そういう宇宙人たちは、宇宙を航行するとき、何を道しるべにするだろうか。
答は簡単。
星である。
漆黒の闇の中に光る星である。
星々である。
が、地球に近づき、大気圏内に入ったとたん、それまで経験しなかったような、まばゆい光のシ
ャワーに包まれる。
恐らく彼らの目は、その瞬間、役に立たなくなるだろう。
まぶしい。
あまりにも、まぶしい。
その光をさえぎるためには、いろいろな方法があるだろう。
それはさておき、その大気圏内からは、星々を見ることはできない。
夜はともかくも、昼は見ることはできない。
大気圏といっても、卵にたとえるなら、卵を包む、薄皮程度の厚さしかない。
その薄皮のために、高度に知的な(道しるべ)を用意することはできない。
少なくとも、古代地球にやってきた宇宙人たちにとっては、そうであっただろう。
そこで(道しるべ)となった。
彼らは、地球にあるもの、その多くは岩石だが、その岩石を使い、自分たちの道しるべを作っ
た。
そのひとつが、オーストラリア大陸に残る、エアーズ・ロックかもしれない……ということで、今回
は、そのエアーズロックの謎に迫る。
なぜ、そこにエアーズ・ロック(ウルル)があるのか?
(V5では、そのエアーズロックの謎について、書いてみた。
夏の夜の大ロマン。
さあ、あなたもでかけよう、星々の世界。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 エアーズロック エアーズロックの 謎 ウルル はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林 浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 マウント オルガス Mount Olgas Ayers Rock Ululu エアーズロックの謎 エアーズロックは、どこから 謎のエアー ズロック エアーズ・ロック)2012/08/04記
今までの総合ガイダンス用・ビデオ
http://youtu.be/Azl5dvTOh4Y
(ここまでの要点)
古代文明は、イースター島からナスカへの一本の直線で始まった。
そのナスカを真直線に延ばしたところに、エジプトのギザがある。
ナスカの大十字架の北には、テオティワカンがあり、南には、アンコールワットがある。
アンコールワットは、ナスカの反極点(地球の反対側、アンコールワットから北東へ190キロの
地点)にある。
このアンコールワットと、ナスカ、テオティワカンを結んだ、直線上に、エアーズロックなどがあ
る。
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司※
【三叉の大燭台の謎】(今まで謎だったのが、不思議な謎)
【三叉の大燭台の謎】(今まで謎だったのが、不思議な謎)
●ただの標識
今まで歴史の謎とされてきたものが、ものの数分で解けることがある。
そのひとつが、『三叉の大燭台』。
『ペルーのナスカ地方から北西へ、170キロほど離れたパラカス半島。
そのピスコ湾を望む海に面した砂漠の斜面にも、謎の地上絵が存在する。
三叉の大燭台と呼ばれる図像がそれだ。
付近の遺跡からは紀元前時代の土器が発見されており、当時ここに栄えたパラカス文化の栄
華をしのばせる大地上絵だ。
地上絵といえば付近のナスカ文化が有名だが、パラカス文化そのものはもともとナスカ文化の
前身に当たる。
だがいずれにしても、いつ頃、なぜこの大燭台が描かれたのか、多くは謎のままだ。
全長200メートル、深さ1メートルほどのこの図形は、夜間でも遠方から識別できるように白い
燐光を放つ小石が並べられていたという説がある。
そのためナスカ平原飛行場説を裏づける航空標識として注目されたこともあった。
図像については、当地の伝承からヴィラコチャ神(インカ帝国で信仰されていた神)の稲妻の
杖、あるいは南十字星を表したものともいわれている』(FC2・歴史・古代文明と世界のミステリ ー)と。
●常識を疑う
だれしも3本の縦線に意味があると思う。
(たしかに意味があるが……。後述。)
当然のこと。
しかしそれだけにこだわっていては謎は解けない。
そこで発想を転換する。
まず横線。
この横線と、マチュピツの天空都市をつないでみる。
これは横線と、一直線につながる。
つまり横線は、マチュピツの天空都市を示す。
(反対にマチュピツの天空都市と、三叉の大燭台をつないでみると、よくわかる。)
(はやし浩司説)
同じ手法で、斜めの線(右側)。
これもまた真直線に、ナスカの大十字架の交点とつながる。
(反対にナスカの大十字架の交点と、三叉の大燭台をつないでみると、よくわかる。)
(はやし浩司説)
では、左側の斜めの線はどうか。
この謎も、簡単に解ける。
そのまま直線をつなぐと、ズバリ、アンコールワット(もしくはナスカの大十字架の正反極点)に
つながる。(詳細は、後述。)
(はやし浩司説)
(真横に、左方向へ進めば、マシュピツの天空都市、斜め左上に進めば、ナスカの大十字架、
斜め右上に進めば、アンコールワット!)
(太平洋、上方は、エアーズ・ロックへの道、下方は、アンコールワットへの道)
(これで三叉の大燭台の謎は、半分、解けた!)
やや図が粗いので、正確な方向はこれではわからないかもしれない。
しかし先にも書いたように、これらの拠点を三叉の大燭台をつないでみると、いとも簡単に謎
が解ける。
(太平洋を横切る赤い線は、(ナスカの大十字架の交点)ー(オーストラリアのエアーズロック)
ー(ナスカの正反極点、アンコールワットの東北)を結ぶ線。
太平洋を横切る黄色い線は、そのまま(ナスカのアンコールワット)に向かっている。
反対にこれらの地点と、三叉の大燭台をつないでみると、その正しさが証明できる。)
●縦線について
まず縦線を下(北方向)に延ばしてみる。
どんどんと延ばすと、北極海へ入る。
そのときに向ける「機首方位」によっても多少ずれるが、北極海へ入る。
そこで今度は北極点を探し出し、北極点と三叉の大燭台をつないでみる。
こうして縦線(中央)は、下方向には、北極点を指し示していることがわかる。
(ややずれている感じはするが、しかしつぎのことを知ったら、みな驚くだろう。)
が、問題は、上方、つまり南方向。
そこで北極から延ばした真直線を、機首方位に注意しながら、上方(南)へ延ばす。
(三叉の大燭台を起点にするのではなく、北極から延ばしてきた真直線を、さらに上方(南)へ
延ばす。
機首方向は、ほぼ180度。
この直線は、ズバリ、南極を通過し、またまた(アンコールワット)をめざす。
(グーグルアースでは、地球の半周分、つまり約2万キロがちかづくと、直線がきわめてとりにく
くなる。
そのため、いつもやや少し手前で、直線を止める。)
こうして(北極点)→(三叉の大燭台)→(南極点)→(アンコールワット)は、真一直線でつなが
った。
つまり縦線は、下方(北)は、北極点を指し示し、上方(南)は、南極点から、アンコールワットを
示すことになる。
ついでに、これらの点の緯度、経度を表にしたので、ここに示す。
(ナスカの反極点が、アンコールワットの近郊。三叉の大燭台の反極点が、アンコールワットで
あることを示す。
その間の距離は、たがいに、190キロと160キロ。
地球が完全な球形でないことを考慮するなら、これは許容誤差の範囲内にあるといえる。)
●結論
今まで「謎だ」「謎だ」としてきたほうが、かえって謎に思える。
どうしてこんな簡単なことが、だれにも、わからなかったのか?
それが私には、そちらのほうが、不思議でならない。
なお私が解く以前に、三叉の大燭台の謎を解いたホームページも書籍も、私は見つけていな
い。
日付をしっかりと、ここに残しておく。
もちろん発見者は、このはやし浩司である。
それにしても、考古学者たちの説明が楽しい。
ただの標識を、「当地の伝承からヴィラコチャ神(インカ帝国で信仰されていた神)の稲妻の
杖、あるいは南十字星を表したものともいわれている」とは!
こんな説明がまかり通るなら、これからは、道路の交通標識だって、遺跡になる!
