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(出版企画書)


そのほかの新刊企画・原稿+資料集
(1)モンスタママの子育て狂騒曲
(2)ジジババ・ゴミ論(統合性の確立に失敗した老人たち)
(3)母親に「死ね」と言った娘
(4)家庭内宗教戦争(お前は誰の、女房だ!)
(5)見たぞUFO!

『母親に「死ね」と言った娘vs
娘に「呪い殺してやる」と言った母親』
   
 崩れる親子関係と、深刻化する家族崩壊

                   



       
(原本)2012年6月24日

『母親に「死ね」と言った娘』
『娘に「呪い殺してやる」と言った母親』  




【母親に「死ね!」と言った娘】


【内容】

第1章


第2章


第3章


第4章


第5章


第6章






【第1章】

Spare the Rod, and spill the Child.ーSamuel Butler
鞭棒を惜しめば、子どもはダメになる。
サミュエル・バトラー(イギリスの作家)


【母親に「死ね!」と言った娘】

●掲示板への相談より

●子育て相談

子育て相談を受けるようになって、もう30年になる。
15年ほど前までは電話で、それ以後は私のホームページのほうで、受けている。
そのホームページの掲示板に、こんな相談が届いた(2012年6月)。
母親と娘の断絶についてのものだった。
が、これを読んだとき、ついにというか、とうとうというか、私はふつうでない衝撃を受けた。
それまではぼんやりとした闇に包まれていた。
「何かおかしい」とは感じていたが、「ここまで……」とは、思っていなかった。

 で、私はAさんの相談内容と、私の回答を、BLOGに掲載した。
私の日課でもあった。
が、その原稿は、ちがっていた。
BLOGへのアクセス数だけでも、いつもの数倍。
Goo−Blogだけでも、1日、5000件を超えた。
170万誌あるBLOGだが、アクセス順位で1000番台をキープした。
ほかにも、楽天、Seesaa、はてなでもBLOGを出している。
それらでも、同じようなアクセス数があった。

私は、その反響のあまりの大きさに、驚いた。
と、同時に、これは私のBLOGの範囲内だけですましてはいけない問題と判断した。
今、水面下で、多くの親たちが、自分の子どもとの断絶に悩み、苦しんでいる。
ただ悩み、苦しんでいるのではない。
身を引き裂かれるような自己否定の世界で、悩み苦しんでいる。
奥は深い。
根は深い。
「断絶」という言葉だけで説明できるほど、生やさしいものではない。
またそれで納得できるような話でもない。
まさに「自己否定」。

私は、この投稿の向こうに、現代の日本がかかえる、基本的な矛盾を感じた。
その矛盾が、そのまま老人問題まで直結している。
孤独死、無縁死、ジジババ・ゴミ論、老人難民、老害論……。
それはさておき、この本は、一通の投稿で始まる。

●音信不通になってしまった長女

掲示板に、こんな相談が届いた。

【Aさんより、はやし浩司へ】
はじめまして。
子どものことで悩んでおります。
いろいろなサイトで解決策を探していたら、ここにたどり着きました。
うまく気持ちが伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在、私54歳、長女23歳、二女21歳です。

15年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し、母子家庭として生活してきました。
幸い、今のところ、職に困らない資格をっており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子どもは、生まれたときから、自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習いごとや行楽、しつけや勉強にも一生懸命でした。
まさに、ずっと昔、先生が中日新聞にお書きになったエッセーの中に出てくる母親と、酷似しています※。

 長女は、国立大学の附属中学に入学しました。
そのあと、市内でもいちばんと言われる進学高校に進学しました。
親子とも、大学は地元の国立大学を希望していましたが、高校の担任の先生からせっかくだから、もっとランクの上をと勧められました。
その大学には寮もあり、経済的にも可能かと思い、遠方でしたが、先生が勧めてくれる大学に合格しました。
そのときは、私も娘も明るい未来に期待し、たいへん喜びしました。

 ところが、家を出たとたん、長女は変わりました。
疎遠になり、凶暴になってしまいました。
メールをしても、電話をしても、応答なし。
かろうじで来た返事は、「邪魔!」とか、「死ね」でした。
私は何がなんだか、訳がわかりませんでした。

で、仕送りはやめることにし、学費や生活費は、家で手渡しにすることにしました。
が、それでも1年に1度程度帰って来る程度でした。
お金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や、人生を学んでくれたらそれでよいと、好きにさせていました。

 そしていよいよ卒業後の進路の話になったときのことです。
法科大学院に行きたいと、突然、言い出しました。
ご存知なように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道など専門外の私にもわかるように説明を求めました。
が、返答はありませんでした。
長女は、一方的に、受験の費用だけを要求してきました。

 とりあえず、4年間の生活がきつかったので、(細かく説明すると長くなりますので省略します)、距離的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる大学なら協力するが、それ以上は協力できないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望した大学は不合格で、協力できないと話していたことろに合格しました。

 その大学は本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり、今から就職もむずしいから、行きたいと言い出しました。
が、私は協力できないものは、協力できないと長女に伝えました。
そういう約束でした。

その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決まりました。
新卒で入社することができました。

 当然のことながら、いやいやだったと思います。
長女は実家に戻り、家から仕事先に通っていましたが、帰ってきたくないとの理由で、毎日終電車で帰宅していました。

職場が、通うには遠いのでお、金がたまったら、1人で暮らすとは言っていました。
私もそれを覚悟していました。
が、数か月後、家出同然で、家を出ていきました。
それからもうちょうど、1年になります。

 そのころ、「死ね」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」などのメールが届き、今は音信不通状態です。
家を出るとき、住所も言わず、着の身着のままでした。

今は二女と二人で住んでおり、二女の助けで、なんとか長女との消息はわかりました。
が、二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし、もう関わりたくないと言っています。
姉妹とはいえ、他人以上に互いに疎遠になってしまいました。

 恥ずかしながら、先生の過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると、私は(自己中心的な親)でした。
娘たちを誉めるのも、上手ではありませんでした。
きびしすぎました。
教育に熱心なだけで、優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じような家庭環境の中で育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の入学に反対したことは、まちがっていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくないがため、そう言い出したとか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみたとき、黙って何百万も出すほど勇気はありませんでした。
もちろん納得できれば、借金をしてでも応援するつもりでした。
それに長女も、25歳になるところでした。
25歳を過ぎての再出発というのも、どうかと思いました。
私のほうが不安になりました。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく「無理」との回答になるかと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは伝えてくれる程には改善したい。
そう望んでいます。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していません。
この先、長女と、どう接触したらよいでしょうか。

 自分の人生だけを生きなさいという先生の意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実しています。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし、1日中、フル回転状態です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れたときは、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子どものことが、頭から離れません。
忘れようと思えば思うほど、気になります。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

(静岡県静岡市 Aより)

●中日新聞に発表したエッセー

 この相談の中に出てくるエッセー(中日新聞にて発表済み)というのは、つぎのものをいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親が子育てで行きづまるとき

 ある月刊雑誌(月刊『M』)に、こんな投書が載っていた。
ショックだった。
考えさせられた。
この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない。
私たち自身の問題として、考えさせられた。
そういう意味で、そのまま紹介させてもらう。

 『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。
幼児期から生き物を愛し、大切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました。

庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。
毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの? 
私はどうしたらいいの? 
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』以上、月刊「M」より。K県・50歳の女性)と。

●エゴの押しつけ

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。

 「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしています2枚までなら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。

 もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
つぎのような相談となると、もっと多い。

 「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。

要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗はしてみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきます。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子どもをそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

●皮肉

 もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいっています。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりますが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多いですが……。)

 で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」なのですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。

 そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考えるわけです。

 今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになりますよ。

 もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)

R25が首都圏・愛知・大阪に住む、25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、

「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11・3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55・7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、

最も多かったのは「月に1回程度」(27・9%)。
以下、「4〜6か月に1回程度」(23・3%)、
「2〜3か月に1回程度」(18・6%)、
「7〜12か月に1回程度」(18・6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

 「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44・2%。
以下、「1万円未満」(27・9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18・6%)と、
3万円未満との回答が合計、90・7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4・7%)、10万円以上(2・3%)とかなり親に依存している人も。

ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48・8%)
「交際費」(44・2%)
「レジャー費」(37・2%)といった回答が多かった。

例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75・8%。
援助額の平均は196・9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。

 また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万円以上の援助を受けた割合は11・4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

 これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。

★「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでもらっている感じです」(34歳男性)

★「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

★「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

★「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

★「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」(26歳男性)

★「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

「特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になるとの考えもあるようだ」(Yahoo・News)と。

★数字を読む

 この事実を、どう読むか。
たとえばここに「もらったことはない……55・7%」とある。
この55・7%の中には、逆に、親の小遣いを渡している子どもは、果たして何%いるのか。

さらに言えば、親と子どもが共同経営者になっているようなばあい、たがいに「もらった」「あげた」という関係そのものが成り立たない。
もしそうなら、「もらっている」「もらったことがある」という子どもは、44・3%(100−55・7%)より、はるかに多くなる。

 また今回の調査は、「男性」を対象にしたもの。
結婚しているばあいは、妻側が親の援助を受けているケースもあるはず。
実際には、妻側が援助を受けているケースも、多いのではないか?
もしそうなら、「もらっている」「もらったことがある」という子どもは、さらに多くなる。

 しかしこの常識は、私たち戦後直後に生まれた団塊の世代の常識ではない。
話を先に進める前に、私が知るいくつかの例をあげておく。

●取り分を請求する子どもたち

 いろいろな例がある。

 長野県のS市で、司法書士をしている友人が、こう言った。
「今ではね、子どもが親をたきつけて、遺産相続の裁判を起こす時代だよ」と。
つまり孫である子どもには、遺産相続権は、まだない。
(正確には、「まだ発生していない」。
親が死んで、はじめて親の取り分について、遺産相続権が発生する。)
つまり「オレの親父は、実家を出るとき、1円も財産分与を受けていない。
親父にも、遺産相続権がある。
その分を、よこせ」と。
そこで親の実家を預かる、叔父や叔母を相手に、遺産分与の請求をする。

 肝心の親自身は、「家を出た」「老親のめんどうをみなかった」という、うしろめたさから、「どうでもいい」と言っているのだが……。

●「兄貴と平等に、よこせ」

 その親には3人の息子がいた。
長男は生まれつき体が弱く、能力的にも恵まれなかった。
そこで親は長男が結婚し、家を出るとき、土地と家を買い与えた。

 一方、二男は、4年生の大学を出た後、1年間、海外の大学に留学。
そのあと日本に帰り、2年間、専門学校に通った。
もちろん学費は、すべて親が負担した。
そのあとのこと。
二男は、親にこう請求したという。

「兄は土地と家を買ってもらった。オレにも、買ってよこせ」と。

 で、親は、二男に、金を貸したという形にした。
実際には、二男が、「返済計画書」なるものを作成し、親のところにもってきた。
親は内心では「こんなものいいのに……」と思ったという。
が、二男の言うまま、署名、捺印した。
で、それから5年近くになるが、二男は1円も返していないという。
気まずく思っているのか、盆や暮れにも、実家(浜松)へ戻ってこないという。

 が、それで話が終わったわけではない。
今度は、何と三男まで、「オレにも買ってよこせ」と。

●土日は実家で

 さらにこんな夫婦(ともに30代)もいる。
ワイフの知人の話である。

 「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、終末になると、実家へ子どもたちを連れて、遊びに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ〜〜」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

 土日ごとに実家へ帰ることを、その息子夫婦は、「親孝行」と考えているらしい。
書き忘れたが、その夫婦は、子どもを親に預け、自分たちは毎週ドライブを楽しんでいるという。

【はやし浩司より、Aさんへ】

 だから残念ながら、あなたのお嬢さんは、あなたに感謝など、していない。
「感謝」という言葉を使うと、たいていこう言い返してきます。
「私はその分、今度は自分の子どもに返していくからいい」と。
つまり親にしてもらった分は、自分の子どもに返していく、とです。

 おかしな論理ですが、これも現代の若者気質(かたぎ)ということになるのでしょうか。
彼らが言う「家族」には、自分と配偶者、それに子どもしかいません。
そこには両親の姿は、もとからないのです。

●法科大学の件

 あなたは賢明な選択をしました。
それほどまでに勉強をしたければ、自分で稼いで、自分で大学へ行けばよいのです。
4年間も、親のスネをかじったあげく、「また大学……」というのは、ドラ娘もよいところです。
(本人は、そうは思っていないでしょうが……。
「親の希望通り、大学へ行ってやった」と、心のどこかで考えています。)

 一方、親のほうは、「4年間も学費+生活費を出してやったのだから……」と考えがちです。
つまりこのあたりの意識が、たがいに完全にズレています。
仮に法科大学へ行ったとしても、何かとささいな理由を針小棒大にとらえ、あなたから去っていく可能性は、たいへん大きいでしょう。

 私の友人の息子は、親にこう言ったそうです。

「結婚式を、(地元の浜松でしてやるから)、結婚式の費用を出してくれ」と。
そこで親が、「半額くらいなら……」と答えると、「親なら、全額出すべきだ」と猛反発。
それを理由に、親との縁を切ってしまったそうです。
(子どもの側が、親との縁を切ったのですよ!) 

●意識

 悪い面ばかり書きましたが、先にも書きましたが、意識そのものがちがいます。
どちらが正しいとか、そうでないとか、そんなことを議論しても意味はありません。
たとえば私たちの世代(戦後生まれの団塊の世代)は、そのほとんどが、社会人になり、外に出ると、親への仕送りを欠かしませんでした。
私もそうしました。
現在、70代〜の人となると、もっとそうでした。
仕送りの仕方は、人、さまざまでした。

 知人のUさん(70歳・女性)は、「ボーナスはすべて送った」と。
別の知人のF氏(70歳・男性)は、「盆暮れには、当時のお金で、10万円近く、親に渡した」と。
(大卒の初任給が、やっと2万円を超えた時代ですよ!)

 私のばあいも、結婚前から、収入の半分を実家へ送っていました。
それまでの学費を返す意味もありました。

 こうした意識は、日本人から、すでに消えました。
一方、少し前まで、東南アジアや中国から多くの人たちが日本へ働きに来ていました。
そういう人たちは、みな、母国の両親にお金を送っていました。
そういう話を聞くたびに、私は自分の青春時代を思い起こしました。

 が、今は逆転しています。
このあたりでも、盆暮れになると、都会から若い人たちが戻って来ます。
妻や子どもを連れてきます。
が、みやげをもってくる人は、ほとんどいません。
むしろ都会へ戻るとき、親から、お金をもらって帰るそうです。
また盆暮れに来るのは、「生活費を浮かすため」だそうです。
(中には、その旅費を、親に出させている息子や娘もいます。)

 つまりこれは「意識」、つまり彼らが言うところの「常識」の問題です。
私たちは、その「違い」を認めるしかありません。

●戦中派の意識

 一方、私は、最近、こんな経験をしました。
義弟と話をしているときのことです。
義弟(78歳)は、こう言いました。
「ぼくらの世代からみると、団塊の世代はいい気なもんだと思うよ」と。

 驚いて、思わず私は、こう聞きました。
「どうして?」と。

 私たちの世代は、私たちの世代なりに、「日本の繁栄を築いたのは私たち」という強い意識をもっています。
その私たちが、「いい気なもんだ?」と。

 義兄は、こう説明してくれました。
「君たちは、ぼくたちが敷いたレールの上を走っただけではないか」と。

私「そんなことないですよ。自分を犠牲にし、家族を犠牲にし、懸命に働きました」
義「しかし命を犠牲にしたことはないだろ。偉そうなことを言ってはいけない」
私「命?」
義「俺たちの世代はね、戦争を経験している。命がけで、日本を守った」と。

 70代、80代の人は、そう考えています。
戦中派の人たちです。
そうした意識については、考えたこともありませんでした。
つまり、私たちはいつも、自分のもつ意識を基本にものを考えます。
Aさんにしても、そうです。

 たとえばその反対に、こんな母親もいます。
以前、こんな相談がありました。

++++++++++++++++++++

●子どもを呪い殺すと言った母親

 母親に向かって「死ね」と言った娘もすごいが、娘に向かって「呪い殺す」と言った母親もすごい。
今度は、母親側の問題。

10年ほど前のこと(2000年)。
同じ浜松市在住の、ある女性(当時、30歳前後、名前をBさんとしておく)からのもの。
最初の子どもが生まれた直後のことだった。

 そのBさんはこう言った。
当時の記録をもとに、箇条書きにしてみる。

★実の母親から、「あんたを呪い殺してやる」と言われている。
「親を捨てた子どもが幸福になれるわけがない。天罰がおりる」とも。

★「あなたが不幸になるのを楽しみにしている。墓場で見届けてやる」と言われている。
Bさんは、3人目の子どもを妊娠し、そのとき9か月目だった。
その子どもについて、「何人、お前は障害児を産んだら気がすむのか」と。

★で、Bさんは、夫とともに住居を変更。
電話番号も変えた。
親戚との交際も断った。

★が、母親はどこでどう調べたのか、その2、3日後には電話がかかってきた。
そのとき母親は、こう言った。
「どこへ逃げても、私にはすぐわかるからね」と。
住所もすぐわかってしまった。

★が、ある日、突然、母親から「すぐ来てくれ。
階段でころんで怪我をした」という電話。
Bさんは、あわてて実家へかけつけた。
が、母親は、昼食を用意してBさんを待っていたという。
Bさんは、こう言った。
「そのときの様子が、あまりにも別人のようだったので驚きました。
ニコニコと笑いながら、やさしい声で話しかけてきました。
怪我はどうだったのと聞くと、たいしたことなかったと言っていました」と。

 が、Bさんは、電話のベルが鳴るたびに、ワナワナと震えた。
しかも一度受話器を取ると、母親からの電話は、1時間以上もつづいた。
電話を切ろうとすると、突然声が金切り声になり、「娘なら、私のグチくらい聞いてくれてもいいでしょ!」と。
あるときは、こうも言ったという。

 「あんたにかけた学費を、ダンナの両親に請求してやる。
ダンナが払えなければ、Yの連中(夫の実家の親たち)に払わせてやる。
全部で、3000万円。
耳をそろえて、返せ」と。

★さらに「昨日はカレーライスを食べたわね。ちゃんとしたものを食べなよ」と。
「ちゃんとしたものを食べないと、いい子は生まれないよ。
あんたのダンナの給料では、無理だろうが」とも。

 母親は、実の娘であるBさんに対して、ストーカー行為まで繰り返していた。
そのためBさん夫婦は、1年の間に、3度も、引っ越しを繰り返した。
で、やっと……と思っていたら、今度は、母親は夫の会社にまで電話をかけてくるようになったという。
「娘を、お宅の会社の社員に奪われた。
返してほしい」と。

 母親は会社の上司はもちろん、同僚たちにも、片っ端から同じ内容の電話をかけたという。
それについて、「どうしたらいいか?」と。
書き忘れたが、Bさんの母親は、Bさんが10歳のころ夫と離婚している。
Bさんは、1人娘。

●母親側の言い分

 電話での相談だったが、こういうケースで、一方の当事者の話だけを聞いて判断するのは、たいへん危険なことである。
相談者はいつも、自分にとって都合の悪い話はしない。
あるいは自分を客観的に見ることができない人も多い。

 母親の行為は、そのBさんの話を聞く範囲では、常軌を逸している。
本当にそうなのか?
母親がそこまでの行動をする背景には、それなりの理由があるはず。
が、母親側の言い分を聞くことはできない。
私とBさんの電話は、回を重ねた。
4〜5回はしたと記憶している。

●理由

 Bさんは、地元の国立大学(4年制)の教育学部を卒業している。
教員になるつもりだったが、卒業と同時に、現在の男性と恋愛。
そのまま婚約。
男性は、高卒で、大手の運輸会社で、整備工をしていた。
Bさんより、12歳、年上。
Bさんの母親は当初から、結婚に反対だった。

 が、母親とBさんの間がこじれたのは、夫側の母親にも原因があった。
夫側の母親は、「良縁、良縁」と、喜んだ。
息子の結婚について、あきらめていた矢先のできごとだった。

が、Bさん側の母親が結婚に反対していると知ると、一転、結婚に反対し始めた。
プライドが高く、短気な人だった。
たがいに「何よ!」「あんたこそ、何よ!」ということになったらしい。

 結婚式は、夫側の両親と友人たちだけが集まってしたという。
Bさん側(妻側)の両親、親類は、出席しなかった。 

●縁を切る

 親子でも、結婚を契機に疎遠になり断絶するケースは、少なくない。
昔は「格式が合わない」といって、たがいの両親が反対するケースがあった。
「年齢が合わない」というのも、よく理由になった。
が、結婚前後にこじれると、以後、修復されるということはまず、ない。
同じ浜松市内(人口80万人)に住みながら、20年間、一度も会ったことがないという親どうしもいる。
たがいにテリトリーのようなものを決めていて、相手の家には近づかないにしているという。

 孫が、たがいの間をとりもつということはあるが、こじれ方が悪いと、一方が孫を独り占めするというケースになりやすい。
(他方は、孫とも縁を切る。)

 『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』と、トルストイは、「アンナ・カレーニナ」の冒頭に書いた。
断絶には形はない。
中身も、千差万別。
が、こうした断絶は、即、「恨み」に走りやすい。
親子であるが故に、「憎」も、これまた深く、大きくなりやすい。
ある男性(「娘を取られた」と主張している)は、こう言った。
「相手の両親に、殺意すら覚える」と。
自分の娘ではなく、相手の両親というところに、この種の恨みの特徴がある。

●「ハイ、さようなら!」

 「あんたを呪い殺してやる」と言った、Bさんの母親。
当初、その話を聞いたとき、「何という母親!」と、私は思った。
しかし母親の悲しみも、大きい。
子どものときから、苦労し、育て、やっとの思いで4年生の大学を出した。
先にも書いたように、母子家庭。
生活も楽ではなかった。
(こういう書き方をすると、今どきの若い人たちは、大きく反発するだろうが……。)
いっしょに夢を見ることもあったはず。
母親は母親で、娘夫婦との同居生活を夢見ていた(?)。
その娘が、卒業と同時に、「ハイ、さようなら!」(母親の言葉)と。

 夫側の両親が出した年賀状は、Bさんの母親をさらに激怒させた。
その年賀状には、生まれたばかりの孫の写真を抱く、夫側の両親の写真が載っていた。
Bさんの母親は、その年賀状をビリビリに破り、娘に送り返したという。

 で、最後の電話。
そのつど私は、Bさんの立場で、話をした。
が、私がこう言ったのを最後に、連絡は途絶えた。
Bさんは、そのつど「恩着せがましい母親が、許せない」と言った。
「何かあると、母は、私に、だれのおかげでここまで大きくなれたかわかっているのと言います。
私には、それが苦痛でした」と。
が、私はこう言った。

 「あなたは、娘である自分が幸福になれば、親は喜ぶべきと考えているかもしれない。
しかし母親とて、1人の人間。
そんな簡単なことではない。
子どもに夢や希望を託し、子育てを人生の目標にしている人もいる。
あなたは、『私の母親は子離れできない、未熟な女性』と言うかもしれない。
が、私は未熟な女性とは、思わない。
あなたの気持ちもよくわかるが、あなたももう少し、母親の立場になって考えてみる必要があるのでは」と。

●『未知との遭遇』

 ……改めて、意識について考える。
というのも、こうしたケースでは、若い人たちと、私たちの世代とでは、考え方が180度ちがう。
そういうことも珍しくない。
それを説明するのに、こんな話もある。

 昔『未知との遭遇』という映画があった。
1977年に公開されたアメリカ映画である。
監督、脚本は、あのスティーブン・スピルバーグ。

 あの映画の中では、形の上では、妻のロニーが先に夫のロイを捨てる形で、家を出る。
夫のロイは、そのあとデビルズタワー(地名)へ行き、そこでUFOに乗り込んでいく。

 それについてスティーブン・スピルバーグは、最近になってテレビ番組の中で、こう述べている(2005年ごろ)。
「あの作品は、私が若いころ制作したもの。
今の私なら、ああいう映画は作らない」と。

 つまり夫ロイは、妻や子どもたちを捨てて(?)、UFOに乗り込んでいく。
この「捨てる」という意識が、若い人たちと私たちの世代とでは、大きく異なる。
若い人たちで、あの映画を見て、「夫が妻や子どもたちを捨てた」と思う人はいない。
ロイはロイとして、当然のことをしたと思う。
が、実際には「捨てた」。
スティーブン・スピルバーグは、それを言った。

 が、同じような展開の映画が、あの『タイタニック』。
どういう事情であれ、またどんな母親であれ、主人公のローズは、母親を捨てた。
これについては、すでに書いた。
が、私たちの世代には、それがよくわかる。
若い人たちには、それがわからない。
おおかたのアメリカ人にも、わからないだろう。
意識というのは、そういうもの。
国どころか、年代によっても、変わる。

●エゴ

 要するにみな、自分のエゴに振り回されているだけ?

 たとえばこれは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

+++++++++++++++++++++

●親が子育てでいきづまるとき(2)

 先に取りあげた投書に話を戻す。

 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴではなかったのか。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ?

(どうか、この記事を書いた、お母さん、怒らないでください。
あなたがなさっているような経験は、多かれ少なかれ、すべての親たちが経験していることです。
決して、Kさんを笑っているのでも、批判しているのでもありません。
あなたが経験なさったことは、すべての親が共通してかかえる問題。
つまり落とし穴のような気がします。)

そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。

この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

 一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。
その中でも最大のパターンは、(1)「子どもの心に耳を傾けない」。
「子どものことは私が一番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決めてしまう。

そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。
「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。
そのつど子どもの心を確かめるということをしない。
ときどき子どもの側から、「NO!」のサインを出しても、そのサインを無視する。
あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけてしまう。

このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾けないから、それがわかる。

私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思います」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」と。

 あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。息子は、「おもしろくなかった」と言う。
娘でさえ、「疲れただけ」と言う。

●三つの役目

 親には三つの役目がある。
(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。

この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

 が、もう一つ問題が残る。
それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

 なお子どもは、小学3年生ごろを境に、親離れを始める。しかし親が、それに気づき、子離れを始めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてのこと。

 この時間的ギャップが、多くの悲喜劇を生む。掲示板に書きこんでくれたFさんの悩みも、その一つ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもは去っていくもの

 要するに、じょうずに子離れしていくということ。
自分の息子や娘に、友情や、深い慈愛を求めても意味はありません。
またそういう対象ではありません。
親のほうは、「私の……」という所有格をつけます。
が、子どものほうは、「親の……」という所有格をつけません。
そのあたりに意識のギャップがあります。

 Aさんの長女について言うなら、その原因は、ひょっとしたら、乳幼児期に始まっているかもしれません。
いちばん親の愛情を必要とするときに、下の妹が生まれてしまった。
長女にとっては、たいへんショックなことだったと推察されます。
現在、姉妹が仲が悪いのは、そのあたりに起因している可能性があります。
つまり長女にしてみれば、居心地の悪い世界だった?

●可能性

 とは言え、長女が戻ってくる可能性がないというわけではありません。
30歳前後の子どものばあい、戻ってくるということは、まずありません。
息子であれば、なおさらです。

 が、まだ若い。
脳の構造そのものが、まだフレキシブルです。
いつか、戻ってくる可能性は、じゅうぶんあります。
それに望みをかけろというのではありません。
戻ってきても、たいていのばあい、ギクシャクした親子関係は残ります。
再び会い、「お母さん、ごめん」「会いたかったわよ」と、ハッピーエンドで終わるということは、まずありません。
(日本映画の中では、そういうシーンが、ときどきありますが……。)

 すでに今、たがいの間に、大きな(こだわり)ができつつあります。
この(こだわり)が、たがいの間に、超えがたい「壁」を作ります。
たとえば子どものほうは、「葬式くらいなら、行ってやる」と考えているかもしれません。
が、親のほうは、「来てほしくない」と。

 つまり修復など考えないこと。
今、あなたがしているように、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。
というのも、みな、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それは外見。
それぞれの家庭が、それぞれの問題をかかえ、悩み、苦しんでいます。
悲しみにじっと耐えている家庭も、少なくありません。
……というか、みな、そうです。

 が、それも人生。
これも人生。
あとは、居直ればよいのです。

 ただし、こうした事例では、親側の意見だけを一方的に取りあげてはいけない。
つまりここに書いてきたことは、親側の意見。
子ども側には、子ども側の言い分がある。
それについても、一言、触れておきたい。

 私には、こんな経験がある。
ある女子高校生(3年生)の話である。
その女子女子高校生は、父親に向かってこう叫んだ。
「親なら、責任を取り、借金でも何でもしていいから、私を大学へ出せ!」と。

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

 はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子どもはもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しました。

 ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。

今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。
これも、私がそう育ててしまったのだから……

 しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?

 加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子どもには大学に行ってもらいたいと、小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

 こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

 何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5〜10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。

 つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡してはいけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかというと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。
「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「親なら、責任を取り、借金でも何でもしていいから、私を大学へ出せ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく……。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。


【第2章】

★The first half of our lives is ruined by our parents, and the second half by our children.ーClarence Darrow
あなたの人生の最初の半分は、親によって滅ぼされる。あとの半分は、子どもによって滅ぼされる。
クラレンス・ダロウ(アメリカの弁護士)


●親たちの財産

 では、実際にはどうなのか。
親たちには、それほどの財産があるのか。
子どもに遊興費を渡すほど、余裕があるのか。

 そこで調べてみる。
金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、つぎのようになっている。
それによっても、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。

全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。

 さらに生活保護を受ける人(生活保護受給者数)が、2011年度、最高を記録した。
その数、約200万人。
144万世帯。
この15年で倍増している。

 さらに先の金融広報中央委員会の世論調査によれば、貯蓄額は、つぎのようになっている。

   20代は171万円、
   30代は455万円、
   40代は812万円、
   50代は1154万円、
   60代が1601万円、
   70歳以上が1432万円。

 この調査は「20歳ー79歳代の男女1万0080人」を対象に調べたもので、このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。

貯蓄ゼロの家庭は、年収が300〜500万円未満でも21・1%。
500〜750万円未満の家庭でも16・2%。

 で、問題なのは、息子や娘にスネをかじられる世代。
つまり50代以上の人たち。
とくに団塊の世代。

 それについては、つまり団塊の世代(現在60〜65歳)については、貯蓄ゼロの世帯は、8・1%という数字が出ている(「格差脱出研究所」調べ)。
「これから老後……」と考えている人のうち、10人のうち1人が、貯蓄ゼロ?

ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400〜500万円程度と言われている。

 これでは息子や娘に小遣いを渡したくても、渡せない。
が、悲劇はここで終わらない。
今や『親の恩も遺産次第』。
それなりの遺産があればまだよい。
なければ、「ゴミ」。
そういう時代に今、なりつつある。
称して「ジジ・ババ・ゴミ論」。

●団塊の世代はゴミ?

 私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
「ゴミ論」から「老害論」でもよい。
「老人難民」という言葉さえ生まれた。
 
 まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。
が、なぜ、私たちはゴミなのか?

●「将来、親のめんどうをみる」
 
 それについて考える前に、若い人たちの意識はどうなのか。
「親」に対して、どのような意識をもっているのか。
それについては、総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。

 で、それによれば、「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21年(2009)3月)

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●年老いた親を養うことについてどう思うか

「どんなことをしてでも親を養う」

   イギリス……66・0%、
   アメリカ……63・5%
   フランス……50・8%
   韓国 ……35・2%
   日本 ……28・3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)

 日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。

 「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、まったく逆。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』:

   イギリス……70・1%、
   アメリカ……67・5%、
   フランス……62・3%、
   日本……47・2%、
   韓国……41・2%

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 平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
が、「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。
それについては、先に書いた。

 親のスネをかじりながら、「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、ここに書いた、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。

●「何でいまさら……」

 その結果ということでもないが、こんな事件もふえている。
生活保護を求めていた人たちが、相次いで死亡するという事件である(2008年、09年)。
そのうちの1人。
門司区の56歳のある男性が生活保護の受給を申請した。
が、市は、扶養義務のある長男と二男が近所に住んでいたことを理由に、申請を受理しなかった。
産経新聞は、つぎのように伝える。

 『……まずお子さんに相談してと、申請を受け付けなかった。
男性は、その後、餓死。
厳密に(受理を)チェックしすぎた結果だったとみられる。
親族の調査にあたるケースワーカーの負担も大きい。
資力に余裕がある親族がいても、「なんで今さら(親を)援助しなければいけないのか」と断られるケースもある」(2012年6月23日付)と。

●祖父母と同居

 私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を、「核家族」と言った。

 当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。

 現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

●「祖父または祖母と同居している」

   日本……20・6%、
   韓国……5・8%、
   アメリカ……3・1%、
   フランス……1・5%、
   イギリス……1・1%
 
 これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。

(1)日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。

(2)老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。

(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。

 なおこの数字について、一言、付け加えておきたい。

●オールド・マン・ビレッジ

 この日本では、祖父もしくは祖母と同居している家族が、20・6%もある。
ダントツに多い。
で、この数字だけを見ると、日本のほうが、若い世代が老親のめんどうをみているように考える人がいるかもしれない。
しかし実際には、欧米では、老人のほうが若い人たちとの同居を、拒む傾向がある。
社会制度そのものもちがう。

 たとえばオーストラリアなどでは、どんな小さな町(タウン)にも、町の中心部に「オールド・マン・ビレッジ」というのがある。
老人になると、みな、そこに移り住んでいく。
興味深いのは、たいてい幼稚園が隣接していること。
老人と幼児の組み合わせは、たがいによい影響を与えあう。

 で、いよいよ自活できなくなると、日本でいう、特別養護老人ホームへと移っていく。
そういうしくみが完備しているから、「同居」ということは、少なくとも欧米人の思考回路の中にはない。

 この数字を読むときは、そういったちがいも、考慮に入れなければならない。

●「団塊の世代は敵」?