平成24年8月4日(土)。
(参考)
(横軸になっている赤線は、マチュピチュと、三叉の大燭台をつないだ線)
(ポイントとなる点に、赤点をつけてみた。)
(それぞれの点を、赤線でつないでみた。)
(それぞれの方向を示す地名を書き入れてみた。
これを確かめるためには、逆に、先方から、この三叉の大燭台に線を引いてみるとよい)
(まず、下方(北)へ、縦線を延ばしてみる。
機首方位に注意しながら、どんどん北へのばす。)
(三叉の大燭台からの直線は、北極海へ入った。)
(同じく)
(北極点。右の赤い線は、三叉の大燭台から、下方(北)へ延ばした直線。)
(そこで今度は、北極点から、三叉の大燭台に向かって線を引いてみる。
写真中、左側の黄色い線がそれ。)
(黄色い線は、北極点からの真直線。
この北極からの真直線を、上方(南)にさらに延長してみる。)
(黄線……南極点を通過する、(北極点)→(三叉の大燭台)の延長・真直線。
赤線(左側)……ナスカの大十字架と、(エアーズロック)→(ナスカの反極点)を結ぶ真直
線。)
赤線(右側)……三叉の大燭台から、アンコールワットに向かう直線、上述。)
(北極点→三叉の大燭台→南極点→……の線を、ギリギリまで延長してみた。
下方から上方に延びる直線。
距離が2万キロメートルにちかづくと、グーグルアース上では、直線がたいへんとりにくくなる。)
つまり「三叉の大燭台」は、方向を指示する標識であった!
これを疑う人は、グーグルアースを使い、自分で確認してみたらよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 三叉の大燭台 大燭台の謎 ペ ルーの三叉の大燭台)2012/08/05追記
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【夏の夜の、大ロマン】2012年の夏
●偶然
点と点がつながる。
1本の線が浮かびあがる。
が、線だけでは、意味をもたない。
そこには「偶然」という壁が立ちはだかる。
今回も、一連のこうした原稿を書き始めただけで、「偶然」という言葉を、何10回も聞いた。
私の息子たちですら、その言葉を口にした。
が、点と点が、さらにつながっていく。
さらに多くの線が現れ、そこに、形が現れる。
最初はおぼろげな姿だが、やがてだれにも、「それ」とわかる形が現れる。
同時に、「偶然」という言葉が、「もしかしたら……」という気持ちに変わる。
●確信
私たちには、確信があった。
みなが言うUFOなるものを、目撃している。
あのUFOだけは、見た人でないと、信じない。
一方、見た人は、その日から人生観そのものが、変わる。
先日、九州まで会いに行った男性もそうだった。
それまでは、UFOの「ユ」の字も信じていなかった。
UFOの話をする人は、変わり者と考えていた。
頭のおかしな人だけが、UFOを信じていると思っていた。
だれがどのように話をしても、UFOを信じなかった。
「信ずる」ことは、それまでの自分を否定することになる。
が、自分で見たとたん、その男性は、「信ずる」という範囲を超えた。
確信するまでもない。
その男性は「見た」のだ。
●正体
私が見たUFOについても、そうだ。
それが今、こうして原稿を書く、原動力となっている。
けっして他人の話を信じているからではない。
またその程度の「確信」では、ここまで書けない。
気力がつづかない。
私は、ワイフとあの夜見たものの、正体を知りたい。
あれが何であったのか、それを知りたい。
死ぬまでに、どうしてもそれを知りたい。
残り、15年……。
平均余命年齢まで生きられるとして、15年。
……という思いが、私の気力を、底からつきあげる。
●検証
かつて、そして今も、宇宙を自由に航行している人たちがいる。
それを宇宙人と呼ぶなら、宇宙人は、確実にいる。
その宇宙人が、私たちの文明を築いた……というのは、想像だが、しかしその可能性は高い。
その証拠は、ほぼそろった。
そこであとは、それを検証していく。
が、今回もそうだが、検証すればするほど、謎は深まる。
同時に、その答は向こうからやってくる。
「事実」というのは、そういうもの。
どんな謎にも、ちゃんとした理由がある。
●三叉の大燭台
先ほど何気なく本を読んでいたら、「三叉の大燭台」という言葉が目に留まった。
名前だけは以前から、知っていた。
ナスカの地上絵の近くで発見された図形である。
が、その本の中でも、「謎」という言葉が、いくつか使ってあった。
で、最後には、考古学者たちのお決まりの意味のない説明。
……私は、その写真を見て、すぐわかった。
「標識」と。
そこで調べ出すと、数分もたたないうちに、解答が見つかった。
やはり標識だった。
●場所を示す記号
そこまでわかると、今度は、模様の意味まで、おぼろげながらわかるようになる。
その標識を書いた人物の視点の中に、こっそりと入り込めばよい。
たとえば方向を示す「矢印」を描いたら、あなたなら、つぎに何を書くだろうか。
そう、距離と行き先名。
もっとも、宇宙を航行する人たちにとっては、距離など、あまり意味はない。
ひょっとしたら、時速数千キロ、あるいは数万キロまで、一気に加速することができる。
(私とワイフが目撃したUFOにしても、そうだった。
あっという間に、加速し、空の闇の中に溶け込むようにして消えていった。)
となると、「地名」ということになる。
あるいは「場所を示す記号」ということになる。
●広がる事実
三叉の大燭台は、下の直線を左に進めば、あのマチュミチュの天空都市に着く。
あとの2本は、ナスカの大十字架と、アンコールワット。
3本の柱になっているのは、左から、マチュピチュ、ナスカ、そしてアンコールワットを意味す
る。
上のほうに図形が描いてある。
その図形と地名を結びつければ、それを書いた人たちが使っていた文字さえ解読できるかもし
れない。
……というように、(推理)は、つぎつぎと広がっていく。
なおこれについて、あのような(いいかげんな絵)では、方向は定まらないという批判が届い
た。
が、一見粗雑に見える絵だが、実は、精密に方向をとらえる方法が隠されていた。
それを示したのが、下の図である。
つまり調べれば調べるほど、そうした謎が隠されていたことを知る。
●仮定
その一方で、大胆な仮定も生まれる。
たとえば、こんな仮定。
以上の事実からだけでも、(1)イースター島、(2)ナスカの地上絵、(3)アンコール・ワット、
(4)エジプトのピラミッド、(5)メキシコのテオティワカンは、同時期に、「活動」していたというこ とが、仮説として成り立つ。
言い換えると、どれかひとつでも時代(年代)が特定できれば、ほかの残りもすべて、芋づる
式に特定できる。
で、ここで重要なことは、過去の考古学者の意見ほど、いいかげんで、あてにならないものは
ないということ。
こじつけだけは、懸命にする。
しかし王道から、はずれている。
たとえばイースター島。
モアイでよく名を知られている。
で、あのモアイは、「墓」だったそうだ。
モアイの下から、人骨が多く見つかったからだという。
が、発想そのものが逆。
私なら、こう考える。
「後の人たちが、墓に利用しただけ」と。
どこのバカが、あんな巨大な墓など、作るものか!