 さらにショッキングなことがつづく。
あるBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
「敵」は、「カタキ」と読むのだそうだ。
これには驚いた。

 私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?

 こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?

 その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。

 が、若い人たちを、責めてはいけない。
たとえば現在、70代の人たちは、こう言う。
「団塊の世代はいい気なもんだ。オレたちが命がけで敷いたレールの上を走っているだけではないか」と。

 私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。

 前にも書いたように、意識というのは、そういうもの。
立場によって、相対的にちがう。

●ゴミ

 私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。

「老人は、役立たず」と。

 当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

 日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、日々に強く感じている。

●常識?

 意識はたしかに変化した。
あのアルバート・アインシュタインは、こう書いた。

『常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである』と。
そう、まさに、そう。
同時に、常識などというものは、相対的なもの。
A氏にとっての常識は、B氏にとっては、非常識。
B氏にとっての常識は、A氏にとっては、非常識。
こうした意識のちがいが、世代間で、起こることがある。

 私がその変化というより、落差を感じたのは、あの尾崎豊が「♪卒業」を歌ったときのことである。
私たちの世代(戦後生まれ)にとっては、青春時代は、「反権力」が、生き様のテーマになっていた。
が、尾崎豊の時代になると、それが「反世代」へと変化した。

●ああ、父親たるものは……!

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

 また「父親のようになりたくない」は、78・8%、「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

 念のため、資料をもう一度、整理しておく。
親たる者、この数字をじっくりとながめてみたらよい。

「父親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、
「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、51・5%。

「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%。

 この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。

 この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

●それから14年

 先の調査から、14年が過ぎた(2012年)。
で、先ほどまで最近はどうなったか、それを調べてみた。
便利になったものだ。
ネットで検索をかければ、即座に情報を手に入れることができる。
それに内閣府(旧総理府)は、数年ごとに同じような調査を繰り返している。
そのため青少年の意識のちがいや変化を、数字として知ることができる。
現在は「子ども白書」(内閣府)と名称を変えている。

 が、私が調べた範囲では、平成10年以後、同じような調査がなされた形跡がない。
だからこの調査結果を基に考えるしかない。
またそのころ中高生だった子どもたちが、現在、ちょうど逆の立場で、子育てをしていることになる。

●繰り返される親子関係

 『子育ては本能ではなく、学習である』。
そういう視点で類推するなら、こうした意識は、つぎの世代へと連鎖していく。
つまり戦後の流れからすると、現在は、平成10年当時の調査結果より、悪化していると考えられる。

(それを「悪化」と言ってよいかどうかという問題もあるが……。
しかし家族というのは、たがいに尊敬しあっているほうがよい。
そういう点で、「悪化」という言葉を使った。)

●尾崎豊

 では、どこでどのようにして、世代の意識が大きく変わったか。
そのひとつとして、私は尾崎豊が『卒業』をあげる。
あの歌を聴いたとき、私はふつうでない衝撃を受けたが、あの時代前後が、その節目ではなかったか。
若い人たちが、自分たちより上の世代に反旗を翻した。

「親に何か言われると、ムシャクシャする」
「親にあれこれ指図されたくない」
「親の言うことは、イチイチ、うるさい」と。

 直接的には、親が何かを言おうとすると、「アンタには、関係ない」と突っぱねる。
それが「父親のようになりたくない」(78・8%)という数字と考えてよい。
約80%。
ほぼ全員!

 そこでそうした青少年が、今度は自分が親になる。
そしてこう覚悟する。
「私は私の親とはちがう」
「私はすばらしい家族を築く」
「よい親子関係を作る」と。

 が、現実は甘くない。
結局は、自分がしたこと(=思ったこと)と同じことを、その子どもたちが繰り返す。
子ども、つまり先の親から見れば孫たちが、こう言い出す。
「父親のようになりたくない」
「母親のようになりたくない」と。

 それを世代連鎖という。
だからこう言う。
『子育ては本能ではなく、学習』と。

●親の立場から

 どうであれ、子どもは10歳前後(小学3年生前後)から、親離れを始める。
この時期、(家庭)という束縛から自分を解き放ち、友人との(社会)に、自分の世界を移し始める。

 が、ほとんどの親はそれに気づかない。
ほとんどの親は、「私はすばらしい親だ」「私は子どもたちに慕われ、尊敬されている」と思い込んでいる。
が、これが思い込みであることは、数値の信頼性はさておき、先の「78・8%」という数字を見てもわかる。
言い換えると、それが「ふつう」ということ。
つまり、子どもに尊敬されようと思わないこと。
思っても意味はない。

 親は親で、自分の道を行く。
中には家族主義(たいていは行きすぎた家族主義)を信奉し、「家族こそすべて」と考える人も、いる。
「親子の太い絆こそ、何よりも大切」と。

 しかし親子というのは、皮肉なもの。
親のこうした気負いが強ければ強いほど、子どものほうはそれを負担に思う。
その負担感が、かえって、親子の間に溝を作る。
だから親は親で、自分の道を行く。
「子どものため」という義務感、犠牲心は、もたないほうがよい。
もっても、意味はない。
やるべきことはやるが、期待しない。
またそのほうが、結果的に、親子の絆は太くなる。
子どもも親を尊敬するようになる。
だからあのバートランド・ラッセルは、こう言った。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、
けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

 この言葉の中に、子育ての神髄が凝縮されている。

【はやし浩司よりAさんへ】

 つまりね、Aさん、あなたは親バカだっただけ。
そう、親バカ。
(私も含め、みんなそうですから、どうか気分を悪くしないでください。)
「子ども……」「子ども……」と、子ども中心の世界で、親バカなことをしてしまった。
それだけのことです。

 親バカ論については、どこかに書いた原稿があるはずですから、探してみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50〜60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。

「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。

つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
ついでに豊田佐吉も、浜名湖の西にある現在の湖西市で生まれ育った。
その浜松市でも、「50%」(2011年)!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2〜3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える(2011年)。

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあなたのめんどうをみない。

 60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●反論

 こうした私の意見について、はてなBLOGのほうに、こんな書き込みが届いた。
 が、千葉県に住む、EH氏は、こう書いてきた。
タイトルは、「阿呆(あほう)」。

『老後の自分の面倒を見てもらうために、愛情もない相手と結婚して、子どもを作り、育てるってことですかね。
そんな世界で生きていて、なんの価値があるのでしょう。
世の中は地球規模で変化をし、進化をしているのです。
夫婦、家族、恋愛…… 全ての形が多様化しているのです。
新旧色々あってよいじゃないですか。

結局、はやし先生は御自分の意見が正しいと思い切り主張していて、読んでいてがっかりです。
ちなみに私は、子どもがどこでどんな生き方をしてもよいと言える親をずっと目ざします。
子どもには子どもの人生があるのですから。
それを家族崩壊とは思いません。

むしろ、親の面倒で子どもを縛りつけている方が家族崩壊じゃないのですか?
親の近くにいようが遠くにいようが子どもがよい人間で幸せなら、親としても幸せなはず。
はやし先生は子離れできていないのですね。
そんなに親の面倒を子どもが見るのが当たり前だと思うのなら、ご自分のお子さんに「私の面倒をみろ」と、言ったらよいのに!

 千葉 Eより』と。

 たぶん、まだ老親のめんどうをみたことも、介護もしたこともない若い父親が、こういうことを平然と言ってのけるから、恐ろしい。
また老親のめんどうをみるつもりもないだろうし、介護もするつもりもないだろう。
私がE氏の親なら、めんどうをみてもらうのも、介護をしてもらうのも、こちらから願い下げる。
想像するだけで、ぞっとする。
E氏は、こう書いている。

「自分の老後の面倒をみてほしかったら、息子や娘に頼め」と。
「頼め」というところが、恐ろしい。
それともE氏は、自分の子ども(息子あるいは娘)に対して、日ごろ、こう言っているのだろうか。

 「自分のめんどうをみてほしかったら、親の私に頼め」と。
またそういう親子関係を、「地球規模の変化であり、進歩である」と。
その上で、「子どもが親のめんどうをみることは、「束縛(拘束)」である、と。

 ここに出てくる「家族崩壊」については、またあとで詳しく書く。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
……というのは書き過ぎ。
それはよくわかっているが、団塊の世代なら、この意見に同意する人も多いのでは?
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生には通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。

 むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている。15万円では生活できない」
「どうして新居の支度金を出してくれないのか」と。

 保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝わない。いつもお客様だよ」と。

 別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ〜イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

●何かおかしい?

 否定的な話ばかりとらえた。
が、何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは……」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、〜〜してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)をいう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●62歳にして完成

 ……こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
『許して忘れる』は、私の持論だが、これは自分以外の人については言える。
しかし自分に対しては、言えない。
自分を許し、忘れることはできない。

が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、還暦を過ぎ、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。
私が62歳のときのことだった。

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Aさんへ

 が、ひとつだけ気をつけてください。

 私は『許して・忘れる』という言葉をよく使います。
しかしそれは自分以外の人に対して使う言葉。
が、「私」に対しては、どうか?
私に対して、『許して・忘れる』ことは、できるか?

 結論は、「NO!」です。
自分を許して、忘れるということはできない。
これは私の経験によるものです。
そこで「愛」は、一気に、「憎」に向かいます。
とくに親子の間では、愛が深い分だけ、憎しみに走りやすくなります。
「愛憎は紙一重」というのは、そういう意味です。

 が、「憎しみ」は、たいへん危険です。
自分の心を腐らせます。
それについては、ある賢人がこう書き残しています。

『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』とです。

●ネズミを殺すために、家を燃やす

 愛と憎は紙一重。
愛が深い分だけ、憎もまた深くなる。
が、ここで重要なことは、子どもを恨まないこと。
恨みを感じたら、できるだけ早い段階で、それに気づき、原因を取り除くこと。

 だからある賢人はこう言った。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』
(H・フォスディック)

 つまり人を恨んでいると、心、つまりその人の人間性全体まで、大きな影響を受ける。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。


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【第3章】

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.ーAlbert Einstein
常識などというものは、その人が18歳のときまでに身につけた偏見の固まりである。
A.アインシュタイン


●家族崩壊

 韓国に申京淑という作家がいる。
その申京淑の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっているという(韓国・東亞日報・2011年6月)。

 申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。

『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろうか」という質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。
見慣れないものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感することが、より重要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。

 ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではない。
「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。

 わかりやすく言えば、欧米では「家族崩壊」が当たり前。
「家族」というシステム(意識ではなく、システム)そのものが、崩壊している。
その上で社会のしくみが、成り立っている。

 一方、この東洋では、親と子が、強い粘着力をもってつながっている。……つながっていた。
が、今、その粘着力が、急速に失われつつある。
私は称して、「パサパサ家族」と呼んでいる。

●パサパサ家族

 たとえばこの浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、戻ってこない。
「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)という程度。
浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。
が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。

 『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時もごめんねという言葉を聞かされて育った。
私たちが当たり前のように耳にしながら育ったこの言葉は、いざ両親に対してはかけたことがない。
言葉の順番が変わるべきだという気がした』(同)と。

 つまり「家族崩壊」の背景には、この「一方向性」がある。
親から子への一方向性。

 親はいつも子のことだけを考える。
が、子は、親のことは何も考えない。
だから「一方向性」。
またそれが原因と考えてよい。
それが原因で、家族は崩壊する。
申氏は、「親はつねに子どもたちに対して、『ごめんね』と声をかける。
しかし子どもの側から、そうした言葉が発せられたことはない。

 家族崩壊、つまり人間関係がパサパサしてきた原因のひとつに、この一方向性がある。

●保護と依存性

 日本では、親のことを、「保護者」という。
韓国でもそうだと理解している。
しかし保護と依存の関係は、申氏が指摘するように、つねに一方向的なもの。
保護する側は、いつも保護する。
依存する側は、いつも依存する。
そして一度、この保護・依存の関係ができあがると、それを変えるのは容易なことではない。
それを基盤として、人間関係が構築されてしまう。

 が、悲劇はそのあとにつづく。
当初は感謝していた依存側も、それがしばらくつづくと、「当然」になり、さらにつづくと、今度は依存側が、保護する側に向かって、それを請求するようになる。
親子関係とて、例外ではない。

 ある息子氏は、結婚式の費用を親に請求した。
が、そのとき親は定年退職をしたあと。
貯金はあったが、老後資金としては、じゅうぶんではなかった。
それもあって「なら、半分くらいなら……」と答えた。
が、この言葉が、息子氏を激怒させた。
「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。

 以後、息子氏は、親との縁を切った。
「2、30年後に、許してやる!」と
親が言ったのではない。
息子氏が、「許してやる」と言った。

 その親は、私にこう言った。
「息子が学生のときは、生活費のほか、毎月のようにお金を貸しました。
『就職したら返す』と言っていました。
で、東京の大手運輸会社に就職しましたが、当初の2年間は、『給料が少ない』と言っては、毎月のように、借金の催促がありました。
『マンションを引っ越すから、お金を貸してほしい』と言ってきたこともあります。
200万円でした。
『特殊車両の運転免許を取るため、30万円貸してほしい』と言ったこともあります。
そのつど『給料があがったら、返す』と言っていました。
が、縁を切った(?)ことをよいことに、以後、ナシのつぶてです。
もう3年になります」と。

 この話は事実である。
というのも、こうしたエッセーで(事実)を書くときは、その本人とわからないように書く。
いくつかの話しをまとめたり、あるいは別の人物の話として書く。
が、あまりにも非常識な話しなので、あえて事実を書いた。
つまりこれが「家族崩壊」である。

 家族崩壊の根底には、保護・依存の関係がある。
それがいびつな形で増幅したとき、ここに書いたようなできごとが起こる。

●家族崩壊

 申氏には悪いが、申氏は、ひとつ事実誤認をしている。
申氏には、欧米の家族が、「家族崩壊」に見えるかもしれない。
しかし欧米では、伝統的にそうであり、それが社会の中で、「常識」として定着している。
どんな小さな町にも、オールドマン・ビレッジがあるのもそのひとつ。

 だからたとえばアメリカ映画などをみても、そこにあるのは、両親と子どもだけ。
祖父母がからんでくることは、まず、ない。
 そのため社会のシステムそのものが、それを包む形で完成している。

 が、この日本では、そうでない。
若い人たちの意識だけが、先行する形で欧米化してしまった。
社会のシステムが置き去りになってしまった。
そのため多くの老人や、老人予備軍の退職者たちが、言うなれば「ハシゴをはずされてしまった」ような状態になっている。

 またこうした悲劇は、地方の町や村で顕著に現われている。
北信(長野県北部)から来た男性(75歳くらい、元高校教師)はこう言った。
「過疎化なんて言葉は、一昔前のもの。
私にも息子と娘がいますが、娘とは、もう20年以上、会っていません」と。

●ハリウッド映画

 たまたまこの原稿を書いているとき、映画『君への誓い(The Vow)』を見てきた。
お涙頂戴の、2流映画だった。
星は2つもきびしい、★★。

 1人、レイチェル・マクアダムス(主人公の女性)の演技だけが、光った。
美しい女優だが、ちょっと歳を取りすぎたかな……という感じ。
髪の毛を長くし、若くは見せていたが……。

 その中で、こんなシーンがあった。

 主人公のページ(レイチェル・マクアダムス)は、進学の問題がこじれ、両親と3年近く、音信を切る。
ページのほうが、家を飛び出したらしい。
(アメリカでは、息子や娘のほうが、親と縁を切ることが多い。)
で、それについて、ページの夫、レオ(筋肉ムキムキのハンク)が、ページの両親にこう詰め寄る。

「親なら、(3年間も娘を放っておかず)、修復を試みるべきだった」(記憶)と。

 つまり家を飛び出した娘が悪いのではない。
修復を試みなかった親の方が悪い、と。

 この発想は、まさにアメリカのハリウッド映画そのもの。
もっと正確には、アメリカ西部の、親子意識をそのまま表象している。
で、現在の日本は、その影響をまともに受けている。
よい例が、あの映画『タイタニック』。

●タイタニック・シンドローム(症候群)

 ローズは、救助され、名前を聞かれたとき、「ローズ・ドーソン」と答える。
「ドーソン」というのは、ジャックの名前。
「ローズ・ドーソン」と答えた瞬間、ローズは、母親を棄てた。

観客は、ローズの立場で、つまり母親を悪者ととらえることで、ローズの行動に納得する。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?