●『ピラミッド、5000年の嘘』
同じように、ピラミッドについても言える。
「〜〜王」の名前のつくピラミッドは、多い。
しかしそういた王が作ったピラミッドもあるだろうが、(規模も小さく、建設途中で崩落したり、ギ
ブアップしたものがほとんどだが)、たいていはもとからあったピラミッドを墓として利用しただ け。
権威づけのためである。
映画『ピラミッド、5000年の嘘』は、まさにそこを突いた。
が、それで終わっては、はやし浩司が泣く。
……ということで、今回の原稿を、夢中になって書いた。
●証拠集め
物理学者が、理論の段階で、素粒子の存在を予測したように、同じように、私はつぎのことを
予測する。
(1)イースター島、(2)ナスカの地上絵、(3)アンコール・ワット、(4)エジプトのピラミッド、(5)
メキシコのテオティワカンは、同時期に、「活動」していた、と。
私の立場では、「活動していた」に決まっている。
が、少し奥ゆかしく、「していた」と書く。
あとは、その証拠集めだけをていねいにすればよい。
で、この中で、もっとも取っ組みやすい相手といえば、(5)のテオティワカンということになる。
テオティワカンにあるピラミッド(太陽のピラミッド)の側面は、東西南北ではなく、まっすぐイー
スター島の方向を指している。
(側面の直線を延長すれば、ドンピシャ、イースタ島に当たる。)
●年代特定
まず、つぎの5つの遺跡の年代を調べてみる。
(1)イースター島
(2)ナスカの地上絵
(3)アンコール・ワット
(4)エジプトのピラミッド
(5)メキシコのテオティワカン
ウィキペディア百科事典に出てくる数字を並べてみる。
(1)イースター島……「最初の移民がだどり着いたのは4世紀〜5世紀頃だとされている」
(2)ナスカの地上絵……「これらの結果から、時期的には、先行するパラカス文化の終わる紀
元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものだと、ほぼ確定されてい る」
(3)アンコール・ワット……アンコール・ワット遺跡についての記述は多いが、7段式ピラミッド
については、ほとんど記録なし。
(4)ピラミッド……「三大ピラミッド(さんだいピラミッド)とは、エジプト、ギザの砂漠にある3基の
ピラミッドの総称。被葬者は、古代エジプトのファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王 とされる」
「エジプト第4王朝(紀元前2613年頃 - 紀元前2494年頃)は、エジプト古王国時代の古代エジプ
ト王朝。古代エジプト文明を代表する建造物であるギザの大ピラミッドを建設した王朝であり、 そのピラミッドを建設した王としてクフ王、カフラー王、メンカウラー王の名は広く知られている」
(5)メキシコのテオティワカン……「メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀
から6世紀まで存在した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡」
一読してわかるように、点と線でつながっている古代文明の時期が、バラバラ。
いちばん古い年号をもってくると、「クフ王の紀元前2650年前後」ということになる。
つまりそのときに、エジプトのピラミッドがあったとするなら、他の4つの地域も「活動」してい
たことになる。
が、ここに書かれたとおりの年代順ということになると、こうなる。
まずエジプトのギザに、ピラミッドが建設された。
それが紀元前2500年ごろ。
今から4500年ほど前。
そのあとイースター島が「活動」を始めた。
そのあと、ギザとイースター島を結ぶ線の直下に、ナスカの地上絵が描かれた。
それが、紀元前200年ごろ。
アンコール・ワットとテオティワカンのピラミッドが建設されたのは、そのあとということになる。
●謎の繰り返し
が、ここでまた謎が降り出しに戻ってしまう。
私が気になるのは、テオティワカンと、ギザ、ウル(シューメル文明)、西安(黄河文明)が、メ
ルカートル地図の上では、一直線に並ぶこと(既知事実)。
エジプト、メソポタミア、黄河文明が、同時に勢ぞろいする。
エジプト文明のほうが、若いと言われている。
私は、シュメールのアッシリア物語(旧約聖書の母体となった物語、洪水の話なども酷似してい
る)と、黄河の黄帝につづく、帝王たちの治世の計算により、紀元前3500年という数字を、は じき出している。
「黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝で
あるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年〜紀元前2448年)」 (ウィキペディア百科事典)とある。
この五帝のうち、尭、舜、禹の、帝禹の時代に、中国でも大洪水が発生している。
(というか、もともとこれらの帝王というのは、シュメールの神々と同一人物ではなかったかと私
は思っている。
が、それについては、また別の機会に書いてみたい。)
こうしたことから、宇宙を自由に航行する人たちは、紀元前3000年ごろには、すでに「活動」
を始めていたと考えられる。
ナスカの地上絵が描かれたころや、テオティワカンの文明が栄えた、紀元前200年ごろという
のは、ありえない。
いわんやイースター島に、住民が移り住んできたころには、イースター島の使命は、すでに終
わっていた。
●つづく点と線
ともあれ、点と線はまだまだつづく。
すべてを線でつなげるわけではない。
が、今日もたまたま、三叉の大燭台という点が、3つの点と線でつながった。
三叉の大燭台もまた、ナスカの地上絵があったころ、またマチュ・ピチュの天空都市が「活動」
していたころ、描かれた。
言い換えると、三叉の大燭台も、ナスカの地上絵も、マチュ・ピチュの天空都市も、それぞれ
別の文明をもつ人間によって、描かれたり、作られたものではない。
いくら近いといっても、三叉の大燭台とナスカの地上絵までは、160キロ近くも離れている。
マチュ・ピチュまでは、約480キロ。
「ともに連絡を取りあう」ような文明ではなかった。
つまりそうした距離を、まったく問題としない人たちによって、こうした世界は、総合的に支配さ
れていた。
●新たなる謎解き
もう一度、ナスカ(大十字架)と、アンコール・ワットの位置関係に着目する。
つぎの表が、それである。
アンコール・ワットピラミッド頂点E 103度51分21・97秒
N 13度25分25・62秒
(1)
三叉の大燭台W 76度18分31・24秒
S 13度47分39・19秒
(2)
ナスカ(大十字架の交点)W 75度10分32・25秒
S 14度42分40・39秒
(3)
三叉の大燭台の正・反極点
(計算上の地点)W 103度41分28・76秒
S 13度47分39・19秒
(4)
ナスカの正・反極点
(計算上の地点)E 104度59分27・25秒
N 14度42分40・31秒
(5)
(ナスカの反極点が、アンコールワットの近郊。三叉の大燭台の反極点が、アンコールワットで
あることを示す。
その間の距離は、たがいに、190キロと160キロ。
地球が完全な球形でないことを考慮するなら、これは許容誤差の範囲内にあるといえる。)
●ナスカ(大十字架)の反極点
この中で、(5)のナスカの反極点だけは、位置がわかっていない。
そこで調べてみる。
が、以外とその位置(?)は、簡単に見つかった。
その経度と緯度あたりをさぐってみたら、山の上に残る「世界遺産」を発見することができた。
プレアー・ビヒール(プレア・ヴィヘア)・テンプル(Preah Vhear Temple)というのが、それ。
東経……104度40分48・55
北緯…… 14度23分33・72
ナスカ(大十字架)の反極点(地球の反対側)である、
東経……104度59分27・25秒
北緯…… 14度42分40・31秒と、たいへん近い。
しばしプレアー・ビヒール・テンプルの写真に見入る。
カンボジア政府監修の観光ビデオが見つかった。
いきなりティワコナ遺跡(ボリビア)に残る、の太陽の門を思わせる門が出てきたのには、驚い
た。
一見して、「この寺しかないだろうな」と思う。
これは私の勘。
順に写真を並べてみる。
(石組みの仕方に着目。インカ帝国のそれに似ている?)
(石の門に着目。ボリビアのティワコナ遺跡にも「太陽の門」というのが、ある。)
(これはボリビアのティワコナ遺跡の「太陽の門」。)
(左が、ビヒールにある門。右がティワコナ遺跡の「太陽の門」。)
この寺院が、計算上、ナスカの大十字架の反極点あたりにあると考えてよい。
ナスカ平原の大十字架は、縦横10(縦10キロ、横9・5キロ)キロ近くにわたって広がってい
る。
●ロマン
こうして私のロマンは、新たなる世界へと広がっていく。
今度は、カンボジア。
今まで知らなかった世界。
そこにそんな寺院があることさえ知らなかった。
もちろん
だからといって、ここがナスカの反極点というわけではない。
ナスカと関連性があるというのでもない。
あくまでも「近い」というだけ。
これからは、ここを拠点として、周囲の古代遺跡に目を向けてみる。
新たなる旅立ち……ということになる。
2012/08/06記
(参考)左が(ヴィヒア)、右が(ボリビア・ティワコナ遺跡)
(ビヒア……約460メートル)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【今日は、ナスカ平原にある直線の謎解きに、挑戦してみました】
●パレンケの遺跡と、ナスカを、直線でつないでみました。
結果、……お楽しみに!
こうした地上絵は、宇宙から見た高さで考えないと、理解できません。
だれが描いたにせよ、宇宙を自由に飛び回る人たちによって描かれたことは、事実ではないで
しょうか。
ついでに、少し前、編集したビデオも、お届けします。
はやし浩司
(はやし浩司 ナスカ 直線の謎 謎の直線 パレンケ ハミングバードの謎 (はやし浩司 家
庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼 児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 )2012/08/11
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
(はやし浩司 Mystery of Ocean beds and line pictures on the ocean floors Lines lines on
the ocean floors ocean beds the proof aliens are there certain evidence of aliens 異星人 宇 宙人 証拠 (はやし浩司 Hiroshi Hayashi )海底 直線 炭坑 海底炭坑 謎の直線 異星人 の証拠 宇宙人の証拠 されど彼らは、そこにいる 海底の直線 謎の直線 はやし浩司 異 星人の痕跡家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW は やし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 )
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ミステリー・ツアー】真夏の夜のロマン(2012年8月13日版)
●まちがい
昨日は、燃えた。
しかし……?
アメリカに住む息子から、まちがいを指摘された。
残念だったが、息子にはかなわない。
新しく編集しなおした。
が、私はへこたれない!
この2週間で、かなりのところまでわかった。
まちがっているかもしれない。
しかしだれかが先鞭を切らねばならない。
地動説も、大陸移動説も、当時は、「トンデモナイ」と笑われた。
……ということで、今日は2作。
(1)ナスカからのミステリー・ツアー。
(2)真夏の夜のロマン
(海底の線の謎)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 Nazca Peru)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【異星人的視野・論】(異星人との知恵比べ)
(ナスカの謎)
(補足)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
異星人的視野をもつことは、悪いことではない。
人間ではない。
地球の外に住む、異星人。
つまり彼らの立場になり、彼らの目を通して、地球やそこに住む人間を見る。
実は私は、この2週間、それに没頭した。
きっかけは、DVD『ピラミッド』を見たこと。
バリバリと電撃的な衝撃を受けた。
自分でも、それがよくわかった。
以来、グーグル・アースにクギづけ。
何本か動画を作り、YOUTUBEにUPした。
あれこれと思い違いもあったが、それはそれ。
弁解がましいが、「たったの2週間」。
まだ始めたばかり。
が、その「2週間」で、ものの見方が、大きく変わり始めた。
地球や人間を、宇宙から見るようなった。
宇宙から考えるようになった。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●世界から宇宙へ
よくこう言う人がいる。
「日本を本当に知りたかったら、世界へ出ろ」と。
世界的なものの見方が身につくと、日本の見方が一変する。
外国から、日本をながめる。
日本という国が、より輪郭をともなった「形」となり、浮びあがってくる。
たとえばそれまで何とも思っていなかった風俗や習慣。
それらが、「日本の風俗」「日本の習慣」と、区別できるようになる。
●視野
同じように、異星人的視野をもつと、より地球やそこに住む人間が、よくわかる?
そう、あのときの気分に似ている。
私がオーストラリアへ学生として、はじめて飛び立ったときのことである。
見るもの、聞くもの、すべてが驚きの連続だった。
今回も、そうだ。
その道の研究家にとっては、常識的なことかもしれない。
が、私にとっては、はじめての経験だった。
たとえば南米大陸。
その上を、縦横無尽に走り回る。
もう、そこには、国名は、ない。
そこにあるのは、大地と、人間が生活しているという、その「形」だけ。
道路や家々……。
そういった「形」だけ。
当たり前のことだが、あのピラミッドにしてもそうだ。
横から見るのと、上から見るのとでは、大違い。
上空から見ると、的当てゲームの的(まと)のように見える。
たとえば3段式のピラミッドは、三重丸。
7段式のピラミッドは、七重丸。
それまで、ピラミッドを、そういうふうに見たことはなかった。
さらに……。
今までは、北極を「上」にした地図しか知らなかった。
が、今では、南アメリカ大陸を逆さまにしても、平気。
オーストラリア大陸にしても、クルクルと回しながら見ている。
●カビ
当然のことながら、宇宙から地球を見ても、人間の姿はない。
細い道路までは見ることができても、人間の姿はない。
地表面を拡大すれば、自動車くらいまでは見ることはできる。
が、そこまで拡大すると、「地球」そのものが見えなくなる。
地球が「主」とするなら、人間はあくまでもそこに「はびこる」、「カビ」のようなもの。
異星人的視点というのは、まず、そこから始まる。
まず地球。
そこに住む人間は、無数の生き物のひとつ。
●暗い世界
異星人……。
どんな姿をしているのか?
それを考えるだけで、空想はかぎりなくふくらむ。
で、私がまず考えるのは、目の大きな人だろうということ。
彼らは人間が想像もつかないほど、暗い世界に住んでいる。
元の母星がどうかは知らないが、少なくとも、宇宙というのは、そういう世界。
宇宙船から見える世界は、まさに漆黒の暗闇。
虚空の空に輝く星々が、彼らの世界を照らすゆいいつの光。
だから……というか、まず目の大きさを考える。
(あるいはそれなりに進化しているかもしれない。
超好感度の目をしている、とか。)
それがわかれば、彼らがもともとどんな世界に住んでいたかがわかる。
大きければ大きいほど、彼らは暗い世界に住んでいたことになる。
恐らくそうだろう。
言い換えると、この地球は、明るすぎて、彼らの移住の場としては、適さない。
地球の大気圏に入ったとたん、煌々(こうこう)たる光のシャワーで、何も見えない。
そこでサングラスということになる。
遮光性の防御服ということもありえる。
少なくとも、異星人たちは、いきなり地球に降りたつということはできない。
●重力
加えて重力の問題がある。
宇宙を自由に航行しているならなおさら、重力の問題がある。
仮に筋肉なるものがあるとしても、無重力に近い状況の中でのみ、有効。
言うなれば、異星人の筋肉構造は、「魚」に近い。
陸に降り立ったその瞬間、地面にはりつくように倒れてしまう。
異星人が、自ら肉体を支え、地表面を歩くなどいうことは、ありえない。
当然、何らかの補助装置が必要ということになる。
●現実
……というように、今まで考えたこともないことが、つぎつぎと頭の中に浮かんでくる。
SF小説的だが、まったくの作り話ではない。
たとえば現に、ナスカの地上絵は存在する。
無数の直線は、存在する。
が、あれを「人間」が描いたと言う人のほうが、おかしい。
宇宙から見れば、たしかに直線である。
しかし「平原」といっても、ナスカ平原には、かなりの凹凸がある。
周囲には山々もある。
そういった大地や山を通り抜け、真一文字に、直線がつづく。
線によっては、幅が200メートルもある。
大地に立ってみると、それが直線であるかどうかも、わからないという。
ただ、高い空の上からは、直線とわかる。
……というような回りくどい言い方はやめよう。
ナスカ平原に残る直線は、まさに異星人たちによって、描かれた。
●ピラミッド
となると、なぜピラミッドかということになる。
が、これも視点を宇宙に置けば、その理由は、簡単にわかる。
太古の昔、人間の数は少なかった。
1000年前であるにせよ、あるいは1万年前であるにせよ、少なかった。
そういった人間が、かびのように、地面にはいつくばって生きていた。
森はあっただろうが、その森が、人間をおおいつくしていた。
そういった人間や、その人間の集落を、どうやって発見するか。
異星人たちも、それについては、いろいろ考えたのではないか。
当然、目印を考えただろう。
ということで、ピラミッドになった。
森を突き出て、上に出る標識。
しかも石がよい。
岩石がよい。
●基準
いろいろな遺跡が残っている。
しかし今回、私は「ピラミッド」を、ひとつの基準にした。
ピラミッドの残っている遺跡。
さらに言えば、巨石建造物でもよい。
世界には、人間の能力をはるかに超えた巨石建造物は多い。
たとえばイースター島のモアイは、3〜20メートルの高さがあるという。
3メートルくらいなら、まだ何とかなる。
が、20メートルとなると、そうはいかない。
重さにしても、5〜50トンもあるという。
(高さが20メートル、重さ50トンだぞ!)
そんな石の像が、大小さまざま、867体。
材料となった石切り場は、島の東部にある火山口の火口近くにあるという。
その場所から、中には、20キロも離れたところへ、運んだものもあるという。
(東端から西端まで、約23キロ。)
目的も不明なら、運搬手段も不明。
木のコロを利用したという説もある。
が、そうした運搬途中につきものの傷は、どこにも見当たらないという。
その前に、イースター島には、それに使う材木すら、なかった?
ここで私が、「異星人たちが運んだ」と言えば、ほとんどの人は、こう言う。
「バカも休み休み、言え」と。
が、私は反対に、「あれは人間が運んだ」と言えば、こう言う。
「バカも休み休み、言え」と。
なおモアイは、現在では、「墓」説が常識になっている。
モアイの下から、人骨が多数、見つかっているのが、その根拠になっている。
が、これもおかしい。
……というような議論は、もうやめよう。
たかが墓石。
どこのバカが、そんな巨大な墓など作るか!
今も昔も、人間がもつ常識というのは、それほど変わらない。
●直角二等辺三角形
ここでいう異星人たちは、おそろしく土木建設に、たけた人たちである。
モアイどころか、島ごとどこかへ運ぶということも、平気でできたらしい。
あのイースター島にしても、人工的に造成された島。
「造形」でもよい。
ほぼ完ぺきに近い、左右対称になっている。
距離を測ったら、二等辺三角形。
それも直角二等辺三角形。
(厳密には、92〜3度だが……。
またどこに3点をとるかによっても、距離は異なる。)
それはまさに、ギザのピラミッドを、45度、斜め方向から見た形。
底辺の長さを高さで割ってみたが、ほぼ同じ。
そのイースター島は、ナスカとギザのピラミッドと、真一直線でつながっている。
(真・一直線だぞ!)