 聞くところによると、そのあとローズの母親は、生涯、ローズを捜しつづけたという……というのは、ウソだが、親には親の気持ちがある。
(あなたが親として、子どもにもつ愛情を振り返ってみれば、それがわかるはず。)
ジャックにしても、そうだ。
ジャックにも両親がいた。
その両親の気持ちは、どうなのか?
もしあの話が実話なら、ジャックの両親は、死ぬまでジャックを探しつづけただろう。

 言い換えると、現代の若い人たちは、あまりにも勝手すぎる。
それがあの映画『タイタニック』ということになる。
称して、「タイタニック・シンドローム(症候群)」。
恋愛第一主義。
「恋愛」こそがすべて。
恋愛が、人生の柱。
恋愛したら、すべてを棄てる。
親をも棄てる。
それが「タイタニック・シンドローム」。

●変わる意識

 先週、ある知人宅(67歳)を訪れた。
この15年来、たがいに行き来している。
いわゆる3世代同居家族で、知人は、息子夫婦(ともに40歳前後)のために畑をつぶし、そこに家を建てた。
もちろん費用は、全額、知人(親)の負担。
孫も2人いて、知人夫婦が、家でめんどうをみている。

 その知人が、こう言った。
「息子のヤツがね、私にこう言うんですよ。
おやじね(=知人のこと)、死ぬときは、老人ホームで死んでよね、ってね」と。

 自宅では介護できないし、共働きだから、めんどうをみられないということらしい。
また今、自宅で老人が死ぬと、即、警察が検死にやってくる。
知人の息子夫婦は、それを心配しているらしい。
しかしそれにしても、「老人ホームで死んでよね」は、ない。

 一昔前には、私たちはこう言った。
「おやじやおふくろは、死ぬときは、自宅の畳の上で、死なせてやりたい」と。
が、今は、時代が変わった。
日本人がもっている意識そのものが、変わった。

なお、私はその息子夫婦とは、ときどき話をすることがある。
ごくふつうの、見た目には、やさしそうな人たちである。
そんな夫婦でも、そう言う。

 が、こんな例もふえてきた。

●小5のIさん

 昨日、小5のIさん(女児)がこう言った。
「私、SR進学塾にも通っている」と。
隣にいたMさん(女児)がそれを聞き、「受験するの?」と。
するとIさんは、「ううん、ただ通っているだけ。中学も高校も、ふつうの学校にする」と。

 ……今、そういう子どもがふえている。
子どもというより、親の意識も、こうした変化に応じて、より現実的になりつつある。

●外へ出る

 もう10年ほど、前のこと。
名前は忘れたが、こんなことを言っている祖母がいた。
「へたに学力をつけると、外へ出て行ってしまうから、子どもには学力をつけさせない」と。
そのため、「勉強しなさい」と子どもを叱る母親と、「勉強なんかしなくてもいい」と諭(さと)す祖母との間で、嫁姑戦争が起きている、と。

 当の母親からそういう相談を受けたときには、「何という祖母!」と思った。
……というか、当時の私の常識には、まったく反していた。
が、今にして思うと、その祖母には、祖母の哲学があった。
「外へ出て行ってしまう」ということは、家族崩壊を意味する。
「崩壊」とわからないまま、崩壊してしまう。

●希薄になる親子関係

 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。

あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。

 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」「束縛」「拘束」とかいう言葉を使って、はねのける。

 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄になりつつある。
そんな中で、申京淑は、『ママをお願い』を書いた。
フランス人に、強烈な印象を与えた。

●掛け軸の言葉

 が、多くの親たちは、「うちにかぎって、そういうことはない」と思い込んでいる。
つまり幻想にしがみついている。
しかし幻想は、幻想。
いくら親ががんばっても、子どもたちは子どもたちの世界で、自らの哲学を作り上げていく。
親がもっている価値観など、子どもたちの世界では、床の間の掛け軸ほどの意味もない。
いくら立派なことが書いてあっても、ただの飾り。
意識というのは、そういうもの。

 社会へ出たとたん、吸い取り紙が水を吸い取るように、周囲の哲学を吸収していく。
それがわからなければ、あなた自身を観察してみればよい。
あなたは将来、親のめんどうをみるのか。
その意識はあるのか。

●社会的重圧感

 たいていの人は、「もちろんある……」と答えるだろう。
が、待ったア!

 その意識にしても、相対的なもの。
私たちの世代は、外に出たものは、そのほとんどが、実家への仕送りを欠かさなかった。
私の意識というよりは、それが当時の常識だった。
私も、吸い取り紙のように、周囲の常識を吸収していた。
みながそうしていたから、私もそうした。

 今のワイフと結婚するときも、毎月、実家への仕送りが条件になっていた。
毎月だぞ!
だからワイフは結婚してからも、以後、私が45歳になるまで、一度もそれを欠かさなかった。
それだけではない。
27歳ごろからは、実家での冠婚葬祭の費用、さらには税金の支払い、商品の購入代金の支払いまで、私が負担するようになった。

 が、経済的な負担というより、社会的な負担……「重圧感」と書いた方が正確かもしれない。
が、それには相当なものがあった。
母の哲学と、私の哲学が、まっこうから対立した。
死生観そのものが、ちがった。
たとえば母は、冠婚葬祭だけは、派手にやった。
そのたびに、20万円〜30万円の現金が消えた。
私はそれを乗り越えなければならなかった。
 
 さらに言えば、私の母は最期の2年間を、私の家で過ごした。
最初の1年間は、私の家で過ごした。
もちろん便の始末などは、すべて私がした。
ワイフにはさせなかった。
つまりそこまでしてはじめて、「めんどうをみた」という。

●恋愛第一主義

 私たちの世代にとっては、「親のめんどうをみる」というのは、それをいう。
またその程度のことをして、はじめて、「親のめんどうをみた」となる。
が、その意識も変わった。
盆と暮れに実家へ帰る程度で、「親のめんどうをみている」と、多くの若い人たちは考えている。
が、今ではそれすらしない若い人たちもふえている。
多くは、結婚したとたん、「ハイ、さようなら!」。
おかしな恋愛第一主義が、はびこっている。

 古い世代と思われるかもしれないが、私たちの時代には、そうではなかった。
親の許可がないと、結婚できなかった。
私自身も学生時代、恋愛をした。
が、「収入がない」という理由で、結婚をあきらめた。

 が、いまどき「許可」を求める若い人たちはいない。
恋愛したとたん、それがすべて。
後先のことも考えず、「結婚します!」と。
「恋愛」を、一世一代の大仕事と誤解している。
が、そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしている。
サルでもしている。

 だからというわけでもないが、その一方で、離婚率も鰻上り。
現在離婚率は、30%近くになっている。

(注……離婚率の算出の仕方はむずかしい。
たとえば平成19年度には、結婚した人の数が71万9822人に対して、離婚した人の数は25万4832人となっている。
単純に、離婚した人を、結婚した人の数で割ってみると、35・4%という数字が出てくる。)

●無縁老人

 それもあって独居老人がふえている。
しかも従来、親子関係が濃密と思われていた農村部で、ふえている。
もちろん都会部でも、ふえている。
この先すぐ、つまり私たちが後期高齢者になるころは、約60%の人たちが独居老人になると言われている。

 が、今はさらに一歩進んで、「無縁老人」。
それもそのはず。
2050年には、1・2人の勤労者が、1人の老人を支えなければならなくなる。
(現在は、2・6人の勤労者が、1人の老人を支えている。)
少子高齢化の問題が、いかに深刻なものであるかは、この数字を見ただけでもわかる。
「2050年」と言えば、38年後。
あなたの年齢に、38歳を足してみればよい。
それがあなたの老後ということになる。

●葬儀

 もっともこの先、葬儀など、望むほうが無理。
先にも書いたように、2050年には、1・2人の日本人が、高齢者1人を支えるようになる。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/55/img622f1c4czik9zj.
jpeg" width="659" height="731" alt="img239.jpg">
(表は、「2050年問題・サイト」より、コピー・転載)

 この表を見てもわかるように、2050年には、人口は9000万人に減る。
その一方で、65歳以上の高齢者がふえ、全体の38・9%を占めるようになる。
15〜65歳までが、52・3%。
(「15歳」というのは、中学を卒業する年齢である。)

 52・3を、38・9で割ってみると、1・34という数字が出てくる。
全員が中学を卒業すると同時に働き始めたとしても、1・34人(男女含む)が、1人の高齢者
(65歳以上)を支えることになる。
この表から推計すると、「18歳以上の人が1・2人に対し、高齢者が1人」ということになる。

 と考えると、「1・2人」というのは、単純な割合比であることがわかる。
つまり、男女も含め、すべての人が働いたとしても、1・2人の人が、1人の高齢者を支えるということになる。

 しかしこんなことは不可能!
つまり1・2人の人が、1人の高齢者を支えるなどということは、不可能。

●2050年

 2050年というと、38年後。
逆算すると、65−38=27歳。
現在(2012年)、27歳の人たちが65歳になったときに迎える、これはまさに近未来の日本の姿ということになる。
50歳とか60歳の人の話ではない。
現在、30歳前後の人たちの話である。

 現在、30歳前後の人たちが、65歳になるころには、この日本は、超の上にもうひとつ「超」がつく、超・超高齢者社会になる。
が、このグラフを見てもわかるように、2050年に人口の減少が止まるわけではない。
さらに日本の人口は減りつづける。
高齢者の割合は、さらに高くなる。

 2080年には、2050年までの30年間の変化のままであるとすると、つぎのようになる。

 人口は、さらに3200万人、減る。
高齢者の割合は、さらに10・1%、ふえる。
その結果、日本の人口は、7000万人。
高齢者の割合は、49・0%!

 こんな近未来を前に、葬儀だ何だの言っているほうが、バカげている。
葬儀をする人そのものが、いなくなる。

●無縁仏の増加

 同時に、今、無縁仏が増加しているという。

「無縁仏(むえんぼとけ)とは、供養する親族や縁者のいなくなった死者またはその霊魂、またはそれらを祭った仏像や石仏などを意味する」(ウィキペディア百科事典)とある。

 で、どれくらい増加しているのか。
あちこちのサイトを調べてみた。
が、どうもはっきりしない。

「都市部で10%」と書いているサイトもあった。
「名古屋市で急増加中」と書いているサイトもあった。
が、都市部よりも、実は、農村部のほうが多いという説もある。

 長野県の北部(北信)の寺ではどこでも、無縁仏だけを集める、慰霊碑の建立が当たり前になっているという(友人談)。
若い人たちが都会に出る。
そのまま帰ってこない。
無縁仏がふえる。
そういう流れになっているらしい。

 無縁仏の定義も定かではない。
寺自体が、無住になっているケースも多い。
実数の把握は、むずかしいようだ。

●居直る

 だったら、居直るしかない。
「どうしよう?」と悩んでいても、道は見えてこない。
先にあげた表を見てもわかるように、これはもう動かしがたい「事実」である。

 「この先、60%の人が、孤独死もしくは無縁死を迎え、発見までの平均日数は、死後6日」という数字まで、聞こえてくる。

 「この先」とは、いつのことを言うのか?
そういう問題もあるが、「60%」でも、まだよいほうかもしれない。
そのうち70%になるかもしれない。
どうであれ、この文章を読んでいるあなたが、その60%に含まれる可能性は、きわめて高い。

 「私には息子がいる」「娘がいる」と、高をくくっている人ほど、あぶない。
息子や娘が、親のめんどうをみる時代は、すでに終わった。
反対に、あなたという親が、いつまでも息子や娘のめんどうをみる時代に入っている。
ウソだと思うなら、あなたの周辺を冷静に観察してみればよい。
年老いた両親が、若い夫婦のめんどうをみているという話はよく聞く。
が、その反対は、ほとんどない。

さらに「親孝行も遺産次第」と考えている若い人たちが、増加している。
「それなりの遺産があれば、めんどうをみる。そうでなければそうでない」と。
(この話とて、すでに20年前の話だぞ。)
私が、ほんの数か月前に聞いた話には、こんなのがある。

 嫁が夫の実家へやってきて、こう言った。
「100万円、よこせ」と。
そこで80歳を過ぎた母親が、「5万円くらいなら……」と言って、5万円を渡すと、その嫁は、
の5万円を廊下に叩きつけて帰っていった。
(実の娘ではなく、嫁がだぞ!)
もっともこんな話は、例外。

●加山雄三
 
 どうしてこのエッセーに、「加山雄三」が出てくるか?
理由は簡単。
あの加山雄三がギターを片手に、「♪二人を夕闇がア〜」と歌った。
そのとたん、日本人の意識は大きく変わり始めた。
すでにその時、底流はあったのかもしれない。
ともかくも、そのときから、恋愛至上主義が始まった。

 いや、ひょっとしたら、私たちは「恋愛」の中に、「自由」を見たのかもしれない。
それまでの私たちは、体中を、ぐるぐると取り巻いていたクサリに、もがき、苦しんでいた。
加山雄三はアメリカ式の恋愛映画を見せてくれることで、それを取り除いてくれた。
たとえひと時の幻想ではあっても、甘い夢を見ることで、自分をなぐさめることができた。

 加山雄三がまちがっていたというのではない。
加山雄三は、そのクサリを解いてくれた。
が、今、そのクサリを解きすぎてしまった。
ユルユルから、パサパサに。

●親としての限度

 老後は、確実にやってくる。
それもあっという間にやってくる。
私自身もそうだった。
つまり私も、20代、30代のころは、老後なんて、ありえない世界のように考えていた。
だから50歳になった人を見たとき、とんでもないジーさんのように感じた。

 が、その私ももうすぐ65歳になる。
そういう自分を振り返ってみても、「あっという間」だった。
つまり今、もしあなたが、「老後の問題など、私には関係ない」と思っているとしたら、それはとんでもないまちがい、ということになる。

 回りくどい言い方をしたが、あなたはあなたで、自分の老後を最優先で考えたほうがよい。
子どもは子ども。
子どもの学費は学費。
しかしそこには一定の限度をしっかりともつ。
「親としてやるべきことはする。しかし限度を超えてはしない」と。

●親子関係の復権

 IGさんが、そう言ったとき、私はすかさず、こう言った。
「君のお母さんは、賢い人だよ」と。
「あなたも、お父さん、お母さんの近くで住みなさいよ」と。
言い忘れたが、IGさんは、ひとり娘。
それを聞いて、IGさんは、にっこりと笑った。

 が、これはけっしてIGさんの両親のことだけを考えてでのことではない。
IGさん自身にとっても、そのほうがよい。
そうでなくても、……つまり家族の絆があっても、生きていくだけでたいへん。
こんな世相で、家族がバラバラで、どうやって生きていくというのか。

 ちなみに早稲田大学ですら、志願者数は、過去5年間で約1万人も減少しているという。
理由の第一は、「地元志向」がふえたこと。

「地方から首都圏の大学に出てくるのは次男、三男、長女、次女が主流だったが、少子化でその流れが止まった」(駿台予備学校情報センター石原氏)、
「一人っ子は親のそばにいたいという気持ちも強い。本当は首都圏の大学に行きたいと思っている受験生も、親に気を使って地元に進学する子が多い」(河合塾教育情報部長・近藤治・近藤氏)と。
「歯止めがかからない状態」(「週刊朝日」・2012年6月)という。

●日本の将来

 とても悲しいことだが、日本の将来は、暗い。
去年の8月から始まった経済混乱を契機に、日本も、やがてすぐ他のアジアの国々と同等、あるはそれ以下になる。
日本人が外国へ出稼ぎにいかねばならなくなる時代は、すぐそこまできている。
これは可能性の問題ではない。
確実な数字として、そう予測されている。

 わかりやすく言えば、きれいごとだけでは、子育てはできないということ。
それとも死ぬか、生きるかという瀬戸際に立たされたときでも、あなたは子どもに向かって、こう言うことができるか。

「親のめんどうはみなくてもいい。お前はお前で、自由に空をはばたけ」と。
羽ばたき方に、意味があるのなら、それもよいだろう。
が、それは怪しい?
それほどまでに意味のある仕事をしている人は、少ない?