こうした一連の事実を「偶然」というのは、あまりにも現実離れしている。
私が「イースター島は人口造成された島」と言う以上に、現実離れしている。
●周囲環境
ものごとは常識で考えたらよい。
いくら古代の人間が、天文学や建築学にたけていたとしても、だ。
できることと、できないことがある。
文明の発達には、周囲環境というものがある。
天文学にしても、そうだ。
まず数学がある。
数学を支える教育機関がある。
教育を支える、観測態勢がある。
何十年、何百年と熟成され、その結果として「天文学」が生まれる。
そういう周囲環境がないまま、突如として、ピラミッドが生まれた。
●ギザのピラミッド
仮にそういうものがあったとするなら、それはそれでよい。
学校がある。
数学を教える。
幾何学を教え、方程式を教える。
が、そういった科学の片鱗でもよいが、それが後世に残っていないのは、なぜか。
前後に何もないまま、たとえばあのギザのピラミッドは建造された。
石造。
部屋らしいものは、数えるほどしかない。
そんなピラミッドを寸部の狂いもなく、建造する。
クフ王のピラミッドにしても、縦横の差は、わずか20センチ。
誤差にもならない。
で、そのピラミッドは、まさに数学のかたまり!
……ということが、最近になってつぎつぎとわかってきた。
(どう数学のかたまりかは、DVD『ピラミッド』を見れば、わかる。)
コンクリートで作るというのならまだしも、石材を切り出して作る。
使った道具は、手で握る、小さな丸い石。
それだけ。
それだけを使って、ピラミッドを作った(?)。
●基軸
私は(イースター島)(ナスカ)(ギザのピラミッド)を、基軸にした。
DVD『ピラミッド』の中でも、こう言っていた。
「これら3点は、真・直線でつながっている」と。
同時に、これら3点にあるものは、人間がもつ能力をはるかに超えている。
考古学者たちは、いろいろと説明はしているが、どれにも説得力はない。
だいたい「異星人がからんでいた」という話は、タブー中のタブー。
「異星人」という言葉を出しただけで、学会からはじき飛ばされてしまう。
が、異星人たちは、確実にからんでいた。
また宇宙を自由に航行するほどの力をもった人でないと、不可能。
ここで「人間がもつ能力をはるかに超えている」というのは、そういう意味。
で、私は、この3点を「基軸」とした。
実際、ギザとイースター島を直線で結んでみた。
その直下に、ナスカがあった。
それを知ったとき、鳥肌が立つというか、背筋が凍った。
で、それ以後は、迷ったり、気が弱くなったりするたびに、この3点に戻った。
3点があるのは、まぎれもない「現実」。
そこに自分を置いた。
●異星人
ただ誤解してはいけないことがある。
異星人というと、神々しい「人」を想像する人も多いかもしれない。
が、地球へやってきた異星人は、それほどレベルは高くなかった。
寿命も長いだろうから、それにふさわしい知識や知恵はあるだろうが、その程度。
けっして、「神」のような存在を想像してはいけない。
たとえば私たち人間にしても、いろいろある。
高度に知的な人もいれば、そうでない人もいる。
高邁な精神の持ち主もいれば、そうでない人もいる。
で、地球へやってきたような異星人は、その中でも、最低レベルの異星人と考えてよい。
あえて言えば、そこらのオジちゃん、オバちゃんレベルの人。
電車の中で、周囲の迷惑も考えず、ギャーギャー、ガハハハと、大声で話している人。
あるいは徴兵制か何かでやってきた、外国の軍人程度といってもよい。
だから過剰な期待は、禁物。
だから私はそういう話になると、みなにこう言う。
「UFOを近くに見ても、近づいてはいけない」「逃げろ」と。
●人間とのコンタクト
太古の昔のことは知らない。
しかしイエス・キリストの時代以後は、人間とのコンタクトは、禁じられているらしい。
異星人の乗り物……UFOと呼ばれているが、目撃例は、たいへん多い。
今、この時点においても、毎日、何10例と、報告されている。
しかし実際のコンタクト(接触)となると、皆無。
ロズウェル(1947年)で起きた事故のようなケースは別として、皆無。
理由は、いろいろ考えられる。
その第一。
異星人たちもまた、人間を恐れている。
なぜ恐れているかについても、理由は、いろいろ考えられる。
人間の知的能力のレベルが、異星人のそれに、かなり近づいてきた。
今までは下等動物で、どうにでもなる存在だったが、対等に並ぶようになった。
へたに武器でも渡したら、逆に自分たちが攻撃されるかもしれない。
そういう存在になった。
昔はピラミッドの建造程度のことで、人間は恐れおののき、異星人に従った。
が、今は、ちがう。
こと「技術」ということになれば、ピラミッドがもつ技術は、低い。
東京にあるスカイツリーと比べても、比較にならないほど、低い。
巨大建造物というだけで、それ以上のものは、何もない。
だから「禁止されているらしい」と書いた。
●UFO乞いの儀式
話はぐんと現実的になる。
現在、UFOを「本尊?」としたカルト(狂信的集団)が、増加している。
夏ということもある。
そういった集団の中には、UFO乞いの儀式までしているのもあるという。
(UFO乞い、だぞ!)
高い山の上や、それらしいパワースポット(?)と呼ばれる場所が選ばれる。
そういうところで、怪しげな儀式を繰り返す。
「UFO、おいで」「UFO、おいで」と。
週刊誌や雑誌などで、広く紹介されている。
が、こうした活動が、いかに低劣かも、視点を宇宙に移してみると、よくわかる。
異星人がいるとしても、異星人は、残念ながらそういう人たちを相手にしない。
相手にしても、意味はない。
相手にしなければならない理由さえ、ない。
へたにコンタクト(接触)をとれば、それこそめんどうなことになる。
人間社会が、大混乱に陥ってしまう。
それがわからなければ、逆に考えてみればよい。
●猿の世界
あるときあなたのところに、どこかの猿のボスがやってきた。
話を聞くと、「我々のリーダーになってほしい」と。
ついては「あなたのもっている車に、一度、乗せてほしい」と。
あなたなら何と答えるだろうか。
が、私なら、即座に断る。
猿の世界に入って、猿のボスになっても、意味はない。
その猿は、人間と友だちになったと自慢するかもしれない。
「パワーを得た」と、猿の世界では、さらに強力なボスになるかもしれない。
が、それがどうしたというのか。
つまり、異星人の話をするとしても、この「現実感」は、見失ってはいけない。
繰り返すが、異星人といっても、「神」ではない。
ただの「人」。
●現実感
そう、「現実感」。
ギザのピラミッドも、現実。
ナスカの地上絵も、現実。
イースター島のモアイも、これまた現実。
この「現実感」を見失うと、それこそ「超常現象」となってしまう。
どこかの頭のおかしいオバちゃんが説く、あの話と同じになってしまう。
つまり科学性から、遊離してしまう。
もし私たち人間が、異星人とコンタクトすることができるとするなら、方法はひとつ。
科学性の追求でしかない。
現実にある証拠を積み重ね、その証拠でもって、異星人を追いつめていく。
「さあ、どうだ!」と。
が、そのときでも異星人がコンタクトをとるとしても、「あなた」ではない。
「私」でもない。
異星人とて、人間を選ぶ。
どういう基準で、どういう人を選ぶかは知らない。
が、少なくとも「あなた」や「私」ではない。
(だからといって、アメリカの大統領のような政治家でもないだろうが……。)
●笑いたければ、笑え
いろいろなエッセーを書いてきた。
が、このエッセーほど、書いている私が、宙に浮いているのを感じたことはない。
まるで、おとぎ話。
よくて、SF小説。
そこに異星人がいるのは、確実。
私とワイフは、あの夜、UFOなるものを、はっきりと目撃している。
巨大なブーメラン型のUFOだった。
いろいろ批判的な人は多いが、「見たものは、見た」。
それ以上でもないが、それを否定しろといくら言われても、できないものはできない。
繰り返す。
見たものは、見た。
ただ私は、その正体を知りたい。
あれが何だったのか、その正体を知りたい。
それがこの2週間、私を動かす強力な原動力となった。
「忘れて遠ざかりたい」という私。
「しかしこのままにしておいてはいけない」という私。
そういう2人の私が、この40年近く、私の中で悶々と葛藤した。
それが今回、圧力に耐えきれず、爆発した。
●知恵比べ
が、その私ももうすぐ65歳。
「笑いたければ、勝手に笑え」という心境に近づいてきた。
冒頭に書いたように、まだ始めたばかり。
2週間。
この先、何年で、どこまで書けるかわからない。
しかしやるしかない。
状況証拠は、それこそ山ほど、ある。
それをひとつずつ、切り崩していく。
まちがいはある。
すでに何度か、まちがえた。
思い違いと、勘違い。
それに思い過ごし。
が、それを恐れていたら、前には進めない。
なぜなら、異星人は、確実に、そこにいる。
夢やまぼろしではない。
確実にそこにいる。
そういう意味では、古代文明の謎の点と線を結ぶのは、異星人との知恵比べ。
彼らは彼らなりに、そこに何かのメッセージを織り込んでいる。
なぜ、そこにイースター島を置いたのか。
ナスカの地上絵を描いたのか。
そしてギザのピラミッドを建造したのか。
何かの理由があるはず。
それを知るのは、まさに知恵比べ。
その謎が解けたとき、私は異星人の正体を知ることができる。
あの夜の自分に決着をつけることができる。
(はやし浩司の仮説)
●異星人たちは、何度もこの地球を訪れている。
●異星人の中には、人間を教育したのもいる。
●異星人の中には、人間を奴隷として使ったのもいる。
●異星人たちは、キリスト以後、人間との直接的な接触を避けている。
●それぞれの地で、文明を築いた人間たちは、ときどき別の場所に大移動している。
(民族ごとの大移動、である。)
たとえばアンコールワットから、テオティワカンへ、など。
もとはシュメール人だったかもしれない。
ヤンシャオ人にしても、シュメールから来た人たちかもしれない。
●異星人の数は、それほど多くない。
●異星人たちは、自分の姿に似せて、人間を改造した。
●彼らは地球ではないが、たいへん近いところに住んでいる。
いちばん可能性の高いのが、「月」ということになる。
●異星人たちは、今も、人間社会を観察(偵察)している。
さあ、夏休み。
この夏休みに、私は調べまくってやる!