 ……という悲観的な見方はさておき、現実は現実。
子育ても、その現実を見失っては、できない。

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【第4章】

★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave
only life, those the art of living well. - Aristotle
子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。
なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるからである。
アリストテレス


【飽食とぜいたくの中で、スポイルされた子どもたち】

●構造的な変化

 私たちが若いころには、親のスネをかじり、遊びまくっている若い人を、ドラ息子、ドラ娘と呼んだ。
が、今では、ドラ息子、ドラ娘が主流。
そうでない若い人を探す方が、むずかしい。
「一億、総ドラ息子、ドラ娘」と言ってよい。
そんな状況が生まれつつある。

 原因の第一は、飽食とぜいたく。
少子化が拍車をかけた。
英語では「スポイル(spoil)」という言葉を使う。
で、もう12年ほど前のことだが、アメリカ人の友人がこう言った。
「ヒロシ、日本の子どもたちは、みな、スポイルされているよ」と。
彼は日本へ来る前、アメリカで高校の教師を30年間していた。
退職後日本へやってきて、英会話の講師をしていた。
気になったので、私はその友人にこう聞いた。

 「君は、日本の子どものどこを見て、そう言うのか?」と。
彼は、こう答えた。

 「ときどきホームステイさせてやるのだが、何も手伝わない。
食事の用意をしているときも、遊んでいるだけ。
食後も、食器を洗わない。
風呂は、アワだらけ。
朝起きても、ベッドをなおさない。
何もしない」と。

 反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた日本の高校生が、こう言って驚いていた。
「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。

 日本の子どもたちは、構造的に変化した。
その原因として、日本の子どもたちのドラ息子、ドラ娘化がある。

●耐性

 平たく言えば、生活への耐性がない。
許容度でもよい。
寛容度でもよい。
許認度でもよい。
わかりやすく言えば、「やさしさ」。
ともかく、相手をそのまま受け入れ、それを認める度量のことを、「耐性」という。

 この耐性は、相手への「想い」によっても異なるが、それが広い子どももいれば、そうでない子どももいる。
そうでない子どものことを、昔は、ドラ息子、ドラ娘と呼んだ。

 ささいなことで、相手を好きになったり、嫌いになったりする。
とくに(嫌いになる)部分がはげしく、露骨。
それを平気で態度で示したり、言葉で示したりする。

●思春期

 Mさんという中学1年の女の子がいた。
頭は切れ、学校での勉強もよくできた。
市内の進学校に通っていたが、成績はクラスでも1、2番だった。

 そのMさんが、ある日、私にこう言った。
「私ね、老人を見ると、生理的な嫌悪感を覚えるのね」と。

「生理的な嫌悪感」という言葉が強く印象に残った。

 で、私が「その生理的嫌悪感って、何?」と聞くと、こう話してくれた。
「トイレでもさあ、便器にうんちがついていると、使う気しないでしょ。
あれと同じよ」と。

 私はそのとき50歳を過ぎていたのではなかったか。
そろそろ老人組を意識し始めたころである。
で、私が反発して、「君だって、いつかはその老人になるんだよ」と諭すと、こう言い返した。
「私は、老人には、ならない!」と。

 自己中心性も、ここまでくると、バカ。
頭の善し悪しではない。
ものの道理がわからないから、バカ。

●甘やかし

 極端な甘やかしと、極端なきびしさ。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもをドラ息子、ドラ娘にする。
甘やかしにより、規範そのものが崩れる。
一方、アンバランスなきびしさが、子どもを反抗的にする。

 わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、キレる……。

 一方で甘やかす。
子どもに気を使う。
過干渉というよりは、子どもの機嫌を取る。
欧米では、『子どもをだめにするためには、子どものほしがるものを何でも与えよ』という。
しかしこのタイプの親は、『子どもがほしがる前に、何でも与えてしまう』。

しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。
はじめは、小さなすき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。
(甘やかす)→(ますますきびしく接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくなる。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。
 
 このタイプの親には、共通点がある。

(1) 溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)
(2) 育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)
(3) 飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)
(4) 視野が狭い(目先のことしか、考えていない)
(5) 見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)
(6) 代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたいという思いが強い)
(7) 親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかない)

 これらの特徴と併せて、

(8)一貫性がない。

 そのときの気分で、子どもに甘く接したり、きびしく接したりする。
とくに重要なのは、幼児期の前期(自律期)(エリクソン)。
この時期に一貫性のない育児をすると、子どもは自律性のない子どもになる。

●A君の例

A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。
一方、母親は派手好き。
裕福な家庭で、生まれ育った。
ほしいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。
近くに祖父母もいて、A君の世話をした。
A君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と考えていた。
A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。
いや、するにはしたが、とても手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげさに喜んでみせたり、ほめたりした。
「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。
あと片づけをしない、ほしいものが手に入らないと、怒りを露骨に表現するなど。
母親は、そのつど、A君をはげしく叱った。
A君は、それに泣いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。
夫の収入だけでは足りなかった。
A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助を受けていた。
夫には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。
そのためA君の母親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。
そのころすでにA君は、オーバーヒート気味だったが、母親は、それに気づかなかった。
「やればできるはず」式に、A君に、いろいろさせた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。
好き嫌いがはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。
簡単なゲームをさせても、ルールを守らなかった。
そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人に乱暴を繰りかえしたりした。

 人格の完成度が遅れた。
他人の心が理解できない。
自己中心的。
ほかの子どもたちとの協調性に欠けた。
幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれをしたが、そうでないときは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。
そのころになると、母親にも乱暴を繰りかえすようになった。
母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。
ものを投げつけることも重なった。
が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。
学校の宿題をするだけで、精一杯。その宿題すら、母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。
今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、多い。
が、何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づくことがないということ。

『溺愛は、親を盲目にする』。
A君の母親は、ますます献身的に(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに対処できる。
アドバイスもできる。
しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたのお子さんには、問題があります」とは、現実には、言えない。
言ったところで、そのリズム、つまり子育てのリズムを変えることは、不可能。
親にとっても、容易なことではない。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから、はじまっている。
そんなわけで、わかっていても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。
親自身が、袋小路に入り、にっちもさっちも行かなくなる。
が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。
「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。
小学5、6年になるころには、まさに王様。
食事も、ソファに寝そべって食べるようになった。
母親が、そこまで盆にのせて、A君に食事を届けた。
母親は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるものの、結局は、買い与えていた。
「機嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。
が、A君の父親は、静かで、やさしい人だった。
(「やさしい」というのは、このばあい、「無責任」という意味だが……。)
家庭のことには、ほとんど関心を示さなかった。
仕事から帰ってくると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶしていた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親がそれに気づくか、それが大切。
早ければ早いほど、よい。
できれば3、4歳ごろには、気づく。
(それでも遅いかもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。
そのリズムを変えるのは、容易なことではない。
1年や2年はかかる。
あるいは、もっと、かかる。
さらに親自身がもつ、子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。
それこそ行き着くところまで行き、絶望のどん底にたたき落とされないかぎり、親も、それに気づかない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件そのものを、もみ消してしまった。
あちこちを回り、お金で解決してしまった。
また別の子ども(高1男子)は、無免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。
そのときも、母親が、一晩で、事件そのものをもみ消してしまった。

 こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。
で、やっとそのころになると、自分の(まちがい)に気づく。
それまでは、気づかない。
ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その1人かもしれない。
が、ほとんどの人は、こういう文章を読んでも、「私には関係ない」と、無視する。
これは子育てがもつ、宿命のようなもの。

 そこで教訓。

●親の責任

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。
責めるべきは、あなた自身。
反省すべきは、家庭環境そのもの。
あなたの育児姿勢。
家庭のリズム。
あなたの人生観、それに子育て観。
 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。
なおるはずもない。
この問題は、そういう問題である。

 では、どうするか。

●子どもをよい子にしたいとき

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。
それを一口で言ってくれ。
私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。
「あんたの本を、何冊も読む時間など、ない」と。
私はしばらく間をおいて、こう言った。
「使うことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。
子どもは使えば使うほど、よくなる。
使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。
それだけではない。
忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

 ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1) ものの考え方が自己中心的

自分のことはするが他人のことはしない。
他人は自分を喜ばせるためにいると考える。
ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。
自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。
あるいは自分より先に行くものを許さない。
いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2) ものの考え方が退行的で、約束やルールが守れない

目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。
あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。
生活習慣そのものがだらしなくなる。
その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3) ものの考え方が無責任

他人に対して無礼、無作法になる。
依存心が強い割には、自分勝手。
わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4) バランス感覚が消える。

ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。
エリクソンが説く、幼児期後期。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある。
また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもをなおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。
本当に使わない。
「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。
だから子どもにも生活感がない。
「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。
「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。
あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、いい」と答えたりする。
生活への耐性そのものがなくなることもある。

 友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。
話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。
そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。
子どもが2〜4歳のとき(幼児期前期)が勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。
よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。
そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。
しかしそういうのは忍耐力とは言わない。
好きなことをしているだけ。
幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。
寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。
風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。
そういうことができる力のことを、忍耐力という。

 こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。
その子どものお母さんは、こう話してくれた。
「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。
こういう子どもは、学習面でも伸びる。
なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。
「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。
買物といっても、食材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。
洗濯も今では全自動。
料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされると、かえってじゃま。
テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
親が寝そべってテレビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。
子どもを使うということは、親がキビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。
たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。
そしてそれをあなたの子どもが見つけたとする。
そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。
しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほうがよい。
やらせることがないのではない。
その気になればいくらでもある。
食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。
そこで洗わせる。
フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。
庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。
そういう雰囲気で包むことをいう。
何をどれだけさせればよいという問題ではない。
要はそういう子どもにすること。
それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。
子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1) 生活感のある生活に心がける。

 ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうことをわからせる。
あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

 子どもの前では、ぜいたくは禁物。
『見せる質素、見せぬぜいたく』と覚えておくとよい。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

 「いやなことをする力……それが忍耐力」ということは、先に書いた。
そのために家事をさせる。
たとえばニュージーランドでは、学校から帰宅後、食事の前の時間は、子どもたちは家事を手伝う。
「学校の宿題はいつするの?」と聞くと、みな、こう答える。
「夕食後」と。

(4)生活のルールを守らせる。

 「ウソをつかない」「約束を守る」。
子どもにそうさせろというのではない。
親が見本としてそれを見せ、子どもの体の中にしみこませておく。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。

 便利イコール、善ではない。
快適イコール、善ではない。
欲望を満たすことに、慣れきった子どもは、条件反射的にさらに欲望を満たすようになる。

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。
あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになっている生活。
こうしたアンバランスな生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。
チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。
ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

 子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
英語の諺にも、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。
それを忘れてはならない。

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。
その金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。
が、それだけではない。
子どもはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。
そしてそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。
たとえば子どもの100円は、おとなの1万円に相当する。
1000円は、10万円に相当する。
親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってからの、1万円、10万円に相当する。
「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、将来どうなるか。もう、言べくもない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買ってあげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。
より高価なものを買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。
あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。
が、これはまったくの誤解。実際には、逆効果。

それだけではない。
ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。
ある子ども(小2男児)は、こう言った。
「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行ってもらう」と。
そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおくれてしまう」と。
その子どもは、「おくれる」と言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分のステイタス(地位)を守ろうとする。
物欲の内容そのものが、昔とは違う。
変質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てきた。

 援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。
「どうしてそういうことをするのか」という質問に対して、である。
しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。
もっているものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。
あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。
1000円のものだろうか。
それとも1万円のものだろうか。
お年玉には、いくら与えるだろうか。
与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。
それとも、貯金をさせるだろうか。
いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。

 どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。
5、6歳の子どもに、1万、2万円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、あなたは100万円、200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。
つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。
あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめたほうがよい。
やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。
そうなればなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。

●親の責任

 要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。
こういう例は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。
あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしないのでしょうか」は、ない。
もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小3)は、そんなタイプの子どもだった。

 口グセはいつも同じ。
「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。
何でもよいのだ。
その場の自分の欲望を満たせば。
しかもそれがうるさいほど、続く。
そして自分の意にかなわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。
約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってないようなもの。
他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。
「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。
そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。

こうも言った。
「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。
M君の家は昔からの地主で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。
教えることそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっとほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。
そうそうこんなこともあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまった。
悪質な万引きだった。
それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という理由で、猛烈な裏工作をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。
そして彼が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼んでいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。
折ったら、ヒロシはどうする?」と。

そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった!
 とたん私は彼に飛びかかっていった。
結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を狂ったように責めた。
(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。
が、M君の父親が、私を救ってくれた。
うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。

「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。

こんな子ども(年中女児)がいた。
その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

**************************************

【第5章】

Young men think old men are fools; but old men know young men are fools.ーGeorge Chapman
若い人たちは、老人を馬鹿と思うが、老人は若い人たちが馬鹿ということを知っている。
ジョージ・チャップマン(イギリスの劇作家、詩人)


【ジジババ・ゴミ論】

●信号無視

 2011年の11月、こんな事件が起きた。

 赤信号を無視して歩いている男性を、別の男性が注意した。
それに注意された男性が、逆ギレ。
注意した男性を殴り、殺してしまったという事件。

 この種の事件は、ときどきあるが、今回の事件は、つぎの1点で特異性がある。
殴った男性は、そのとき自分の「10代の息子」(報道)と、いっしょだったこと。
MSN・Newsの見出しは、つぎのようになっている。

『赤信号注意され逆上…男性殴り死なせた男の「理不尽」 交錯する怒りと悲しみ』(MSN・NEWS)と。

●MSNニュースより

+++++++++++++以下、MSN・NEWS+++++++++++++++

東京都品川区の路上で昨年11月、赤信号で横断したことを注意された男が逆上し、注意した男性を殴って死亡させる事件があった。
傷害致死容疑で逮捕、起訴された男は警視庁の調べに「腹がたってやった」と供述。
その理不尽な行動に、関係者の間で怒りと悲しみが交錯している。

息子の前で逆上し…

 昨年11月12日午後7時35分ごろ、大手百貨店や飲食店などが立ち並ぶ東京都品川区のJR大井町駅中央口側の横断歩道。
区内に住む無職、小牧信一さん=当時(77)=は、対面から信号無視をして渡ってきた2人組の男らを見かけた。

 「赤信号ですよ」

 小牧さんがこう注意すると、男の1人が「うるせえんだよ」と逆上。
顔を殴られた小牧さんは路上に転倒して頭を強く打ち、意識不明の重体となった。
小牧さんはすぐに病院に搬送されたが、1カ月以上たった12月20日、帰らぬ人となった。

 捜査関係者によると、小牧さんを殴ったのは傷害致死容疑で逮捕され、今月13日に起訴された品川区東大井の会社役員、YM被告(48)。

そして、傍らにいたのはYM被告の10代の息子だった。
2人は事件後、駅構内を抜け、自宅のある東口方面から逃走。
YM被告は事件がニュースなどで報道されているのを見て、小牧さんが死亡したことも把握していたという。

 当初、捜査は難航したが捜査員の執念が実を結ぶ。
事件から数週間がたち、再度、現場周辺の防犯カメラを細かく解析したところ、事件当時、現場で目撃された男と似た人物を確認。
YM被告が浮上した。

+++++++++++++以上、MSN・NEWS+++++++++++++++

●若い人たちの反応

 事件の異常性もさることながら、若い人たちの、この事件に対する反応に、私は驚いた。
2チャンネルをのぞいてみると、つぎのような意見が、ズラリと並んでいた。

全体の2分の1から、3分の1以上が、殴られて殺された小牧伸一さんを非難したり、反対に、殴ったYM被告を擁護するもの。
(殴った男性を非難しているのではなく、殴られた男性を非難している!)

●2チャンネルより

 2チャンネルへの書き込みを、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★子どもの前で恥じかかせた爺が悪いわ
まじでむかつく言い方したんだろうな
もしかして赤だと車こなくても待つタイプ?

★勇ましいなおい

★赤信号まじめに待ってる奴って馬鹿でしょw

★これは逆に爺がよっぽど酷かったんじゃないかとすら思ったり

★むしろ良い仕事しただろ 。
老人一匹殺すとか

★メリークリスマス
子どもにカッコ良いところみせたかったんだろうな
正論だから腹が立ちともいうよな
忘れられないクリスマスだな
まぁ政府は見殺しにして風評被害にして
関係者は身も心もぬくぬくぶるっちょだし

★信号をいちいち守る歩行者は大体発達障害か何かなんだよな。

★赤信号を守るのは正しいことだが
それを守らない人を注意するのにはリスクが伴うことを教えた

★俺も原チャリ走行してたら、俺を怒鳴りつけながら追いかけてきた爺がいたが、その言い分が、「カーブで歩行者の領域に入ったのがけしからん」みたいな話だった。
俺が走行時、歩行者が居なかったからショートカットしたんだが、そこにいたわけでもない爺に罵倒されて頭に来たが殴りはしなかった。

★知らんやつに注意するのはバカとしか言いようがない
この爺はよく今まで生きてたわ

★団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ

★んなわけねえよ。
近所に住んでてあの状況をよくわかってるから言ってるだけ。
あそこはみんな信号無視するから注意するのがおかしいんだよ。

★俺は原付でいつものごとく車の前で止まってたら いきなり停止線オーバーしてるだろ!って目の前横断してたおっちゃんが怒鳴ってきた
おっちゃん、あんた横断帯とから二メートルも離れたとこ横断してるんですが…

★団塊ってかバブル世代だったな
まあどっちにしても敵だけど

★見ず知らずの人間に文句を言うクソジジイと、見ず知らずの人間を殴って殺すオッサン、ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw

★信号無視ごときでいちいち注意する奴に限って巨悪には何も言えずダンマリなんだよなw 卑屈すぎるわ

★子ども連れてるのに人に注意されるようなことをした父親の自業自得だろ
子どもの前で尊厳大事にしたかったら人に注意されるような行動をしなければいい

★いちいち注意した老害もゴミ
殴り殺したDQNパパもゴミ
そんなDQNパパに育てられた息子もやっぱりゴミ

★大阪の場合はジジイが率先して信号無視

★だったら親だけを呼んでこっそりよくないですよって言えばいい。
わざわざ恥をかかせようとするような奴はこういう報いを受けるのは当然だわ

★ジジイも信号無視したことあんだろ?
ジジババは他人に厳しく自分に甘いからな

★これはやりすぎだけど、しつこい老人もいる。車のまったく通らない赤信号で歩行者が信号待ちをするのは愚鈍。

★俺も1回、歩道をチャリで漕ぐのが原則禁止になった月に、歩道を漕いでたら片足引きずってるジジイに大声でキレられて警官呼ばれるまでの騒ぎになったな
警官も、別にどうでもいいじゃんみたいな態度取ってたから今度はジジイが警官に絡んでてわろた

★他人を注意するのは常識知らずで自業自得だな

★77歳のじいさんの言うことなんてほっときゃいいのに、48歳にもなってこんなことで一生台無しにするなんて
ただのあほ、そんだけのことだろ
どっちがいいとか悪いとかどうでもいいし
殴ったほうも殴られたほうも人生終わりなんだよ

★俺の大学のフランス人の先生が、車が来ないのに赤信号で横断歩道を渡らず、待っているのは日本人とドイツ人だけだって笑いながら言ってたな。
信号が何のためにあるかを考えたら、渡らないほうが不合理だとな。

★爺も自業自得だよ。

★いい大人を注意するとかもう最悪ですね
本人は分かっててあえてやってるんですから
バカと言われたと同じです
これはもう殺してくれと言ってるのと同じでしょうね

★ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ

(以下、延々と、つづく……)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識

 最近の若い人たちの意識が、私たちの意識とズレていることは、私自身も強く感じていた。
が、ここまでズレているとは、思ってもいなかった。

 若い人たちは、「77歳」という数字だけを見て、「ジジイ」と位置づけている。
(もし注意したのが、30代、40代の男性だったら、どうだったのか?)
その上で、事件の内容を吟味することなく、短絡的に、老人批判を展開している。
「2チャンネル」という、無責任な掲示板での意見だから、本気にとらえる必要はないのかもしれない。
が、それ故に、かえって、現代の若い人たちの「本音」が、そこにあるとみてよい。

●段階の世代は「敵」

 この書き込みの中で、つぎの2つが、気になった。
「団塊」という言葉が、強く私の関心をひいた。

『団塊ってかバブル世代だったな。まあどっちにしても敵だけど』
『団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ』と。

 「v速」とは、何か。
それはさておき、ここで見られる若い人たちの意識は、180度、私たち団塊の世代のもっている意識とちがう。

 私たち団塊の世代には、それを意識しながら生きてきたわけではないが、「この日本の繁栄を築きあげたのは私たち」という自負心がある。
同時に、ぜいたく三昧に明け暮れる若い人たちを見かけると、ときどき、「だれのおかげで、そんなぜいたくができるのか、わかっているのか?」と言いたくなるときがある。

 が、若い人たちの意識は、私たちの意識とは、ちがう。
私たち団塊の世代をさして、「敵」と。
こうした意識をもっているのは、若い人たちの中でも一部と、私は信じたいが、どうやら一部ではなさそうだ。
すでにこうした傾向、つまり「世代間闘争」は、あの尾崎豊が、『♪卒業』を歌ったときから、始まっていた。

●親バカからジジバカへ

 総じてみると、団塊の世代には、親バカが多い。
「子どものため……」と、自分の人生を犠牲にした人は多い。

「子どもだけには、腹一杯、メシを食べさせてやりたい」
「ひもじい思いだけは、させたくない」
「学歴だけは、しっかりと身につけさせてやりたい」と。

 が、そんな思いや苦労など、今の若い人たちにしてみれば、どこ吹く風。
気がついてみたら、老後の資金を使い果たしていた……。
それが団塊の世代。

 が、親バカなら、まだ救われる。
が、それが親から老人に及んだとき、今度は、ジジバカとなる。
私たちは「つぎの世代」を考えながら、この日本はどうあるべきかを、思い悩む。
考える。
が、肝心のつぎの世代にしてみれば、ただの(ありがた迷惑)。

 が、私たちの世代には、それがわからない。
「そうではない」という幻想にしがみつきながら、生きている。
が、幻想は、幻想。
それがわからないから、ジジバカ。
私たち団塊の世代は、今、とんでもないジジバカを繰り返している(?)。

 それを如実に表現しているのが、つぎの言葉。
少なくとも私がもっている「常識」とは、180度、ちがう。
180度、ひっくり返っている。

『……ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快
気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ』と。

 その若者は、こう言っている。

 「カチンと来るような注意のされかたをしたら、イヤミや余計な一言を返し、相手も不愉快な
分にさせるのは、当然。
それが常識のある、社会人としての行動」と。

●ゴミ

 60代、70代の人たちよ、覚悟しようではないか。
……といっても、これは何も60代、70代の人たちだけの問題ではない。
40代以上の人たちにとっても、無縁の問題ではない。

 現在の若い人たちには、私たち老人に対する畏敬の念など、微塵(みじん)もない。
そういう若い人たちに、私たちの未来を託しても、意味がない。
期待しても、意味がない。

 ……というのは書き過ぎ。
またそうであってはいけない。
それはよくわかっているが、それが私たちの未来を包む現実。
この先、この傾向は、ますます強くなる。
こんな記述も見られる。

『ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw』と。

 現に今、あくまでも風聞でしかないが、医療機関でも、「75歳以上は手術はしない」という考
え方が定着しているという。
現実にそんな規定があるわけではない。
その年齢以上になると、「年齢(とし)ですから……」と、治療を拒否されるケースも多い。
事実、私の兄は、担当のドクターに、こう言われた。
「私は治る見込みのある患者は、治療しますが……」と。

 つまり治る見込みのない患者(=兄)は、治療しない、と。

●同情

 ただ若い人たちが、忘れていることが、ひとつ、ある。

 現在、「若い人たち」と呼ばれている人にしても、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
自分たちだけは、ジジ・ババにならないと信じているかもしれない。
が、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
そしてそのとき、そのジジ・ババを取り巻く環境は、今よりも過酷なものとなる。
2050年……つまり38年後には、約3人に1人が、そのジジ・ババになる。
(=1・2人の実労働者が、1人の老人を支える時代になる。)

 現在25歳であれば、25+38=63歳!
若い人たちよ、それがあなたの未来だぞ!

 そのとき、今、天に向かって吐いた唾(つば)が、自分の顔に落ちてくる。
が、私はけっして、現在の若い人たちのように、「ザマーミロ!」とは言わない。
「かわいそうに」と同情する。

●小牧伸一さん

 小牧伸一さん、あなたの死は、けっして無駄にしない。
こういう事例では、注意するほうも、不愉快。
できれば、事なかれ主義でもって、無視したい。
しかしそれがあまりにも目に余った。

「信号を守れ」というのは、相手のことを思って発した言葉。
自分のためではない。
信号を無視すれば、その相手が事故に遭う。
小牧伸一さんは、それを心配した。
だから相手を注意した。

 が、心配してもらったほうは、逆ギレ。
あなたを逆に殴った。
こんなバカなことが「常識」というのなら、そちらの常識のほうが狂っている。

 殴った男は、本物のバカ。
どうしようもない、つまり救いようがない、バカ。
徹底して法の裁きを受ければよい。

 が、残念ながら、今、こういうバカが、ふえている。
言うなれば、これはまさに、善と悪の闘い。
善が勝つか、悪が勝つか……。

●信頼関係の欠落

 が、問題は、なぜ、こうまで老人たちが嫌われ始めているか。

 一言で結論を言えば、「信頼関係の欠落」。
若い世代と、古い世代の間には、大きな溝(みぞ)がある。
そしてその2つの世代が、対立関係にあり、それをつなぐ信頼関係がない。
この信頼関係の欠落が、若い世代の憎悪感を、増幅させている。
「ジジ・ババ・ゴミ論」も、そういうところから生まれている。

●若者の視点

 私は職業上、いつも若い人たちの世界で仕事をしている。
下は幼稚園の年中児から、上は高校3年生まで。
1日のサイクルの中で、幅広い子どもたちと接している。

 それもあって、温泉の鏡を見て、自分が老人であることを知ることはあるが、それ以外の場で、自分が老人であると思うことは、めったにない。
家庭でも、鏡を見ることはめったにない。

 「若い人間」とまでは思わないが、そんなわけで、自分を老人と思ったことは、まだ、ない。
「そろそろ老人の仲間」という意味で、「老人組」という言葉を使うことはある。

●100万円

 そんな私だから、若い人たちの気持ちも、わからないわけではない。
たとえば月末に郵便局へ行く。
そこで見る光景は、まさに異様な光景。

 足腰の曲がったようなような老人たちが、100万円近い札束を、わしづかみにして帰っていく。
私が住むこのあたりは、旧国鉄村と呼ばれるほど、旧国鉄のOBたちが、たくさん住んでいる。
もちろんそのほかの公務員たちも多い。
そういう人たちが、3か月ごとに年金を手にする。
そあいうのを見ていると、この私ですら、「これでいいのか?」と疑問に思ってしまう。
それには理由がある。

●悠々自適の年金生活

 旧国鉄の人たちや公務員が、現役時代、どんな仕事をしていたか……?
それはともかくも、問題は、退職後。

 たとえば私の近所には、多くの空地があった。
(最近は少なくなってきたが……。)
その空地。
ゴミ拾いなどの清掃をするのは、この私しかいなかった。
その私が、ここで、こう、はっきりと断言できる。
ここに住むようになって、35年になるが、いまだかってそういうOBたちが、ゴミ拾いも含め、近所のために奉仕活動をしているのを、一度も、見たことがない。
「一度も」だ。

 みな、まさに悠々自適の年金生活。
趣味三昧。
そういう人たちの口癖は、いつも同じ。

「私ら、国に収めてきたお金を、返してもらっているだけです」。

●人間選別機関

 その一方で、若い人たちを包む社会は、ますます息苦しくなってきている。
何をするにも、資格、認可、許可、免許、登録。
この私自身が、そう感じているのだから、どうしようもない。

 しかも給料は少なく、仕事は不安定。
そういう若い人たちから見ると、「老人たちだけが、いい生活をしている」となる。
もちろん教育とて、無罪ではない。
現在の若い人たちが、学生のころはといえば、学校はまさに「人間選別機関」。
今の今も、そうだ。

 この日本では、人生の入り口で、そのほとんどが決まってしまう。

●不公平社会

 2チャンネルに載った意見を読み、驚いた人も多いかと思う。
私も驚いた。
が、再度読みなおしてみると、「なるほど」と思わない部分もないわけではない。
ズレているのは、ズレている。
しかし何故に、私たち老人組が嫌われているかと言えば、そこには、若い人たちなりの理由がある。

 今、まさに、若い人たちは、「不公平社会」という社会のひずみの中で、窒息しそうになっている。
その閉塞感には、ものすごいものがある。
それに対する、不平や不満、それに怒りが、私たち老人に向けられている。

●還元する老人

 その一方で、自分の命を、つぎの世代に還元しようとしている老人も、少なくない。
「還元」という言葉は、鵠沼市(神奈川県)に住む恩師が、教えてくれた。
池田英雄先生である。

 池田英雄先生は、いつもこう言っている。
「ある年齢を過ぎたら、自分の命を、若い人たちに返していくのです」と。

 そのために、さまざまなボランティア活動がある。
たとえば私のワイフが通っているテニスクラブのコーチは、旧国鉄の職員である。
いつも無償で、コーチをしている。
そういう老人もいるにはいる。

●意識

 信頼関係があれば、若い人たちも素直な気持ちで、老人の注意を聞くだろう。
「赤信号だよ」「ああ、そうですね」と。

 が、それがないから、その時点で、はげしく反発する。
「うるせえんだよ」(報道)と。

 では、どうするか。
若い人たちに向かって、「あなたがたは、おかしい」と言っても、意味はない。
こうした意識というのは、相対的なもの。
若い人たちは若い人たちで、私たちのことを、おかしいと思っている。
そこで大切なのは、信頼関係の構築……ということになる。

●命の還元

 老人たちよ、街に出て、自分たちの命を還元しよう。
人生の先輩として、見せるべき見本を示してやろう。
存在感を、もっとアピールしよう。

 身近なところでは、ゴミ拾いでもよい。
無私、無欲。
私たち老人組だって、役に立つこともある。
そういうことをもっと積極的に、若い人たちに示していこう。
信頼関係は、そういうところから生まれる。

 ともあれ、この問題は、きわめて深刻な問題と考えてよい。
で、もし、今、あなたが、「私だけよければ、それでいい」と考えているなら、それこそまさに自滅行為。
自殺行為ではない。
自滅行為。

 あなたを待っている死後は、まさに自己否定の世界。
あなたが生きてきたという事実すらも抹消される、自己否定の世界。

 さりとて、若い人たちの言いなりになるのも、どうか。
順に反論してみたい。

●老人組の反論

★子どもの前で恥じかかせた爺が悪いわ
まじでむかつく言い方したんだろうな
もしかして赤だと車こなくても待つタイプ?

……ルールを破り、注意された。
当然のことではないのかな。
むかつく前に、自分を恥じたらどうかな。
私は、赤だと、車が来なくても、待つよ。
それほどまで急がねばならなようなことは、めったにないし……。

★勇ましいなおい

……私もよく注意するが、注意する方も、それなりの覚悟と勇気が必要だよ。
できれば事なかれで、すましたい。
が、それでも目に余るものがあった。
それで注意した。
「勇ましい」のではないよ。
見るに見かねて、注意した。
注意したくて、注意したのではないと思うよ。

★赤信号まじめに待ってる奴って馬鹿でしょw

……まじめに生きることがバカなのかな?
だったら、どういう生き方がバカでないのかな?
きちんとした形もないまま、相手をバカと言って切り捨てる。
こういうのを無秩序主義者(アナーキー)というだよ。
どこかの島にでも行って、つまりルールのない世界へ行って、原始生活でもしたらどうかな。

★これは逆に爺がよっぽど酷かったんじゃないかとすら思ったり

……「77歳」だったから、問題なのかな?
でもね、年齢は関係ないはず。
老人に、問題をなすりつけないでほしい。

★むしろ良い仕事しただろ 。
老人一匹殺すとか

……君たちは、まだ「1人」かもしれないが、やがて君たちも「1匹」になる。
虫けらになる。
その覚悟は、できているのかな?

★メリークリスマス
子どもにカッコ良いところみせたかったんだろうな
正論だから腹が立ちともいうよな
忘れられないクリスマスだな
まぁ政府は見殺しにして風評被害にして
関係者は身も心もぬくぬくぶるっちょだし

……それとこれは、問題は別。
正義の人が殴られ、殺された。
どうしてそれが「メリークリスマス」なのかな?
天の神様も、悲しむと思うよ。

★信号をいちいち守る歩行者は大体発達障害か何かなんだよな。

……これを書いた君自身が、前頭連合野の発達障害者ではないのかな?

★赤信号を守るのは正しいことだが
それを守らない人を注意するのにはリスクが伴うことを教えた

……信号を無視し、交通事故が起きたとする。
それはリスクではないのかな?
この浜松市も、長い間、交通事故ワーストワンだった。
しかし街角に警察官が立つようになって、事故数は、ぐんと減った。
みなが、信号を守るようになったからね。
信号を守るということは、君自身の命を守るということにもなるのだよ。

★俺も原チャリ走行してたら、俺を怒鳴りつけながら追いかけてきた爺がいたが、その言い
が、「カーブで歩行者の領域に入ったのがけしからん」みたいな話だった。
俺が走行時、歩行者が居なかったからショートカットしたんだが、そこにいたわけでもない爺
罵倒されて頭に来たが殴りはしなかった。

……その老人に感謝したらよいと思うよ。
今、君が交通刑務所に入っていないのは、そういう老人がいたおかげだよ。

★知らんやつに注意するのはバカとしか言いようがない
この爺はよく今まで生きてたわ

……君たちは、すでに死んでいるよ。
心がね。
その老人は、まだ死んでいないよ。
肉体の生死だけで、(あるいは肉体の老若だけで)、人の死を論じてはいけないよ。
私たちが、こうして、今、その老人の死を無駄にしないように、がんばっている。
肉体の死イコール、魂の死ではないよ。

★団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ

……今までの日本は、私たち団塊の世代が作ってきた。
君たちには、それがわからないかもしれない。
が、これからの日本は、君たち若い人たちが作っていく。
どうか、今より、すばらしい日本を築いてほしい。
楽しみにしているよ。

★んなわけねえよ。
近所に住んでてあの状況をよくわかってるから言ってるだけ。
あそこはみんな信号無視するから注意するのがおかしいんだよ。

……だからこそ、その老人は勇気を奮い立たせ、注意したのではないのかな?