真夏の夜の大ロマン。
失敗しても、ダメもと。
失うものは何もない。
(はやし浩司の信用は失うかもしれないが……。)
Hiroshi Hayashi+++++++August. 2012++++++はやし浩司・林浩司
(マチュ・ピチュの謎)改訂版(はやし浩司 2012−08−15)
●マチュピチュの謎
マチュピチュの謎についての改訂版です。
マチュピチュの家の屋根の形は、エジプトのピラミッドの形をしていました。
どうか、ビデオでお確かめください。
併せて、マチュピチュのピラミッドの謎です。
(前編)
(結論編、屋根の形は、ピラミッドの形と一致した。)
(謎のピラミッド マチュピチュの家の屋根は、ピラミッドの形はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教 育論 Japan はやし浩司 )
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【神の姿】(神を結ぶ、謎の点と線byはやし浩司)
2012/08/16記
(神はどこから来たのか?)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
点と点を結ぶ。
線ができる。
その線が重なると、そこに形ができる。
その形が謎を生む。
謎が謎を生む。
まさに謎の連続。
謎の大洪水。
が、同時に、その形が、今までの謎に解答を示してくれることもある。
今夜もそうだった。
が、内容が内容だけに、慎重にことを進めた。
この謎解きは、ひょっとしたら、世界中をひっくり返してしまうかもしれない。
興味本位ですべきような謎解きではない。
パソコンに電源を入れたとき、つんとした緊張感が、体を突き抜けた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●線を引く
エジプトのギザ。
そこに「三大ピラミッド」と呼ばれる、ピラミッドがある。
その中央にあるクフ王のピラミッドと、イースター島を直線で結ぶ。
地上絵で有名なナスカは、その直線の直下にある。
ここまでは、今までにも何度か、書いた。
そこで今回は、その延長線上はどうなっているかを調べた。
イースター島からナスカ、ギザを通り抜けた直線は、どこへ行くか。
●マチュ・ピチュとパレンケ
その前に……。
ギザからナスカ、ギザからテオティワカン(メキシコ)。
その距離は、ほぼ同じ。
1万2000キロ。
差は、30キロしかない。
この「30キロ」をどう読むか。
誤差の範囲ということにもなる。
同時に、「30キロも!」とも読める。
しかし宇宙から見ると、30キロなどというのは、その誤差にもならない。
ちがいは、0・0025%。
同じように、(ナスカ)−(ギザ)ライン上にある、マチュ・ピチュはどうか?
(テオティワカン)−(ギザ)ライン上にある、パレンケは、どうか?
ライン上から計測すると、マチュ・ピチュは、30キロメートル。
パレンケは、670キロも、それぞれラインから離れている。
が、遠く離れた日本から見ると、ナスカ(ペルー)も、マチュ・ピチュ(ペルー)も同じ。テオティワ
カン(メキシコ)も、パレンケ(メキシコ)も同じ。
このことは、地図上に、マーカー(印)をつけ、遠く、宇宙から見るとよくわかる。
地球全体が見える範囲に地球を置くと、点と点が重なり、もう区別することは不可能。
●メソポタミア文明
私たちは学生時代、こう習った。
「チグリス、ユーフラテス川流域で栄えた、メソポタミア文明」と。
先の直線は、まっすぐ、そのチグリス、ユーフラテス川の河口(ペルシャ湾の北端)へと延び
る。
つまり、(イースター島)→(ナスカ)→(ギザ)→(チグリス、ユーフラテス川)は、1本の真・直線
でつながっている。
(チグリス、ユーフラテス川は、河口の手前で1本の川になっている。)
●
こうした事実について、懐疑的な人は、「偶然の一致」という言葉を使う。
「それは偶然の一致」と。
しかし偶然の一致で、すべてを片づけてしまってはいけない。
そのことは、今まで書いてきたとおりである。
ここで重要なことは、これら4者が、一直線に並んでいるということ。
一直線といっても、真・一直線。
数キロの誤差もない。
見方によっては、数百メートルの誤差もない。
誤差、0%。
そう言い切ってもよい。
つまり、これは「偶然」ではない。
「謎」である。
どのひとつも、大きな謎に包まれている。
が、これは空想でも、妄想でもない。
現実であり、事実である。
で、いよいよ本題。
その前に、メソポタミア文明について、書いておきたい。
●メソポタミア文明
メソポタミア文明と言えば、シュメール人。
そのシュメール人の残した書き物に、「アッシリア物語」がある。
もう20年ほど前になるが、それについては、詳しく書いた。
「アッシリア物語」は、旧約聖書の内容と類似点が多く、旧約聖書の母体となった物語と考えて
よい。
ノアの大洪水に似た逸話も出てくる。
後のユダヤ人たちが、アッシリア物語を、「旧約聖書」として書き改めた。
で、そのシュメール人。
どこから来た民族かも、わかっていない。
またどこへ去っていったかも、わかっていない。
現在、そのあたりには、イラク人が住んでいるが、もちろんシュメール人の子孫ではない。
以前、こんな原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●シュメール人
古代メソポタミアに、不思議な民族が住んでいた。
高度に知的で、周囲文化とは、かけ離れた文明を築いていた。
それがシュメール人である。
彼らが書き残した、「アッシリア物語」は、そののち、旧約聖書の母体となったことは、よく知ら
れている。
そのシュメール人に興味をもつようになったのは、東洋医学を勉強していたときのことだっ
た。
シュメール人が使っていた楔型(くさびがた)文字と、黄河文明を築いたヤンシャオ人(?)
の使っていた甲骨文字は、恐ろしくよく似ている。
ただしメソポタミア文明を築いたのは、シュメール人だが、黄河文明を築いたのが、ヤンシャ
オ人であったかどうかについては、確かではない。
私が、勝手にそう思っているだけである。
しかしシュメール人がいう「神」と、甲骨文字で書く「神」は、文字の形、発音、意味が、同じで
あるということ。
形は(米)に似ている。
発音は、「ディンガー(ディンギル)」と「ディン」、意味は「星から来た神」。
「米」は、「星」を表す。
……という話は、若いころ、「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)という、私の本の中で書いた。
なぜ、東洋医学の中で……と思われる人も多いかと思うが、その東洋医学のバイブルとも言
われている本が、『黄帝内経(こうていだいけい)・素問・霊枢』という本である。
この中の素問は、本当に不思議な本である。
私は、その本を読みながら、「この本は、本当に新石器時代の人によって書かれたものだろ
うか」という疑問をもった。
(もちろん現存する黄帝内経は、ずっとあとの後漢の時代以後に写本されたものである。
そして最古の黄帝内経の写本らしきものは、何と、京都の仁和寺にあるという。)
それがきっかけである。
で、このところ、再び、そのシュメール人が、異星人との関係でクローズアップされている。
なぜか?