★俺は原付でいつものごとく車の前で止まってたら
いきなり停止線オーバーしてるだろ!って目の前横断してたおっちゃんが怒鳴ってきた
おっちゃん、あんた横断帯とから二メートルも離れたとこ横断してるんですが…

……その逆の例をあげたら、山のようにある。
君も一度、勇気を出して、暴走族を注意してみたらどうだろうかな。
暴走族の中には、77歳の老人はいないはず。

★団塊ってかバブル世代だったな
まあどっちにしても敵だけど

……どうして団塊の世代が、敵なのかな?
この言葉には、少なからず、私はショックを受けたよ。
私は、その団塊の世代、第1号、昭和22年(1947年)生まれだよ。

★見ず知らずの人間に文句を言うクソジジイと、見ず知らずの人間を殴って殺すオッサン、ゴ
ミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw

……どちらが、ゴミなのかな?
つまり私たちと、君たちと、どちらがゴミなのかな?

★信号無視ごときでいちいち注意する奴に限って巨悪には何も言えずダンマリなんだよなw
卑屈すぎるわ

……そんなことないよ。
君たちの未来を憂い、私のように、がんばっている老人組も、結構、多いよ。
私も、巨悪に向かって、毎日のように、吠えつづけているよ。

★いちいち注意した老害もゴミ
殴り殺したDQNパパもゴミ
そんなDQNパパに育てられた息子もやっぱりゴミ

……「DNQ」の意味がわからない。
だったら、君自身は、そのゴミにならないよう、努力してほしい。

★大阪の場合はジジイが率先して信号無視

……ジジイとか、ジジイでないとか、そういう尺度で、ものを論じないようにしてほしい。
同じ人間だろ。
同じ日本人だろ。
みんなで、この日本をよくしていこうよ。

★だったら親だけを呼んでこっそりよくないですよって言えばいい。
わざわざ恥をかかせようとするような奴はこういう報いを受けるのは当然だわ

……恥をかかせられたら、何をしてもいいのかな?
恥の大切さを説く、「藤原H氏」(国家のH格・著者)が聞いたら、涙を流して喜ぶと思うよ。

★ジジイも信号無視したことあんだろ?
ジジババは他人に厳しく自分に甘いからな

……自分にきびしいから、注意したんだよ。
私はそう解釈しているよ。
損得を考えたら、黙っているよ。

★これはやりすぎだけど、しつこい老人もいる。
車のまったく通らない赤信号で歩行者が信号待ちをするのは愚鈍。

……「世の中を少しでもよくしたい」と、私はしつこく生きているよ。
これからもしつこく、生きていくよ。
77歳までは無理かもしれないけれど、70歳くらいまでなら、がんばれると思う。

★俺も1回、歩道をチャリで漕ぐのが原則禁止になった月に歩道を漕いでたら片足引きずっ
るジジイに大声でキレられて警官呼ばれるまでの騒ぎになったな
警官も、別にどうでもいいじゃんみたいな態度取ってたから今度はジジイが警官に絡んでて
ろた

……ジジイがおかしいのではないよ。
その警官が、おかしいのだよ。
攻撃する矛先が、ちがうよ。

★他人を注意するのは常識知らずで自業自得だな

……「自業自得」?
「業」の意味を、もう一度、近くのジジイに聞いてみたらどうかな?
その意味は、君たちが想像するよりも、はるかに深いと思うよ。
私も55歳をすぎて、はじめて、その意味がおぼろげながらに、わかるようになったよ。

★77歳のじいさんの言うことなんてほっときゃいいのに
48歳にもなってこんなことで一生台無しにするなんて
ただのあほ、そんだけのことだろ
どっちがいいとか悪いとかどうでもいいし
殴ったほうも殴られたほうも人生終わりなんだよ

……君のように賢い人間ばかりになったら、この世界は、本当に住みやすくなるよね。
君は、すばらしい人生を送っているにちがいない。
私もいつか、ものすごく賢い人間になって、世の中の人たちをみな、「アホ」と呼んでみたい。

★俺の大学のフランス人の先生が、車が来ないのに赤信号で横断歩道を渡らず
待っているのは日本人とドイツ人だけだって笑いながら言ってたな。
信号が何のためにあるかを考えたら、渡らないほうが不合理だとな。

……フランス人の先生?
そういう先生が教壇に立っていると思うだけで、ぞっとする。
あのね、フランスではね、図書館でも、たった5〜10分、パソコンを置き忘れただけで、だれ
に持っていかれるそうだよ。
君の論理に従えば、置き忘れた人のほうがバカで、盗んでいった人のほうが利口ということ
なるのかな?

★爺も自業自得だよ。

……その「爺」は、まだ死んでないよ。
君たちのほうが、死んでいるよ。
その「爺」は、「魂」を残したよ。
だから死んでいないよ。

★いい大人を注意するとかもう最悪ですね
本人は分かっててあえてやってるんですから
バカと言われたと同じです
これはもう殺してくれと言ってるのと同じでしょうね

……「信号を無視する人を注意した」。
それがどうして、バカなのかな。
「殺してくれ」と、どうして同じなのかな。

★ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気
分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ

……どうしてそういう常識が、常識になるのかな。

 アインシュタインは、こう言っているよ。
『常識などというのは、その人が18歳にまでもった、偏見のかたまりである』と。
そういう常識しかもてなかった、君に同情するよ。
でもね、大切なことは、自分の常識を常に疑い、同時に、自分の常識を常に磨くこと。
死ぬまで、それがつづくよ。
釈迦は、それを『精進』という言葉を使って説明したよ。
究極の健康法というのがないのと同じように、究極の精神鍛錬法というのはない。
毎日、精進。
精進、あるのみ。
1日でもさぼったら、そのときから下り坂。
肉体の健康と同じだよ。
1日でもさぼったら、そのときから下り坂。
ちがうかな?

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【第6章】 

If a man hasn't discovered something that he will die for, he isn't fit to live.ーMartin Luther King Jr.
死ぬための何かを発見することに失敗した人は、生きるのに適していないということ。
マーティン・ルーサー・キング・Jr


【統合性の確立と、老後世代の生き方】

【復権のための6か条】

【1】統合性の確立

●老後の統合性と生き様

●無料の植物観察会

 ある小学校の校長から、こんな話を聞いた。
なんでもその老人は、今年84歳になるという。
元、小学校の教師。
毎月、一回、植物観察会を開いているという。
無料で開いているという。

 日時と集合場所が、毎月、決まっている。
が、集まる会員と人数は、そのつどちがうらしい。
雨の日などは、ゼロになることもあるという。
が、その老人は休むということをしない。
雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。そして時刻になっても、だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
 その話を聞いたとき、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったようで、うれしかった。
「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。
「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。
しかし「遊べ」と言われて
も、遊べるものではない。
「休め」と言われても、休めるものではない。
だいたいた、遊んだからといって、それがどうなのか? 
休んだからといって、それがどうなのか? 
私たちが求めているのは、その先。
「だからそれがどうしたの?」という部分。
つまり、(生きがい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。
仕事をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。
が、仕事がいやなのではない。
仕事ができるということも、喜びなのだ。その(喜び)を絶やさないようにする。

 目が見える。音が聞こえる。
ものを考えることができる。体が動く。
……それらすべてが集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。
その老人にしてみれば、それが(生きがい)なのだ。
雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、あなたは思うかもしれない。
「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの昔に超越している。
そこらのインチキ・タレントが、名声を利用して開くチャリィティ・コンサートとは、中身がちがう。
心の入れ方がちがう。
(みなさんも、ああした偽善にだまされてはいけない!)

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。
たった1人でもよい。
多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。
しかし(やりがい)イコール、(生きがい)ということでもない。
つまりそれは他者のためではない。自分自身のため。
老後の生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。
それとの戦いということになる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。しかしその心は、私も大切にしたい。

 言うまでもなく、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。そこに欲得がからんだとたん、統合性は意味を失い、霧散する。
仮にその老人が会費なるものを徴収して、観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。
最初のうちは、ボランティア(=無料奉仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとたん、(つもり)が(つもり)でなくなってしまう。
「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につながる。
「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。みな、恩知らず」と思うようになったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。
またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。
生きがいも、そこで消えてしまう。
つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。
何も考えず、無私無欲でやる。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させる
ことをいう(エリクソン)。

●人生の正午(40歳)から

 なお統合性の確立は、一朝一夕にはできない。
エリクソンは、人生の正午と言われる満40歳前後から、(やるべきこと)の基礎を作れというようなことを説いている。
(やるべきこと)を見つけ、その基礎固めをしていく。
それが5年とか10年とかいう年月を経て、その人の中で熟成していく。
何度も書くが、「60歳になりました。明日からゴビの砂漠でヤナギの木を植える」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、身につかない。

 (やるべきこと)を見つけ、現実にそれを実行していく。
それが老後になって花となって咲く。
それを「統合性の確立」という。

●ある知人

 一方、こんな老人もいる。
というより、多い。

 先月、1人の知人が他界した。
男性、享年、85歳。
55歳のとき退職し、以後、仕事の経験は、なし。
計算すると、30年間、遊んで暮らしたことになる。
(30年間だぞ!)
中央省庁の出先機関の元副長。

 その知人についての最大の謎。
……と言っても、私がそう思うだけだが、心の問題をどう処理したかということ。
私なら1年どころか、1か月でも、気が変になってしまうだろう。
「遊んで暮らせ」と言われても、私にはできない。
何をどうやって遊べばよいのか。

●時刻表的生活

 そこで近所の人に話を聞くと、その知人について、こう教えてくれた。
「毎日、ふつうでない、規則正しい生活をしていました。
家の裏に100坪あまりの畑をもっていました。
一日中、農作業をしていました」と。

 朝、6時に、雨戸を開ける。
午前10時と3時に、ゴルフの練習。
練習時間は、ピッタシ、30分間。
家の横にネットを張った練習場もある。
夕方6時半に、雨戸を閉める。
庭先にある池の金魚に与える時刻まで、決まっていたという。
その間を縫って、もっぱら農作業。
夏も冬もない。
まさに時刻表的生活。

 このあたりにその知人の特性のようなものが、見え隠れする。
「時刻表的生活」というのは、ふつうの人のふつうの生活ではない。
ふつうでないからこそ、この30年間遊んで暮らせたのかもしれない。

●仕事
 
 仕事ができる喜びを書きたい。
63歳を過ぎても仕事ができる、その喜びを書きたい。
しかしそれを書くと、そうでない人に申し訳ない。
仕事をしたくても、職場から追い出された人も多い。
喜びを書こうとしても、強いブレーキが働く。
それに私だって、明日のことはわからない。

 もちろん仕事ができるためには、いくつかの条件がある。
健康であること。
職場があること。
その仕事を必要とする人がいること。

しかしこれらは、向こうからやってくるものではない。
こちらから求めるもの。
それなりの努力が必要。
その「努力」という部分が、やがて「喜び」につながる。
けっして軽々しく、「ラッキー!」と言えるようなことではない。

●流れ

 が、仕事があれば、それでよいというものでもない。
仕事から生まれる、緊張感。
それに「流れ」。
もちろん「生きがい」も必要だが、この際、ぜいたくは言っておれない。
「流れ」が、大切。

たとえば東洋医学でも、「流水は腐らず」と教える。
これは肉体の健康法について言ったものだが、精神の健康法としても、
そのまま使える。
週単位、月単位、さらには季節単位、年単位で、生活は流れていく。
その「流れ」が重要。

 が、仕事を失うということは、同時に、その「流れ」が止まることを意味する。
「年金があれば、それでよい」という問題ではない。
(もちろん年金は必要だが、それでは十分でない。)

 もっとも私のばあいは、その年金さえアテにならない。
働くしかない。
働くしかないから、仕事を手放すわけにはいかない。
「私は仕事ができる」と、一方的に喜んでいるわけではない。
その下には、切実な問題が隠されている。
どうか、誤解のないように!

●心の問題

 先に「心の問題」という言葉を書いた。
ほとんどの人は、(私も若いころそうだったが)、「老後」というと、健康問題しか
ないように考えている。
また健康であれば、それでよしと考えている。
(もちろん健康であることは必要だが、それでは十分でない。)

窓のない袋小路に立たされると、「だから、どうなの?」と考えることが多くなる。
「健康だからといって、それがどうなの?」と。
つまりその先が、「心の問題」ということになる。

 ただ誤解してほしくないのは、老人といっても、1人の人間ということ。
けっして半人前になるわけではない。
感性も知性も理性も、若いときのまま。
喜怒哀楽の情も、若いときのまま。
反応は多少鈍くなるが、生きることを、あきらめるようになるわけではない。

 が、世間は、否応(いやおう)なしに、あきらめることを強いてくる。
「あなたも歳だから……」と。
つまり老人は、そのはざまで、もがく。
苦しむ。
それが心の問題ということになる。
 
●金太郎飴人生

 だから老人は、現状を1日延ばしで、人生を先に送ろうとする。
今の私がそうだ。
悠々自適の隠居生活などというものは、夢のまた夢。
またそんな生活に、どれほどの意味があるというのか。
けっして負け惜しみではない。
先に書いた知人を思い浮かべてみればよい。

 この30年間、何がどう変わったというのか。
10年前も同じ。
20年前も同じ。
こういうのを、「金太郎飴人生」という。
どこで切っても同じ。
いつ死んでも同じ。
だから金太郎飴人生。

 一方、仕事をしている人にしても、そうだ。
もっとも私の年齢になると、地位や名誉など、まったく興味がない。
関心もない。
仕事といっても、どこかで生きがいにつながっていなければならない。
収入につながれば、さらによい。
……というのが、仕事ということになる。

●老後の統合性

 こうして考えていくと、やはり「老後の統合性」の問題に行き着く。
繰り返す。
(人間として、すべきこと)と(現実にしていること)を、一致させていく。
それが「統合性」ということになる。

 で、その統合性の確立に成功した老人は、老後を生き生きと過ごすことができる。
日々に満足し、充足感を覚える。
そうでない老人は、そうでない。
日々に後悔し、明日が来るのを恐れる。

私もこの年齢になってわかったことがある。
孫の世話に庭いじり?
そんな生活はけっして理想の老後ではないということ。
これはそれができない私のひがみでは、ない。
今はわからないかもしれない。
しかしあなたも60歳を過ぎたら、それがわかるはず。

●究極の選択

 が、知人は、30年間、遊んで暮らした。
たまに町内の活動をしたことはあるらしい。
しかしいつも、「お偉い様」。
私も息子の運動会で、来賓席に、その知人が座っているのを見たことがある。
何もせず、じっと座っていた。
が、それでは生活に根をおろすことはできない。
晩年を自分のものにすることはできない。

 さみしくなかったのだろうか?
悶々と悩むことはなかったのだろうか?
窓のない部屋の閉じ込められて、息苦しくなかったのだろうか?

 となると、やはり最初の問題にぶつかってしまう。
その知人は、心の問題をどう処理したかということ。
悩みや苦しみもあっただろう。
さみしい思いやつらい思いもしただろう。
ひょっとしたら、遊びたくて遊んでいたわけではないかもしれない。
が、私には、やはり「遊んで暮らした」としか思えない。

 で、最後に究極の選択。
あなたならどちらを選ぶだろうか。

(1) 年金で、死ぬまで、遊んで暮らす。
(2) 死ぬまで、働きながら暮らす。

 私なら(2)を選ぶ。
(本当は先にも書いたように、選ぶしかないが……。)
仮に年金があったとしても、(2)を選ぶ。


【2】代替哲学の確立

 人も55歳を過ぎると、展望性(未来を見る力)よりも、懐古性(過去を思い懐かしむ)ことが多くなる。
同時に、結果主義に陥りやすくなる。
が、老若男女問わず、基本はひとつ。
「今を生きる」。

 今を生きると、結果主義は、対立関係にある。
仏教の影響もある。
日本人は、概して言えば、結果主義。
たちえば、『終わりよければ、すべてよし』という格言がある。
しかし、本当にそうか。
そう考えてよいか。

 Rさん(高校女子)は、こう言った。
「大学へ入って、高校で使う教科書より簡単な教科書で勉強するのは、無駄」と。
一見、合理的な意見に見える。
しかしその実、その裏に見え隠れするのは、結果主義。

 あるいは以前、こんなことを言う母親がいた。
自分の息子が高校受験に失敗したときのこと。
「今までの苦労が、すべて無駄になりました」と。

 が、本当にそうか。
そう考えてよいのか。

 その高校に入ることは、たしかにできなかった。
しかしそれまでに学んだことが、消えたわけではない。
それにその失敗を乗り越え、つぎの成功に結びつけるということはできる。
人生に終わりはない。
始まりもない。
絶えずその瞬間に終わり、また始まる。

 重要なのはプロセス。
 結果主義のこわいところは、ここにある。
『終わりよければ、すべてよし』というのは、結果主義。
しかしそれを裏から読むと、『終わり悪ければ、すべて悪し』となる。

 どこかの仏教系教団の信者が、こう言っていた。
「林さん(=私)、あのキリストは、最期は磔(はりつけ)で死んだのですよ。
キリスト教がまちがっているという、最大の証拠です」と。

 が、この意見に納得する人は、少ない。
何も結果だけが、人生ではない。
重要なのは、プロセス。
過程。

 最後にどうなったかではなく、それまでどう生きたかということ。
もしそんなことを肯定したら、あなた自身が、自分の人生を否定しなければならなくなる。
私もそうだが、たいしたこともできず、そこそこの人生で終わるはず。
が、それでもまだよいほう。
多くは、挫折と失望を繰り返し、名もなく、財産もなく、この先、孤独死、無縁死を迎える。

 が、ただ「孤独死を覚悟しなさい」と言われても、簡単にできない。
そこで「今を生きる」。

 ……私たちは今、懸命に生きている。
自分と闘っている。
生きる意味や価値は、そこにある。
それ以外には、ない。

 あえて言えば、結果など、気にするほうが、おかしい。
はっきり言えば、どうでもよい。

 私自身も、孤独死、無縁死を迎えるだろう。
少し前までは、そうであってはいけないと思っていた。
が、今は、その希望(?)も消えた。

反対に、「それもいいではないか」と考えるようになった。
どうせ人は、独りで生まれ、独りで死ぬ。
どうせ人は、裸で生まれ、裸で死ぬ。
「無」から生まれ、「無」に帰る。
(「帰る」ではなく、「還る」でもよい。)
 そのかわり、今というときを、燃焼させる。
燃焼させて生きる。

大切なのは、「死」というそのときがどんなものであれ、そのときまでに、自分を完全に燃焼させること。
その充実感さえあれば、たとえ砂漠でのたれ死んでも、「無駄だった」ということにはならない。

 さあ、名もなく、名誉もなく、地位もなく、財産もなく、それでいて懸命に生きてきた仲間たちよ、勇気を出して、前に向かって生きて行こう。
世間の馬鹿どもに、「無駄だった」と批評されても、気にすることはない。
私たちは、私たち。……ということになる。

 繰り返す。
人生には、終わりもなければ、始まりもない。
大学生になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。
老人組になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。

 ……ということで、ここで明確に結論をくだしておく。
 結果主義は、まちがっている!