やはりシュメールの古文書に、この太陽系が生まれる過程が書いてあったからである。
年代的には、5500年前ごろということになる。
仮に百歩譲って、2000年前でもよい。
しかしそんな時代に、どうして、そんなことが、シュメール人たちには、わかっていたのか。
そういう議論はさておき、まず、シュメール人たちが考えていたことを、ここに紹介しよう。
出典は、「謎の惑星『ニビル』と火星超文明(上)(下)・ゼガリア・シッチン・ムーブックス」(学
研)。
この本によれば、
(1)最初、この太陽系には、太陽と、ティアトマと水星しかなかった。
(2)そのあと、金星と火星が誕生する。
(3)(中略)
(4)木星、土星、冥王星、天王星、海王星と誕生する。
(5)そこへある日、ニビルという惑星が太陽系にやってくる。
(6)ニビルは、太陽系の重力圏の突入。
(7)ニビルの衛星と、ディアトマが、衝突。地球と月が生まれた。(残りは、小惑星帯に)
(8)ニビルは、太陽系の圏内にとどまり、3600年の楕円周期を描くようになった、と。
シュメール人の説によれば、地球と月は、太陽系ができてから、ずっとあとになってから、ティ
アトマという惑星が、太陽系の外からやってきた、ニビルという惑星の衛星と衝突してできたと いうことになる。
にわかには信じがたい話だが、東洋や西洋に伝わる天動説よりは、ずっと、どこか科学的であ
る。
それに現代でも、望遠鏡でさえ見ることができない天王星や海王星、さらには冥王星の話まで
書いてあるところが恐ろしい。
ホント。
どうしてシュメールの人たちは、そんなことを知っていたのだろうか。
ここから先のことを書くと、かなり宗教的な色彩が濃くなる。
実際、こうした話をベースに、宗教団体化している団体も、少なくない。
だからこの話は、ここまで。
しかしロマンに満ちた話であることには、ちがいない。
何でも、そのニビルには、これまたとんでもないほど進化した生物が住んでいたという。
わかりやすく言えば、異星人! それがシュメール人や、ヤンシャオ人の神になった?
こうした話は、人間を、宇宙規模で考えるには、よい。
その地域の経済を、日本規模で考えたり、日本経済を、世界規模で考えるのに似ている。
視野が広くなるというか、ものの見方が、変わってくる。
そう言えば、宇宙へ飛び出したことのある、ある宇宙飛行士は、だれだったか忘れたが、こう
言った。
「人間の姿は、宇宙からはまったく見えない。
人間は、地上をおおう、カビみたいなものだ」と。
宇宙から見れば、私たち人間は、カビのようなものらしい。
頭の中で想像できなくはない。
ただし、カビはカビでも、地球をむしばむ、カビ?
が、そう考えていくと、日本人だの、中国人だのと言っていることが、おかしく見えてくる。
それにしても、周期が、3600年。
旧約聖書の時代を、紀元前3500年ごろとするなら、一度、そのころ、ニビルは、地球に接近
した。
つぎにやってきたのが、キリストが誕生したころということになる。
で、今は、西暦2005年だから、この説に従えば、つぎにニビルがやってくるのは、西暦360
0年ごろ、つまり1600年後。
本当にニビルには、高度な知能をもった生物がいるのだろうか。
考えれば考えるほど、ロマンがふくらむ。
若いころ、生徒たちを連れて、『スターウォーズ』を見に行ったとき感じたようなロマンだ。
「遠い、遠い、昔、銀河系の果てで……」というオープニングで始まる、あの映画である。
ワイフも、この話には、たいへん興味をもったようだ。
昨日もいっしょに書店の中を歩いていると、「シュメール人について書いた本はないかしら」と言
っていた。
今日、仕事の帰りにでも、またさがしてみよう!
待っててよ、カアーチャン!(4・29)
【付記】
しかし空想するだけで、ワクワクしてくるではないか。
遠い昔、別の天体から、ニビルという惑星がやってきて、その惑星の衛星が、太陽系の別の
惑星と衝突。
地球と月が生まれた。
そのニビルという惑星には、知的生物、つまり私たちから見れば、異星人が住んでいた。
ひょっとしたら、今も、住んでいるかもしれない。
そのニビルは、3600年周期で、地球に近づいてきて、地球人の私たちに、何かをしてい
る?
地球人を改造したのも、ひょっとしたら、彼らかもしれない?
つぎにやってくるのは、多分、1600年後。
今は、太陽系のはるかかなたを航行中!
しかしそう考えると、いろいろな、つまりSF的(科学空想小説的)な、謎が解消できるのも事
実。
たとえば月の年代が、なぜ、この地球よりも古いのかという謎や、月の組成構造が、地球とは
なぜ異なっているかという謎など。
また月が、巨大な宇宙船であるという説も、否定しがたい。
「月の中は空洞で、そこには異星人たちの宇宙基地がある」と説く、ロシアの科学者もいる。
考えれば、考えるほど、楽しくなってくる。
しかしこの話は、ここまで。
あとは夜、月を見ながら、考えよう。
ワイフは、こういう話が大好き。
ほかの話になると眠そうな表情をしてみせるが、こういう話になると、どんどんと乗ってくる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●謎のシュメール
『謎の惑星(ニビル)と火星超文明』(セガリア・シッチン著)(北周一郎訳・学研)の中で、「ウ
ム〜」と、考えさせられたところを、いくつかあげてみる。
メソポタミアの遺跡から、こんな粘土板が見つかっているという。
粘土板の多くには、数字が並び、その計算式が書いてある。
+++++++++++++
1296万の3分の2は、864万
1296万の2分の1は、648万
1296万の3分の1は、432万
1296万の4分の1は、324万
……
1296万の21万6000分の1は、60
++++++++++++
問題は、この「1296万」という数字である。この数字は、何か?
その本は、つぎのように説明する(下・78P)
++++++++++++
ペンシルバニア大学のH・V・ヒルプレヒトは、ニップルとシッパルの寺院図書館や、ニネヴェ
のアッシュールバニバル王の図書館から発掘された、数千枚の粘土板を詳細に調査した結 果、この1296万という天文学的数字は、地球の歳差(さいさ)運動の周期に関するものである と結論づけた。
天文学的数字は、文字どおり、天文学に関する数字であったのである。
歳差とは、地球の地軸が太陽の公転面に対してゆらいでいるために発生する、春分点(およ
び秋分点)の移動のことである。
春分点は、黄道上を年々、一定の周期で、西へと逆行していく。
このため、春分の日に太陽のうしろにくる宮(ハウス)は、一定の周期で、移り変わることにな
る。
ひとつの宮に入ってから出るまでにかかる時間は、2160年。
したがって、春分点が1周してもとの位置に帰ってくるには、2160年x12宮=2万5920年か
かるのである。
そして1296万とは、2万5920x500、つまり春分点が、黄道上を500回転するのに要する
時間のことなのだ。
紀元前4000年前後に、歳差の存在が知られていたということ自体、すでに驚異的である
が、(従来は、紀元前2世紀にギリシアのヒッパルコスが発見したとされていた)、その移動周 期まで求められていたというのだから、まさに驚嘆(きょうたん)に値する。
しかも、2万5920年という値は、現代科学によっても証明されているのだ。
さらに、春分点が、黄道上を500回転するのに要する時間、1296万年にいたっては、現
在、これほど長いビジョンでものごとを考えることできる天文学者は、何人いることだろう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
シュメールの粘土板の言い方を少しまねて書いてみると、こうなる。
3153万6000の12分の1は、262万8000
3153万6000の720分の1は、4万3800
3153万6000の4万3200分の1は、730
3153万6000の8万6400分の1は、365……
これは私が、1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日として、計算したも
の。
これらの数字を掛け合わせると、3153万6000となる。
つまりまったく意味のない数字。
しかしシュメールの粘土板に書かれた数字は、そうではない。
1年が365日余りと私たちが知っているように、地球そのものの春分点の移動周期が、2160
年x12宮=2万5920年と、計算しているのである。
もう少しわかりやすく説明しよう。
地球という惑星に住んで、春分の日の、たとえば午前0時JUSTに、夜空を見あげてみよう。
そこには、満天の夜空。そして星々が織りなす星座が散らばっている。
しかしその星座も、毎年、同じ春分の日の、午前0時JUSTに観測すると、ほんの少しずつ、
西へ移動していくのがわかる。
もちろんその移動範囲は、ここにも書いてあるように、1年に、2万5920分の1。
しかしこんな移動など、10年単位の観測を繰りかえしても、わかるものではない。
第一、その時刻を知るための、そんな正確な時計が、どこにある。
第二、さらにその程度の微妙な移動など、どうすれば観測結果に、とどめることができるのか。
たとえていうなら、ハバ、2万5920ミリ=約30メートルの体育館の、中央に置いてある跳び
箱が、1年に1ミリ移動するようなもの。
100年で、やっと1メートルだ。
それが歳差(さいさ)運動である。
が、しかしシュメール人たちは、それを、ナント、500回転周期(1296万年単位)で考えていた
というのだ。
さらにもう一つ。
こんなことも書いてある。
シュメール人たちは、楔形文字を使っていた。
それは中学生が使う教科書にも、書いてある。
その楔形文字が、ただの文字ではないという。
●謎の楔形文字
たとえば、今、あなたは、白い紙に、点を描いてみてほしい。
点が1個では、線は描けない。
しかし2個なら、描ける。
それを線でつないでみてほしい。
点と点を結んで、1本の線が描ける。
漢字の「一」に似た文字になる。
つぎに今度は、3個の点にしてみる。
いろいろなふうに、線でつないでみてほしい。
図形としては、(△)(<)(−・−)ができる。
今度は、4個で……、今度は、5個で……、そして最後は、8個で……。
それが楔形文字の原型になっているという。
同書から、それについて書いてある部分を拾ってみる(92P)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
従来、楔形文字は、絵文字から発達した不規則な記号と考えられているが、実は、楔形文字
の構成には、一定の理論が存在する。
「ラムジーのグラフ理論」というものを、ご存知だろうか?
1928年、イギリスの数学者、フランク・ラムジーは、複数の点を線で結ぶ方法の個数と、点
を線で結んだ結果生ずる図形を求める方法に関する論文を発表した。
たとえば6個の点を線で結ぶことを考えてみよう。
点が線で結ばれる、あるいは結ばれない可能性は、93ページの図(35)に例示したような図
形で表現することができる。
これらの図形の基礎をなしている要素を、ラムジー数と呼ぶが、ラムジー数は一定数の点を
線で結んだ単純な図形で表される。
私は、このラムジー数を何気なくながめていて、ふと気がついた。これは楔形文字ではない
か!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
その93ページの図をそのまま紹介するわけにはいかないので、興味のある人は、本書を買
って読んでみたらよい。
(たとえば白い紙に、4つの点を、いろいろなふうに描いてみてほしい。どんな位置でもよい。
その点を、いろいろなふうに、結んでみてほしい。
そうしてできた図形が、楔形文字と一致するという。
たとえば楔形文字で「神」を表す文字は、漢字の「米」に似ている。4本の線が中心で交わっ
ている。
この「米」に似た文字は、8個の点をつないでできた文字ということになる。)
つまり、楔形文字というのは、もともと、いくつかの点を基準にして、それらの点を結んででき
た文字だというのだ。
そういう意味では、きわめて幾何学的。
きわめて数学的。
しかしそう考えると、数学などが生まれたあとに、文字が生まれたことになる。
これは順序が逆ではないのか。
まず(言葉)が生まれ、つぎにその言葉に応じて、(文字)が生まれる。
その(文字)が集合されて、文化や科学になる。
しかしシュメールでは……?
考えれば考えるほど、謎に満ちている。興味深い。
となると、やはりシュメール人たちは、文字を、ニビル(星)に住んでいた知的生命体たち(エロ
ヒム)に教わったということになるのだろうか。
いやいや、その知的生命体たちも、同じ文字を使っているのかもしれない。
点と、それを結ぶ線だけで文字が書けるとしたら、コンピュータにしても、人間が使うような複雑
なキーボードは必要ない。
仮に彼らの指の数が6本なら、両手で12本の指をキーボードに置いたまま、指を動かすこと
なく、ただ押したり力を抜いたりすることで、すべての文字を書くことができる。
想像するだけで
も、楽しい! 本当に、楽しい!
……ということで、今、再び、私は、シュメールに興味をもち始めた。
30年前に覚えた感動がもどってきた。
しかしこの30年間のブランクは大きい。
(チクショー!)
これから朝食だから、食事をしながら、ワイフに、ここに書いた二つのことを説明してやるつも
り。
果たしてワイフに、それが理解できるかな?
うちのワイフは、負けず嫌いだから、わからなくても、わかったようなフリをして、「そうねえ」と
感心するぞ! ハハハ。
(はやし浩司 楔形文字 ラムジー グラフ理論 ニビル エロヒム 地球の歳差運動 運動周
期)
【付記】
食事のとき、ワイフに、ここに書いたことを説明した。
が、途中で、ワイフは、あくびを始めた。
(ヤッパリ!)
私「ちゃんと、聞けよ。すごい謎だろ?」
ワ「でもね、あまり、そういうこと、書かないほうがいいわよ」
私「どうして?」
ワ「頭のおかしい人に思われるわよ、きっと……」
私「どうしてだよ。おかしいものは、おかしい。謎は、謎だよ」
ワ「どこかの頭のおかしい、カルト教団の信者みたいよ」
私「ちがうよ、これは数学だよ。科学だよ」
ワ「でも、適当にしておいたほうがいいわよ」と。
以上が、ワイフの意見。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●神の住んだ国
シュメール人たちが住んだという痕跡は、少ない。
その後、アラブ人たちにその地域が支配されたというのも、キリスト教徒にとっては、不幸なこ
とだった。
ごく最近までは、イラクのサダム・フセインが支配していた。
聞くところによると、サダム・フセインは、シュメールの遺跡を平気で破壊したという。
それはともかくも、チグリス・ユーフラテス川流域で、メソポタミア文明は誕生した。
そのメソポタミア文明から、旧約聖書が生まれ、そのあと、キリストが誕生し、キリスト教が生ま
れた。
●イスラエル
では、キリストの活動範囲はいったいどれほどだったのか。
この点については、広く研究がなされていて、私の出る幕はない。
しかしおおざっぱに言えば、現在のエルサレム(旧市街)と、生誕地であるベツレヘム周辺だっ
たということになる。
距離にして、約10キロ。
キリストは、この10キロを行き来しながら、教えを説いた。
が、たったの10キロ!
当時としては、そんなものだったかもしれない。
それにしても、10キロ!
ベツレヘムは、エルサレムの南に位置する。
●神の意図
そこでギザとエルサレム、それとチグリス・ユーフラテス川の河口を線でつないでみる。
細長い三角形ができる。
底辺の長さが、1700キロ、高さが、165キロ。
言うなれば、その細長い三角形の中が、旧約聖書の世界プラス、新約聖書の世界。
この三角形の中で、私たちが現在、キリスト教と呼ばれるものは生まれた。
が、ここでもう一度、視点を宇宙へ移してみる。
どんどんと上空へあがる。
当然のことながら、あがればあがるほど、細長い三角形は、より細くなる。
高度1万キロメートルまであがると、三角形であることすら、わかりにくくなる。
さらに高度3万キロメートルまであがると、三角形は姿を消し、一本の線に重なる。
ギザ、イスラエル、シュメール(ペルシャ湾の北端)は、それぞれ別の話として聞くと、たがい
に遠く離れたところにあるように思う。
しかし実際には、つまり宇宙的視点からは、一本の直線の上にある。
やはりこれも「偶然の一致」なのか。
が、もしそうでないとしたら。
つまりそこに何らかの意図的な「働き」があったとするなら、どうか。
偶然の一致ではなく、最初から意図されたものであったとするなら……。
世界の古代文明をつなぐ線は、キリスト教の世界まで入り込むことになる。
もしこの説を疑う人がいたら、あなたも、一度、ここに書いたような作業を、グーグル・アースの
上でしてみればよい。
そしてその世界を、高度、2〜3万キロメートル上空からながめてみればよい。
あなたも、確実に、そこに「意図的」なものを感ずるはずである。
(はやし浩司 2012年08月16日朝記)
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 シッチン 楔形文字 歳差運動 ラムジー指数 イスラエル ベツレヘム キリ スト はやし浩司 キリスト教の謎 チグリス ユーフラテス川 シュメール)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【人類最大の謎】
(古代文明を結ぶ謎の点と線)byはやし浩司
あなたはそれでも、私を疑うか?
Can you be skeptical about what I am talking?
2012年08月16日
Aug 16th 2012
The Biggest Mystery of Man on the Earth.
by Hiroshi Hayashi
●神は直線を創らない
(God never create straight lines.)
All copyrights are reserved by Hiroshi Hayashi, Hamamatsu Japan 2012.
(はやし浩司 人類最大の謎 謎解き はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育
子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし 浩司 モヘンジョダロ テオティワカン プレア・ビヒール ナスカ イースター島 ギザ ピラミッ ド はやし浩司 チグリス ユーフラテス 謎の文明 点と線 はやし浩司 謎の点と線)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【検索用】 教育評論 教育評論家 子育て格言 幼児の心 幼
児の心理 幼児心理 子育て講演会 育児講演会 教育講演会 講師 講演会講師 母親講演会 はやし浩司 林浩司 林浩 子供の悩
み心理 子育て問題 はやし浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育
児疲れ 子育てポイント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼
児教育評論家 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし
静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜
松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと
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