【3】死生観の変更

 孤独死、無縁死の話を、近隣でもよく耳にするようになった。
そのときのこと。
寺などめったに行ったことのない私でさえ、葬儀、それにつづく法事が気になった。
墓の問題もある。

 が、死生観というのは、その人自身の哲学になっている。
「はい、わかりました」と言って、簡単に変えられるものではない。
「墓は不要」と口では言いながらも、自分の死後に不安を抱いている人は、多い。
戒名にしても、七七回忌にしても、自分なりの結論を出しておく必要がある。

 ということで、私は調べてみた。
私のばあいも、……というか、この先、約60%の人が、孤独死、無縁死を迎えることになる。
「60%」ということは、「ほとんど」という意味。
現在の状況を考えるなら、ワイフもしくは私は、孤独死なるものを避けられない。
であるなら、自分なりの死生観を確立しておく必要がある。
……結果、日本でいう「法事」には、ほとんど意味がないことがわかった。

 たとえば、人は死ねば、7回の裁判を受けるという。
死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で、一回ずつ審理がされるという。

 ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

 その根拠となっているのが、『地蔵十王経』という経典。
が、この経典は、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経であることがわかった。
迷信も迷信。
この説を疑う人は、私がここに書いたことを手がかりに、自分で調べてみたらよい。

 さらに言えば、あの盆供養。
もとはといえば、アフガニスタンの「ウラバン」という土着儀式に由来する。
それが仏教伝来の過程で、仏教の中に混入した。
中国へ入り、「盂蘭盆(うらぼん)」という当て字が当てられ、それが「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という儀式になった。

 ……などなど。
が、誤解してはいけない。
だからといって、私は、仏教とともに生きてきた人まで否定しているわけではない。
それぞれの人には、それぞれの思いがある。
思いがあって、宗教に身を寄せる。
そういう人たちまで、否定しているわけではない。

 が、もし自分の死後に不安をもつ人がいたら、ここにも書いたように、自分で調べてみたらよい。
その上で、自分の宗教観を確立する。
ただ一言、付け足すなら、こういうことになる。

 極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的ですらある。
「あの世」にしても、そうだ。
釈迦はあの世について、一言も触れていない。
「あると思えばある。ないと思えばない」(法句経)と。

 法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀というその人最後の、もっとも厳粛な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

 仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではないだろうか。

【4】依存性からの脱却

 その人の依存性は、無意識のうちにも、言葉となって表れる。
たとえばよく知られた例に、(だから、何とかしてくれ)言葉がある。

 おなかがすいたときでも、具体的に、「〜〜が食べたい」「食事の用意をしてほしい」とは言わない。
「腹、減ったア。(だから何とかしてくれ)」と、言う。
あるいは、「寒い。(だから何とかしてくれ)」「眠い。(だから何とかしてくれ)」「退屈だ。(だから何とかしてくれ)」と。

 もう少し高度になると、こういう言い方をするようになる。

 もう亡くなったが、一人の伯父は、いつも、口ぐせのようにこう言っていた。
ワシも、年をとったからね」と。
彼もまた、言外で、「だから、オレを大切にせよ」と言っていた。

 さらにこんなことを言う女性がいた。
そのとき50歳くらいだっただろうか。
いっしょに食事をしているときも、「私は、中学生のとき、胃が悪くて、ずっと入院をしていました」と。

 最初は、その意味がよくわからなかったが、そのうち、わかった。
その女性は、「だから、私には、へんなものを食べさせるな」と言いたかったのだ。

 こうした依存性は、しかし日本人に広く共通して見られる現象である。
いつも心のどこかで、「だれかが、何とかしてくれるだろう」というような考え方をする。
近隣の問題についてもそうだし、国際問題についても、そうである。

 その原因をたどれば、長くつづいた、あの封建時代がある。
今のK国の人たちのように、日本人は、自ら考え、自ら立ちあがる力を、骨のズイまで抜かれてしまった! 
たとえば「自由」「平等」という意味でさえ、本当のところは、何もわかっていないのではないだろうか。
いや、その「自由」は「平等(?)」にしても、本当のところは、自分たちで得たものというよりは、アメリカによって、与えられたものにすぎなかった。

 ところでたまたま昨日、こんな会話を耳にした。60〜65歳前後の女性たちの会話である。

女A「おなかがすきましたね……」
女B「もう12時になりますね……」
女C「どうしましょう?」
女D「どうしましょうか……?」と。

 それぞれが、だれかが「食事をしましょう」「レストランへ行きましょう」と言い出すのを待っているといった感じである。
しかしそれを口にした人が、食事代を負担しなければならない(?)。
だから自分では言い出せず、だれかにそれを言わせようとしていた(?)。

 少し考えすぎかもしれないが、私は、会話の雰囲気から、そんな印象をもった。

 こうした依存性は、日本人独特のもので、日本に住んでいると、それがわからない。
外国の家庭などでは、そういう言い方をしても通用しない。
へたに、「I am hungry.」(おなかがすいた)などと言おうものなら、「Then what?」(だから、どうなの?)とやり返される。

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。
おなかがすいても、「○○を食べたい」とは言わない。
「おなかが、すいたア〜」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。
ある女性(67歳)は、だれかに電話をするたびに、「私も、年をとったからネエ〜」を口グセにしている。
このばあいも、言外に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。
つい先日も、ある女性(60歳)と、北朝鮮について話しあったが、その女性は、こう言った。「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。
しかし依存心の強い人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。
「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっているだけ。

 総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、その依存性が結集したものとみてよい。
「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわくない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」「出る杭(くい)はたたかれる」など。
こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。
いくつか並べてみる。

★してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。
よい人ぶったり、それを演じたり、あるいは同情を買ったりする。「〜〜してあげたから、〜〜してくれるハズ」「〜〜してあげたから、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

★自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何かをしてくれるのを、待つ。
あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。
それ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。
ものごとを、ナーナーですまそうとする。

★子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい子イコール、できのよい子と位置づける。

★親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。
親に対して犠牲的であればあるほど、美徳と考える。
しかし脳のCPUがズレているため、自分でそれに気づくことは、まずない。
だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反発したりする。

 依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。
しかし今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。
個人が個人として確立していない。

 あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。
いまだに戦前、あるいは封建時代の全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。
そしてこうした国民性が、外の世界からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。
つまりいつまでたっても、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。

 最後に「甘えの構造」を書いた、土居健郎の言葉。

『人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。
義理人情が支配的なモラルである日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった』と。

【5】SKI(財産を次世代に残さない)

 オーストラリアには、「SKI」という言葉がある。
「Spend the Kids' Inheritance(息子や娘たちの相続財産を使う)」を略して、「SKI」。
「私はスキーに行く(隠語で、私は息子や娘たちには財産を残さない)」というような言い方をする。

 残せるような財産がないこともある。
オーストラリアのことは知らないが、SKIは、この日本でも主流になりつつある。
私自身もそう考えているし、私が知るかぎり、友人や知人たちも、同じように考えている。
家制度の崩壊、家督制度の崩壊、そして家族意識の崩壊。
SKIは、その当然の結果ということになる。

 が、不安がないわけではない。
ブラック・ビジネスのひとつに、悪徳ヘルパーの問題が浮上しつつある。
思考力の弱くなった老人を相手に、金儲けをたくらむ。
詐欺を働く。
介護するフリをしながら、預金通帳や印鑑、現金や財産を持ち帰る。

 老人ホームとて、安心できない。

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があったということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。
これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということになる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうした虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 それを防止するため、成年後見制度が制定された(2000年)。
さらに高齢者虐待防止法が制定された(2006年)。
この防止法により、虐待の「おそれがある」と思われる段階で、地域包括支援センターへの通報できるようになった。
が、これでじゅうぶんとは、だれも思っていない。

【6】孤独との共存

 孤独感は、強烈なストレッサーとなり、脳内で、脳内ストレスを引き起こす。
短期的には、アドレナリンの分泌を誘発し、動悸、発汗などの症状を引き起こす。
慢性化すると、サイトカインを分泌し、低体温、思考力の低下、憂うつ感、気力や性欲の減退を引き起こす。
心がバラバラになるだけではない。

 免疫機能にも影響し、体内の免疫力が低下する。
もろもろの病気を誘発し、心疾患、脳疾患、さらにはがんを誘発する。
孤独、それにまつわる孤独感を、安易に考えてはいけない。
孤独はまさに、「心のがん細胞」。

●孤独=絶望

 仏教でも、孤独を「無間地獄」と位置づけている。
まさに地獄。
人は孤独の世界に陥ると、目に見えない業火で体中を焼かれる。
孤独ほど、恐ろしいものはない。
だれにも相手にされない。
だれにも愛されない。
だれにも理解されない。
あなたの存在を気にかける人さえいない。
あのイエス・キリストでさえ、始終、弟子たちに、「あなたは私を愛しているか?」と
問いつづけたという。

 その孤独。
闘えば闘うほど、あるいはもがけばもがくほど、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
また闘って、闘えるような相手ではない。
もがいたところで、どうにもならない。
最悪のばあいは、(多くの人はそうしているが)、自ら命を絶つということにもなりかねない。
孤独は、まさに心のがん細胞。
自ら増殖し、自分の宿り主の命さえ、奪う。
 では、どうするか?

●受け入れる

 孤独もひとつの「運命」にすぎない。
私たちの体や心は、無数の目に見えない糸で、がんがらめになっている。
過去の糸、現在の糸、生い立ちの糸、社会の糸、家族の糸、仕事の糸、肉体の糸、
健康の糸、人間関係の糸、などなど。
自分で「あっちに行きたい」と思っていても、「糸」がそれを許さない。
ときに自分の望む方向とはちがった方向に、自分を引っ張っていってしまう。
こうして人には、「運命」が生まれる。
人は、常に、その運命に翻弄される。

 その運命。
逆らえば逆らうほど、運命は、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
「いやだ」「避けたい」と思えば思うほど、それが重荷になる。
が、その運命も、受け入れてしまえば、何でもない。
受け入れてしまえば、運命は、向こうのほうから去っていく。
尻尾を巻いて去っていく。
で、そのあとやってくるのは、すがすがしいほどに、さわやかな世界。
孤独も、また同じ。

●「生きたい」vs「死にたい」

 孤独との闘いは、壮絶なものとなりやすい。
それもそのはず。
「生きたい」という人間の根源的な欲望と、「死にたい」という人間の根源的な
自己否定が、孤独をはさんで、まっこうから対立する。
これほどまでにはげしい葛藤(コンフリクト)は、ほかにない。

 そもそも「生きたい」という欲望は、「死にたい」という自己否定を裏返して生まれる。
言い替えると、「生きたい」と強く思う人は、その一方で、「死にたい」という自己否定と
闘っている。
つまり日頃から、「生きたい」と願っている人は、それだけ「死にたい」という自己否定感
が強い人ということになる。
何も考えない人、つまりノー天気な人は、「生きたい」という思いもなければ、自己否定感もない。
ただその日、その日を、のんべんだらりと生きているだけ。
そういう人には、もちろん、孤独感はない。

●孤独を受け入れる

 孤独になったら、それと闘ってはいけない。
もがいてはいけない。
静かに身を横たえて、孤独に身を任す。
孤独を受け入れる。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
とたん、(多少の時間はかかるが、しかし一晩眠れば)、孤独は向こうから去っていく。
尻尾を巻いて、去っていく。

 孤独でない人はいない。
もしあなたが「生きよう」と懸命に考えている人なら、孤独から逃れることはできない。
いつも孤独はそこにあって、あなたがそこに落ちてくるのを、待っている。
手招きをして待っている。
言うなれば、孤独は、あなたの「影」のようなもの。
どんなことをしても、その影を切ることはできない。
もちろん先にも書いたように、ノー天気な人は、別。
が、孤独は、悪いことばかりではない。

●第二の産道

 人は母親の産道をくぐり抜けて、この世に誕生する。
同じように、人は、孤独という産道をくぐり抜けることによって、真理の世界に誕生する。
孤独は、まさに第二の産道。
孤独の苦難をくぐりぬけた人だけが、真理の世界に到達することができる。
そこは、まさに安穏の世界。
愛と慈悲にあふれた、別の世界。

 言うなれば、孤独は、その産道の前にたちはだかる衛視のようなもの。
簡単には、その道を通してくれない。
それが「苦しみ」ということになる。
だから苦しむことを恐れてはならない。
苦しむことを、「結論」と考えてはいけない。
それが「終わり」と考えてはいけない。
絶望の、そのまた絶望の淵に叩き落とされたとき、はじめて真理は姿を現す。

 方法は、簡単。
静かに身を横たえる。
闘ってはいけない。
もがいてもいけない。
孤独に身を任す。
そしてこう居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。

●孤独でない人はいない

 孤独でない人はいない。
「生きよう」と懸命に努力人に、孤独でない人はいない。
だから雑音は無視する。


 派手な人づきあい。
派手な交友関係。
派手な活躍。
地位や肩書き、見栄えや世間体。
そういう世界に溺れている人は、あわれんでやればよい。
「私は孤独ではない」と虚勢を張っているだけ。

 だから孤独であることを喜ぼう。
それはまじめに生きているという「証(あかし)」。
けっして恥ずべきものでも、隠さなければならないものでもない。
「私はさみしい」「私は孤独」と、声を出して言えばよい。
それが人間のあるべき本来の姿。
マザーテレサも、「イエス・キリストは孤独だった」と看破している。
マザーテレサ自身も、孤独だった。
そしてイエス・キリストも、マザーテレサも、それぞれが、孤独の向こうに真理を
発見した。

●マザーテレサの言葉

 老後は孤独との闘い。
先にも書いたように、あのイエス・キリスト自身も孤独に苦しんだ。
マザーテレサは、つぎのように書いている。
この中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことをさす。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the
hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus
himself experienced this loneliness. He came amongst his own and his own
received him not, and it hurt him then and it has kept on hurting him. The
same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by
and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles
Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.

 『キリストが言った。
「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。
彼はただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。
キリスト自身も、孤独を経験している。
つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。
彼自身も、孤独になった。
そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。
どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。
孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる』と。

 孤独と思うから、「孤独死」となる。
繰り返す。
が、孤独を受け入れてしまえば、……といっても、受け入れられるようになるまでがたいへんだが、孤独は、向こうからシッポを巻いて逃げていく。
孤独死は、そのまま安穏死になる。

●終わりに……

【はやし浩司よりAさんへ】

●「それ以上、何を望むのですか」
   
 親子とは名ばかり。
会話もなければ、交流もない。
廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。
怒りたくても、相手は我が子。
できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。
「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。
今、そんな親子がふえている。
いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。
夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。
狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。
そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。
ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。
「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。
死ぬのがこわい。
どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。
そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。
そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。
「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。
しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。
憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。

しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。
親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。

私の恩師の故松下哲子先生(幼稚園元園長)は手記の中にこう書いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司




Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司












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 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜
松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
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